『安心と不安』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
テーマ“安心と不安”
安心と不安は隣り合わせ。
違うようで同じ。
安心を感じないと
不安も感じない。
100%安心な物は存在しない。
100%不安な物も……多分存在しない。
とある人が言った
「私共の作る商品は、すべて安心安全です」
と。
けれど、その安心安全の商品に
不具合が発生したら?
購入者「すみません、其方で購入した商品が発火したのですが」
問い合わせ先「申し訳ありません。其方の商品をどの様に使用致しましたか?」
購入者「商品の説明通りに使用しただけですが」
問い合わせ先「申し訳ありません、担当の者に代わりますので、少々お待ち下さい…」
担当の者「代わりました、担当のスギムラです」
購入者「其方で購入した商品を使用した所、発火したのですが」
担当の者「その使用方法は、本当に正しい使い方をしましたか?」
購入者「勿論です!説明された通りに使いました。それ以外の用途には使っていません。」
担当の者「それは、申し訳ありません。我社は安心安全をモットーに制作販売をしているので、お客様が間違った使い方をなさっていないとおっしゃられても、コチラではどうしようも無いので…」
購入者「返品したいのですが」
担当の者「いつ購入されましたか?」
購入者「1週間ほど前です」
担当の者「使用されましたよね?」
購入者「そうですね。だから発火した訳ですから」
担当の者「申し訳ありません、購入から3日以内、未使用の場合のみ返品を承っておりますので、其方で破棄をお願いします。」
購入者「返金は」
担当の者「申し訳ありません、返金も、3日以内未使用の商品と引き換えにさせていただいているので…」
購入者「詐欺として訴えてやる」
担当の者「失礼します」
慌ただしく電話が切れる。
そして、その日の内に、購入者は
詐欺として警察に届け出をしたけれど
その会社もろとも、消えていた。
いや、元々無かったのかもしれない。
100%安心な物は無い。
詐欺には気をつけて。
(この話は、フィクションです。)
「安心と不安」
迷ったら
難しい方とか
しんどい方を
選ぶことにしてる
人は必ず迷う
楽を選ぶと
その
もう一歩先の
知らなかった風景を
見逃してしまう気がする
弱気なんだか
強気なんだか
未だ
自分探しの途中
私はいつになったら眠れるのだろうか
あれからちゃんと眠れた記憶がない
いつからかどこか不安を抱えて
私である場所を探している
心許せる場所はどこなのか
いまだにみつからない
もし、そんな場所をみつけたのなら
私は安心して眠ってしまうだろう
そう、永遠に、、
きっと人生は不安定なのかもしれない
何年か前に3ヶ月程引きこもりみたいになったことがある。職場の人間関係が上手くいかなくて辞めたんだけど、それから他人が怖くなって昼間は家から出られなくなった。人が出歩かない深夜になってからやっと近所のコンビニに行ける感じ。
家にいる間は私を傷付ける人はいないし、迷惑を誰にも掛けないから安心。でも一人暮らしで貯金もないし何時までもこんな生活は出来ないから不安。
ずっとぐるぐる考えてたと思う。安心の中にいるから余計に不安が大きくなっていったような。
貯金が底をつきそうになり嫌でも外に出ないといけない状況になって、なんとか次の仕事を探して今の職場に。たぶん実家暮らしだったらもっと引きこもってただろうな。
君と居ると安心するよ
君がいなきゃ不安で死にそうだ
そんな関係はダメなのかな
ただの我儘に過ぎないことはわかってる
それでも君といる時の僕が好きなんだ
だから今だけでも居させて
お金だけで維持できる
安心ならよかったのに
お金だけで引き払える
不安ならよかったのに
口よりもまず財布を開いて
何でも物で満たそうとした
それでも君の目から零れる
涙ひとつ止められやしない
お金に物を言わせて気づく
肝心の自分は何も言えない
そうして君の目を見てかける
言葉ひとつ持ち合わせてない
「安心と不安」
自分を『安心』の世界に置いてあげること。それが、現実創造するうえで、不可欠だった。
安心なくして、現実創造はない。
それを身をもって体験した。
不安をごまかしたところで、結局、だめなのよね。なくならないの。
だから、現実で対処できることがあるなら、とにかく対処する。原因がわかっている不安なら、これで大丈夫。
それが、自分を『安心』の世界に置いてあげるってこと。
ああ眠い眠すぎる
頭の中にじわじわと何かが入り込んでくる気がする
不安になりながらもそいつに身を任せて毎日眠っている ぐう
安心、する場所なんて、人なんてない。
私にあるのは、不安の塊だけ。
そうなるつもりだった。
私は、あなたに出会ってから変わった。
あなたが喋るから、私も喋った。
あなたが泣くから、私も泣いた。
あなたが笑うから、私も笑った。
あなたは色んなことを教えてくれた。
なぜだか知らないけど、あなたがそばにいると、私は安心するの。
だから、今度は私の番。
絶対にあなたを幸せにしてみせる。
私の命が尽きるまで、全てをあなたに注ぐから。
〜安心と不安〜
〔ルーティーン〕
AM7:50。
学校に間に合うにはギリギリの起床時間。
飛び起きた私はまずスマホを持ち、LINEを開く。
ピン留めしてある彼のトークを開けると、
“おはよう”のスタンプを選ぶ。
—今日は晴れてるから太陽のやつにしよっかな…
けど眠い日だからお布団のやつにしよっかな…
時計で見るとたった数秒だけど、
私の脳みそはフル回転で考えている。
急いで支度し学校へ。
彼からの返信があるのは丁度1時間目が始まる時間、
AM 9:05。
朝が弱いので大体遅刻してくる。
けど休むことはほとんど無い。
律儀なところも彼らしい。
休日でもあまり変わらないが、お互い忙しいとどうしてもおはようLINEができない日もある。
そんな時はつい何度もスマホを確認してしまう。
そして、PM 11:15
眠くなるとほんのちょっとLINEで会話して、
今度は“おやすみ”のスタンプを送る。
彼を応援する気持ちと、
休んで欲しい気持ちと、
また明日会いたいなっていう気持ちを、
右手の親指に込める。
このルーティーンがいつの間にか始まってから、
知らぬ間に一年以上経っていた。
LINEの検索から日付を見るとかれこれ16ヶ月は連続でLINEを続けている。
もうこの日常から抜け出すことはできないな。
だって、こんなにも幸せなんだもん。
「また明日ね、おやすみ」
#安心と不安:14
【安心と不安】 #6
第一志望校がA判定だった
あと受験まで二週間しかない
安心して怠けるか、また頑張るか
不安になって何もできなくなるか、気を引き締められるか
安心と不安はいつも共存している
安心、不安
どちらか考えるのは自分
行動するのも自分
だから私は
あと一ヶ月全力で走り切る
#安心と不安
安心と不安…
このふたつはいつも背中合わせ
幸せの絶頂でも
不安が頭をよぎる
この幸せを失ってしまったら?
なんてね〜
きりがない…
人間
安心と不安を繰り返して生きていく
安心と不安…
どっちにしてもドキドキ!?
なんだか情緒不安定で面白いwww
🌈黒猫のつぶやき🌈
情緒不安定の365日(笑)
安心と不安は表裏ではなく、隣り合わせなのだろう。そうでなければ、明日を不安に思いながら、安心して眠りにつけるわけがない。
それでも、自らの横で寝息を立てながら、あどけない表情を浮かべている同胞を見れば、まあいいか、と思ってしまうのだから大概だ。
どうか、夢の中だけでも、憂いのない世界であれ。
早く仕上げて安心したい
1文字も書けない不安ばかり積もる
安心と不安に
押し潰されそうになりながら
今日もいきる
君を好きになってから1年。
声を聞いて一緒にゲームをしたり遊んだりすると
とても安心する。
でも。
君に恋人の影があることもわかってる
その人にも同じように笑ったりしてるのかなって思うと
すごく不安になる。
こんなこと誰にも言えない
もちろん君にも。
だから私はなにも知らないふりして
今日も笑うの。
お題「安心と不安」
今までずっと言ってほしかったはずの言葉を
たくさんくれたあなた。
一度も否定せず、批判せず
「そうだよね」「頑張ったね」
と言い続けてくれたあなた。
「あなたを信じていいの?」という不安と
「わかってくれる人がいるんだ」という安心。
「どうせ建前でしょう?」と不安をかき消していたのに
「あなたといる」それだけで安心する自分もいて
「あんなことがあって」「こんなことを思って」
そんな話をするたびに「そうなんだね」と
アドバイスをくれたあなた。
そんな夜は決まって
「本当に話してよかったのかな」「嫌われてないかな」
なんて、泣いてしまうほど不安に思った。
あなたと一緒にいると、
一人でいるときよりもずっと安心できるけれど
安心できるほどに膨らんだ風船が弾けると
途端に、嫌われるかもしれない不安に襲われ
嫌われることの方に安心を抱きそうになる。
そうやって、一進一退。
どれだけの人に出会っても、自分は
誰といれば心から「安心」できて
嫌われていないかと「不安」にならないのか
わからない。
心から安心できる場所とはどこでしょう。
どんな場所でしょう。
どうして不安になるのだろう。
本当はもっと、もっと近づきたいのに
文学とは。
そもそも文学とは簡単に、言語によって表現される芸術作品のことを表す。
ところで文学は何故誕生してしまったのか。
古代の人々は自分の思想や趣を綴ることに何を求めたのだろう。
高揚か、享楽か、或いは優越感か。
さあ文学王国にお住みの皆さん、はじめまして。
そうですね、この国では自称を「訪問者」にでもしましょうか。
まず、文字をなぞることがお好きですね?
細ければ細かいほど、長ければ長いほど、けれど単調であってはつまらない、言葉にならないような感情に揺られ、ただひたすら流れるような文字の羅列に魅力を感じてしまう。
1種の病とも呼べる「それ」を好んでいますね?
ある年の夏。
まだ訪問者はランドセルを背負っていました。
家の大黒柱…青年としよう。
その青年と近くの書店まで足を運んだ時のこと。
本格的に文字を習って間もなかった当時の訪問者は当然、ちゃんと文学なんてものに触れたことはなかった。
(前述のように言語によって表現される芸術作品という括りで言ってしまうのなら国語の教科書であったり、なんなら絵本でさえももちろん文学に当てはまるのだが、これが文学だと意識するようになったのはあの夏以後のこと。)
そんな訪問者を見計らって青年が勧めてきたのは1冊の小説だった。
初めて文学に触れるには、とても向いていないというか。
挿絵もなく、文字も小さい1冊だった。
でも不思議とその訪問者は否定しなかったのである。
手に取ったその瞬間、未来を感じてしまった。
その頃からだろうか。
訪問者は文学に触れる、文字をなぞるという行為に取り憑かれてしまった。文学に触れれば、自分より何倍も世界を知る他者の人生を知ることができた。
まるで冒険だった。海の旅が終わったのなら山へ行こう。山での旅が終わったのなら宇宙へ行こう。文字の中でならヒーローになれた。夢があたかも簡単に叶うようだった。
ただ1つ。
訪問者ほ難点を見つけてしまった。
文字をなぞることに慣れてしまい、文字を綴ったことがないぞという事である。
これは大問題だ。
今すぐ解決すべき案件だ!!!
安心と不安。
それらはいつも鏡合わせ。
人から好かれると安心。でも、信用出来なければ不安。
人に優しくすると安心。でも、優しさが返ってこないと不安。
人から嫌われると安心。信用されるのが怖いから。
人からいじわるされると安心。自分も誰かを傷つけているかもしれないから。
私たちは、他人と関わっていられることに安心する。
でも、他人と関わろうとすると不安になる。
他人は己の心の鏡。
好かれることが苦痛なら、己が思わせぶりな態度を取っていると識れ。
悪意を持たれていると感じるなら、己も相手に悪意を向けていると識れ。
相手が自分の望むことをしてくれると安心するだろう。
けれど、不安になるのは相手が思い通りにならないからではない。自分自身の心に、疑問を持っていることを自覚出来ないからだ。
好きじゃないのに好きなふりをしていないか。
優しくすれば優しさが返ってくると思い込んでいないか。
嫌いなものを無理やり好きになろうとしていないか。
いじわるをしてしまう自分に嫌気がさしていないか。
正しくあろうとして、自分を誤魔化してはいないか。
色んな人間が色んな価値観で生きている。
そんな中、自分が少数派であれば不安だろう。協調性を強いられ、世界に自分を寄せていく時、己が失われていくのだから不安になるのは当然だ。この国は多数決の国。少数派は淘汰されていく。
けれど、いなくなりはしない。確実にここに存在している。
安心して。仲間はきっといる。
まだ見つけられていないだけ。
大勢の中から、見つけるのは困難かもしれない。辛い道のりかもしれない。絶望して諦めることもあるかもしれない。
ただ、否定され続けてきたとしても、腐ってはいけない。誰かを否定してはいけない。
他人も肯定して、自分のことも肯定する。
そうすれば、不安はきっと薄れていく。
不安は己の味方。
自分が自分を殺そうとしていることに、どうか気づいて。
安心と不安
どっちが先だったんだろう。
不安なことを考えてしまうから、そうならなかったときに安心するのかな。
それとも、安心をもうすでに知っているから、それがないと不安になるのかな。
対となっている感情はどちらが先に生まれたんだろう。
もし、片方だけ覚えていられるのなら、不安という感情を覚えていたい。
そうしたら、きっと新しく覚えた安心とかいう感情をもっと大切にできる気がするから。