『愛と平和』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
当事者と非当事者の愛と平和の答えは
言語上一致していても
どこかに大きな隔たりがある
悩みを打ち明けられたとき
募金箱を前にしたとき
かすかな後ろめたさがこころをよぎる
キレイごとだと
頭の中の検閲官があざ笑う
それでも
それぞれの場所で
それぞれの選択を
耳を澄ませながら行うしかない
#愛と平和
星が 綺麗でした
当たり前が当たり前じゃなくなったあの日
生存を確認された男の子の言葉
日常だと思っていた
有り余るほどの街の明かりが消えた中
明日の自分もままならないそんな精神状態で
本当の暗闇の中で見上げた夜空の星を見て
ただただ純粋に星が綺麗だと感じた
彼の想いに涙がとまらなかった
人はどんな絶望の中でも
上を向くことができる
人はどんな暗闇の中でも
光を探すことができる
今 彼の見ている星が
強く輝く光でありますように
「愛があれば世界は平和」この言葉を聞いた時私は、なんて綺麗事なんだろうと思った。戦争は喧嘩と同じ。喧嘩をして帰ってきた子供に、喧嘩をするなと叱る親はいないだろう。地球に人間が産まれてから、全ての人が幸せな日なんて存在しないはずだろう。
それでも尚、私たちが目指すものは戦争のない世界だ。争いがなくなるわけなんてない。所詮は綺麗事だ。でも、綺麗事だったとしても、誰かを愛し、誰かに愛され、そうやって少しずつ、みんなで努力していくしかないのだろう。私のための行動が、いつか誰かのためになればいいと思う。
第一話「私の人生」
私は、8年間保育士の夢を追い続けています。
小さな町から離れて一人暮らしを始めました。
2021年4月保育の学校に入学をしました。
新しいクラスメイト、新しい環境、不安でいっぱいでした。
最初は、保育士になれるか自信がない状態でした。しかし私が保育士になり三年後に婚約するお相手いました。
お互い違う道に進みお互い将来に向けて頑張っていました。
時はさかのぼり2020年2月私は、フリーターをしていました。
保育士の夢も諦めてただ働く人生でした。
そんな時に彼女と出会いお互いのことについて話し
私の夢を「とても素敵な夢」と言ってくださいました。
住んでる所は離れていて毎日夜に電話をし今までのことを彼女と話し距離が縮まり2020年8月にお付き合いを始めました。
彼女は大学で私は、フリーターでした。
そんな時に私は、小さい頃ずっと追い続けてた保育士になりたい気持ちが高まり家族に「夢を叶えたい」と言い地元から離れた学校に行かさせていただきました。
学校入学するまでは、彼女の家で住み家事、日常の生活を一緒に頑張りました。
彼女がアルバイト行っている間私が家事をして、私がアルバイト行っている間、彼女が家事、食事などしてバランスよく生活していました。
そして現在お互い別の家に住みお互いの学校のことやプライベートな話しを学校終わりに電話で話していました。
私は、このままこの幸せがずっと続くといいなと思いました。
しかし‥‥‥
ぶっちゃけ自分の周りが平和で自分が誰かから愛されているなら他のことはどうでもいい…。
なんてことを考えているが、世界がある一定の水準まで平和でないと自分の平和や愛は成り立たないのだろう。世界平和なんて到底無理な話なのだろうか?
それを確かに持っていた。
その環境の中に確かに居た。
気付かずに解けていた靴紐
どこかに落とした服のボタン
明かりの消えた町外れの街灯
いつもそうだった。
あるのではない、あったのだと気付くのだ。
ー愛と平和ー
『愛と平和』
愛と平和、LOVE&Peace!
良いですよね!何方も自分の大好きな言葉です!
全ての人が幸せになるというのは、物凄く難しい事だと思います。
というかほぼ不可能だと考えています。
あっちを立てればこっちが立たない。
こっちを立てればあっちが立たない。
それが幸せの特性みたいなものでしょうから。
しかし唯一可能性を感じられるのが、このLOVE&Peaceです!
愛と平和が正義であれば、全員のハッピーエンドも納得出来そうな気がしてくるんですよね!
…………気がするだけですが!
多分に主観が混じっていて、なおかつ何の根拠も無い勘のようなものです。
説得力の欠片のかの字もありません……!
それでも良ければ自分の考えを聞いてあげてください。
愛を抱けるというのは、主観的に言えば平和とも捉えることが出来ますよね?
愛を抱いたその時、その人は平和な時を過ごしている筈ですから。
つまり前提として自分の考えでは
(愛を抱いている=主観的な平和)
……というわけです。
もっと言うなら(平和=幸せ)ですね。
厳密に言えば違うのでしょうが、大体そんな感じで捉えているのです。
ここに何か希望を感じるのです……!
つまり世界中の人々が全員同時に何かに愛を抱くことが出来たのなら、その瞬間は全ての人間が平和であると捉える事も出来るのでは無いでしょうか!
……そんなの不可能だと思いますか?
しかし、しかしですね!
自分は愛というものを不確定なものとして考えているのです。
──を守りたいと願う。
──に触れていたいと思う。
──の事ばかり考えてしまう。
……だから自分は──を愛しているのだろう。
自分の中である程度の根拠があって初めて愛を抱く事が出来ますよね。
だとしたら過去か未来が無ければ、何かに愛を抱くというのは不可能だと思いませんか?
逆に言えば今現在、私達が抱いていると思っている愛は過去か未来由来のものだと考えられるという事です!
そして未来は誰にも分からない不確定なものですよね?
だから必然的に過去に起こった出来事も不確定なものになります。
つまり私達が真に信用出来るのは現在を感じている自分の意識だけだと思うわけです。
……ここで愛が登場します。
先に書き記した通り自分は愛を不確定なものと捉えています。
つまり私達が真に信用出来る現在の意識、別の言い方をするならば確定されている世界では、愛とそれによる平和は無いということです。
すなわち愛による全人類の平和があるとするならば、それは自分達が確定することの出来ない過去か未来に存在しているのではないか?
そして仮に存在していたとしても私達にはその全人類の平和を認知する事が出来ないのではないか?
実は既に全世界の人間の平和は達成されていたのかも知れませんし、この先の未来で達成されるのかもしれません。
どちらにせよ自分達には分からないのです。
これが自分の考えです!(ガバガバ)
これなら納得出来そうな出来なさそうなぐらいにはなれる気がしないこともないです。
こんな長文を書きましたが内容は結局
【✝︎自分が考えた最強の愛✝︎】
……みたいな稚拙なものですから、ツッコミどころは満載だと思います。
自分でも(何言ってるんだろう?)とか思いながら書きましたからね、仕方が無いですね!
そもそも頭の悪い自分が考えたところで理解なんて及ばないという、元も子も無いオチがあるわけですが……!
皆さんの暇つぶしぐらいにはなれたら幸いです。
それでは!
愛と平和。
似ているように見えるが似ていない。
実は全くの別物。
愛があるからと言って平和は訪れない。
本来なら訪れるべき。しかし訪れないのが現状。
愛があれば平和になる世の中にしたい。
愛と平和。
私、小説の中でも特に好きなものがあって、それが戦争のお話で…
昔から戦争の話をよく読んでたのもあって、今自分が平和に暮らせていることの幸せさを知った。
そして、コロナの時代を経験しながら、当たり前に学校に行ける幸せさを知った。
隔離を経験して、家族と笑いあってご飯を食べられる、そんな愛が溢れていることも知った。
私は、感謝を忘れない人間でありたいと思う。
愛する気持ちがあれば
平和が訪れるのか
愛する気持ち故に
愛を守るが故に
争いが生まれてしまうのでは
愛する気持ちを誰しもが持ち
誰しもが平等に生きてゆければ
なんて夢のような話なのかもしれない
__愛と平和
博愛
平和
自由
革命
戦争
猛威
喜劇
悲劇
幸福
じぶんたちのつくったことばの
ていぎすら
きまらなくて
ああ
おろかなそんざい
めいていのうちにくりかえし
はてはあるのかないのか
わからぬから
いのりを
いのりを
どこへむかう
このふねよ
よいつぶれてあしどりおぼつかず
それでも
きざみつけよそのきせき
めのまえの
はかない、またあした、のために
血と泥と雨と風だけの戦場は、僕の心の中を全て洗い流してしまった。うめき声と嘆きの声が聞こえる静かな戦場の中で、幾千もの人が地平線まで横たわっていた。
ちっぽけな僕は粉々に打ち砕かれた。
そして、僕は生涯をかけて達成するべき命題を見つけた。
地位と財と名誉と、僕が持っている全てを捧げて僕は走った。寝る間を惜しんで僕は、あの惨劇を2度と繰り返さないことを誓った。
「どうして敵味方分け隔てなく、みな助けようとするのですか?」
しんどいのは僕だけでいい。
傷ついたり、苦しんだり、飢えたり、悲しんだり、そういう感情は僕だけが感じていればいい。
「構成員の自己犠牲による活動は、決して長続きしません」
僕は彼らを救わなければならないと誓った。僕自身が救われるために。
古いドアを、軽い音で叩く音が聞こえた。彼が返事をする前に、そのドアはギシギシと軋みながらゆっくりと開いた。
「ひどい有様ですね」
「……ああ、フローレンス。久しぶりだね」
この家の主人である彼は、簡素なベッドの上で一人横たわっていた。手は棒のように細く、顔はしわくちゃに痩せこけており、しかしその目だけは少年のように爛々と輝いていた。
「私はもう2度と会いたくありませんでした」
「そうだ、そこの紙とペンを取っておくれよ。僕はもう体を動かすことさえままらないんだ」
「あなたは間違っています。自分を救えない人が、他人を救うことなんて出来ないのです」
「今日は少し調子が良くてね。少し執筆作業をしようと思ったら滑り落ちちゃったんだ」
「黙りなさい」
彼女は、そっと目を伏せた。埃だらけの床の先には、インクとペンと膨大な量の紙の束が散らばっていた。
「あなたは私の忠告を聞かずに走り続けました」
「そうだね」
「その結果、あなたは全てを失いました。富と地位と名声を失い、あなたが作った機関からも追い出された」
「そうだね」
「どうしてあなたは、それでもまだ笑っていられるんですか」
彼女は看護師だ。
人を治し、癒す仕事についている彼女が唯一治せなかった彼は訥々と語り始めた。
「フローレンス、僕はね。地獄を見たんだ。あの日、あの世界には理性がなかった。もう戦えない兵士が打ち捨てられ、助かるはずの命の灯火が消えていったんだ」
脳裏に浮かぶのは、いつもあの景色だった。あの日、僕の人生は全て変わってしまった。
「僕は人々を愛で繋げたかった」
僕は近くの村に赴き、負傷者の救護活動を呼びかけた。敵味方構わず水を与え、食糧を分け与え、包帯や薬を与え、祈りを捧げた。
「戦場という、倫理の及ばない場所に一筋の愛を紡ぎたかった」
負傷した兵士は、人間だった。傷つき、嘆き、助けを乞う、一人の人間だった。
「だからこそ僕も戦ったんだ」
彼は窓の外を眺めた。
11月の空は曇り空だった。分厚い雲が太陽を隠し、枯れ木からは最後の一葉がまさに落ちようとしていた。
世界が静寂で支配されてるのではないかと思うほど、静かな時間が続いた。
「あなたは間違っています」
彼女は口惜しそうに呟いた。
「しかし、あなたの残したものには意味がありました」
そう、消え入るような声を絞り出すと、彼女は手紙を差し出した。
「今日はこれを届けに来ました」
そういって、彼女はなにも言わずに軋むドアを押して出ていった。彼女の残した手紙を裏返すと、そこにはこう書かれていた。
───第一回、ノーベル平和賞授賞式のご案内
彼の名前は、アンリ・デュナン。第一回、ノーベル平和賞の受賞者にして、赤十字社の創設者である。
いつしか彼女との将来のためという目的へ変わっていた。
愛とやらで世界が平和になっても、
きっと誰かの世界は平和じゃない。
誰かが愛され幸せだと笑う時、
誰かは愛を求めて泣いている。
正解なんてわからない、
もちろん興味もないけれど。
愛で満たされている私の心は、
今もずうっと平和じゃないよ。
┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄
「愛と平和」2023. 3. 10
愛と平和
愛ってなんだろ。平和ってなんだろ。
愛して愛され平和に暮らしたいってものすごく思うけど
そんな簡単に上手くいかないよね。
もし、その時がきたらほんとに幸せなんだろうな。
大層なテーマを与えられたが
愛したり愛されることの難しさは半端ない。
平和ときたらやろうと思えば一人でもなんとかなる。
コレは…もしや相反するんじゃないかと頭をよぎる。
このアプリ、こんな妙な考えが浮かぶよう促しているのか。
…とか考えながら傍の愛する主人の寝言を愛でる。
なんと平和なことか。
明日が来るのは当たり前じゃない。
突然、愛する人が死ぬかもしれない。
余命宣告以外、自分が明日死ぬなんて誰も思いもしない。
そう考えると、今平凡な毎日が暮らせているのは平和だからだろう。
今年で12年。
突然、尊く愛おしい命が失われた。
平凡な街並みが荒れ果てた。
たくさん、たくさん悲しい思いをした。
明日が来るのは凄いことなのだ。
現役学生の頃から油物が苦手であった。
苦手、という表現が適しているかと言われるとそうでは無い気もするが。
なぜなら油物自体は好きであったから。
豚カツも唐揚げも焼肉も好きだった。
だが1つ、舌は好んでいても体、内蔵が全否定をすることが問題。
歳のせいとは言い難い現役頃から油物を食べると決まって深夜腹を下していた。
予兆の感覚は空腹に近いので、特に薬を飲むことも無く眠りにつくものの、ある一定の時間になると(2時3時が多かった)激痛に悩ませられる。
そんな夜に共通していることは、外食をしたか、油物を食べたかであった。
試しに食後薬を飲んで対策をしてみたことがあるが、大して意味もなく
欲しくて欲しくてしかたがないのに
決してどちらも
手に入れることはできないもの
そして
それが欲しいがために
争いが尽きないもの
あいとへいわ
愛があるから平和になるか。それは永遠に解き明かすことのできない神秘の宝庫の1つである。それはなぜか。それは、愛とは素晴らしいものの反面、とても儚いものであり同時にみにくいものでもあるからだ。
愛は時には人生を支える大切なものになるかもしれない。しかし、永遠の愛は存在しないと思う。人間とは常に、自分の人生を満たすものを探し求め、それを見つけたら呆れるほど依存し、没頭するが時が経ち飽きてしまえばすぐにガラクタのように捨て、また新しいものを探すことを繰り返すものだ。
愛も同じだ。その時は凄く素晴らしいものに見えても、いつかは変わってしまう。愛を捨てるということは裏切るということでもある。裏切られた方は、裏切った方に大きな悪い感情を抱く。結果的に、愛が原因で平和からは遠ざかってしまう。もともと、愛というものを持たない方が平和を保てるのかもしれない。でも、生きている以上愛というものを誰しも一度は経験しなければならない。それがまた、愛の憎い所でもある。
こうして考えてみると、愛とは素晴らしい反面、みにくい所もある矛盾したものだということが言える。言ってしまえば、愛とは自分の人生をより良くするために都合良く利用するものでもあるのかもしれない…