『愛があれば何でもできる?』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【愛があれば何でもできる?】
愛があれば何でもできる
愛さえあれば他は必要ない
そんな言葉がよく名言かのように言われている
でもそれは本当かな?
結局愛があっても
お金や名声とか必要じゃない?
それに命がなければ何も出来ないでしょ?
愛があれば何でもできる
理想はそうだよね
私もそうでありたいとは思うし
大切な人
大好きな人の期待とかには応えたい
でも無理なことだってある
その時は支え会えたらいいね
愛があるならできるでしょ?
言葉じゃなくて実際に行動で示してよ
愛があれば何でもできるって
私に証明して見せて
受けた愛はたくさんあったくせに
それを何かと理由をつけて
受け入れない僕だった
どうせ誰も助けてはくれない、
僕は一人でやるしかない、
誰も分かってはくれない、
そのまま強がる自分のままで
死んでくなら自業自得さ
それでよかった
それなのに、ちいさな愛一つで
簡単に手が震える
もしここで助けて、と言えば
寂しい、と言ってしまえたら
どんなに楽になれるだろう、と
こんな感情知りたくなかった
愛があれば何でもできる?
出来やしないよ、出来やしないよ、
自分さえ愛せない僕が
出来やしないよ、
「天にも昂る心地」
「俺、単純だからさ」
そう言って、君にキスを強請る。
一瞬、呆れたような表情をしつつも頬に口付けてくれる君は、いい彼女だ。
「今なら俺、なんだって出来る気がする。空も飛べるかも」
「やる気出たのはいいけど、危ないことはやめてね」
「しねーよ」
「はいはい、いいから続きしよ」
「キスの……?」
「な、なんでそうなるわけ?勉強にきまってるでしょ!」
「お、おう……」
もともと俺の成績はあまり良い方ではなかったが、ここ数ヶ月、成就した恋にうつつを抜かしてしまい……
その結果、今度の試験の結果次第では交際に反対すると母親に言われてしまったのだ。
「目指せ、学年一位!」
「目標、高過ぎじゃない?」
────愛があれば何でもできる?
愛があればなんでも出来る?
可能なんじゃないかな?
愛に弱いも強いも見定めて
比べるなんて見れたもんじゃない醜さを
下手に自慢するのはやめてよ
幼い頃から抱きしめ潰したクマさんのぬいぐるみ
何度も縫い直した目の縁に
愛しさを思い出したへこたれた深夜
愛なんて1通りじゃないってまた信じた
愛があれば何でもできる?
(本稿を下書きとして保管)
2024.5.16 藍
お題「愛があれば何でもできる?」
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すごくいい歌作ったな。
再生回数100万回だって。
彼は自分の事のように喜んで、誇らしげだった。
俺のSNSもついでにバズっちゃってさ、参っちゃうよ。
お前の彼氏だってだけで。やべぇ。
私の家で勝手にシャワーを浴びた後、私の部屋の私のソファに、まるで自分のうちにいるかのような態度で、彼は沈みこんだ。手には缶ビール。私の冷蔵庫から出したものだ。
サビのところのさ、愛があれば何でもできる! て歌詞がいいよな。アレって俺に向けた言葉だろ?
そうだよ、貴方の事だよ。
私は彼の隣に腰掛けて応えた。
彼は上機嫌で缶ビールのプルリングに指をかける。
あの部分は断言しているのではない。
質問なのだ。確認なのだ。
この人は私の歌を何も分かっていない。
でもそれでいい。馬鹿なところを好きになった。
ねぇ、サビのどこが良かったの?
彼の肩に頭を乗せて、私は尋ねた。
俺とお前の関係をよく表してる。
彼はまたあさってな感想を投げて寄こした。
愛があれば何でもできる?
その通りだろ。何でもできるよ。
じゃあ、殺してきてよ。今朝まであなたが一緒にいた女。
缶ビールを口から離し、彼が唖然として私を見る。
馬鹿な男。浮気がバレていないと思っているなんて。
私の曲を違法ダウンロードして稼いでいる事も、知ってるよ。通報すれば、賠償金いくら払うか知ってる?
軽く脅しただけで彼は真っ青になった。馬鹿な上に気が小さい。嘘がつけない。そこが可愛い。私の男。私だけの男。
殺してきたら、ダウンロードの件は見逃してあげる。
そう告げると彼は真っ青になったまま俯いて悩み始めた。
これは本当に殺しに行くかも知れない。
私はその様子を見ながらほくそ笑む。
貴方との間にあるものは何なのか。
私はそれを確かめたい。
愛があれば
愛を注がれたことがあれば
愛を本当の意味で知っていれば
愛を分け与え、注ぐことはできるだろう
愛を持つものは、
きっと持たぬものが出来ぬことを
いとも簡単に行うことができる
けれど
愛は万能ではなく
また、
愛を持たぬからこそできることもあるのだろう
どちらもが尊く
どちらもが醜い顔を持っている
まるで背中合わせみたいに
「愛があれば何でもできる?」
「愛があれば何でもできる?」
できない。
愛だけでは何でもはできない。
まぁまぁ良い性格と
努力する気持ちと
そこそこの収入と
悪くはない外見と
ほんの少しでも愛があれば
何でも出来ると思う。
「愛があれば何でもできる?」(一行詩/三連行)
あの娘あの娘も欲しがる愛の心結びは金次第
◆
愛人の残した白粉の匂いは危険たる妻の不在間に
◆
薄給で愛を長く続かせるにはフル回転の脳ミソよ
ああ、愛おしい。画面の中にいる君。
いつか絶対会いに行ってみせるから。
その為には、早く大人にならなきゃ。
そしてお金を稼いで、生活ギリギリまで君に貢ぐの。
でも、早く会いたい。
お金が無いと何も出来ない。
今からでもお金、稼がなきゃ。
だから、ある事に手を出したの。
少し危険かもしれないけれど、お金、これで沢山手に入る。
会いに行くまで待っててね。
約束だよ
愛があれば何でもできる?
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最近、体調を崩してしまいました。相当なストレスかかっているようで。
人と過度に会うと、ストレスが来てるんじゃないかと。
私自身、人なのになんて理不尽な身体しているんでしょうね。
皆様も体調管理に気をつけて下さいね。
嗚呼、あと、私みたいに人嫌いにならないように。
人を愛せるようになって下さいね。
「愛があればなんでもできるか」
そう問われたら私は " NO … 出来ないと思う "と素直に答える事だろう。私自体が人を本気で死ぬまで愛すると考えた事が無い事と…自分は自分、他者は他者だとひねくれた考え方をしている事が正直理由なんだろうなあと思う。
大好きな相手の為に命まで投げ打って死ねたらそれは「死ぬほど良いこと」なんだろうなあとか思うけれど、死に対する畏れが毎夜毎夜私を蝕むような気がしてさ。
「明日も生きてたらいいなあ」
No.1
愛があれば何でもできる?
愛があれば何でもできる?
金があれば何でもできる?
力があれば何でもできる?
出来るかもね
世の中は不条理だから
【愛があれば何でもできる?】
愛犬が生きていた当時
散歩に連れ出す時には、人や自転車、バイク、車、看板など周囲のあらゆるものを警戒しながらゴルゴ13ばりに気を張って歩いていた
万が一愛犬が他人の悪意によって大怪我をしたり、最悪死んでしまったときは、そいつを殺す覚悟はできていた
敵討ちなんか愛犬は望まなかっただろうけど、私が、私のためにそいつを殺すつもりだった
お題に沿っているかしら?
愛があればなんでもできる?
愛があっても失ってしまうものなんだ。
当たり前の日常なんて一瞬で壊れてしまうものなんだと思い知らされた。
これは記憶喪失書こうかな?
さよ~なら~
愛があればなんでもできる?
そんな簡単なものじゃない
何故ならそれが恋だから
作品番号2「愛があれば何でもできる?」
愛があればなんでもできる?
できねぇよ!
愛があればこそできないこともあるよ
愛があればなんでもできる、なんて
そんな綺麗事がまかり通る世界ならばこんなに世は乱れてない。
愛の為なら人のせいにして法を犯せるのか?
他人の幸せを蹴散らせるのか?
いや、出来ないだろう?
所詮、そんなものなのだ。
【愛があればなんでもできる?】
今や愛ではなくAIがあればなんでもできるようになって
きた。
だからこそAIには無い愛を大切にしたい。
•••でも将棋指すときはAIさんヨロシクねw愛なんてないような凄い一手を。
Hello world.
愛があればなんでもできる?
できるわけないじゃん
愛だけでは食べていけません
【愛があれば何でもできる?】
愛、ですか……
イメージの世界にいた頃の私なら、きっと綺麗事だと鼻で笑っていたでしょう。
確かに「愛」という言葉には、どこかドロドロとした、利己的な本音が隠れているように思えてなりません。
実際に、私が当時、友人に対して抱いていた「愛」というのは、酷く嫉妬心に溢れ、怯えたものでした。
「愛さえあれば…」なんてことも聞きますが、愛だけに限らず、何事にも程度というものがついてまわると思います。
とにかく、私個人の見解よりも先に、まずは当時のことを振り返ってみようと思います。
私(当時中学生)は、はっきり言って、人のことを信用できませんでした。
それは、周りにいる人達が、皆、「生きることに一生懸命」になるが故に、周りを置いてけぼりにしようとして止まなかったからです。
かく言う私も、毎日我武者羅でした。
ただ、我武者羅になるがために、自分に高い理想を抱きすぎて、自分を愛せていなかったと思います。
私は自分が嫌いでした。本当に、私みたいなゴミは消えた方が社会のためだと思っていました。
私は周りを許せませんでしたし、同時に、自分自身をも酷く憎んでいました。
そうやって、自分に厳しくすることが、美徳だと教えられたのです。
しかしその考え方によって、私はイメージの世界に追いやられる羽目になったのです。
私は、大人が教えてくれたように、自分に厳しくしました。そして、他人には私に出来る最大限を尽くしました。
私は、自分の考え方に誤りがあることに気づけませんでした。
そうして、ずっと自分に厳しく当たり続けて、私は死にたくなりました。
こんなに苦しいなら、死んだ方が楽だ───
でも、私は臆病でした。死ねなかったんです。
周りに助けてくれる人はいませんでした。
いや、もしかしたら、従来の美徳に縛られて、自ら探そうともしていなかったのかも知れません。
とにかく、愛なんてものは幻想で、自分をキレイに飾りたい、「偽善者」の使う言葉だと思っていました。
実際に、私は誰も愛していませんでした。自分が助かることで必死だったからです。
それでも私は、誰かに愛されたいと願っていました。
このおかしさに気づかせてくれたのは、フリードリヒ・ニーチェのある言葉でした。
彼は、かなり辛辣に、こう吐き捨てました。
「自分から人を愛することもしないのに、君は人から愛されたいだなんて願うのかい?もしかして、大多数の人に愛されなくても、一部の人に愛されればいいとでも言うのだろうか?その一部の人だって、あなたを愛さない大多数の中に存在するというのに。」
まるでナイフで抉られるかのような気持ちでした。
確かに彼の言う通りです。
人を愛さないのに、人が愛してくれるはずもないのです。無償の愛など、存在しない。人間関係は常に、ギブアンドテイクで成り立っているのですから。
それに気がついても、私は人を愛せませんでした。
私がいくら気遣っても、誰も気づいてくれない。返してくれない。
当時の私からすれば、ギブしっぱなしだったんですね。
だから苦しいんです。ギブ「しなきゃいけない」と思うから苦しかったのです。
いつだってそうです。「しなきゃいけない」が、どれだけ私を傷つけ、私からものを奪っていったことか。
甘えだと思いますか?
そうかも知れませんね。結局私は甘えているのかも。
でも、「しなきゃいけない」から少し離れることが出来て、私は幸せになりました。
少しのことに喜びを感じられるようになりました。
すると不思議なことに、周りの人も、とてもあたたかい言葉をかけてくれるようになったのです。
それでますます、「生きててよかった」と思えるようになっていきました。
私は、自分をずっと追い詰めてきました。しかしそれは、私を不幸にしました。そして、努力もできなくなりました。
不思議ですよね。単純な事だったんです。
人が幸せを掴む一歩とは何か。
それは、自分の味方をしてあげることです。
自分を「愛する」ことで、ようやく人は幸せへの一歩を踏み出せる。
私は、「愛さえあればなんでもできる」のではなくて、「愛がなければなんにもできない」だと思います。
愛情とは、とても人間らしい感情です。
世の中には、愛の皮を被って、私たちを傷つけようとするものが、数多存在します。
しかし、どうかそんな薄っぺらい悪意に惑わされないでください。
ご自分を愛してあげてください。
ご自分を許してあげてください。
そして、人間が幸せと感じるのは、きっと周りで自分と一緒に、笑いあってくれる人がいるときも含まれます。
そうして、あなたと共に、時間の中で幸せでいてくれる人を、あなたはきっと愛してあげられるはずです。