『太陽のような』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
太陽のような
情熱を持ち 突き進み
時に危なげない
時に周りを巻き込み
私を羨望で焦がす
私は あなたみたいに なりたかった
そう思っていた
あなたが羨ましい
私もあなたにとっての太陽だった
2024/2/22
毎日過ごす中で、他人と接することが
とても、苦痛に感じる時が時折ある。
僕にとって、いつも拒否的な態度を
あからさまに他人へ、示してしまうときがある。
そして、そんな自分を反省する。
真っ黒な僕の心を照らしてくれそうな
太陽のような光、温かみが欲しい。
自分が単に一人の人間として、未熟なだけだと
気づいているが、まだまだ、大人になれない。
いつも、いつまでも、ぽかぽか陽気な
太陽に照らされているような、
そんなふうに生きられたら、幸せだろうな。
人からよく「お利口さんね」と呼ばれる子供だった。
小・中学校の教育相談では私は優等生でなにも言うことなしの子だったから、担任教師からクラスの席替えについてよく相談されていた。
「どうすればこの子達が静かになるか」
担任教師の悩みは決まりきってそれだった。
問題児と称される子達の名がいつもそこで挙がって、私はまだ子供だから愛想笑いで誤魔化していた。
問題児達はよく喋る。授業中も。だから教師の目の敵にされる。それによくグループ内で衝突して喧嘩沙汰になる。
「もっと上手くやればいいのに」
受験に必要な内申点が取りたかった私には、彼らの行動があまりにも幼稚でいっそ感心を覚えた。
学校内の行動は全て評価されるのだ。
なのに彼らは自分の好きなものと嫌いなものがハッキリしていて、運動会ではいの一番に盛り上げ役を買ってでたし、嫌いな教師には反発し、よく笑い、よく怒った。
結局、担任教師が考えた席替えは無駄になる。
授業中、後ろの席の彼らがはしゃいで、教師の声を遮るのを諦めながら聞いていた。
諦めと苛立ちと同情がない混ぜになっていた。
後ろの席は見たくなかった。
ただ、ほんの少しだけ彼らが輝いて見えた。
憧憬を抱いているのだ、と後に知った。
私は、いつの間にか大人の席に座らされていた。子供の無責任さと実直さが許される時間を消費して今に至ってしまった。
彼らは今頃どうしているだろうか。相変わらずはしゃいでどうでもいいようなことで胸ぐらを掴み喧嘩をするのだろうか。
私は激情を知らない。
教師の話を遮って友達に話しかける度胸も何一つない。
2024 2/22『太陽のような』
ハワイのメレで1番好きなのはホアラニです。太陽のようなという意味で
家族みんなの1番の輝く太陽になりたいです
カイブツに襲われそうになった少年を助けたのは騎士団長様だった。
太陽のように眩しいあなたに憧れて騎士団に入ったんだ。
あなたの目に入るように
またカイブツから人々を守れるように
頑張ってみせる。
【209,お題:太陽のような】
太陽のような人だった
明るくて活発で、みんなを照らす太陽
でも光があれば、それに伴い影ができるもので
その影にあなたは飲み込まれてしまった
太陽なくして、生命は存続できない
私たちは緩やかに死んでいく
太陽のような
明るく
温かく
眩しい存在
とても素敵です
タンポポのように
地に葉を広げて
しっかりと根をはり
ほんわかと
春を告げる存在
こちらも
とても素敵です
みんな
それぞれの良さだね
この世界は
なんて素敵なんだろう
太陽のような世界に
はじめましてと言い
流れゆくわたしに
おはようと言い
辛いはずの体験に
ありがとうと言い
真っ暗な世界を見つめながら
さよならと言った
#39 太陽のような
私はあの子が嫌いだった
特にあの太陽のような笑顔
皆は好きだと言うけれど、私は嫌いでたまらなかった
だから、嘘をついた
そうしたら、皆があの子から離れていった
そうしたら、あの子のキラキラした瞳が
あの子の太陽のような笑顔が曇っていった
あぁ、今、ようやっと、私あの子が好きになれそうだ
貴方は明るい人でした
暖かい
とても優しい人でした。
周りから好かれる存在で
安心出来る
唯一無二の存在で
あなたを好いていました
【太陽のような】
ーーーー✂
もっと一緒にいたかったなあ、
神様の嘘つき、笑、
天罰かな、、笑
どうしよ、友達としても
やってけなくなるのかな
ごめん。笑わせてあげられなくて、
【ごめんなさい。】
わかったよ、やっと。
今気づいた、
恋ってさ付き合ってても
どっちかの一方通行の愛じゃダメなんだよ
お互いに捧げなきゃいけないのに
お互い子供だったね…
母はまるで太陽のようなひとだった。
いつだって周りを明るく照らし、母自身が大変なときも笑顔を絶やさなかった。それ故、周りは人で溢れていたし、無条件に誰でも愛せて、時には相手の為に本気で叱ることも出来た人だった。
きっと母なりに悩みや挫折感もあったとは思うが子どもの私にはそれさえも光でとばしてしまってるくらい完璧な存在に見えてならなかった。
その子どもの私はというと、根暗で臆病で自信がない、自分なんて…が口癖のまるで真逆の存在だった。
歳を重ねるごとに私は顔立ちがどんどん母に似てきたので、母といると必ずと言っていいほど『お母さんにそっくりね』と言われてきた。
ぱっちりな目鼻立ちの母に似ているのは嬉しくもあったが同時に中身は全然似てないねと言われるのがセットだったので憂うつな言葉でもあったのだ。
まるで私は見せかけの太陽と言われている気分だった。あなたは太陽にはなれないとそう言われているように感じていた。
あの頃の私には太陽は眩しすぎた。
卑屈になればなるほどに私は太陽とはかけ離れていった。母とは心から向き合えない日々もあった。
それなのに、それでも太陽は私を優しく照らしてくれた。
…うん、やっぱり太陽には敵わなかった。
この先も太陽にはなれない私。私は落ちこぼれなのだろうか。
いや、きっと違うのだろう。太陽だけが星ではなく、それぞれの輝き方があってそれぞれの役割があるのだから。
それを教えてくれたのもまた母なのだ。
太陽なような母。太陽に成れぬ私。
あなたは太陽にならないでいいと教えてくれた母。
太陽のような。
君が太陽で僕が月だとか、そんな薄っぺらい歌詞はどうでもいい。
お互いに照らして、照らされて。
時には黒々しい夜となり、瑞々しい朝が来る。
ただ、愛し合っていれば良かった。
ありきたりな比喩は分からなくて、ただ好きと言う感情だけが渦を巻くように二人を包む。
暖かな光が降り注ぐこの部屋で、カーテンがふわふわと踊るこの部屋で。僕らはそっと口付けを交わした。
「太陽のような」
私は太陽のような人間になりたい。
太陽見たいに明るくなりたい。
太陽見たいに大きくなりたい。
太陽見たいに眩しくなりたい。
そしたら、素敵な人になれる。
人間は、嫌なことがあったり、恥ずかしくなったりしたら隠れたり、逃げたりする。太陽も同じで嫌なことがあったら雲の後ろに隠れたり逃げたりする。でも太陽にも人間にも強いところはある。だから太陽のように、私は強くなりたい。
太陽のような自分になりたい。
家族や友人、推しでもいい。
自分にとって1人でも太陽のような人がいるのなら、
人生はすごく生きやすくなる。
途端に呼吸がしやすくなって、前が見やすくなる。
私の人生に、明るい光を差してくれる。
私も太陽のような、誰かにとっての唯一になれたら良いな。
太陽のような
について、書こうと思えば
何千文字でも書けるんだけど。
あまりにも長すぎると、他の方の
素晴らしい作品に目を通す時間が
なくなってしまうし、なにより
貴重なあなた様の自由時間を
奪いかねないため、
ここまでにしておきます。
いつも見てくださる、
大切なあなたのために、
ですからね。
end
お題:太陽のような
タイトル:太陽の代わり
空に太陽があると、人は自然と元気になれるものだ。その程度には個人差があるかもしれないし、あまりに強い日差しを浴び続けることは健康によくないという人もいる。それでも長雨が続いた翌朝に雲一つない青空が水たまりに映って見えると、誰だって清々しさを感じるだろう。
その理由を考えるに⸺これは私の想像でしかないのだが⸺狩猟や採集をしてその日の糧を得ていた時代から、人々は太陽に元気づけられていたのではないだろうか。曇っていては視界が悪く、狩猟や採集の効率が落ちてしまう。雨が降っていては尚更だ。だから晴天というのは人々にとって貴重で、まさに「ありがたい」ものだったのだと思う。その気持ちが遺伝子によって、あるいは生活形態や文化として、またあるいは伝説や神話の一部となって受け継がれ、現代に生きる私たちの心情に繋がっているのだと私は思う。
太陽でなくても、見るだけ、聞くだけ、触れるだけで元気になれるものには、どんなものがあるだろうか。推し、家族、自然や生き物…様々あるだろうが、その一つが、宗教だと思う。日本では熱心な信仰心を見せる人はあまり多くないと感じるが、国によってはそうとは限らない。私はまだ海外に行ったことがないので、テレビや本から得た情報に基づいての推察となってしまうが、宗教というのは人の精神的な支えに十分なり得ると思う。実際に信仰する宗教の教えに従って救われた人もいれば、他人を救うために努力した人、あるいは救った人(キリスト教でいう聖人が代表例だろうか)も歴史を振り返るとかなり多いことがわかる。そういう善行を人々に奨励する上で、宗教は昔から重要な役割を担ってきたと思う。一方で、宗教は様々な争いの火種となってきた。意見の対立に信仰の違いが拍車をかけ、やがて大きな争いとなる例は数えきれない。今も世界中でそうして始まった紛争が絶えず続いている。また苦悩の最中にある人が信仰するときの藁をもすがる思いを悪用しようとする人もいる。そういった悪いイメージが、日本人に影響しているのかもしれない。
しかし、太陽はどんな地域の、どんな境遇にある人も遍く照らし、いつも私たちを元気づけてくれる。そこには意見の対立も邪な心も関係ない。そういう点では太陽と宗教は異なっている。同様に、誰かにとっては何の面白みもない推しや、時にプレッシャーになり得る家族、人に牙をむくこともある自然とも、異なっているといえる。太陽はもはや人類にとって特別な存在だ。代わりなどないのかもしれない。
私の住む地域では残念ながら今日明日と雨が続くようだが、次に太陽を見るときはその恵みに改めて感謝し、一日を生きる元気を貰おうと思う。
太陽のような、存在。
もっというと、太陽を支えている存在。
彼はもっと根源のところからやって来た。
ソウルは太陽だという。
それが、彼の言い分。
確かに彼に闇はなく、否定感情もない。
想いを追うのが得意で、
闇を紐解くのが苦手らしい。
嘘のような本当。
でもどんな嘘でも負ける文章を書いている。
#太陽のような
太陽のような
太陽のような笑顔を見せてくれる
遠目でも彼女のわたしじゃない人と喋ってても
太陽のようなその笑顔を見れるだけでいいの
でもやっぱり嫉妬しちゃうよ
あなたのその笑顔はわたしが作り出したいと思うから
#太陽のような
キミは僕にとって太陽のようなものだった。
君が笑えば、僕の心はポカポカとして心地よかったし、君が泣けば僕の心には暗雲が立ち込めて、いつの間にか嵐のように吹き荒ぶ。
僕の人生には君が居ないとダメなんだ。
それなのに、君は僕を置いていってしまったね。
だからあれ以来僕の心は曇り空。
君が居ないと、僕の世界は色褪せている。
太陽のような人の周りには
たくさんの人がいるだろうな
わたしはちょっと苦手かも
キラキラ眩しくて圧倒されるから
わたしは少し離れたところから
木漏れ日くらいの温かさを
感じられるのがいいな
太陽のような華やかさは
ちょっと気後れするから
春の日差しくらいがいいな
時には太陽のような人に
救われることもあるけれど
わたしは太陽のような人ではない
って思う