『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
見目麗しいとか、裕福だとか、天才だとか。
そういうものに幸せがあるわけじゃなくて。
見目麗しいとか、裕福だとか、天才だとか。
そういうものがあってもなくても関係なくて。
幸せが必ずあることを。
どんなことが起きても信じ続けることができる。
そんな心の中に。
生まれるものなんじゃないのだろうか。
【幸せとは】
【幸せとは】※フラアサ
誰かが言っていた。その答えが出てこないことが幸せという状態なのだと。でもそれは、人間にとっての話なのだ。
国である彼らにとっての幸せとは何だろうか。
小さくても構わないから、安泰がほしい。どんな犠牲も厭わないから、繁栄したい。
フランシスもアーサーも、数百年前のことだが、幸せという名の優越を求めて海に出た。いくつもの海を駆け、争いは絶えず、時には失うものの方が多かったこともあるが、確かに自分の家は栄えた。
雨が弾丸のように地を叩く日だった。マスケットの重い銃身は泥に沈み込むように佇む。拾う者はいない。幸せを追い求めた先の景色だった。ある者の幸せを構成した人々は、ついに自分達の幸せを追い求め蜂起した。ある者の不幸せが自分にとっての幸せな者がいた。ある者を不幸せにするため、喜び勇んで奔走した。
【未完】
人は1人でも生きていけるけど、他の人からの感心や承認から得られるエネルギーって結構大きい。だからそれらが失くなった時、寂しいとか孤独だとか感じるんだね。承認欲求を満たそうと努力する人は格好いいけど、承認してくれる存在を求めるだけで自分は変わろうとしない、そんな人間になってないか。
幸せとは、そんな問いをしている映画かドラマ化のシーンがあったな。私はその答えが何なのかドキドキしながら待っていた。でも出てきた答えは「ふわふわしてるもの」そんな感じだった記憶がある。その時は期待してた分すごくがっかりしたんだ。でも今思い返すと確かにふわふわしている。定義が曖昧ならそれはそれで受け入れるしかないんだなきっと。
#幸せとは
幸せとは
幸せとは、苦難である。
少なくとも私のなかではそうだ。
人が幸せになることと、私が幸せになることを同時にはできない。
私は人に幸せを渡すために苦難を強いられる。
人も私に幸せわ渡そうとすれば苦難であろう。
幸せとは、どちらかを選ぶ行為。
私にはそれが一番苦難である。
自分のことを必要としてくれる人がいて、それはもちろん、存在自体を必要としてくれるということで、その人が、僕の話に真摯に耳を傾けてくれる
そういう相手がいることが、僕にとっての幸せ
だけど残念なことに、僕はもう長いこと不幸のまっただ中にいます
ははっ
私が高校2年の時の話です。
私は身長が153㎝しかありませんが中学からバレー部に所属していました。
昔から胸が大きく中3の頃にはGカップあり高校2年の時にはIカップありました。
高校2年になると1年生で入学してきた中学が同じだったT君に久しぶりに会いました。
T君には中学時代助けて貰った事がありました。
私が冬の寒いとき下校中に氷の張った水溜まりで転んでしまいたまたま通りかかったT君に肩を貸して貰い家まで送って貰った事があったのです。
当時T君はサッカー部のエースで校内では有名なイケメンで女子からも人気がありました。
私はカッコいいし優しいT君に想いを寄せていましたがそれ以上の関係にはなれずにいました。
時々話したりはしていましたが私が卒業してからは会うこともなく私の初恋は終わってしまっていました。
そんな時、入学してきたT君を見た時はドキドキしてしまいましたし、あの時のT君より少し男らしくなった姿に私はまた恋をしてしまったのでした。
ある日、T君から話かけて来てくれました。
T君「ゆり先輩久しぶりです。覚えてますか?」
私「覚えてるよ…」
そして私達はLINEを交換しました。
それからT君とはLINEをしたり電話をしたり2人で学校帰りに遊んだりもする関係になりましたが恋人にはなれませんでした。
ゴールデンウィークの時、バレー部の練習がありました。
夕方まで練習しジャンケンで負けた私は後輩のマナミちゃんと2人で床のモップ掛けをしました。
マナミちゃん「疲れましたね…今日めっちゃ熱かったですね。夏かよ!って思いません?」
私「ホントだね…真夏日らしいよ」
マナミちゃん「そういえばゆり先輩ってTと仲良しですけど付き合ってるんですか?」
私「付き合ってないよ!中学一緒だったからね」
マナミちゃん「へぇ~」
マナミちゃんが何やらニヤニヤしながら私を見ます。
私「ホントに付き合ってないし!」
マナミちゃん「でもTってゆり先輩の事好きですよ」
マナミちゃんがいきなり言います。
私「なんで…?」
マナミちゃん「だって先輩に彼氏いるの?とかめっちゃ聞かれましたし。好きなの?って聞いたら顔真っ赤にしてました。笑」
私「変な事聞かないでよ」
私の顔が火照っているのがわかりました。
マナミちゃん「先輩分かりやすすぎです。笑」
マナミちゃん「先輩って童顔でムチムチボディだから男子からしたら堪らないですって笑」
私はマナミちゃんにからかわれます。
私「もう!あと私がやるから帰っていいよ!」
マナミちゃん「先輩オコ!可愛い!じゃお先です。笑」
マナミちゃんは可愛い後輩ですが1線をいつも越えてきます。
私はその後、1人で部室で着替えます。
私は誰もいないので一旦全裸になり体をタオルで拭こうと考えました。
汗でビショビショの体操着を脱ぐと身体からムンムンと熱気に混じり汗の匂いが立ち込めます。
私はマナミちゃんの言葉を思い出します。
私「…T君が私を好き…」
私はロッカーに寄りかかるとそのまま床に座りオナニーを始めてしまいました。
私「…はぁはぁ…T君…好き…アン…」
汗だくでテカテカの胸を触り、濡れまくるおマンコを弄ります。
T君に全身舐め回され強引に犯される自分を想像しながら絶頂してしまいます。
それから私は部活が終わるとオナニーするのが習慣になってしまいました。
幸せか…
なんかそう言われちゃうと1週回って"幸せ"っていう言葉の意味がわかんなくなるような気がする…
私にとっての幸せとは
毎日母親の美味しいご飯が食べられて、
暖かい布団で眠れること
当たり前の日常が過ごせることの有りがたさ
幸せとは
私にとって“幸せ“とは、同棲中の心から愛する彼氏と永遠にそばにいる事。それだけで、私は、幸せ。心から愛する彼氏が隣にいるだけで、幸せな気持ちになれる。今年の私達の目標は、良い夫婦の日に結婚をする事。その為には、私は、一刻も早く、今の仕事を辞めて、ネイリストと言う夢に就かなければならない。そして、円満な関係のまま、良い夫婦の日を待ち、良い夫婦の日に、婚約届を書き、結婚したい。彼とは、確かに色々あるけど、それでも、一日一日が終わる頃には、幸せな気持ちのまま、眠りにつけるから…私にとって幸せとは、心が愛で満たされる事、ラブパワー、愛する彼氏がただ私の隣にずっといてくれる事だと思う。これからも永遠に隣にある“幸せ“
幸せとは
美味しいご飯が食べられて、
友達と楽しく学校に行って、
家族となんでもない話ができて、
夜にはふかふかのベッドで寝られて、
そんな何気ない日常が幸せだと。
今の世界を見て、思う。
「幸せとは」なんて考えたことがなかった。日頃から幸せになりたいとは思っているが、それは漠然とした願望であって具体的なイメージではない。改めて幸せについて考えてみると、なかなか難しい。
幸せは過去と未来にしかないのではと思った。私たちは思い出を振り返りながら「幸せだった」と言う。そして、明るい未来を願いながら「幸せになりたい」と言う。
「今、とても幸せ」とも言うけど、それは「今この瞬間が幸せ」というわけではない気がする。だって、こう言っているときには数秒もしくは数分前の過去を思い出している。
そもそも、今この瞬間を全力で生きていたら幸せかどうかなんて考える暇はないのではないだろうか。
話がまとまらなかったが、結論はこうだ。「幸せとは」なんて哲学的思索に耽る暇があったら今この瞬間を全力で生きよう!
※全力で幸せについての考察をするのも、それはそれでありかもしれない。
味噌汁なのかもしれない。
もっと詳しくいえば、赤味噌のしじみ汁だ。
「好きな食べものは?」と問われても登場しない。
「食べたいものは?」と問われると浮気してしまう。
だけど、ひとたび食卓に登場すると、
心の隅々までにいきわたる。
「ああ、帰ってきた」と思える。
漁港で生まれ育った猫は一生魚を好み、
肉屋の看板猫は一生肉を食べる。
私も一緒なのかもしれない。
なんの変哲もない、
レトルトの味噌汁が深い幸せに繋がっている。
#幸せとは
『幸せとは』
死ぬのは怖い。けれど不安に脅えて生きるくらいなら死にたい。幸せとは、不安を感じずに生きることだと最近思う。
〝幸せとは〟
ある時、友人が言っていた。
幸という漢字は、手錠の形から来ているのだと。
手錠程度で済んだ喜びの表れ、つまりは、
幸せとは妥協なのだと。
その時、私は何も言えなかったけれど、
今なら言える気がする。
そんな事は無いと。
あなたと会えたことは、幸せだけれど妥協じゃ無いと。
Theme:幸せとは
「貴方は幸せですか?」
道を歩いていたら、突然声をかけられた。
声の主は中年くらいの女性だ。手にはパンフレットのようなものを持っている。
宗教か何かの勧誘だろうか。答えてしまったらしばらくこの寒空の下で足止めされることになるだろう。
私は「すみません、急いでますので」と会釈をしてそこから足早に立ち去った。
お目当てのカフェに着いて、ホットミルクを注文する。
温かいマグカップを両手に持って、少し奥まった席に座る。
お気に入りの文庫本を取り出して、ホットミルクを口にする。体の芯から優しく暖まるようだ。
「幸せだなぁ」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
ふと、先程の「貴方は幸せですか」という言葉を思い出した。
ホットミルクと文庫本で幸せを感じられるなら、私の幸せはなんて安上がりなのだろうか。
思わず苦笑いが零れる。
でも、私が最近幸せを感じた瞬間はあっただろうか?
何か私が幸せを感じるようなことはあるだろうか?
…考えてみるが、何も思い付かない。
こうして一人で静かに時を過ごすこと。きっとこれが私の幸せなのだろう。
でも、そうでない時間を知っているからこそ、今が幸せだと思うのかもしれない。
そう考えると、幸せって相対的なものなのかもしれないな。
とりとめのない思考に身を任せていると、いつの間にかミルクは冷めてしまっていた。文庫本もどこまで読んだかわからなくなってしまった。
ささやかな幸せは、ほんのちょっとしたことで壊れてしまった。
でも、幸せについて考えるなんて滅多にないことだ。こんなことに思考を巡らせる時間もなかなか幸せだ。
幸せは壊れやすいが案外たくさん落ちているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ホットミルクのお代わりを注文しにレジに向かった。
自分が思う幸せと、他人から見た幸せは違う。
たとえ、どんなに大変で時には怪我をするような事でも自分がそれを楽しんでやれているのなら幸せな事だ。
だが、周りから見ればどうだ?
朝早くに起きて、夜遅くにクタクタになって帰ってきて。
それ以外の別のことをする時間も取れなくて。
時には怪我をしてきて。
それでも続けている人を見て、幸せそうだと感じるのか?
きっと多くの人はそんな人生を惨めだとか可哀想だと思うのだろう。
クソ喰らえ。
たとえどれだけ大変で。
たとえどれだけ苦しくても。
今を幸せだと決めるのは自分自身だ。
好きなことをして、好きに生きて。
最後がどんなものだったとしても、自分で選んだ、自分の道なんだ。
勝手に他人に決められるなんて嫌に決まっている。
なんて、ちゃんと言えたら良かったのに。
ゥチ…しあわせってなにヵとか、バヵだからわかんなぃ……。
でも、コレだけはゎかる…。
幸せには4つの因子を満たせば、人は誰でも幸せになれるという。1つ目は“やってみよう”因子(自己犠牲と成長の因子)。2つ目は“ありがとう”因子(つながりと感謝の因子)。3つ目は“なんとかなる”因子(前向きと楽観の因子)。そして4つ目は“ありのままに”因子(独立と自分らしさの因子)である。人目を気にしない人は、他人との比較によらない非地位財を大切にする傾向があるため、長続きする幸せを手に入れやすいんだってコㇳ…。
はぁ…ゥチってㇹンㇳバヵ…。
【幸せとは】
Q.貴方にとっての幸せとは一体なんですか?
A.分かりません
「生きる」 って
「辛い」ことばかり…
「幸せ」になりたくて
必死にもがいている…
「辛い」 と 「幸せ」
は 背中合わせで
「辛」 と 「幸」
± 1 で どちらにも転がる
「辛い」時こそ
今ある小さな「幸せ」
に 気付けたら ね…
人生は
泣き笑いの繰り返しだ…
#幸せとは
「幸せって何だろーね」
学校で私が友達と雑談中ポツリと呟くと、友達は不可解なモノでも見るような顔をして私を見る。
「どうしたの?いきなり」
「うーん、何か、この国に産まれて、住むとこも勉強の環境も整ってて、食べるものもあって、あまり不快を感じることがないのね、私。だからそれが幸せなのかなーって」
「そうだよね、こうしてただ、当たり前にあって気付けないものって意外とあるのかもね・・・」
友達が、感心したように私に言った。
「うん、恵まれてるんだよ。でも、こう幸せだなーって実感もなくて。幸せなのかな、幸せなんだよね、きっとって自分を、言い聞かせてる気がする」
私の言葉に友達が、同意する。
「わかる気がする。まあ、私は、何か落ち込むことがあってこその幸せかな、とは思うよ。ずっと幸せなら、幸せしか知らないことになって、不幸が分からないから、幸せの有難みも分からないって何かで読んだな〜」
友達の言葉に妙に納得する私。
「そっかー、じゃあ、私がこうして、何か落ち込んだり、悩んだりすることにも意味はあったんだね」
「そーだよ、沢山考えるといいよ」
友達にくしゃくしゃ、と髪を撫でられる。
「ちょっとー髪がぁ!」
私の抗議の手を素早くよける友達。
二人でこうしている時間も案外幸せなのかもしれない。