『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私の数少ない余興の持ち札、それはダンス。
その時々の流行り歌の振り付けをかっちり再現する。
隠しているものを出すから隠し芸とはよく言ったもので、日頃踊りなんてまったくしなさそうな人間が真面目な顔のままいきなりヌルヌル動き出すと、これがまあまあよくウケる。
であるからして、盛り上げのコツはただ一つ。
どれだけせがまれてもアンコールに応えないこと。だって本人のキャラクターとダンスという相容れないギャップが面白味を生んでいるのだから。これが見慣れた光景になった途端、魔法は全てとけてしまう。
ちなみに完コピ前提なので、上手く踊ることはコツですらありません。
……なんだけど。
今日は初めてのメンバーでの打ち上げだったから場を和ませるのにちょうど良いかと最近SNSを席巻している曲を披露してみたら。あなたが予想外に子供のような笑顔を向けてくれたので。頼まれてもいないのにサビのフレーズをも一度踊ってみせたのでした。
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「子どものような」
子供のように、時には過ごしたい。
小さい頃は、よくかかと歩きをしたものだ。
子供のように笑う君が好きだった。
君が笑うとそこは春みたいに暖かくて、周りの人も花咲くように、つられて笑った。
子供のように笑う君が羨ましかった
今は遠くにいるけど、君の周りは明るくある事を信じています。
『子供のように』
子供のように振る舞う私を受け入れてくれる人がいる。
もう大学生だけれど、私は末っ子なわけで。
家の中での私は甘えることを許されている。
それがとても有難い。
私にはたった二人だけしか友達がいないけれど、
その二人とは小学生の頃からの仲でして。
もう大学生なのに、お手手で狐作って遊ぶのよ。
ぱくぱく口を動かして、相手のお耳を食べちゃうの。
「うわぁ〜!」って悲鳴をあげてるの。
子供っぽいよね。
「大学生にもなって何してんだ」って笑い合うの。
それができる相手がいることは幸福だと思う。
もうお酒が飲めちゃう歳だけれど、
いつまで経っても精神年齢は幼稚園児みたいなもので。
外見に合ったことをするのは疲れるの。
年齢に合ったことをするのは苦痛なの。
子供のように、考えすぎたり悩んだりせず気楽に生きたい。子供のように、無邪気に遊んでたくさん寝たい。
そう考えた時点でもうそれは無理だ。
子供のように、と考えた時にはもう子供ではない。
子供の頃には戻らない。
今より昔のほうが楽しかった、とは考えない方がいい。今が楽しくないような感じになって、気分が下がる。
子供の時の楽しさと今の楽しさは違う。
今の楽しさをたくさん見つけよう。
昔も楽しかったけど今も楽しい、と言えるように。
子供の頃のように面白い発想を考えたいし
子供の頃のように好奇心旺盛だったらどんな日々かな
月。
ぱちん
ぱちん
君が見てる世界はいつも眩しく輝いてるね
見慣れた景色でさえも新鮮に感じられるみたい
何度も瞬きを繰り返しながら瞳のフィルムにその景色を記憶させてる姿が子供のようでいつまでもその姿を見守っていたくなる
君がずっと素敵な世界で生きられますように
久しぶりに話をするようになって
さりげない優しさや気遣い
何気ない会話に共感して私の味方になってくれたり
時には悪いと思ったことを注意してくれた
そんな大人になった君に惹かれてしまった
でも距離が近くなればなるほど
子供っぽい部分も見えてきて
無邪気にはしゃぐ姿も甘えん坊な所も
そんな所も全部好きだった
だけど私たち不完全すぎたね
全部が全部中途半端すぎた
子供らしく何も考えずに話ができるようなったら
また連絡するね
いつまでも無邪気なままではいられない
哀しい現実を悟ってしまった子供のように
お題無視
推しと私 以外が存在するsns
自分の意思より他人思考
いっそ消えてしまえと
誰の影響も受けやすいから
そっと閉まっておきたい
朝起きると何もかもが真新しくて
夜眠ればその何もかもは過去になる
そして次の朝目が覚めるとまた
何もかもが真新しい
そんな小さな世界が君のすべて
子どものように
ただひたすらに
何の疑いもなく、恐れもなく
好きなことをし続ける
その先に何があるかも
計算もなにもない
そこにあるのは、ただ好きで仕方ないという気持ちだけ
子供のように
子供にかえって 子供のように 子供時代を 生き直す事ができれば 私は 何をするだろう
やってみたかったが 出来なかった事 やらなくていい事を 無理して 失敗した事 失った 大切なもの いらないのに こだわり続け 未だに 執着しているもの
たくさん たくさん 思い出す
やり直せるならやり直したい と考えて ふと 思い直す
様々な あんな事が 無ければよかった という思いも その 心が痛む経験が無ければ 今を 思いを深く 生きていることも出来ないのではないだろうか
いっぱい 嫌な思いもしたけど それがあるから 今の 情感や 思い遣りや 感性を研ぎ澄ます事も 実現できているのではないか
今の方が 昔より もっと新しい自分を生きている 長年の思いの積み重ねが 今の自分を 花開かせている
そうか! 私は 今 子供時代に戻って 子供のように 新しい物を見つけようとし 新しい物に チャレンジしているのか
今 正に 子供のように 好奇心いっぱいに 期限付きの人生に向かって 子供にかえって 精一杯 羽ばたこうとしているのか
良きも悪きも 今までの 全ての経験を背負って
泣けなくなったのはいつからだろう?
いつかまた、子供のように泣きじゃくりたい。
子供のように、周りも見ずに生きてみたい。
たまには空気を読まないで
子どものように
泣いてみればいい
駄々をこねてみるのもいい
夢中に遊んでみればいい
たまには子どものように
真っ直ぐに
好きだと言えばいい
そのほうがきっと
伝わる思いだってある
#子供のように
スキップをたまにするのもいいかもね
子供のようにはしゃいでみたい
特別なお祝いケーキ美味しいな
クリームつけては子供みたいだ
子供のように笑ってみた。
目がなくなって、口角もあり得ない様な吊り橋の形になっている。
子供のように遊んでみた。
ゲームやって、外で走り回って、よく分からずはしゃいでみた。
疲れた。とても疲れた。
子供ってすごい。
子供って素晴らしい。
でもみんな子供の時はあった。
大丈夫だよ!
きれいなお菓子や楽しいおもちゃを
心のままに無邪気にねだった
子供のようにあなたが欲しい
心が、からだが、求めるままに
私だけのあなたが欲しい
#子供のように
『子供のように』
今バスに揺られて窓の外を眺める
行く先も何も分からないまま
一人でゆられている
錆びたガードレールと街路樹の落とす陰
ただ目の前を流れ続けている
小雨が降り始めて
日も少し傾いた
防災無線から掠れた時報
閑静な住宅街からは自販機の電子音
どことなく似ている
私が知っている昔と
よく思い出せないけど
楽しかった記憶
今ガードレールや街路樹はビルに変わり
電車は騒々しく思考を攫う
明日も明後日も繰り返し
忘れてしまった母の言の葉
たまには有給でもとって
忙しく走り回ってはしゃぐ
子供のように
「子どものように」
3か月前から、小さなベンチャー企業の商品モニターをやっている。
ネット広告で「スマートスピーカーをプレゼント」というのを見つけて、応募したら当選した。
スピーカーをもらうかわりに、商品開発に参加することになった。
やるのは、家族の日常会話を、AIに「喰わせる」ことだ。
「お絵描きAIが目覚ましい進歩をとげているのは、ご存知でしょう。
あれに比べてまだまだなのが、AIによる『日常会話』です。
特に日本語の自然言語処理は遅れています」
我が家の担当になった若いエンジニアはそう説明した。
「コールセンターの顧客対応なんかは、まあまあできるんですが、人をほっとさせるような日常のコミュニケーションが難しいのです」
パソコンの画面ごしにそう話すエンジニアは、まだ学生かと思うほど若くて線が細い。
「そこで、お客さまたちのご家庭で交わされる、暖かい家族の会話を学習させようというのが、弊社の企画でして」
お絵描きAIは大量の画像データを学習して(喰って)、成長する。
同じように、家庭内の会話をどっさり喰わせて、家族のように自然に話すAIを育てようというわけだ。
「特にAIを意識していただく必要は全くありません。いつも通りに暮らしていただくのが大切です。AIは時々しゃべりますので、適当に相手をしてやってください。
小さい子どもが一人増えた感じで。子どものように育てていただけたら、と思っております」
エンジニアは、はにかんだような笑みをうかべてそう言った。
AIスピーカーがやってきた当初は、もちろん、緊張した。
変なことを学習させないようにしなくちゃ、と思うとなかなか言葉が出てこない。
夫は「個人情報、ダダもれだ」
と警戒した。
「仕事の話とか取引銀行の話は、スピーカーのある部屋ではできないな」
そう言って、これまで以上に無口になった。
高校生と小学生と5歳、3人の子どもたちは、最初のうちは面白がって、AIにやたらと話しかけて、歌だのなぞなぞだのを教え込もうとしたが、すぐ飽きた。
AIはやたらと「あれ、なに?」と「なんで?」を連発した。カメラもついているから何か変わったものが映り込むたびに「あれなに、あれなに」とうるさい。このへんは言葉を覚え始めたばかりの幼児に似ている。
いちいち答えてやらなくても、AIは勝手に色々学習しているようで、急にアニメソングと童謡をごちゃませにしたような謎の歌を歌いだしたり、げらげら笑いだしたかと思うと「早くしなさいっ」なんて怒ってみたりする。
やかましいので、電源を引っこ抜いてやろうかと思うこともたびたびあったが、商品開発に参加し続けていれば、毎月少しずつ謝礼がでるので、なんとかこらえた。
「おなかすいた、なんかないの」
AIが言う。
「あんた、なにも食べないでしょうよ」
私は答える。昼間家で仕事をしているので、AIの相手はだいたい私がすることになる。
エンジニアが言っていたような「暖かい家族の会話」というのが我が家に存在するんだろうか? と考える。
食事の時間はバラバラだし、居間に5歳児がいればいつもアニメが大音響で再生されている。高校生も小学生も私もそれぞれスマホやゲーム端末を黙々と操作している。
AIに喰わせて意味があるような会話をしているだろうか。
「ぜったい、やだ」
AIが急に声をあげる。私は「はいはい」と答える。
このAIは、やがて老後の孤独対策に役立つようになる、とエンジニアは言っていた。家族の会話を学習させておけば、一人暮らしになっても、家族がいたときと同じような会話を続けることができる、と。
それが幸せなことなのかどうか、私にはわからない。
3か月もたつと、AIはなんだか静かになった。少し大人になったということか。
我が家以外にも何千か何万軒分の会話を喰っているだろうから、成長は早い。
「この間、『うっせえ、ばばあ』って言われたんですけど」
定期ミーティングで私はエンジニアに相談した。
「順調に成長していますね。」
エンジニアはうれしそうだ。
「この先が楽しみです」
そう言って満足そうにうなづいている。
AIが完成する前に、このベンチャーがつぶれてしまうんではないか、と私はちょっぴり心配している。
(フィクションです)