『君と最後に会った日』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【君と最後に会った日】
私が渋谷の駅前で日課の変人ダンスをしていると少年に声をかけられた。
「1000円貸してくれませんか?」
話を聞くと青森に行きたいが財布を落としてしまったのでお金を借りたいらしい。
可哀想に。
同情した私は快く1000円を貸した。
少年はお礼を言い駆け足で何処かに消えていった。
いいことをしたな。
私が幸せを全身で感じていると隣でことの一部始終を見ていた親友の佐伯が言った。
「お前。騙されてるよ」
「え?」
意味がわからない。
「考えてもみろ。1000円で青森に行けるか?」
「あ」
それは確かに。
「しかもこの肌寒い中、薄着だったし。断言するけどあの少年は今頃ほそくえみながらラーメンでもすすってるよ。ご愁傷さま」
なんてことだ。
真実を知った私にこみ上げてきたのは悲しみではなく燃え上がるような怒りだった。
クソガキめ。許さん。
私はこんなこともあろうかとお札につけていた発信機でガキの居場所を特定すると走って追いかけた。
〜1週間後
不眠不休で走り続けた私は青森県の某街で力尽きた。
君と最後に出会った日の君は卵の黄身である
焼いて食べた日が最後の日である
君バイバイ
#君に最後に会った日
忘れない
忘れられない
切り取られたフォトグラフみたいに
いろんなことがあったはずなのに
たくさん思い出作ったはずなのに
サヨナラのあの日
泣きそうなくせに無理につくった
キミの笑顔
抱きしめたいのを我慢した
僕の握り拳
肌を刺すよな太陽が
とても悲しかった
君と最後に会った日、あなたと一緒に乗った帰りのバス。寂しさから泣いてしまった。
駅に着いて、次いつ会えるかも分からないあなたと最後の時間を過ごして、ハグをして、またね。って
直ぐに会いたくなっちゃう。あなたがいる方向を見ても姿は見えなくて。
一人で帰る帰りのバスまた泣きそうになった。
君と最後に会った日、それは透明な窓越しだった。
君は私の顔を見て流れてくる涙を何度も拭っていた。
私も涙声だった。
変わってしまった君と、それを止められなかった私。
どしゃ降りの雨の日。
そっと渡した本は読んでくれた?
その後で桜散るいつもの散歩道の話をしたね。
また、会えるのを待っています。
君と最後に会った日
君と最後に会ったのは月夜のきれいな夜だった。君が最後に言った言葉は「好きだけと別れよう」だった。気付いた時には涙が頬をつたっていた。僕は悲しくて何も言わずにその場を離れてしまった。少し気持ちの整理がついてからもう一度行くと君はいなかった。あとから聞いたが、君には持病があったんだってね。何も言わずに逃げちゃってごめん。僕があそこでなにか言えばもしかしたら未来が変わっていたかもしれない。そんなむなしいことを考えながら、僕はお酒を片手に君と最後に見た夜空を見上げる。あの時と同じで頬をつたってくる涙を零さないように。
君と最後に会った日は、
さらっとした、とても簡潔な別れ言葉を口にしたように思う。
本音を言うと寂しくて辛かったけど、
それを伝えると、きっと私は重い言葉を吐いて、
君のせっかくの新たな旅立ちだというのに、
それに水を差してしまうんじゃないかと、とても怖かった。
なのに君は、そんな私に対して深々と頭を下げこう言った。
「…長い間、くそお世話になりました!!!」
詩(テーマ)
『君と最後に会った日』
あれは
君と最後に会った日です
笑顔で「またね!」って
言いました
結婚も夢見てた小学生
だから、今でも恋がある
あれは
君と最後に会った日です
淋しげに「大丈夫?」と
聞いたよね
東京へ旅立つと決めたのに
ずっと、しばらく引きずった
あれは
君と最後に会った日です
泣きながら「さよなら」と
囁いた
死ぬしかないって思ってた
だって、心は限界で
あれは
君と最後に会った日です
笑って「ありがとう」って
手をにぎる
夜明けにそういう夢を見た
愛に出会って、幸せです
日常/
目が覚め食事をし眠くなったら眠る
日常とはただそれだけのことである
そこに色を足すか足さないかは
自分で決めていいもので
めんどくさいならやめてもいいし
性に合うなら取り込んでもいい
自分に合った日常というものを
常に追い求めている日々、
それがわたしの日常である
子供の頃は/
みんなで食べる給食がなにより美味しかったよ
何もなくても楽しく遊べてたよ
席替えが宝くじのようだったよ
休んだ日に見るテレビは最高だったよ
勉強の意味がわからなかったよ
ジャンケンが全てだったよ
500円が大金だったよ
大人の目は気にならなかったよ
チャイムの音が帰る合図だったよ
子供の頃は不思議がいっぱいあったよ
大人になるとだんだんと不思議が
無くなっていって分かった気になってくるんだ
大人になると得るものもあるけれど
失うものも多い気がして
僕はそれがどうも嫌な感じで
子供のように柔軟で純粋な心を探求したり
不思議を自ら探しにいくような
不思議な大人になったよ
何となく予感はしてた
君と最後に会った日は
いつも通りを装っていたけど
どこか虚しかった
君の理想に
自分は、なれなかったのだろう
悲しかったが、今思えば最良の選択だった
好かれようと顔色をうかがわなくてもいいし
君の理想に近づけるように努力しなくてもいい
ありのままの自分でいられる
人と時間に出会えたから
君と最後に会った日
僕があげた服
僕があげた香水
君とはしばらく会ってないけれど
最後に会った時のその姿は今も忘れていない
その服とふわっと香る香水が
他の人と仲睦まじく僕の横を通り過ぎていった
君と最後に会った日
“君”とは誰のことだろう。
数え切れないほどの人達と出会って、別れてきたから、わからなくなってしまった。
これからもまた出会って別れて、を繰り返すのだろうけど、誰が1人くらいは私との最後の日を覚えてくれてたら嬉しい。
もしそうだとしても、それを知ることはないんだけどね。
それでも、陽の当たらない人生を送っている私にとってはすごく嬉しい。
だれかにとっての“君”が私なんて、素敵じゃないですか?
end
君と最後に会った日
今でも覚えている
今も忘れない
君の顔、君の声、君の仕草
君と最後に会った日のこと
何でもないような日だった
空は青く澄み渡っていたし
風は穏やかに凪いでいた
耳を澄ませば鳥のさえずりが聞こえる
そんな平和で綺麗な日だった
ブランコに揺れながら君は
何でもない風に僕にさよならを告げた
引き止める間もなく
君は笑って去っていった
あっさりしすぎていて
まるで夢の中にいるようだったあの日
だけどあれからもう
君の姿を見ることはなかった
君は今も元気にしているのかな
それとも
君の存在自体夢の中の幻だったのかな
だけど今でも僕は
君と最後に会った日に囚われたままだ
『君と最後に会った日』💙💚
僕の最後はいつだろう。
10年後?
5年後?
それとも今?
そうなってもいいように
あなたにはメッセージを残す。
でも、やっぱり
最後の日くらいは
ちゃんと目を見て
あなたのためだけに言いたい。
”今までありがとう”
君と最後に会った日
ずっと一緒に
いると思ってた
君と最後に会った日
もういられないと
分かった日だった
なな🐶
2024年6月26日1601
君と最後にあった日はいつだっけ……。
あ、10分前だ。
【君に会った最後の日】
それは、突然の事だった。目の前で君がいなくなった。君は、私の家に遊びに来ていた。そして、それは私が見送りを終えた後だった。君は、居眠り運転をしていた車に轢かれ、いなくなった。私は、翌日にそれを知った。君に連絡をした。返事はなかった。現実を知った。でも、ある時、君から連絡があった。期待をして、見てみた。それは、君のお兄さんからだった。がっかりした。
君と会った最後の日。それは、とても楽しく、切ない時間だった。
君と最後に会ったのは、1年前の春。
小学生の頃の私の親友だった君。
優しくて、恥ずかしがり屋で、気が利いて、頭も良くて。
そんな君と去年の春に3年ぶりに会えた時は嬉しかった。
もちろん他の同級生に会えたことも嬉しかったけど。
そんな君に8月に伝えなきゃいけないことがある。
今も迷ってる。最後に会ったのが去年。それから1年会ってないから、伝えようか迷ってる。。
私、来年県外に引っ越すの。
いつ帰ってこられるか分からないから。
誕生日プレゼント、喜んでもらえるかなって。
そう言って渡せたらいいのかなって考える。
でも、3年ぶりに会ってさらに1年も会わなかったら、どーでもいいなーって思われないか不安。
そんなこと思わない人だってわかってるのに。
太ったことも恥ずかしくはある。。
お母さんはちゃんと渡しなさいって言ってる。
君の誕生日まであと一ヶ月とちょっと。
待ってて欲しい。
絶対に渡せるような私になるから。
それは夏の夜であった。
窓を閉じていても蝉の声が鳴り響き、寝るに寝れず、起きていた。
勉強をするにしても集中が続かず、
結局その日もいつものようにスマホを通して、顔をしらない誰かと会話をしていた。
当たり障りのない会話、くだらない会話をその日も繰り返していた。
大抵は仲が良い人と、ときにはしらない人も交えて
名前も顔もしらないから、現実よりも気軽に話しやすかった。
そんな会話も夜が更け、静かに沈みかけようとしたとき、
誰かが端からみればちっぽけな揺らぎが、大津波となって私を襲った。
いまもこれからも死ぬまで忘れないだろう。
数少ない友人と呼べる人のうち一人が自殺を試みたという話を
当時若かった私には受け止めきれないほどの衝撃であった。
私はいまも後悔している。
夕方に交わした最後の会話を
違和感を拾えなかった私の後悔が
いまだに波となって押し寄せてくる。
「君と最後にであった日」
今年のお花見の時
公園に自分で作ったお弁当を持参して、取り分けながら食べた。バスケやバドミントンなどの運動もした。
楽しかった。
次は、来月会える予定。楽しみで、待ち遠しい。