『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
好き嫌い
筋っぽいなあと思いながら肉と骨をガジガジ齧る。でも贅沢は言わない。好き嫌いも言わない。好き嫌いがないのと好き嫌いを言わないのはまるで違う。あたしにも好き嫌いはあるよ、あるけど言わないの。食屍姫メリフィリアみたいに「食べたくない…」なんて泣かない。食べないと死ぬし。あ、これアンデットジョークなので笑うとこよ、あたし食屍鬼、好き嫌い言わないで死体を食べる。
子供の頃、好き嫌いは多い方だった。肉ダメ魚ダメ野菜ダメ、ごはんもあまり好きじゃないし、カレーもシチューも大嫌い、ファーストフードは芋しか食べられない。ファミレスも芋を食べていた。ただ、牛乳が好きで、およそ1日1リットル飲んでいた。この好き嫌いは小2まで続いてた。
よく生きていたもんだと思う。
でも後々何かの本で「牛乳は色素を含まないだけであとは血液と成分が一緒」と読んだ。それで納得。私は毎日1リットル輸血してたみたいなものだった。
ちなみに食欲は小3に爆発期を迎え、トマトが食べられないだけの大食らいに成長した。
全部は克服できないものだね、と言う話。
好き嫌いを聞かれたら、だいたい「普通~」と答えちゃう。
好き嫌い
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名前:孤爪研磨
性別:男性
年齢:28歳
誕生日:10月16日
性格:人見知りでインドア 負けず嫌い 好きなこと
にとことん突き進む 冷静 良くも悪くも人に
対して興味が薄い …etc
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私はこの子が大好きでたまらない。
猫みたいに気まぐれな部分があったり、ツンデレであったり、好き嫌いがよく顔に出やすかったりと可愛いところ満載か!と思ったら、最後まで自分の手をつけた物事を全力でやり切るし、好きなことに常に夢中でかっこいいの最高にギャップ。
尊敬してるし、やっぱ好きって思う。
「好き嫌い」
「好き」と「嫌い」は紙一重だと思う。
この人優しいから好き……自分にはこの人ほどの優しさはない
この人声でかいから嫌い…自分にはこの人ほどの大きな声を出すことはできない。
自分に足りないものの中で、その場や自分の感情などで良いものか悪いものかが変わってきてしまうと思う。
だから男性には好まれるけど女性には嫌われる。
若者には人気だけど高齢者には理解ができない。
なんてことが起こる。まぁ、それぞれの目指してるものは違うから尊重するのが一番だよね。
僕は、自分自身のことではないのに頑張れる人が好きで、現場の状況も見ないのに上から目線で指示を出す奴が大嫌いかな。
俺は立派な大人だ。
好き嫌いなんかするもんか。
「あっUFO!!」
テキトーな所を指差す。
おバカな友達は引っかかってくれる。
これでピーマンを食べずに済んだ。
俺は立派なオトナだ。
嫌いなことがバレなければないのと一緒だ。
あなたの
性格が好き。
仕草が好き。
思いやりが好き。
子供っぽいとこが好き。
手が好き
目が好き。
あなたの
あの子への目線が嫌い。
酒癖悪いとこが嫌い。
時間守れないとこ嫌い。
言ったこと守れないとこ嫌い。
手が嫌い。
目が嫌い、、、いや、好き
結局全部好き
好き嫌い
僕の好きなものは可愛い物、美味しい物、ゲーム、一緒に居ると楽しい人
逆に嫌いな物は家、チクチク言葉、安心出来る空間を壊す人
好き嫌い。好きで嫌い。
セロリは好き。葉っぱはトゲトゲして嫌い。
でもぜんぶ食べてしまう。
炒めたら食べやすくなるし。
あなた、も、そうなのかしら?
あなたは好き。でも、こっちを向いてくれないから嫌い。
でも、ぜんぶ…ぜんぶ…ぜんぶが欲しい。
きっちりいらないところだけ捨てるなんて、出来ないよ。
私、セロリの葉っぱも食べちゃうんだし。尚更ね…
でももしも、あなたを半分捨てる事が出来たら、
私たちの間に空白が生まれて、
そこでふたりで安らいでいられるかもしれない。
いらないものは、さよなら…
見なくなれば無くなるかもしれないわ。
さっぱり捨てられたら、きっと無くなる。
でも、私があなたの半分を、怖れながら捨てるなら…
それはきっと帰って来てしまうのだろう。
あなたが私を裏切るなら、
それは私の怖れの証拠品でしかないのかもね……
【好き嫌い】
ごめんなさい と ありがとう が
言えない人は嫌いだ。
たとえそれが血の繋がった誰かであっても。
よく笑い、よく食べる人。
滅多に愚痴は言わないかわりに、
言う時はドカンと爆発させる人が
人間らしくて、とても好きだ。
ねぇ、人間なんて
透き通っていても、濁っていても、
きっと傍目にはどっちも痛々しい。
クラゲみたいな半透明がちょうどいいよ。
嫌いなものは?自慢気に、ない
好きなものは?得意気に、ない
その面白がる表情は、きっと大丈夫
間違っていない、きっと私の誇りだ
好き嫌い
一人暮らしをはじめて
自炊が楽しくて料理本をあさった
大好きな料理研究家さんも何人か見つかり
大好きな俳優さんも同じ本を読んで
同じ料理を作って食べてることを知り
すごく嬉しくなった
実家暮らしのときに
嫌いだった野菜が好きになっていた
好きだった卵は食べなくなっていた
色々考えそうになるけど
好みが変わるのも楽しいと思う
【好き嫌い】
「好き嫌いはありますか?」と聞かれたらなんと答えますか。「私はあります」。と答えます。何故なら、好き嫌いは誰でもあるからです。それは、皆同じです。私もあります。でも、成長と共になくなっていきました。皆さんはどうですか。なくなりましたか?好き嫌いはダメと言われてきましたが、私はやめませんでした。何故なら、嫌なものは嫌だからです。皆さんも嫌なのに言われたりしませんか。なくならない方もいると思います。私は好き嫌いがなくなりました。食べれないなんて事は絶対にないのです。可能性を諦めないでください。絶対に食べれます。
これを読んでいるあなたも、好き嫌いがあるのなら頑張ってみませんか?
好き嫌い
食べものの、好き嫌い?あるでしょ
人への好き嫌いもあるでしょ
また、好きから嫌いへ
また、嫌いから好きへもあるでしょ
相手のことが嫌いなら、
相手も私のこと嫌いでしょ
お互いに通じるだよね
好き、嫌いは致し方ないね
感情と理性は相反するね
昔から好き嫌いははっきりしてる方で
むしろ初見であ、駄目だと思う人は
ずっと駄目だったり
悪い予感を当てたり
勘が鋭かったりする
つまりは人間版食わず嫌い
沢山の人を理解するのに
膨大な時間をかけるくらいなら
一人でいいと思ってしまう
そんなわたしにも
友だちと呼べる人がいるので
息子以外の血縁より大切にしている
血の繋がりより
自分を大切にしてくれるかが大事だと思う
そういう風に40歳になってやっと気づいた
大切な人とだけ
小さな世界にいたい
グループラインで、プライベートなことを言うやつ、嫌い。インテリジェンスが感じられる意見を言う人は、好き。ただし、時にそれが、逆転することがあり、不思議だなぁ
好き嫌いか
好きな物はやっぱり推しとかゲームかな!
漫画も小説も好き!
嫌いなものは特にないけど強いて言うならナス…
日本の勉強は嫌いだけど外国の勉強は好き
お題 好き嫌い✖️ピーチ
私は桃が幼い頃から嫌いだった。あのじゅくじゅくした実の感じ、黄色とピンクを混ぜた様な色、あの匂い。
なぜ桃がここまで嫌いなのかというと、桃を食べてお腹を壊したことがあるからだと思う。ひどい下痢だった。あの日以来桃を食べたら腹を壊すと認識してしまい、食べたくないと思う様になった。しかし、少し経って思い返すと、あの実は腐りかけてたのではないだろうか、と考える。誰しも好き嫌いはあると思う。克服しなくても困らないので私はまだ桃が嫌いだ。
好き嫌いが無い子供だった。大人になった今は好みはあるが、子供の時は好きも無かった。食事に関してもそうだった。ピーマンを苦く感じたり、椎茸を臭く感じるのは確かにあったが、嫌うまででは無かった。だから小学校とかでの自己紹介カードで好きな食べ物は?とか嫌いな食べ物は?とか聞かれても分からなかった。無難に好きにカレーだとか嫌いにレモンだとか理由が簡単に分かりそうなのを選んで書いた。多分無難でありたかったのだろう。好き嫌いは特に個人個人で違う。好きはともかく嫌いは敵が出来てしまう。敵は言い過ぎかもだが、分かり合えないが発生する。そして別に大好きとまでは行かないのに好きだと言うと、本当に大好きな人に絡まれた時とか、嫌いだとか魅力を感じてない人へそのものの良い所のプレゼンをする際に困ってしまう。だから無難を行くのだ。敵を作らずテンプレの様な説明がある物を選ぶのだ。好き嫌いの無い自分にはそれが出来てしまう。それで良かったと思うと同時に自分の好きとはなんだろうと思ったこともある。嫌いが無いのは素晴らしいかもだが、好きが無いのは自分も周りも少々困る。だから大人になってからは好きを探して少しでも他より良いと思ったらそれを好きにしている。まぁ、好きと言うよりかは好みであると思う。LIKEですら無いのだから。あと、嫌いとまでは行かないけれど苦手も大人になって出来た。人間の種類で苦手な人がいたのだ。今まで出会わなかったのが奇跡だったのかもしれない。だから大人になった今は好き嫌いがある人間になった。これは成長であると思う。苦手が出来るのも成長なのだ。大人になると自分の発見の連続だ。世界が狭い子供の時の好き嫌いが無い悩みは簡単に晴れた。思ったより楽に見つかった。好き嫌いは良いことだった。
愛犬チャッピーと私
幼少期あなたは元気いっぱいにゲージの中で過ごしていたこと今も覚えているよ。飼うことになって家に迎え入れた時はたまらなく愛おしく可愛く想いました。
公園を散歩し疲れて眠る姿。遊び回る姿。その暖かい体温。冬の日はストーブの前で寝ていたね。散歩に行く時にはいつもはしゃいで嬉しそうに走っていたね。雷が怖くて震えていたね。一緒に寝た日。写真を撮った日。出かけた日。可愛かった。
ねぇチャッピーあなたは幸せでしたか。
『クリスマスまで生きててよ。』
それに応えるように12月25日をすぎ12月27日あなたは眠りについた。
私は後悔しちゃった。あなたの最期をまだ生きていると信じていたくて『嘘。』と口からこぼれ落ちてその事実から目を背け。まだ大丈夫生きてるって。また会えるって思って。帰った時にはもう。冷たくなったあなたが居た。ごめんなさい本当に。見届けたかった。好きだったよ大好きだよ。
その翌日。家の中でワン!って声が聞こえた。その声が聞こえたかと周りに聞いてみても聞こえないと。その時チャッピーだそう思った。私にだけ挨拶に来てくれたのかと思うと泣いてしまった。
チャッピーありがとう。私のそばにいてくれてありがとう。
またね。
私はもう後悔しないように離れていても近くに居ても大事だと思う人の事だけは愛した人の事だけは今日が最後だと思いながら過ごしているとかける言葉も想いも違って来る。