『届かぬ想い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
毎年誕生日の夏に白いゼラニウムを送っているのに
どうして未だに気づかないのかな
君が無知なのか純粋なのか僕にもわからない
いつかこの思いに気づいてくれるといいな
その時の君の顔が見てみたいよ
今年は黄色いバラでも送ってみようか
"届かぬ想い"
#届かぬ思い
『言葉や文字で伝えたら』
って、周りは、いうけれど
それがなかなか難しい。
相手の立場を考えると、勇気が出ない。
思いを伝えたいが、それが、幸せとも限らない。
あなたが、幸せなら。今のままがいい。
ずっとずっと伸ばしていたけど、どんなに手を伸ばしても指先一本もかすらない。見えているのに、すぐに掴めると思っていたのにこんなに苦労するなんて…。
「そろそろ限界…」
なぜあんなに遠くにいってしまったのか私には原因が分からない。『届かぬ想い』をクッキー缶に抱いてる。無機物なので声をかけても返事はなく、動かないのは当たり前で…。缶には手作りクッキーがいれてある。彼のお手製クッキーが好きな私が「おやつ用に欲しいな」と溢したのが発端で、とても嬉しそうに缶に詰めてくれたというのに取れないまま奥に鎮座している。コンロのヤカンがカタカタ音を鳴らし湯気がのぼる。
「お湯もできちゃったよ…」
私へのご褒美おやつを閉じ込める缶を睨んでしまう。子どもじみているけど心から楽しみだった。でも腕も足も伸ばし続けて数十分ほど粘って得たものは腕と足の痛みのみ。きっと缶も彼のクッキーの虜なのだ。
「届きそうな棒を買ってきてリベンジするからね」
今回は諦めておしゃれな缶にリベンジマッチを取り付ける。ご褒美おやつは次に持ち越しで。お茶を飲みながら腕と足のストレッチをし始めた。
まさか缶の蓋も開けられず、「兄弟たちがすぐ食べてしまう時の癖で強く閉じちゃったみたいだね。悪かったよ」苦笑した彼に開けてもらう事になるとは…。缶も私も想像もしなかった。
『届かぬ想い』
痛みと苦しさから解放されたと同時に
私の中から小さな命が消えてしまった。
誰にも、どうすることも出来ない事だと、
わかってはいるものの
「どうにか出来たのではないか」
と、思わずにはいられなかった。
小さくてまだ宿ったばかりの愛しさを
突然失われる悲しみが
どうしても納得出来なくて。
ひとしきり、悔やんで、泣いて、怒って、、
あなたを抱きしめたかった。
家族でたくさん触れあいたかった。
あなたの成長をずーっと見ていたかった。
でも、それはまた今度。
もう一度、会いに来てくれるかな?
そしたら、この届かぬ想いをあなたに伝えられるから。
ママはずーっと…待ってるからね。
届かぬ想い
届かぬ想いと
わかっていても
どうしても
あなたへの想いを
手放せない
だからずっと
この想いを
持っていよう
大切になくさずに
いつまでも持っていよう
届かぬ想い
舞い散る桜の花びらの中にいる今は、どうしようもなく切なげに見えた。
そう聞いてしまいたい。
けれど踏み込みすぎれば、きっとこの人の負担になる。
問いかけをぐっと飲みこんで、才蔵さんと同じように桜の木を見上げた。
夜風が吹くと、月が隠れるほどの花びらが舞い落ちてくる。
どこに惹かれたのかは今でもわからない。
君の特徴的なアヒル口、あるいは物静かなところが好きだったのか。でもそれが初恋であったのは覚えている。
声をかけることもなく、遠くから眺めているだけで、満足だった。
皆が僕を嫌っても、君だけは優しい笑顔を向けてくれたし、何も酷いことを言わなかった。
綺麗なままの君が好きだった。
でも、砂地に誰かの名前を書いて、踏みつけている君を見たとき。
それが妄想であると気づいたんだ。
人を傷つけることを知らない、小さな虫をも殺さないような女の子じゃないってことにね
『届かぬ想い』
※毎日は厳しくなってきたので、二日に一回くらいになります。
#001『街と森』
異世界/FT
城壁を出て街道を東へ、途中でそれて北の鎮魂森へ。
焼き立てのパンが冷め切らないうちに届けられる、ギリギリの距離。今日みたいによく晴れた日なら、あの人はきっと森の入り口にいる。
「おーい」
声をかけると手前の木の枝がガサガサ揺れて何枚かの葉を落とし、枝を分けた隙間に人の姿が見えた。太い枝の上、長い足を幹に向けて座り、作業中の手を休めてこちらを見ている。
「また来たの。危ないからやめときなって言ったのに」
呆れたような声は穏やかで、今みたいに薬師で生計を立てるようになる前は勇猛な戦士だった━━と聞いても、にわかには信じられない。種族の違いで若々しく見えるだけで、父親より歳上だと言うのも信じがたい。
「平気だよう。ついそこまで、旅の連中が一緒だったし」
減らず口を返しながら木に近づいて、パン入りの籠を差し出した。
「これ、焼き過ぎた分。おすそ分け」
「へえ? 売れ残りにしちゃ、時間が早いね」
からかうように言いながら、その人は鉤つきの縄をするする下ろしてくれた。木を降りてくる気はないらしい。
「お供えだから、余分に焼いてるのっ! 街まで来なくていいように」
鉤にくくりつけた籠が上がっていくのを見送りながら、ぷぅと膨れて言い返す。
その人はくすくす笑いながら籠をのぞいて、ありがとう、優しく笑った。ちょうどその時、少し先の木がガサガサ揺れて、揺れは勢いよく入り口あたりまでやってくる。
「あっ、また来た。猿」
樹上の人の向こうから、いくらか日に焼けた青年が顔をのぞかせた。
「誰が猿だ。うまそうな肉の匂いに釣られて来てやったのに」
「あたし、食べ物じゃないからねっ! パンいっぱいあげたんだから、あっち行ってよね」
「おーおー、そういうのはもっとうまそうに太ってから言いな」
「はいはい、もう。喧嘩しないの。僕らはもう帰るから、君も街に帰りな」
割って入った穏やかな青年の声に唇を尖らせたものの、このあたりで引き上げることにした。あとから来た青年の目は闇夜にも輝く肉食獣のようで、正直言ってちょっと怖い。
かつて、彼ら魔人と人間は領土だか食糧だかの問題で激しく争い、祖父母の世代で講和条約を結ぶまではただただ憎悪し合う関係だったと聞いている。何度言い聞かされたところで、にわかには信じられないのだけれど。
今は平和な時代だ。人は城壁に囲まれた街に、魔人は森に。身体能力の高い彼らには、野盗なぞ怖くもなんともないらしい。
戦争なんて、嫌だから。
種が違っても、きっと友達くらいではいられるから。
そう思いながら帰る道は寂しくて、いつも気がつけば駆け足になる。
《了》
お題/届かぬ想い
2023.04.16 こどー
私には慕う人が居ますの。
誰にも届かない、聞こえない程、その人は遠くへ行きましてね。
私には想いを伝えるのも無理でして。
諦めたフリをしていましたが、やっぱり好きなんだなぁと思い初めて来ました。
遠く遠く居なくなった貴女の姿、仕草、微笑んだ顔、、
全てが一枚一枚ペェジのように捲られて、記憶に住み着いて居ますの。
吹っ切れたなんて軽々しく言葉にさんな。
私は貴女を好いて居りますのに。
貴女は気付かぬフリをして顔を背けるのですね。
届かない貴女の手が愛おしい。
「自分でも、うまく説明できねぇ現象なんだけどさ」
これもひとつの「届かぬ想い」なのやも。某所在住物書きは茶を飲みポテチをかじって、ひと息をつく。
「お題来るじゃん。クソ悩んで短文投稿するじゃん。投稿した後で閃く方が、最初に上げたやつよりイイ話を書ける気がする、みたいな。なんかそういう」
隣の芝が青い理論なんかな。それとも実際に、前より良い話が書けてんのかな。首を傾ける物書きは、
「逆に、最初に良いモンがポンと出てきてくれりゃ、バチクソ楽なのにさ」
ほら、ビールも最初の方が絶対美味いじゃん、と普段飲まぬ酒の話を引き合いに出し……
――――――
「届いた」
都内某所、某アパート。過労により職場で体調を崩し、金曜の午後から休みを取っていた捻くれ者が、
己のその日の仕事を引き継ぎ、一切の対応をこなしてくれた後輩に、礼をしようと奮闘していた。
「本当に1日で作れるんだな。……すごい」
速達で届いた小包の中には、春の花の写真が印刷された10cm四方の紙が、絵柄8種各15枚入り、合計120枚。送料込みで2500円。
相場を知らぬ捻くれ者は、値引き交渉をせず、言い値を支払った。
後輩の、欲しいものはカネと菓子だが、それ遣るよりは花の画が良い。
金曜の礼に何を贈るべきか、ひょんなことからアドバイスを得た捻くれ者。花の画像など後輩の何の役にも立たぬと、首を傾ける。
欲しいものが菓子であれば、その欲しいものを贈った方が、喜びは大きい筈である。
良い案は無いかと外に出て、出くわしたのが、ハンドメイド作家による小規模マルシェ。
概念アクセサリーなるジャンルで出店する女性が、差し入れ用概念ワックスペーパーなる紙を売っていた。
飴やチョコ等を包む際、使用できるという。
自分の好きな写真でチョコを包めるのか。
尋ねると作家は即答で、できます、と言った。
なんたる幸運。捻くれ者は、早速スマホとマネークリップを取り出した。
明日発送できます。お菓子よく作られるんですか。
いや。日頃世話になってる後輩に、礼がしたくて。
金を支払い少しの雑談を挟んで、その日はそれで帰宅した捻くれ者。翌日作家の言う通り、小包が届いた。
キクザキイチゲにフクジュソウ、スイセンにスミレ、等々。計8種。蜜蝋引きのワックスペーパーが。
「あいつには、『たまたま良い柄の紙が有ったから』とでも、言っておくか」
同封された、キューブチョコを包む手書きの説明書を見ながら、10cm四方の上にチョコを置き、折り包んで、両端を捻る。
「あっ。破れた。意外と難しいな」
己が紙とチョコを相手に格闘していることなど、その最中の照れと苦労を含めた諸々の感情など、
後輩には一切届かぬ想像であろうと、この時の捻くれ者は、信じて疑わなかった。
「そうか。こうやって破くから、『多めに発注した方が良いですよ』なのか……」
届かぬ想い
それは
いつもありがとう
届かぬ想い
それは
ごめんなさい
届かぬ想い
それは
好き
愛してる
いつか貴方に届きますように
届かぬ想い
親にとって子どもは一生子ども
大人扱いされない辛さがある
貴方にとって私は一生友人
届かぬ想いを抱える辛さがある
捨てよう
勉強をしていると、よく褒められる。
俺には理解ができない。
ただ勉強をしているだけなのに。
それは難しいことではない。むしろ簡単だ。
極論、誰かに見られている所で真剣に勉強しているフリでもしたら、その人は勉強しているということになる。
第三者視点からしたら、「偉いね。勉強してて!」
「すごい!めちゃくちゃ勉強してたね!」
なんて言われるのは簡単にも程がある。
だが、
そう言われるにはある条件を満たさないといけない。
1つ、その場所の環境だ。
パッと想像しにくい人もいるだろう。
例えば、東京大学で勉強していたら、褒められるだろうか。図書館や、カフェ、塾の自習室、こういった場所では褒められることはほぼないだろう。
なぜなら、周りがみんな勉強していたり、
声には出せないような環境だからだ。
じゃあ逆に、どうしたら褒められるかを考えよう。
それは、低偏差値高校や、バイトの間の時間などだろう。低偏差値高校では、そもそも勉強する人が少ないから、勉強なんてしてたら、第三者視点からしたら驚きもんだ。バイトの間にも勉強などしていたら、
そりゃあ、言わずもがな褒められるだろう。
だから、勉強をする事は難しくない。
俺はひとつ思うことがある。
カフェや学校などのほうが勉強するのが得意な人は、
周囲に第三者視点がないと集中出来ない人。
いわば、外向的な人。と言ったところだろうか。
家や静かな1人での空間の方が勉強するのが得意な人は、
周りに見られるのを苦手で物事を隠れてこなしたい人。
いわば、内向的な人。と言ったところだろうか。
言わないでも分かると思うが、俺は後者でしかない。
後者以外の何者でもない。
ひとつ大事なことを言い忘れていた。
勉強をこなすことより、友達を作る方が大変なのだ。
#届かぬ想い
【届かぬ想い】
私達は、いつだって何かしらを感じることができる。
私達は、いつだって何かしらを考えることができる。
思ったことは、いつだって自分の胸の中にある。
多分、これは私の憶測でしかないけれど。
私達は、想いを届けるために声を出すのかもしれない。
文字を書いたり、物を持ち運んだり、歌ったり。
跳びはねたり、手を握ったり、誰かを見つめたり。
ほっぺをつねったり、音を奏でたり、キスをするのも。
全ては、想いを届ける“方法”として生み出されたのかもしれない。なんとまあ、都合のいいこじつけだろうか。
ただ……少なくとも、想いを届ける方法は、思いのほかたくさんあるのだろう。だからこそ、想いを届けるか、届かぬままにしておくかは、私達が決めること。
『届かぬ想い』
一生届かないと思います。
きっと、あなたに私の心は読めないです。
私は死ぬまで貴方への想いを口にはしないでしょう。
そうすると、貴方はきっと死ぬまで
気づかないのです。
取り繕った私の姿だけを見ているあなた。
それが、本心ではないのを気づいていても、
本心がどんな風かはいつまでも分からないまま。
結局は言葉にしないと伝わらないのです、全て。
だから、私はずっと口を噤みます。
ずっとずっとひとり愛憎に苛まれています。
届かぬ"想い"について、書き記そうと思う。
私は大学で産業心理学という分野を学んでいる。産業心理学とは、労働における人間心理を研究する学問だ。その中の一つに「コンフリクト」という概念がある。コンフリクトとは、英語で衝突を意味する。AとBが意見や解釈で対立することを比喩した言葉である。
コンフリクトは、職場、家庭、友人間、あらゆる人間関係で起こる。起こらない方が不自然なぐらい、起こる。コンフリクトが発生しない人間関係は、片方が極度に抑圧されている可能性がある。今回お話するのは、そんなコンフリクトのない人間関係である。
ある家庭があった。母、長男、次男の三人家族である。母は熱心な教育ママで、その想いが届いたのか、長男と次男は傑物に育った。長男は大手スポーツ製品メーカーに就職、大学サッカーの日本代表に選出されるほど優れた存在になった。次男は高校生で、全国模試二位の好成績を収めた。母の想いは二人の息子へ深く届いたのである。
では、逆はどうか?息子たちから母へ、想いは届いたのか?
結論から言えば、長男は届ける必要がなかった。「自分のことは自分でやる」というマイペースで鷹揚な人間であったため、母に何かしらの感情を伝えることもしなかった。一方、次男はというと、心の奥底に燻らせていたものがあった。教育の過程で次男は母から極度の抑圧を感じていた。ただ、それを母に伝えることはなかった。中学生の頃は受験という一大イベントを控えていたため、それどころではなかったのだ。
だが、受験が終わり、高校に入学すると、酷く鬱屈した気分を覚えるようになる。人間としての尊厳は、今の母から受け取っているのだろうか。そんな感情が芽生えた。
ある日、大学受験のことについて母に聞いてみた。
「ねぇ、母さん」
「なに?」
「大学受験、どうしようか」
「そら東大よ」
数秒間のやり取りで、次男は東大へ行くことが決まった。そして、母はこんな言葉を付け加えた。
「そのつもりじゃなかったの?」
母の意志は、自分の意志。その魂胆を次男は感じ取った。
自分の意志で何かを成すには?
母=自分の図式を崩すには?
このアバズレを、びっくりさせるには?
夜に次男は駆けた。
「15歳男子生徒が裏山で自殺――遺書は無し<東京>」
新聞記事に載った男子生徒の名前を見た母は、激しく狼狽した。身内が亡くなるという感覚。次男の訃報を受けても湧かなかった実感が、記事を見て心身が震えるほどに滲みた。なぜ?なぜ?その問いかけを反芻する母を、長男は傍から見て気の毒に思った。
長男も、弟が自ら命を断った理由を探すのに苦労した。何の因果があって死別に至ったのか、納得しようとしてもしきれない。どうして――
コンフリクト。
ふと、その単語が浮かぶ。大学で学んだ言葉を、口の中で何度も何度も繰り返す。コンフリクト、コンフリクト、コンフリクト・・・・・・。
ああ、そうか。自分たちは仲良しすぎたのだ。衝突を避け続けた先に、最大の衝突が待っていたのだ。
弟は、死でもって初めて想いを届け、コンフリクトを起こそうとしたのだ。だが、母に届くかどうか。想いの送り手が、受け手になれるとは限らない。
【届かぬ想い】
「いや、う〜ん…何か違うんだよなぁ…」
発注していたカラーサンプルを前に、私は困惑していた。オリジナル商品のアイデアを提案して即採用されたまではよかったが、具体的なイメージを第三者に伝えることの何と難しいことか。
特に「色味」は、最重要項目であると同時に最も伝えづらいものであることをこのとき思い知ることとなった。このとき発注した色は「鮮やか赤紫色」で、イメージに近いDICの色番号も調べて伝えていた。
ところが、届いたカラーサンプルは「赤紫」というよりもかなり「赤」だった。合わせる色は乳白色と決まっていたので、これでは意味なくおめでたい紅白色になってしまう。
社長と相談の末、何か自分がイメージした色に近いモノを実際に見てもらった方が良いということで、最もそれに近いと思われた赤紫色の色鉛筆をお渡しした。
が、これもまた一筋縄ではいかなかった。
「え〜と、色の濃い部分と薄い部分のどちらでしょうか?」
想定外の質問だった。塗った色じゃなくて、軸そのものの色でいいんですけど…と思ったが、最終的にはこの手の発注に手慣れた社長に一任することとなった。
そして、再び届いたカラーサンプルは正に私がイメージしたとおりの色味だった。かくして私の提案したオリジナル商品はこの後約半年後に無事商品化された。
ちなみに、その後で別の商品開発に携わったときにも色味のイメージが上手く伝わらず、冒頭の台詞を再度呟くこととなった。そのとき送っていただいたカラーサンプルはとある商品に生かされることになったのだが、それはまた別のお話。
―届かぬ想い―
貴方が結婚したと風の噂で聞いた。
寂しさと安堵の気持ちでいっぱいなった。
だってあの頃の貴方は、ほっといたら今にも消えそうな顔をしてたんだもの。
あの人と幸せになれたんだね。
さよなら私の初恋の人。
【届かぬ思い】
あの人はどこかに行ってしまった。さよならも言わなかったから、言葉のひとつだってかわせちゃいない。
あの人はいきなりいなくなった。突然だったから、心の準備もできてやいない。
あの人はもう帰ってこない。それがわかっているから、声をあげて泣いてもあの人には届きやしない。
『祈り紙』というのが最近巷で流行っているらしい。折り紙かと思っていたら、『祈りをのせて書いた手紙』のことだそうだ。
中学生の娘曰く、内容は何でも良いがその手紙を届けるためにはちょっとした手順が必要なのだと言う。切手も住所も必要はないが、夜中3時に月明かり差し込む窓辺に立てかける。そしてその横にコップ1杯の牛乳と角砂糖3つを小皿に置いておく。何だかサンタへプレゼントのお願いを書くような、子どもであれば面白がってやるだろうな、と思わせる内容である。だが実際にその手順を踏んだ手紙は翌朝には無くなり、数日後同じ場所に返事が返ってくるのだそうだ。
「それは親とかが返事を書いて置いてるとかじゃないのか」
「ううん。私の友達は手書きで返ってきたらしいんだけど、家族にはない筆跡だったって」
それに、と娘は付け足す。
「これやってるのは子どもじゃなくて、お父さん世代とかおじいちゃんおばあちゃんが多いらしいよ。死んじゃった相手に向けて書くのが本来の『祈り紙』なんだって」
深夜2時。腕を組み、私の目の前には1枚の便箋と、いつもなら風呂上がりに飲むビールの代わりにコップに注がれたのは牛乳。そしてわざわざ閉店間際のスーパーで買ってきた角砂糖が3つテーブルの上に並んでいる。別に世間の流行りに乗りたがるタイプの人間ではない。だが、もし本当に届くのであれば送りたい相手はいる。はて何から書き出したら良いのか悩みに悩んで、かれこれ3時間ほどこうして便箋に向き合っている私が手紙を送りたいのは、妻だ。
妻がこの世を去ったのは4年前。娘が小学生5年生の秋だった。末期癌を患い、闘病の末彼女は病院で息を引き取った。最期の時を共に過ごすことはできたが、私が彼女に掛けた言葉は「がんばれ」だの、「大丈夫」だの、何と無責任だったことだろう。妻は十分に頑張っていたし、娘や家のことは全く大丈夫じゃなかった。少しでも安心して欲しくてかけた言葉は彼女にはどう聞こえただろう。困ったように笑う妻の顔は、すでに朧げになってしまった。
本来は届かぬこの思いを----それが例え嘘か本当かもわからぬ都市伝説だとしても----伝えることができるなら、私は手紙を送りたい。深呼吸をしペンを執った。書き出してしまえば、先ほどの躊躇が嘘のようにすらすらと書いていける。あえて見直しはせず(流石に恥ずかしい)、封筒に入れた私は、話の通り月明かりの差し込む窓に手紙を立てかけた。幸い、今日は雲もなく月がよく見える。牛乳と角砂糖も置いた。本当にこの手紙が無くなるのか、その瞬間を見たい気もするが流石に眠い。テーブルの上を片付けて寝室に向う前に、妻の写真に向けて「おやすみ」と声をかけた。心なしか写真の中の彼女が笑った気がした。
数日後、仕事を終え帰宅した私に、娘が興奮気味に手紙を渡して来た。封筒に書かれた【あなたへ】の文字。返事は、帰ってきた。ちょっと癖のある斜めの筆跡、懐かしい。
「これって、お母さんだよね?!お父さん、書いたの?!」
「…ああ、返事が来てよかったよ。夕飯、食べたら一緒に読もう。きっと、お前に向けても色々書いてあると思うよ」
どういう仕組みでこの手紙のやり取りができたのかは結局わからないが、この奇跡は事実だ。次もできるのか、それともこれきりなのか。例えもう届かないのだとしても、悔いはない。早く早く、と珍しく子どものようにはしゃぐ娘を嗜めながら、手紙を彼女の写真の前に置いた。ありがとう、と想いを寄せて。
お題【届かぬ思い】