霧雨

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【愛があれば何でもできる?】
愛、ですか……
イメージの世界にいた頃の私なら、きっと綺麗事だと鼻で笑っていたでしょう。
確かに「愛」という言葉には、どこかドロドロとした、利己的な本音が隠れているように思えてなりません。
実際に、私が当時、友人に対して抱いていた「愛」というのは、酷く嫉妬心に溢れ、怯えたものでした。
「愛さえあれば…」なんてことも聞きますが、愛だけに限らず、何事にも程度というものがついてまわると思います。
とにかく、私個人の見解よりも先に、まずは当時のことを振り返ってみようと思います。

私(当時中学生)は、はっきり言って、人のことを信用できませんでした。
それは、周りにいる人達が、皆、「生きることに一生懸命」になるが故に、周りを置いてけぼりにしようとして止まなかったからです。
かく言う私も、毎日我武者羅でした。
ただ、我武者羅になるがために、自分に高い理想を抱きすぎて、自分を愛せていなかったと思います。
私は自分が嫌いでした。本当に、私みたいなゴミは消えた方が社会のためだと思っていました。
私は周りを許せませんでしたし、同時に、自分自身をも酷く憎んでいました。
そうやって、自分に厳しくすることが、美徳だと教えられたのです。
しかしその考え方によって、私はイメージの世界に追いやられる羽目になったのです。
私は、大人が教えてくれたように、自分に厳しくしました。そして、他人には私に出来る最大限を尽くしました。
私は、自分の考え方に誤りがあることに気づけませんでした。
そうして、ずっと自分に厳しく当たり続けて、私は死にたくなりました。
こんなに苦しいなら、死んだ方が楽だ───
でも、私は臆病でした。死ねなかったんです。
周りに助けてくれる人はいませんでした。
いや、もしかしたら、従来の美徳に縛られて、自ら探そうともしていなかったのかも知れません。
とにかく、愛なんてものは幻想で、自分をキレイに飾りたい、「偽善者」の使う言葉だと思っていました。
実際に、私は誰も愛していませんでした。自分が助かることで必死だったからです。
それでも私は、誰かに愛されたいと願っていました。
このおかしさに気づかせてくれたのは、フリードリヒ・ニーチェのある言葉でした。
彼は、かなり辛辣に、こう吐き捨てました。
「自分から人を愛することもしないのに、君は人から愛されたいだなんて願うのかい?もしかして、大多数の人に愛されなくても、一部の人に愛されればいいとでも言うのだろうか?その一部の人だって、あなたを愛さない大多数の中に存在するというのに。」
まるでナイフで抉られるかのような気持ちでした。
確かに彼の言う通りです。
人を愛さないのに、人が愛してくれるはずもないのです。無償の愛など、存在しない。人間関係は常に、ギブアンドテイクで成り立っているのですから。
それに気がついても、私は人を愛せませんでした。
私がいくら気遣っても、誰も気づいてくれない。返してくれない。
当時の私からすれば、ギブしっぱなしだったんですね。
だから苦しいんです。ギブ「しなきゃいけない」と思うから苦しかったのです。
いつだってそうです。「しなきゃいけない」が、どれだけ私を傷つけ、私からものを奪っていったことか。
甘えだと思いますか?
そうかも知れませんね。結局私は甘えているのかも。
でも、「しなきゃいけない」から少し離れることが出来て、私は幸せになりました。
少しのことに喜びを感じられるようになりました。
すると不思議なことに、周りの人も、とてもあたたかい言葉をかけてくれるようになったのです。
それでますます、「生きててよかった」と思えるようになっていきました。
私は、自分をずっと追い詰めてきました。しかしそれは、私を不幸にしました。そして、努力もできなくなりました。
不思議ですよね。単純な事だったんです。
人が幸せを掴む一歩とは何か。
それは、自分の味方をしてあげることです。
自分を「愛する」ことで、ようやく人は幸せへの一歩を踏み出せる。
私は、「愛さえあればなんでもできる」のではなくて、「愛がなければなんにもできない」だと思います。
愛情とは、とても人間らしい感情です。
世の中には、愛の皮を被って、私たちを傷つけようとするものが、数多存在します。
しかし、どうかそんな薄っぺらい悪意に惑わされないでください。
ご自分を愛してあげてください。
ご自分を許してあげてください。
そして、人間が幸せと感じるのは、きっと周りで自分と一緒に、笑いあってくれる人がいるときも含まれます。
そうして、あなたと共に、時間の中で幸せでいてくれる人を、あなたはきっと愛してあげられるはずです。



5/16/2024, 2:01:06 PM