『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
君の声を聞くことが幸せかも
そう思った。
不定期で電話して
最近あったこととか
これからの事とか話して
お互い頑張ろうなんて言う関係が
なんか良いなって思った。
そもそも緊張で人の目を見て話せないし
男の人とはほぼ話せないから
電話することはほぼ無いけど
君から「電話したい」とか「話したい」って
誘われると嬉しくなる。
お互い好きって感情はないけど
最近は君と話すと満たされるなって感じてる。
─────『幸せとは』
もっと酔いしれていたいよ
寝ても覚めても
火照る恋心のように
ずっと
ただの朝と夜が
歯止めなく
私の心埋め尽くして
ほしいなぁ
悲しみが伝う余地もなく
生きていく力が欲しい
愛なんて
どこかに
生まれては消えていく
幸せとは
改めて考えるとよく分からない
幸せとは人それぞれだろう
今生きていることが幸せ
家族がいるのが幸せ
友達がいるのが幸せ
好きなものを食べれるのも、
スマホを見れるのも、
漫画を読めるのも、全てが幸せに含まれる
大事なのは人一人一人がどう感じるかなのだろう
私は学校生活での人間関係において、日々トラブルに巻き込まれたり、トラブルを起こしたりしてしまっている。
だから友達がいること、誰かが私を頼って相談してくれることが私に取っての幸せである。
そんな時だけ、自分にも価値があるように思えるからだ。
幸せとは
☆幸せとは 暖かなお日様の光を浴びながら
新鮮な空気を呼吸し
穏やかな鼓動を大地の鼓動と同期させ
アドレナリンが満ち溢れ
今を生きる活力を感じる事
そうだ! もっともっと
幸せの欠片を集めに行こう
そう、一緒にかけらを繋ぎ合わせて行ける人と☆
朝起きて、隣に貴方がいてくれる喜びは何物にも代えがたい。
昔はよくお兄ちゃんに腕枕してもらったっけ。
その数年後、裸で腕枕してあげることになるとは思いもよらなかったけれども。
否、その時から甘酸っぱいような、それでいてどろどろとした独占欲のような相容れない想いが積み重なっていくことは分かっていた。
それが幾年の時を経て結ばれることになったのは多分幸せで、使い古された言葉を使えばこれが運命とやらなのかもしれない。
嗚呼、もうすぐ起こさなければならない時間だ。
けれどもあと少しだけ、この温かな気持ちを噛み締めさせてほしい。
幸せとは
その人が生きていくだけの衣食住があり、話たい時に話を聞いてもらえる家族や友人が居ること。
それから、自分を必要としてくれる人がひとりでもいることも‥。
病気してないことや、人間関係のトラブルを抱えてないことも大事。
わたし的には今家族内でトラブルを抱えています。だから幸せとは思えない。結構辛い。
血の繋がりがある分、割り切れないよ。
幸せとは
1人になっても人生を謳歌出来る事
お菓子作り楽しい
めんどくさいけど
でも、あげれる人居なくなった
あげて、喜んで食べてくれる人居なくなった
これは辛い。
でも、頑張って前を向いてるよ
辛いけど、幸せを掴もうと頑張ってるよ
だから、そうやって頑張れる内は幸せだと僕は思います( ◜▿◝ )ヘヘヘ
他人の幸せを潰してでも幸せになりたい
1個だけ残ってた購買パン
これだけひとつだったピザまん
ラスト1本のポッキー
それしかなさそうだったネックウォーマー
他人の幸せと比べるには
自分の身が可愛すぎる今日この頃
ラス1のチーズパンは美味しかったです
『幸せとは』
「ありがとう」をつぶやくたびに
ふんわりと浮かんでくる
小さな泡のようなもの
触れれば優しく心に溶けていく
幸せについて考えてみると、色々な考え方があると思う。その中で自分が思う幸せは、「子供の成長」だと思う。成長を感じる瞬間が一番幸せに思う。
お幸せに。
そう言って私はあの子を送り出した。こうする以外の逃がし方が分からなかったから。
旦那様もご家族も優しい方々だった。政略結婚ではあるが、きっと大切にしてもらえるだろう。
暖かい部屋。ふかふかの布団。暖かなご飯に、少し熱めのお風呂。綺麗な着替えだって用意してもらえることだろう。冷たい物置に誂られた私室で薄く硬い布団に挟まり眠り、冷ご飯を食べて週に一度だけ水で体を清め、ボロボロになってしまった着物を直し直し着る。そんな今の生活より、ずっとずっと素敵な生活が送れるはずだ。
だから、私は悪女を演じて妹を送り出した。私はいい。事実、私は親に贔屓されているから。妹みたいな暮らしはしていない。やれ花嫁修業だ勉強だと口酸っぱく、過剰な程に言われているがそんなものは妹と比べれば些細なことだった。
どうか、貴女が幸せになれますように。
そう願いながら、私は家という監獄の中で目を閉じた。
幸せとは…
幸せの感じ方はは人それぞれ
好きな人との日常
家族との生活
欲しいものを手に入れること
仕事の成功
お金が沢山あること
欲がみたされること…
私がこの頃感じる幸せは
散歩の時に感じる
空の青さとか
お日様の温かさとか
お月様の美しさとか
星の数とか
そんないつもそこにあるものに
ほっとする時間
それが幸せ…
今私は何が一番したいのか
考えられる隙間がある幸
寒い廊下から自分の体温が
残る布団に潜り込む朝
♯幸せとは
変わらない毎日でもいい
地味でもいい
悩んだり 喧嘩したり 後悔してもいい
人に素直に 自分に素直に
無理がなく 穏やかに
今日を終えられたら幸せだとおもう。
いちばん 簡単で 難しいことは
いつも 自分が自分をしあわせにする事
甘やかしと勘違いしやすく
すぐに他人の意識に自分をなくす
自分の中のコップを自分で満たせるようになりたい
安心 安寧 宝石言葉
自分の中から溢れてくる慈味に気がつけたら幸せ。
幸せとは
幸せとは目に見えるものではなく、手に触れることも叶わない、幻のような存在だった。それを可視化し、食べられるようにしたのが、父だった。
「お前がいるだけで幸せだったのにな」
父は言った。幸せを求めて戦争が起き、街は破壊され、人々は住むところを無くした。
私の、父と過ごす平穏な日常という幸せも、気付けば無くなっていた。
「幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ」
これはbacknumberの瞬きに出てくるサビの部分の言葉。
「貴方にとって幸せとはなんですか?」
胡散臭い講習会の講師にそう問われた時、真っ先に頭に浮かんだのがこのフレーズだった。
友達に言われるがまま連れてこられた「幸せを見つける方法」などという胡散臭い講習会。最近話題の山中真也とかいう心理分析学者だか、癒しのスペシャリストだか、そんな肩書きが付いている人間の講習会のチケットが当たったから付いてきて欲しいと頼み込まれ、全く興味が無いその公演を俺は酒を奢るという言葉に釣られ付いてきた。案の定俺にとってはつまらない話で、中身を信じる気にはなれない。
流石は人気の心理学者。講演会で飯を食っているというだけあって話は上手い。正直中身の信憑性はどうかわからないがこれで救われる人間も居るのだろう。
目の前の講師は長々と似たような事を繰り返し、どっかで聞いたような幸福論を口にする。自分の自己肯定感を上げるには〜メンタルを回復する為に必要なのは〜まずは自分を大事にして〜……。
そもそも本気で病んで居る人間はこんな所に来られないし、口八丁の幸福論の実績でメンタルが回復し幸せになれるのならみんな実践している。そうはならないから世の中には不幸を嘆く人が溢れていて、こういった講習会に人が集まるんだろう。
「私にとっての幸せは……家族と過ごす事です。」「私は、本を読む瞬間が幸せです。」
目の前の講師に当てられた人間が己の幸せな瞬間を口にする。自分にとって何が幸せかをまず考えようという事らしい。
「では、何故その事柄が幸せなのか。何をもって幸せと感じるのか……それを考えてみましょう。」
何をもって幸せかなんて、難しい事を聞くな。心理学的に幸せをどう解釈するかという話だろうか。そもそも幸せとは何かという問いを考える事自体が心理学ではなく、哲学ではないのか。
心理学も哲学も俺はよく知らない。隣で俺を連れてきた友達は真剣に悩んでいるようだ。まぁ、こんな機会でもないと幸せとは何かなんて事真面目に考える事も無いだろうなとも思う。
さっきのbacknumberの歌詞を思い出しながら、幸せとは何かを俺なりに考えてみたが正直よくわからない。俺は今この瞬間が幸せだとは思わないし、日々幸せを感じる瞬間を思い出そうとしてもこれといって浮かばないからだ。
瞬きの歌詞は特別な毎日が来るような事を幸せと指すのではなく、大事な人を大事に出来るような普遍的なものを幸せと定義している、と言ったところだろうか。
俺は国語が苦手だから、作者の気持ちを考えろみたいなのはよくわからない。だからこの歌詞を書いた人が本当はどんな気持ちでどんな想いを込めたのかなんて知る由もないが、歌詞というのは教科書の文章と違い勝手に解釈したって許される。そういうものだ。
そう考えると幸せも同じなのかもしれない。それぞれにとっての幸せがあり、それを定義するのもそれぞれ個人によるもの。
そもそも幸せとは何かなんて問い自体答えの無いものではないのか。
「えぇ、良いですね。なるほど、そういう考え方もありますね。」
俺がぼーっと考え事をしている間に話が進んでいた。参加者の考えた何をもって幸せとするかを聞いている。それで結局講師の口から出たのは「それぞれ考え方が違って良いのです」だった。
結局そうなるのか。くだらない講習なだなと思う俺とは違い、友人は横で目を輝かせている。これも幸せの形の一つなんだろう。幸せを探す為の講習で新たな発見をする幸せ、自分の探している道を見つける幸せ。俺には無いがコイツにはある幸せ。この会場に来ている人間の殆どがこの講習会で幸せを感じるのだろう。
俺にとってはくだらない時間となった講習会が終わり、約束通り俺は友人の奢りで居酒屋に入る。
お通しをつまんでいる間に運ばれてきたジョッキを手に持ち乾杯する。俺にはつまらない講習だったが、それを乗り越え友人と乾杯をしビールを口にするこの瞬間は幸せな時間と言っても良いかもしれない。
「貴方にとっての幸せとはなんですか?」
あの時俺は答えを持ち合わせていなかった。毎日幸せを感じる瞬間をすぐには思い出せなかったから。
俺にとっての幸せも特別な瞬間ではないようだ。かといって大切な人を大切に出来る当たり前がそこにあるというのも違う。では、俺にとっての幸せはなんだろうか。別に酒を飲む瞬間という訳ではない。俺にとって酒はそこまで重要なものでは無いから。多分俺にとっての幸せは、たとえ退屈な日々でも、友人と語り合い会話が出来る事。休日に予定を埋めてくれる相手が居る事じゃないだろうか。
友人の誘いだからあんな興味もない胡散臭い講習会に行ったんだ。確かに奢りに釣られたというのもあるが、それだけじゃないと自分では思っている。
これ自体が特別な事ではない。かと言って普遍的で永久に続くとは限らない。だけど、今この瞬間当たり前に来る毎日こそが、俺にとっての幸せなんだと思う。
こんな事を考えてしまうなんて、大概俺も絆されやすい人間かもしれないな。
#幸せとは
幸せとは
心が温かくなったり…
満たされたり…
心重視
心が求めるしあわせ
それが
本物ではなくても
偽物でも…
そんなの関係ない
心が感じるしあわせ
雪の上で
桜を見る約束をしよう
春の下で
夏を見つめたいから
(幸せとは)
「幸せ」とはなんのか。
思いが通じ合ったことへの喜びか。
新たな生命が宿り家族が増えることへの喜びか。
日常に潜む小さな喜びか。
努力が実ったことへの喜びか。
苦しみからの解放か。
生きてきた人生それぞれに違う「幸せ」がある。
私はこれからも探し求めるだろう。様々な「幸せ」を。「幸せとは」なんなのか。今日も日記に書き記し、瞬く星に導かれながら、「幸せ」を見つける旅を続ける。
「幸せとは」
俺の幸せは
陽の当たる場所に居ること
当たり前を大切に思う事
若い人の真っ直ぐな心に接した時
好きな人と飯を食うこと
美佐子さんの笑顔
嫌でも必ず別れは来る
どんな間柄にも必ず
生きていれば当たり前の事
好きだからこそ
当たり前を踏まえて伴に生きる
そして当たり前の尊い事を思い
一緒に居れる事が尊い事を知る
君が美佐子さんが大切だからこそ。