『奇跡をもう一度』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
帰宅し今までの事を振り返ってみる。
今まで自分は何をしてきたのか、
何かやり遂げた事はないか。
ふと考えた時、彼はある事を思い出す。
その時は深く考えなかったが、
今思うと奇跡的な出来事が彼には起こっている。
あの奇跡をもう一度。
彼はそう思い、眠りにつくのであった。
『奇跡をもう一度』
私は願った、ただ家族みんなで温かいご飯を食べながら
今日の事について話して笑っている時間が
もう一度欲しかったと。
兄弟と手を繋ぎ買い物に行くなど、兄弟が居る人なら
多くの人が経験した、兄弟だけでの買い物。
その時間がもう一度欲しかった。
私達人類は今、目の前に大きな神獣たちの遊びに付き合わされ何人の人が命を落とすだろう。
昨日まで平和だったあの奇跡をもう一度…私は懇願する。
「奇跡をもう一度」
ここぞという時に奇跡をもう一度と思った経験は、誰にでもあるだろう。そういう私だって何回も思ったことがある。一度奇跡を目の当たりにすると、その後またあの時みたいに上手くいかないかなという思いがよぎり「奇跡をもう一度」と願ってしまう。しかし残念ながら、そういう様に強く奇跡を願っている時に限って奇跡は起きてくれない。なんともじれったいものだ。
このように考えていくと、再び奇跡的な現象が起こることを願っている時点でその現象はもはや奇跡ではないというようにも捉えることができる。奇跡というものは起こる確率が非常に小さいから奇跡と言われるのであって、願ってそんなに短いスパンで「奇跡」が起こってしまえば、それはもう奇跡ではない現象と化してしまう。
まあ、ここまでたくさん語ってきたが、私はこれから奇跡を望むよりも、起こった奇跡を見つけて楽しむ方に焦点を当てて過ごしていきたい。
奇跡をもう一度
あれから、どれほど月日が過ぎたろう…あの日、何処迄も続く真っ青な空と海、何年も募らせた想いを、君に告げた…君は、小さく微笑みながら、小さく横に首を振ると、そのまま行ってしまった…真っ白なワンピースが風に靡く姿が少しづつ小さくなっていくのをずっとずっと見守っていた…
ふっと気付くと、真っ暗なベッドの上で…あゝもしもあの時に戻れるなら…
「奇跡をもう一度」
運命は決まっている。
レールの上を生きている。
そう思うから。
あの奇跡はきっと必然で。
もう一度、起こる未来も想像してみたりする。
#33
#103【奇跡をもう一度】
笑っちゃうくらいに運動が苦手だ。
特に球技。
運動神経悪い芸人を笑えないくらい下手。
バスケットボールをゴールに入れられた記憶がない。
重い。ボールが重すぎる。
あんたがったどこさ♪は出来ても
ポスポスしながら走れない。
ボールが先走る。
おい、待て。先を急ぐな。
なんだか飼い犬に引っ張られる飼い主のように
ボールを追いかける羽目になる。
カッコ悪い。
でも、走るだけなら人並みにいける。
50m走は7秒台後半だったし
マラソンも真ん中あたりで走れてた。
球技と柔軟以外はいける。
あと、走り高跳び。
なんと、中学の体育祭で3位だった!
奇跡!レベル低すぎるけど奇跡ですっ!!
走ることしか出来ないと思われたワタクシですが
跳ぶこともできました!わーい!
…
ってなわけで、過去の栄光です。
今はもう無理。
あんな棒、跳べなくても生きていけるんで。
えぇ。
あんなもん、日常生活では
ある程度の高さの棒があったら
下をくくればいいんですよ。
ふんっ。
「奇跡をもう一度」
死んだはずだった。
脳腫瘍の診断を受けて
吸った息を吐けて
四秒生きられて安堵した。
それを繰り返した2年間
いつ息が止まってもいいように
毎日遺書を書き換えた。
それが今年の検査で
脳腫瘍が消えていたなんて
奇跡をもう一度だなんて
もしも、もう一度
信じられないことが
起こったとしたら、
それは私にとっては
腫瘍の復活なのだから
私はもうこの世にいない
死んだはずだった私は
いま こうして生きている。
奇跡はたった一度で充分すぎる祝福だ。
「奇跡をもう一度」
起きっこない。
そう顔を伏せる君。
長い髪の毛に隠れ表情が見えない。だが震える声から君がどんな顔をしているか如実に感じ取れてしまう。
もう一度、今度は耳をすまさなければ聞き逃してしまうようなか細い声で。
「起きる。この奇跡は必ず起きる」
君がそう否定するならその度に言おう。
奇跡をもう一度
願うことは幾つもある。
すでに起きたこと、起きてはいないこと、起きるかもしれないこと。
どれを願ったとしても、どれも奇跡な訳で。
”奇跡をもう一度”と願う時点で、どっち付かずの迷い道。
ただ願わくば、願った奇跡の先が、幸福でありますように。
奇跡をもう一度
『奇跡をもう一度』2023.10.02
本日もますますのお運びをもって、恐悦至極に存じます。ありがとうございます。
などと、かたっくるしい挨拶をしなければならないのが、私ども落語家でございます。本当は、今流行りのお笑い芸人のネタを拝借してご挨拶をしたいところではありますが、同じ芸人としてそれはどうよと思ってしまいますので、今回が遠慮しておきます。でも、言ってみたいですよね。おっはよろりーん!
はい、やめておいて正解でしたね。若い頃ならもしかしたら許されたかもしれませんな。こう見えて若い頃はそれなりにヤンチャをしておりました。何人か頷いてらっしゃる方も、ひのふの……。ええ、私の若い頃のことは内緒にしておいていただけると嬉しく思います。……フリではございませんよ。
しかしながら、そんなヤンチャをしていた私がこうして今も高座に上がらせていただいているのも、奇跡としか言いようがありませんな。普通の師匠なら即破門ですよ。嫌でしょう、仮にも真打が髪を紫に染めてピアスを二個だ三個だ開けてたら。それをうちの師匠は個性だからいいんじゃない、と言って許してくださったのだから。私だったら、そんな弟子は即破門にしていますよ。
奇跡といえば、博打があります。博打というと賭け事ですな。パチンコやスロット、競馬などのことを言います。私も社会勉強の一環として、これまでいろいろやってきましたが、この博打というものは恐ろしいもので、一度当たるともう一度、当たると信じてしまうわけですな。「あの奇跡をもう一度」というやつです。
のめり込みすぎると身を亡ぼすのが、この博打の恐ろしいところ。昔は花札やサイコロを使った遊びが流行っていたというわけです。サイコロはお釈迦様が説教のとき、人集めのために賭博場を思いつきその道具として考案したものだそうで。みごとその企ては成功。そしてお釈迦さまはそのお金で、祇園精舎というお寺を建てたそうでございます。このことから、博打で使うお金のことを「寺銭」と言い、負けることを「お釈迦になった」というようになったとか。
まぁ、私はお釈迦になったことはないですけどねぇ。
奇跡なんてない。
あるわけない。
すべて、必然だ。
ジョギングをした。仕事もしてきた。友人と酒を飲んだ。アニメを見た。お風呂も入った。
今生きているすべてがヒツゼンだ。
おやじ、かーさん
俺が産まれたのは必然だよな!
おやじ、かーさん
奇跡をありがとう。
娘よお前が僕の子供になったのは、必然だ!僕の子供でありがとう。
奇跡の子よ。
あの日、君を見た
確かに君だった
また君に会えるだろうか
二度と触れることが出来ない君に
【奇跡をもう一度】
奇跡をもう一度
奇跡なんてあっただろうか
だから、もう一度って言うより
初めての奇跡だよ
奇跡が起こるなら
もう一度生まれ変わって
ちゃんとした人生送りたいな
奇跡をもう一度
「嘘でしょ…」
目を何回もこすって、また大きく張り出された新入生の名簿を見る。
間違いない。私とクラスは違うけど、彼の名前がある。
小学五年生の頃、初恋を捧げた彼だ。
消しゴムを拾ってもらったとか、転んだ時に大丈夫?と声をかけてくれたとか、そんな彼の小さな優しさを好きになった。中学校は別々だったし、同じクラスだったのは五年生の時だけで、私から話しかける勇気もなかったけれど。
小学校を卒業しても、中学校を卒業しても、ずっと心のどこかにいた。
まさか、同じ高校を受けていたなんて。
この奇跡をくれた誰かに、全力でお礼を言いたい。
そして、図々しいのは百も承知だけど、もう一度奇跡をくださいとお願いしたい。
彼と関わるきっかけを、勇気を、私にください、と。
2度目の歯車は錆び付いているだろうか
私が潤滑油になれるのならばこの身を捧げる
(奇跡をもう一度)
奇跡をもう一度
なんて思っている間は
奇跡は訪れない
奇跡とは願う者に届くのではない
奇跡とは足掻く者に届くのだ
この小さな部屋にいるうちは来ないだろう
奇跡は訪ずれるべき人間に訪れるのだ
奇跡をもう一度って?
二度も起これば、それは奇跡じゃない。たったの一度でさえ起きないもの、それが奇跡というものだ。
でも、その出来事が何奥何兆の選択肢のうちからたった一つだけ選ばれたものなのか、二つ三つの選択肢のなかから選ばれたものなのか、出来事自体を俯瞰して見ることができないわたしたちにとって、結局はそれが奇跡なのか、よくあることなのか、知りようがない。
生きることをただ単調な日々の繰り返しとみるか、奇跡の連続だとみるか、それは主観で判断するしかない。
だから、奇跡は二度と起きないと言えるし、もう一度どころか何度でも起きるともいえる。
そう思うんだけど、どう?
奇跡をもう一度
ピピっ
私カメラ人間 (録画機能付き)
カメラマンじゃない
全身がカメラで出来てる
積み木みたいに四角いカメラが積み重なって
それが人型になって動いてる、そんな感じ
え?なんで全身がカメラかって?
それは…名残惜しいから
だって例えば祭りが終わった後って悲しいよね
だから
いつでも振り返れるように
思い出せるように
全身のカメラで録画しまくって記録しちゃうの
綺麗な花火もライブの熱狂も
SNSの流れゆくつぶやきも
忘れることって凄く悲しいと思うの
いろんな人の笑顔も熱狂も感動も全部ファイルに収めてたい
あらゆる物事は移り変わっていくんでしょ?
仕方ないのかもしれない、でも許せない
忘れるって恐ろしい
変化って恐ろしい
この感情すらいつかなくなってしまうかもしれない
だから私は一生に一回しかないであろう
素晴らしい瞬間を何度でも味わえる
そんなカメラ人間である事が幸福
録画してしまえばいつでもあの時に戻れる
けど、あの時の瞬間を100回リピートして気づいたの
その奇跡のような瞬間は
人生にたった一回しかないからこそ
輝いて見えるんじゃないかって
眩しさも、切なさも、あの一瞬に込められていた。
あの日、あの場所で、すれ違ったあなたに声をかけることができなかった。
もしあの時声をかけていれば、今私たちはどうなっていたろう。あの懐かしい青い春に戻れたのだろうか。そう期待してしまうくらい、私たちの青春は尊いものだった。
今でも私はそう思っている。
あの奇跡の日々をもう一度、いやもう一度すれ違うだけでも構わない。
私は今日も奇跡を待ちながら、一人孤独に駅へ向かう。
『奇跡をもう一度』
勝てる!
eスポーツ世界トーナメント準決勝、俺は意識が朦朧とする中、老けたシワを抱えたレジェンドを見た。レジェンドはコントローラーを重そうに持ちながら俯いている。視線を俺の画面に戻すとそこにはデュースを表す2-2の文字が点滅していた。
ゲームは所詮、有利不利の押し付け合い。そして、相手は歴戦のレジェンド、このゲームに関わってきた時間という絶対的な有利が存在していた。しかし、今0-2からの逆転デュースによって完全に観客たちの心を支配し勢いという圧倒的有利を俺は手にしていた。観客たちは今この瞬間も俺へのコールを続けていた。感謝の意を込めて手を上げれば声援は指揮者に従うように勢いを増した。
いける。
覆せる!時間という絶対的な有利を!
最終ラウンド開始に向けて俺はもう一度コントローラを握り直した。そしてレジェンドをもう一度見たとき俺は驚愕した。それはレジェンドがまるで疲れなど感じさせないような力強く落ち着いた様子でコントローラを持っていたからだった。ついさっきとは別人だった。
落ち着け今有利は俺にある。
そして、息をつく暇もなく最終ラウンドが始まった。
その瞬間レジェンドのとてつもない猛攻が襲いかかった。ガードするのが精一杯だった。俺が手を出せば一瞬でカウンターをもらいあっという間に壁際に追い込まれた。すべてを対策されていた。そして壁際で必死に攻撃を捌きながら、俺は
「レジェンドは敗北を予感して俯いていたのではなく、脳と手を休ませ対策をねっていた」
と悟っていた
そしてHPが半分を切った瞬間、レジェンドは冴え渡った読みを通し凄まじいコンボと必殺技を流れるように繰り出した。それは永遠に思える時間をゲームに費やさなければできない動きだった。
俺は自分の勘違いと弱さに絶望した。
その後、大会の全試合が終了したあとレジェンドは俺のもとに来てデュースに持ち込んだ時の気迫を褒めてくれた。そして一言、
「時間は若者の味方だ君はもっと強くなれる」
そう言って去っていった。
そして今、俺は老いたシワを抱え、時間という有利を振りかざし若者の前に立ちはだかっている。
レージェンド!レージェンド!レージェンド!