『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
陽の当たる縁側。
半分こした肉まん。
銭湯で飲むフルーツ牛乳。
ストーブの前で食べるアイス。
きみがちいさい手で握ってくれたおむすび。
『幸せとは』
誰かと比べて自分が優れていること。
人に羨ましいと思われる人生を歩むこと。
私にとって幸せとは、
いつも自分じゃない他の人の視線の先にあった。
でもそう、君に出会って知った。
他人の存在に依存する幸せほど脆く弱いものはないと。
自分が本当になりたい姿さえ知らないまま、
みんなが憧れる何かを惰性で目指すことの不幸さを。
自分を嫌い貶し続けて得た強さは、
何ひとつ救ってはくれない。
だからこそ、自分を尊重する心を忘れないこと。
誰かにとってじゃなく私にとって、
いつも誇れる自分であること。
前に進むために必要なのは自分を否定することじゃない。
少しづつ、自分らしく変わること。
君が好きだと言ってくれた私を、
私は消してしまいたくないから。
幸せ、それはどんな時も自分を愛し成長させられること。
そして人の幸せを願えるぐらい強く優しい人であれること。
幸せとは、きっとそういうもの。
『幸せとは』
【幸せとは】
足を暖炉に近づけながら、ふと私はそんなことを呟いた。ぽつり、と呟いただけだが少し恥ずかしくなって周りを見渡す。でも、そこにはいつも通りの部屋。自分以外が入った形跡など全くない、そんな部屋だった。それによって少しホッとしたと同時に孤独感というのも感じてしまった。孤独感という言葉を聞くと、とても嫌な雰囲気がするのが最近の世論であろうとは思うが、それは孤独死など、孤独を孤立と交錯させたそんな思考が拡がっているからでは無いかと私は考える。今年で26となる私ではあるが、正直まだそう言う時期は遥か遠い未来のように思っている。しかし、それがあるのも現実であり、このままだと私もあなた達の後を着いていかせていただく形になってしまうのもまだ事実だった。話を戻すと、幸せとはという問いに対して私は「そんなことを考えなくていい時間を多く過ごしていること」だと考えた。これが私自身の言葉かそれとも受け売りの言葉なのかは、これまで多くの文学に触れすぎていて判断のしようがないことである。まぁこんなことを言うと、哲学者の方たちは幸せではないかと思ってしまうのだが、だから私は哲学者はとても不幸な思想そのものだと考えてしまう。幸せをとても多く理解しているであろう彼らはそれ以上の不幸を知っているからだ。ここで、私はもう1つの考えというか、仮説がたった。それは、「不幸を全然知らない人ではないか」というものだ。しかし、これは直ぐに私の中で却下された。何故かと言うと、人は不幸があるからこそ幸せを存分に噛み締められると感じたからだ。哲学者の皆さん、今あなた達を不幸といった無礼をどうか許してください。私はまた脳だけで届いていないであろうそんな言葉を落とした。この足は暖まりすぎていた。
幸せとは
幸せとは、大切な人がいること。
大切な人が目の前にいることは
このウエなく幸せなこと。
大切な人に大切にされることは
このウエの上の
アイほど幸せなこと。
『幸せとは』
なんだろう?
自分が幸せと思えたら幸せなんだろうなと思う。
でも、田舎に住んでいるせいかどうしても周りの目が気になるし、周りの物差しで測られているような気持ちがずっと消えない。
今、健康で、お金に困ってなくて、仕事があって、両親が元気で、猫がいて、実家に住まわせてもらっているってこともかなり恵まれているんだろうなと思う。
でも30代で実家に住んでることに引け目もある。
幸せってなんなんでしょうね。
幸せとは
人それぞれ幸せは違う
美味しいご飯を食べて幸せと感じる人
恋人と一緒に過ごせて幸せと感じる人
何気ない日々が幸せと感じる人
たくさんの幸せがあると思う
幸せはこれ!と言う結論はなく、一人一人が思う幸せが幸せなんだと思う
幸せは誰かが与えてくれるのではない。
自分が幸せと思うか思わないか、自分次第。
幸せとは
ただ1人の人生観で語ってはいけないもの
そう思っています
幸せとは自分の境遇に納得できることだと思う。
人間とは貪欲な生き物で、それこそ満たされていても更なる充足を求めて貪欲に動き続ける人間だ。肥大化した底無しの欲求は誰にも止められない。知能が増し、欲望も増した。
幸せがほしい。幸せになりたい。
今の境遇を知り、納得すればおのずと満たされるはずなのに。人間はそれを選ばない。自分の置かれている状況は理解できても、その瞬間が持つ幸せを理解するだけの能を持ち合わせていない。貪欲に動き続ける。
そうしていくつもの争いが起きたし、いくつもの技術が生まれたし、いくつもの人が搾取されていった。
一概に幸せを「悪」とは言えない。
それでも──
──もう少し謙虚に生きるべきではないかと思う。
己の幸せを理解して、慎ましく生きるべきだ。
「幸せ問答」
作・照守皐月
2025年1月4日
お題『幸せとは』
自分のために使える時間やお金があり
時間を共に過ごしてくれる家族や友、恋人がいること
自分の好きな事をとことん、無我夢中で追いかけれている時
「幸せとは」
『幸せとは』
幸せとは誰かに愛されることだと思う
美しい景色を見て、物語に感動して
それもきっと幸せの一つだろう
だけどそんな人生の特別でなくても
誰かに愛されて抱きしめてもらえること
それが幸せなんじゃないかって思うんだ
幸せとは。少し考えてみたが、やはり「人それぞれだ」という結論に至った。確かに幸せの基準が全員一致していたら面白くないしむしろ怖い。幸せの定義は何一つ同じものは無いのだろう。
私にとっての幸せとは。少しハードルが高い。精神的に安定していること。これが多くは無い。自分の努力次第だが、どうしてもしかめっ面の日が多い。幸せを掴むには努力も必要なんだな…。皆さんにとって幸せとは何だろうか。
幸せとは
家族が健康であること
家族が笑顔であること
お金があること
仕事がスムーズであること
愛と感謝の気持ちで日々を過ごせること
大変だと感じる事故や事件が起きない
普通が幸せなのだろうな‥
普通が幸せなのだと考えてる時には気づけるけど
忙しくなると忘れちゃう
普通の毎日を過ごさせてくれて
神様ありがとう
有名なんかじゃなくてもさ
自分が大切だと思った誰かの心の奥にほんの少しでも残ってくれたんならそれで良き
確かに存在していたって事が自分の変わって来た人の心に残せたんなら幸せよね
しあわせとは
「貴方が幸せであること」
「貴方が何事もなく一日を過ごせること」
「貴方の未来が輝いていること」
それが私達のさいわいです。
そう言って笑った奴を、俺は死ぬまで忘れないだろう。
あれから。
高校卒業資格を取得して。
英検やら漢検やらとって。
大学の見学会で人に酔って。
受験会場でも人に酔ってたら実力が発揮できねぇ!って
そこから同年代が多くいる場所の耐性つけるかって
なんか色んなイベントに参加して
同時並行でお嬢の護衛がなくても俺のメンタルを安定させようってしてたらしくて
そこそこ無難に乗り越えて
おばけ耐性もそこそこついて
週7から週3、週1から月2、月1、くらいまで怪異との遭遇が減って。
色々あったけどとりあえず、大学に進学できました。
眼鏡にも慣れた。同じ学科に居た五月君にはめちゃくちゃびっくりしたんですけどもたまたまらしい。本当か…?
その関係でちょっとばかしあの人たちとの縁は続いたけど、
2年になるとまじで会わなくなった。
五月君がめちゃくちゃ忙しくて捕まらないんだよな。
サークルの人に仲良いでしょ呼んでよって言われたけども。
教えてもらった携帯電話も全然繋がらない。
LINEも既読つかない。いやまぁ五月くんスタンプでしか返って来ないけども。取ってる講義も被らない。そんなこんなで疎遠になった。卒業式だけちょっと話した。
保護者枠で八ツ宮殿来てて。ちょっと老けてた。
言ったら「貴方は大きくなりましたね」って笑ってた。
初めて会ってから5年ちょいたってたし。身長伸びたし。
そうしてちょっと、寂しそうな顔して。
「我ら陰陽師集団白咲、尾上蓮殿の新たな門出を心より、祝福します」
そうして最後のお守りを俺に手渡して、去っていった。
オバケに追いかけ回されたあの日々に戻りたいとは絶対思わないんだけど。でもきっと、あの日々は俺にとっての青春だったんだって、そう思うよ。
t「幸せとは」
「今日も君といれて幸せだよ」
「幸せってなんなの?」
「え?」
「貴方はいつも幸せという言葉を口にするけど、幸せって毎日自分といて感じるものなの?」
「そうだね…君から見た自分はいつもどんな表情をしてる?」
「え?…笑ってる事が多いかな」
「それならやっぱり自分は君といて幸せだよ」
「よくわからない…」
「君といて、自分がどれだけ笑顔でいるか、君が今証明してくれた。自然に笑えている、それが幸せだと自分は思うかな」
幸せとはなにか
なんて考えているこの時間が
きっと一番幸せなのかな
いや、やっぱり
君と同じ時間を生きてることが
一番幸せなんだろうな
私にとっての幸せとは、
知らぬ間に寝落ちができる環境。
何も考えず、眠りにつけるなんて
この上ない。
生きてて、やなことあった、そんな日だって、
お布団にばたん。と倒れ込めるこの幸せ。
小さな幸せが束になって、
その人を形づくる。
その幸せにあなたは気がつけていますか?
「幸せとは」
幸せとは
私にとっての幸せは普通に生活できることが当たり前じゃないと気づけた事。能登半島地震から一年が経ちました。
能登半島地震では多くの人が犠牲になりたくさんの被害が出ました。津波で流された家や地割れした道路など被害は拡大するばかりでした。
能登半島地震の事ニュースでを見た時私は胸が痛くなりました。と同時に当たり前の生活が出来る事、それは当たり前のようで当たり前じゃないという事に改めて気付かされました。
そして改めて普通の生活が出来ることが幸せであることを実感しました。
あなたにとっての幸せって何ですか?