ぬるま

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人からよく「お利口さんね」と呼ばれる子供だった。
小・中学校の教育相談では私は優等生でなにも言うことなしの子だったから、担任教師からクラスの席替えについてよく相談されていた。
「どうすればこの子達が静かになるか」
担任教師の悩みは決まりきってそれだった。
問題児と称される子達の名がいつもそこで挙がって、私はまだ子供だから愛想笑いで誤魔化していた。
問題児達はよく喋る。授業中も。だから教師の目の敵にされる。それによくグループ内で衝突して喧嘩沙汰になる。
「もっと上手くやればいいのに」
受験に必要な内申点が取りたかった私には、彼らの行動があまりにも幼稚でいっそ感心を覚えた。

学校内の行動は全て評価されるのだ。
なのに彼らは自分の好きなものと嫌いなものがハッキリしていて、運動会ではいの一番に盛り上げ役を買ってでたし、嫌いな教師には反発し、よく笑い、よく怒った。

結局、担任教師が考えた席替えは無駄になる。
授業中、後ろの席の彼らがはしゃいで、教師の声を遮るのを諦めながら聞いていた。

諦めと苛立ちと同情がない混ぜになっていた。
後ろの席は見たくなかった。
ただ、ほんの少しだけ彼らが輝いて見えた。
憧憬を抱いているのだ、と後に知った。

私は、いつの間にか大人の席に座らされていた。子供の無責任さと実直さが許される時間を消費して今に至ってしまった。
彼らは今頃どうしているだろうか。相変わらずはしゃいでどうでもいいようなことで胸ぐらを掴み喧嘩をするのだろうか。

私は激情を知らない。
教師の話を遮って友達に話しかける度胸も何一つない。

2024 2/22『太陽のような』

2/22/2024, 2:17:54 PM