『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
幸せとは
美味しいご飯が食べられて、
友達と楽しく学校に行って、
家族となんでもない話ができて、
夜にはふかふかのベッドで寝られて、
そんな何気ない日常が幸せだと。
今の世界を見て、思う。
「幸せとは」なんて考えたことがなかった。日頃から幸せになりたいとは思っているが、それは漠然とした願望であって具体的なイメージではない。改めて幸せについて考えてみると、なかなか難しい。
幸せは過去と未来にしかないのではと思った。私たちは思い出を振り返りながら「幸せだった」と言う。そして、明るい未来を願いながら「幸せになりたい」と言う。
「今、とても幸せ」とも言うけど、それは「今この瞬間が幸せ」というわけではない気がする。だって、こう言っているときには数秒もしくは数分前の過去を思い出している。
そもそも、今この瞬間を全力で生きていたら幸せかどうかなんて考える暇はないのではないだろうか。
話がまとまらなかったが、結論はこうだ。「幸せとは」なんて哲学的思索に耽る暇があったら今この瞬間を全力で生きよう!
※全力で幸せについての考察をするのも、それはそれでありかもしれない。
味噌汁なのかもしれない。
もっと詳しくいえば、赤味噌のしじみ汁だ。
「好きな食べものは?」と問われても登場しない。
「食べたいものは?」と問われると浮気してしまう。
だけど、ひとたび食卓に登場すると、
心の隅々までにいきわたる。
「ああ、帰ってきた」と思える。
漁港で生まれ育った猫は一生魚を好み、
肉屋の看板猫は一生肉を食べる。
私も一緒なのかもしれない。
なんの変哲もない、
レトルトの味噌汁が深い幸せに繋がっている。
#幸せとは
『幸せとは』
死ぬのは怖い。けれど不安に脅えて生きるくらいなら死にたい。幸せとは、不安を感じずに生きることだと最近思う。
〝幸せとは〟
ある時、友人が言っていた。
幸という漢字は、手錠の形から来ているのだと。
手錠程度で済んだ喜びの表れ、つまりは、
幸せとは妥協なのだと。
その時、私は何も言えなかったけれど、
今なら言える気がする。
そんな事は無いと。
あなたと会えたことは、幸せだけれど妥協じゃ無いと。
Theme:幸せとは
「貴方は幸せですか?」
道を歩いていたら、突然声をかけられた。
声の主は中年くらいの女性だ。手にはパンフレットのようなものを持っている。
宗教か何かの勧誘だろうか。答えてしまったらしばらくこの寒空の下で足止めされることになるだろう。
私は「すみません、急いでますので」と会釈をしてそこから足早に立ち去った。
お目当てのカフェに着いて、ホットミルクを注文する。
温かいマグカップを両手に持って、少し奥まった席に座る。
お気に入りの文庫本を取り出して、ホットミルクを口にする。体の芯から優しく暖まるようだ。
「幸せだなぁ」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
ふと、先程の「貴方は幸せですか」という言葉を思い出した。
ホットミルクと文庫本で幸せを感じられるなら、私の幸せはなんて安上がりなのだろうか。
思わず苦笑いが零れる。
でも、私が最近幸せを感じた瞬間はあっただろうか?
何か私が幸せを感じるようなことはあるだろうか?
…考えてみるが、何も思い付かない。
こうして一人で静かに時を過ごすこと。きっとこれが私の幸せなのだろう。
でも、そうでない時間を知っているからこそ、今が幸せだと思うのかもしれない。
そう考えると、幸せって相対的なものなのかもしれないな。
とりとめのない思考に身を任せていると、いつの間にかミルクは冷めてしまっていた。文庫本もどこまで読んだかわからなくなってしまった。
ささやかな幸せは、ほんのちょっとしたことで壊れてしまった。
でも、幸せについて考えるなんて滅多にないことだ。こんなことに思考を巡らせる時間もなかなか幸せだ。
幸せは壊れやすいが案外たくさん落ちているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ホットミルクのお代わりを注文しにレジに向かった。
自分が思う幸せと、他人から見た幸せは違う。
たとえ、どんなに大変で時には怪我をするような事でも自分がそれを楽しんでやれているのなら幸せな事だ。
だが、周りから見ればどうだ?
朝早くに起きて、夜遅くにクタクタになって帰ってきて。
それ以外の別のことをする時間も取れなくて。
時には怪我をしてきて。
それでも続けている人を見て、幸せそうだと感じるのか?
きっと多くの人はそんな人生を惨めだとか可哀想だと思うのだろう。
クソ喰らえ。
たとえどれだけ大変で。
たとえどれだけ苦しくても。
今を幸せだと決めるのは自分自身だ。
好きなことをして、好きに生きて。
最後がどんなものだったとしても、自分で選んだ、自分の道なんだ。
勝手に他人に決められるなんて嫌に決まっている。
なんて、ちゃんと言えたら良かったのに。
ゥチ…しあわせってなにヵとか、バヵだからわかんなぃ……。
でも、コレだけはゎかる…。
幸せには4つの因子を満たせば、人は誰でも幸せになれるという。1つ目は“やってみよう”因子(自己犠牲と成長の因子)。2つ目は“ありがとう”因子(つながりと感謝の因子)。3つ目は“なんとかなる”因子(前向きと楽観の因子)。そして4つ目は“ありのままに”因子(独立と自分らしさの因子)である。人目を気にしない人は、他人との比較によらない非地位財を大切にする傾向があるため、長続きする幸せを手に入れやすいんだってコㇳ…。
はぁ…ゥチってㇹンㇳバヵ…。
【幸せとは】
Q.貴方にとっての幸せとは一体なんですか?
A.分かりません
「生きる」 って
「辛い」ことばかり…
「幸せ」になりたくて
必死にもがいている…
「辛い」 と 「幸せ」
は 背中合わせで
「辛」 と 「幸」
± 1 で どちらにも転がる
「辛い」時こそ
今ある小さな「幸せ」
に 気付けたら ね…
人生は
泣き笑いの繰り返しだ…
#幸せとは
「幸せって何だろーね」
学校で私が友達と雑談中ポツリと呟くと、友達は不可解なモノでも見るような顔をして私を見る。
「どうしたの?いきなり」
「うーん、何か、この国に産まれて、住むとこも勉強の環境も整ってて、食べるものもあって、あまり不快を感じることがないのね、私。だからそれが幸せなのかなーって」
「そうだよね、こうしてただ、当たり前にあって気付けないものって意外とあるのかもね・・・」
友達が、感心したように私に言った。
「うん、恵まれてるんだよ。でも、こう幸せだなーって実感もなくて。幸せなのかな、幸せなんだよね、きっとって自分を、言い聞かせてる気がする」
私の言葉に友達が、同意する。
「わかる気がする。まあ、私は、何か落ち込むことがあってこその幸せかな、とは思うよ。ずっと幸せなら、幸せしか知らないことになって、不幸が分からないから、幸せの有難みも分からないって何かで読んだな〜」
友達の言葉に妙に納得する私。
「そっかー、じゃあ、私がこうして、何か落ち込んだり、悩んだりすることにも意味はあったんだね」
「そーだよ、沢山考えるといいよ」
友達にくしゃくしゃ、と髪を撫でられる。
「ちょっとー髪がぁ!」
私の抗議の手を素早くよける友達。
二人でこうしている時間も案外幸せなのかもしれない。
幸せってなんだろう
昔思ってたのとは確実に違うなと思う
幸せはその日その日で感じ方が変わってしまう
だからこそ今を大切にしたい
逢いたい人に会えて、声が聴けたり、抱きしめたりできたら幸せ。
話をしたり、悩みを聞かせてもらったり、ちょっとした言葉を伝えられたら幸せ。
それから、自分の知らないところで話題にしてもらえるのは、なんか幸せかな。
慧
何かを頑張ったから、成功したから、ラッキーだったから、それを幸せと呼ぶこともある。
頑張れないときも、失敗するときも、アンラッキーだなって時もある。
じゃあそれは不幸せ?
真っ只中にいる時は考えたり感じたりすることも面倒で、頭のてっぺんから不幸せを纏ったような心地になる。
けれど時間が経ってみてふと思い出すと、そうでもなかったり、あれはいい経験だったと振り返られることもある。
手に入れるものよか、あるがまま心で感じる。
それを幸せだと呼べる人でありたい。
んー。なんか難しいです。
幸せを感じやすい人もいれば、感じにくい人もいて、幸せのメーターが違うと思うんです。そういう社会で生きてるんだから、生きづらさもあって当然だと思います。私たちって気づかないかもしれないけれど、意外と強くてすごいんですよね。
四つ葉のクローバーを探すよりも
シロツメクサの白い花を見つけて
ひとつひとつ美しく編んでいくよ
可愛いティアラが出来たのならば
ボクは捧げるのさ大好きなキミへ
『幸せとは』
幸せとは
「また明日ね」と言える環境
地震のニュース、空港のニュース、電車のニュース
見ていて心が苦しくなる。
連日増えていく死者。苦しい。
自分が同じ立場だったらと思うと苦しい。
この人たちにも家族がいて、
それが幸せな形だったのかはわからないけれど
でも、家族はいて。
明日が保証されている人間なんていないと
ニュースを見て改めて感じる。
明日が、今日よりもほんの少し幸せな世界でありますように。
「また明日ね」
2024.01.04
特別なものに見えて、実は案外、日常に埋もれているかもしれない。
それを追い求めるあまり、手元に元々あるものを
見落としているだけなのかもしれない。
”灯台もと暗し”
平和な日常を送れる、当たり前のように見えるその一時が
実は一番大切だったりする。
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大切な人と、一緒に居られら事。
一度、孤独を経験すると、それを酷く痛感させられる。
大切な人を失う、心にポッカリと穴が開き、虚無感に襲われる。
寂しくて、寂しくて、辛くて、泣いて。
孤独は死ぬよりも辛いと言うけれど、本当にその通りだと改めて思う。
...だから、ただ君がそばに居てくれるだけで
俺はとっても幸せなんだ。
#幸せとは
170柵目
私の好きな言葉に
『不幸とは幸せだと気付けないこと』
というのがあるのですが
では幸せはなんだろうかと考えると
なかなか分からないものです
人並みに生活出来ていれば
それなりに幸せだろうとは思うのですが
人並みの生活もそれなりの幸せも
曖昧で不確かなものです
それにきっと現状に慣れてしまえば
悪いところばかり目がついて
もっと良いものを欲しがって
幸せではなくなってしまう
それなら毎日違った日々を送れたらいいでしょうか
楽しいし飽きないのでしょうけど
きっと慣れないことばかりで疲れてしまう
こんなに不確かで分からないものに
囚われて苦しめられて尚生きるのは
何故なんでしょうか
生きて幸せになりたくてなれなくて
何故それでも生きているんでしょうか
生きない選択肢を取れないからでしょうか
もっと単純にそんなこと誰も考えてないんでしょうか
分からないことばっかりで苦しくて
幸せなんてもの到底理解し得ない場所にある気がします
こんな難しいことを長々と書いてそれでも私は
きっとすごくくだらないことで
笑っているときなんかは間違いなく幸せなんだろうなと
思うのです
【幸せとは】
お腹いっぱいで
ふかふかの布団に包まって
静かに眠ること
そこに貴方がいれば
もう何も言うこと無し