好き嫌いが無い子供だった。大人になった今は好みはあるが、子供の時は好きも無かった。食事に関してもそうだった。ピーマンを苦く感じたり、椎茸を臭く感じるのは確かにあったが、嫌うまででは無かった。だから小学校とかでの自己紹介カードで好きな食べ物は?とか嫌いな食べ物は?とか聞かれても分からなかった。無難に好きにカレーだとか嫌いにレモンだとか理由が簡単に分かりそうなのを選んで書いた。多分無難でありたかったのだろう。好き嫌いは特に個人個人で違う。好きはともかく嫌いは敵が出来てしまう。敵は言い過ぎかもだが、分かり合えないが発生する。そして別に大好きとまでは行かないのに好きだと言うと、本当に大好きな人に絡まれた時とか、嫌いだとか魅力を感じてない人へそのものの良い所のプレゼンをする際に困ってしまう。だから無難を行くのだ。敵を作らずテンプレの様な説明がある物を選ぶのだ。好き嫌いの無い自分にはそれが出来てしまう。それで良かったと思うと同時に自分の好きとはなんだろうと思ったこともある。嫌いが無いのは素晴らしいかもだが、好きが無いのは自分も周りも少々困る。だから大人になってからは好きを探して少しでも他より良いと思ったらそれを好きにしている。まぁ、好きと言うよりかは好みであると思う。LIKEですら無いのだから。あと、嫌いとまでは行かないけれど苦手も大人になって出来た。人間の種類で苦手な人がいたのだ。今まで出会わなかったのが奇跡だったのかもしれない。だから大人になった今は好き嫌いがある人間になった。これは成長であると思う。苦手が出来るのも成長なのだ。大人になると自分の発見の連続だ。世界が狭い子供の時の好き嫌いが無い悩みは簡単に晴れた。思ったより楽に見つかった。好き嫌いは良いことだった。
6/12/2024, 10:20:23 AM