『巡り会えたら』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
雨音の中に鳥の囀り
ただそれだけの世界
見つめる聴いている
呪縛はひとつもない
わたしはこの景色に
溶け込んでいた風が
強くなり足が濡れた
雨と鳥と風とわたし
一枚の絵画のように
見えたのだ止まった
時間が動き出す瞬間
今を生きていたのだ
『巡り会えたら』
・5『巡り会えたら』
結局帰ったらいつも通りだった。
夢にしてはリアルだ。あの女の人は母親だったんだろうか。それにしては若かったような……
またおかしな事が起きて会うことがあれば「あなたは誰なんだ」と聞こう。
父親が帰ってきてその話をしたら「あかあさんじゃないなら愛人の幽霊かもな!」と。
この人はしょうもないな。
【終わり】
もし巡り会えることができたら、
私はシワがない頃のうちやまに会いたい。
現在のうちやまはシワが多い。トレードマーク
みたいなものだ。
たくさんストレスが溜まってしまったのだろう。
誰にも褒められず、報われず、1人で頑張って
来たのだろう。シワの数を見れば誰でもわかる。
現在は歴戦のシワ王だ。
だから私は、青年の頃のうちやまにこう言いたい。
「コラーゲンちゃんととれよ」って...
巡り会えたら
最後にしよう最後にしようと思っても手が伸びてしまう
一度心にポッカリと空いた穴は代替品では埋められない
そんなことはわかってる
けどもう一度もう一度と手を前に伸ばした
もうここにはないことはわかってるのに…
そうがっくりと肩を落として諦めようとしたとき
「ああ…やっと巡り会えた」
少しずつ自分の元へ進んでくる
その姿は光り輝いてる
やっと手に入れることができた
目玉商品のネギがたっぷりのったイワシの寿司
心に空いた穴が埋まっていく
私は満足して店をあとにした
ごちそうさまでした
つきあって2年目のクリスマス
コースのデザートを食べながら
彼がふっと視線を逸らして
「そろそろ、ご両親に挨拶しようか」
あ
「…うん、予定確認して、LINEするね」
安堵して破顔する彼に
私は上手に笑えただろうか
5年、5年間、待っている「彼」
今、私の眼の前にいるのは、
「彼」じゃないけど
私を望んでくれる人
彼のおかわりのコーヒーに
白い砂糖がさらさらと流れるのを
じっと見つめる
今度、会えたら
巡り会うことができたら
絶対「彼」と一緒に行く
「彼」と巡り会えたら
#巡り会えたら
ハート押した作品が削除されてて
それがどんな作品だったのかすら忘れた時
巡り会いって大切なんだなって
巡り会えたら
ずっと飼い主が欲しかった。養ってほしいとか面倒を見てほしいとか、そういうわけではない。警察犬とトレーナーのような信頼できるパートナーが欲しかった。自分は犬側であると早い段階で自覚していた。周囲からは「猫気質じゃない?」と言われたが、数人ばかりの友人達は一様に「日本犬」だと言う。曰く、認めた人間の言う事しか聞かないが、一度認めた人間の言う事はよく聞くのだと。時折見せる悪戯心が猫っぽく見えることもあるが、決して逆らうことはないと。
「何処かに飼い主落ちてませんかねー!」
もう何度目か分からなくなった本心をぶちまける。アレルギーで酒は飲めないのでもちろんソフトドリンクの入ったグラスを持って。
「落ちてないよ。落ちてたとしてもあんたは飼い主側だって」
「なぜ!こんなにも犬なのに……」
「この数年であんたの飼い主になれそうな人いた?」
「いなかったからまだこんなこと言ってるんじゃないですか。犬は増えましたけど」
「そうでしょ?あんた完全に飼い主側だから」
通って数年、いい意味で気を使うことをしなくなったキャストの内の一人と、これまた何度目か分からない会話をする。話の流れは毎回一緒で、一つのネタとして定着している部分もある。常連さん達はまたかと笑い、初めて会うお客さんは「え、危ない人ですか」と引いたり好奇の目で見てきたり。別に変な意味で言っているつもりはないけれど、どうも言葉が悪いらしい。だが恋人が欲しいわけではないし、友人は友人であって飼い主とは思えない。パートナーと言ってしまうと語弊が出るから、やっぱり飼い主が一番しっくり来るのである。
それなのにこの数年、増えるのは犬ばっかりで自分が飼い主をする始末。しかも複数人。なんで。
「恋人の方がすぐ出来るんじゃないの?」
「求めてないんですよね、モテないし」
「モテないやつは犬が増えたりしないのよ」
この人は分かって言ってくるからいいものの、自分が言う恋人と飼い主(=パートナー)の違いを理解出来ない人がほとんどだ。恋をしないという言葉の意味がうまく伝わらず、恋愛はするものだという前提で話が進む。それはそうなんだけど。そっちが多数派なんだけど。
「愛情はありますけど恋心はないですからね、求めてるのは飼い主なんですー」
「それ何回も聞いた。だから恋人を飼い主にすれば?」
「え、嫌だ。自分に恋愛感情抱かない人がいい」
「あーそうだった、めんどくさい奴」
別に蛙化現象ではない。単に自分にとって恋愛感情を抱かれることは裏切られたのと同義なだけだ。初対面の時から「付き合ってください」ならばまだいいが、ある程度仲良くなってからの告白は裏切りなのだ。こっちはそういうつもりじゃなかったのに、と。
「まぁそのうち見つかるでしょ」
「見つかるかなぁ」
「もし飼い主見つかってもウチには来てよ」
「そりゃ連れてきますよ!自慢しに!」
巡り会えた今だから笑って話せる過去のお話。
ちゃんと今も通ってます。
『ねぇ…お兄さま。私、運命の人に巡り会いたいの』
そう言って、妹はこの世を去った。この言葉が、彼女の最後の言葉だったのだ。なのに俺は、妹の言葉を否定した。否定で返してしまったのだ。
俺は、否定したことを……妹の言葉を肯定してあげなかったことを、後悔している。だけど、後悔したところで妹は戻ってこない。戻ってこないのだ。
⸺しかし・・・・・・。
「貴方、どうしたの?」
政略で婚約した十も下の女性に、妹を幻視するのは何故だろうか……?
*
「”前世”から会っていたなんて、本当に運命だね。お兄さま…♡」
【巡り…会った…?】
今日は親友のRちゃんが転校する
今はお別れ会の真っ最中
本当は休みたかった
泣きたくなかった
最後は笑顔でいたかった
ネッ友だったけど、同じクラスだったとわかった時
一緒に推しのコンサートに行った時
またいつか会えたら
〘 巡り会えたら〙
「巡り会えたら」
期間限定の味に恋をして足繁くお店に通う
季節が巡り、君がいなくなった陳列棚に切なさを感じる。また来年巡り会えたら…
そう思い早5年程。やっと少し忘れられそう
お題:巡り会えたら
彼女とは本当に運命的な出会いだった。
まさに文字通り住む世界が違う二人。その二人が出会うなんて通常ではあり得ないことだった。だけども偶然に偶然が重なり、突然に出会ってしまった。
なのに……
あとほんの少しの勇気があれば……
いつもそう。肝心なとこで必ず尻込んでしまう。この性格のせいでいつも失敗してきた。
もう一度巡り会えたら。今度こそ。
奇跡よもう一度。
(2日分)
恋愛感情を持ったことがない
それでも憧れることは恋
誰かに恋してみたい
理想が高すぎるのか
人に興味が無いのか
原因は分からない
『いつか王子様が迎えに来る』なんて
幼子みたいなことは言わないけれど
素敵な人に巡り会えたら
何か変わるかしら
・
・
・
同じ年の同じ日、同じ病院で同じ朝方(30分違い)に生まれて。
別々の県で育つも同じ野球をやって、ドラフト1位(高卒と大卒)で同じチームに入団する。
そして二人とも一軍で主力として戦っていた。
こんなにも奇跡的な巡り合わせってあるかなと、ずっと思っていた。
そのうちのひとりは2年前に引退、そしてもうひとりは明日、現役を引退する。
思い出が走馬灯のように駆け巡って、
もう、今から泣いている。
巡り会えたら
もしもまたいつか、あなたに巡り会えたら
話したいことがたくさんあるんだよ
もし、
人間が生まれ変わるならさ
貴族とか平民とかさ、
地位関係ない自由な世界がいいな
純白のドレスを着て、
嬉しそうに振る舞う君、
隣の男は知ってる人なのかな…
自分より親しい人なのかな…
来世は、
君とまた巡り会って
一緒に幸せになれますように…
巡り会えたら
最近、私はよく夢をみる。
断片的で夢から目覚めてしまえば、殆ど覚えてはいない。
まあ、そういうものだろうけど。
夢について覚えていることは、場所はいつも、大きい丘のうえで、時間は夕方から夜にかけてって感じだ。
あと、人がひとり、男の子で優しそうな顔でいつも笑っている。
夢の内容はただその男の子とずっと話しているだけ。
それだけなのに、その夢から目覚めると、いつも泣いていた。何故かはわからない。
でも
「(会いたいな)」
画面をスクロールして、インターネットの動画を眺める。1人静かな部屋に笑い声、泣き声がこだまする。
目に付いた動画を片っ端から再生、誰かと犬が戯れている。次、再生、赤ちゃんがハイハイをしている。次。自分の身近では感じられない、誰かの日常を眺めるのが好きだ。全く縁がなくても、ランダムに流れるリール動画。なんだか不思議な気分だな。
沢山見たからか、少し目が疲れたようだ。今日はこの辺で終わろう。電源を落として、ベッドに横になる。電気を消す。外からは夜特有の電車や人の喧騒音が聞こえる。自分もきっと、誰かにとっては非日常なんだろう。ふと、そんなことを考えながら目を閉じた。
今、目の前にはお気楽で平和な
時間が流れている…
早くに仕事が終わった旦那は昼寝
双子たちを迎えに行く前の娘は休憩
愛犬も間に入ってまたまた昼寝中…
まだ放置中の季節外れの風鈴が
西風を受けてちょっと激しめに鳴っている
静かだな……風が気持ちいい。
この世に生を受けてから随分過ぎた
誰と出会うかも知れず今まで生きてきた
「巡りあえたら」ではなく…
出会うべくして、家族たちとも出会い
目の前の光景がある…
見えない糸で繋がった巡り合わせが
これからも生涯続くのだろう
嵐は桜 春の宵 ぼくときみの影に花びらが散る
夏の夕暮れ ひとときの気だるさ 汗を拭うきみの指
静謐の秋 ベッドの上に永遠とふり積もる埃が
キラキラと舞う
そして冬 眠るようにきみは死んだ
きみはぼくが死ぬのを待っている
誰もいないキッチンの 食器棚の中の
コーヒーカップみたいに 静かに 身動き一つせずに
死は過程に過ぎないと きみは言った
季節が巡るのと同じことなのだと
だからどこに行っても わたしをさがして
最期にきみは ぼくにそう言った
ぼくはきっときみを見つけられるはずだ
ぼくはずっとさがし続ける
季節が巡り続けたとしても
運命って偶然なのか必然なのか分からない。
もし本当に存在してるなら
プラスの方に信じようと思う。
その『運命の人』とか『運命の出来事』があるならば
いい意味で人生が一変するきっかけを
運んでくると思うから。
きっと『運命の何か』に巡り会える前触れは
心が沈むようなつらい出来事が重なるかもしれない。
しかし、それを乗り越えた先にある『運命の何か』が
自分への最高のデザートだと実感させられるだろう。
私は今日もそれを待ちながら
仕事をして、趣味で疲れを労わって、寝床に入る。
『運命の何か』に巡り会えたら
私は今の生活が180度変わるかもしれない