『君と一緒に』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「君と一緒に」
馴染みのラーメン屋で
中華そばを啜りながら競馬中継を見る昼下がり
君の左手には割り箸、右手には馬券
君と一緒に中華そばを啜り
競馬中継を見るのも君と一緒のセット
t「君と一緒に」
君がいいのなら僕も一緒に堕ちていくよ
君のためなら僕は何処までも着いてくよ
君となら世界が閉じるまで傍にいれるよ
君と一緒に二人が終わるまで踊り続ける
原田 耕二の話。
道端の
手袋をひろう
ハンガーをひろう
蓋のあいたサバ缶をひろう
人の庭の柑橘をひろう
あの子の落としたひとひらのスナックを
大きすぎた子ども用の片靴下を
役に立たないAirPodsの片割れを
鳥として生きられたなら
それは我が子の暖を取るため
明日に命を繋ぐため
しかし私は地を這うやもめ
灰の空の下
公園の薄ぼんやりした常夜灯
ブルーシートの海に囲まれ
自分と自分の熱を抱き
無限に続く彩度のない
夢をみる。
瞼は閉じていないとだめだ。
無限にある白の中から
一番綺麗なものを
穴あきポッケにしまうんだ。
いつか
誰かにあげる日を
瞼を重く閉ざして夢見る。
ひとり ひととき
鳥にもなれず
引き取る息を
耳に感じる。
良い歳しても泣き虫で子どもな私だけど、結婚して4年も一緒にいてくれる旦那に感謝してます。
結婚当初、コロナ禍で子供はおろか仕事も見つからずホームシックで壊れてうつ病になりました。
資格職だからとたかをくくってました。
新婚はもっとラブラブで楽しくなるもんだと思ってたのに、喧嘩ばかりで楽しくありませんでした。
旦那にたくさん正論をぶつけられて、逆に私も旦那を甲斐性なしだの頼りないだの、お互いを傷付けあってました。離婚を考えた瞬間もたくさんありました。
うつが治った後、仕事が見つかり金銭的余裕が増えてたくさん旅行にいきました。その間も色々ありましたが。
今はヘルニアになって結局仕事を辞めましたが、旦那は責める事なく休んでほしいと言ってくれました。洗い物や洗濯物を運んで畳む事やお風呂掃除をやってくれるようになりました。重いものを必ず私の代わりに持ってくれます。
金銭的に辛いですが、旦那の優しさと責任に応えるためにヘルニアの治療に専念してます。正社員時代はできなかったお弁当作りに励んでます。痛くてたまにサボるけど、旦那は特に責めません。ありがたい。
早く治して仕事を見つけていつか子供を1人でもいいから、望んでます。
長くなりましたが、ショッピングモールでみる幸せそうなご家族にも色々あるんだと思えるようになりました。辛いのは自分だけじゃない、だからこそ助け合って生きていくんだと改めてわかりました。旦那が支えてくれて色んな方々と出会い今の私があります。
結婚して幸せだと心から思う。ありがとう。
これからもよろしくね。
#君と一緒に
『君と一緒に』
君と一緒に笑う時
時計の針が走り出す
気づけば針たちは上を向き
さっきまでの今日が
もう 昨日になる
私の夫は21年前に旅立ちました 今思うことは君と一緒に歳を重ねてきたかったということです 21年間 君と一緒に過ごした思い出は何もありません 過去の 思い出はだんだんと 風化していきます 最近 写真を整理してて 君はいつまでも 若いままです 私だけが 年を重ねてるって言うことが 分かりました なんか変な気持ちになりました
君とは結婚して何年経ったっけ?
そうだ、もう11年経ってたね。
ずっとずーっと好きだった。
本当に色々なことがあったけど、
全てが全て愛おしい。
苦しいことがあった時、
2人で乗り越えていける人と
結婚したいと思ってたけど、
君は私と乗り越えられる人だった。
君がいれば私はなんでもできる。
そう思わせてくれる人。
今回も苦しいけど大丈夫。
きっと乗り越えていける。
いつまでもいつまでも、
君と共に。
⚠ハッピーエンド注意⚠
君と一緒に今年は過ごせるみたい。
だから、今年は今年こそは楽しい思い出作ろうね。
『合図』
2人の時間が なだらかなさか道を上っていく 森はどこだ? すぐそこだ 逃げた魚も上っていく だれかが仕掛けた せーのの合図で
雨の中 朝の海岸線
信吾の向こうに漁協の看板と寂れた歩道橋
デニーズの下り口から砂浜に出た
知らない人の小柴ちゃんが
足元に…
君は初めましてだね…
ねぇ…
君は知ってるかい…
海は…
痛みも喜びも包んでくれるんだよ
遠い彼方に消えた想いも明日も…
……
毎日365日
恋をしているふたり♡
君と一緒に過ごす毎日
いつもふたりの周りには
優しい空気が流れる
居心地が良すぎて
いつも笑顔を絶やすこともなく
あまり
ふたりが
衝突することなく
喧嘩をすることがなく
いつも仲良し
友達以上の
信頼できる関係
ふたりの関係が
もし
何かの形で
崩壊してしまったら
もう
あまりのショックが強すぎて
かなり辛い想いになり
何もかもを
引きずってしまう
お互い
好き♡の言い合いになり
愛情を深める中で
恋を確認し合って
また
さらなる
ふたりの恋♡の絆を誓い合う
君と一緒なら
わたしたちは
乗り越えられる
君と一緒なら
わたしたちは
信頼し合える
心と心とが
秘め合えた
想いを胸に
永遠に
途切れることなく
続いてゆくから
君と一緒に
ホットケーキ
食べたいな
バターにはちみつ
たっぷり乗せて
ホットミルクで
いかが?🤗
美味しい香り届け~✨
✴️264✴️君と一緒に
君と一緒に
君と一緒に人生を共にしたい。
いつでも、そう思ってる。
けれども、現実は残酷で君と離れ離れになってしまったよ。
離れてしまった悲しみもあるが、何より君が自分と離れた先で幸せに生きているかどうかが気になっている。
ー元気でやってるといいなぁ。
君と一緒に 、「いちご白書をもう一度」
いつか君と行った映画がまた来る
授業を抜け出して二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
ボクは無精髭と髪をのばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を短く切ってきた時
もう若くないさと
君に言い訳したね
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
幸子は、自分に宛てられた手紙を燃やして
家を出たいと泣いた。
幸子思い通りに、生きてごらん
そして心が傷ついたなら、泣きながら帰っておいで、ばあちゃんは何時もお前の側にいる。
幸子という名は、皮肉だと泣いた夜さえ、いつの日にか想い出話になるものさ、ばあちゃんはそう歌ってバカ笑いひとつ、幸子の涙で濡れた頬をピシャリとやった。
幸子は、その名の通りに幸せな娘だ。
ばあちゃんは何時だって厳しく、何時だって幸子を愛情深く見つめていた。その頃、幸子が好きだったフォークソングの歌詞になぞらえて、明治生まれのばあちゃんは、よく説教をタレた。そんな、ばあちゃんの洒落さえ今は幸子の、宝ものになっている。
いつも、いつまでも君と一緒に…。
「いちご白書をもう一度」1975年
「SACHIKO」1979年
作詞 ばんばひろふみ
「いちご白書をもう一度」ちょうど、今から50年くらい前の曲を私はそれから十年近く後に
よく聴いていた、「SACHIKO」は1979年ラジオの深夜放送を聴き始めた頃よく流れていて、「SACHIKO」を自分の名前に置き換えて覚えたてのアコースティックギターで弾き語っていた。ラジオの深夜放送とフォークソングが田舎の女子中学生15の夜のマイブームであった。そんな私の思春期を明治生まれのばあちゃんは一生懸命一緒にいてくれた。今思えばとんだ未知との遭遇であったろう、バブルの申し子世代昭和の丙午と明治の丙午のアンサンブルは、バブル夜明け前のことだった。
今回は朝にフォークソングを聴きながら書いてみた。
君と一緒に。
令和7年1月6日
心幸
ツーリングコースの海岸沿いをバイクで走ると綺麗な海辺が見える。バイクを路肩に止めて眺めているとふと思う。君と一緒にみたいと。
どんな時でも私は私の味方です。
きみと一緒に励まし合いながら生きていくよ。
時計の音も 空の色も
出来るなら少し僕らを そっとしておいてくれ
何をしよう 考えるより
ただ君と居られたら 今はそれだけでいい
雲の流れをぼんやり眺めている君に
コーヒーを手渡し。
悴んだ手を融かそうと、
缶に縋る君の手が赤い。
思わずふふ、と笑みを溢した。
それを見た君の顔は、とても紅かった。
寒さのせいか、僕のせいか。
君と一緒に過ごすこのひと時が、心地良い。
【君と一緒に】
掴みたいのに、掴めない。
それは、自分からするとあまりにも眩しかった。
触れた手が溶けそうなほどに。
ため息が一つ、部屋の空気に混じる。
「届くのになぁ…」
マリーゴールド畑の君は、僕の中でいつまでも消えない呪いのよう。
あの日の君は眩しかった。 どうして僕がこの人と一緒にいられるんだろうと、不思議なほど眩しかった。
焼きそばパンが大好きだった君。
炭水化物と炭水化物だと言う僕の言葉に、分かってないなと拗ねる君が好きだった。
全てを奪った戦争。
あの戦争が、僕の全てだった君を奪った。
死にたくないと、僕に最後の通信をしてきた時に、マリーゴールドの呪いが完成した。
僕も、すぐ行くよ。
だから少しだけ待っていて。
そっちはきっと素晴らしい世界だ。
君と一緒にいられる、素晴らしい世界。