『友達』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
とても脆弱な「友達」という関係。
自分の気持ちを隠していつまでも──。
僕は「友達」という関係がどれ程までも脆いことを知っている。
僕は友達だと思ってた人に裏切られてから、人間不信のようになっていた。
だから、幼なじみの「友達」に恋をしてしまったなんて、誰にも言えない。
この気持ちを貴方に伝えられたらどれほど良かったか。でも、臆病な僕は伝えられなかった。
(この気持ちを、墓まで持っていこう──。)
友達以上てもなく、それ以下でもない。僕は曖昧な関係を一生続かせるだけ。
恋心に気づいても前と同じ振る舞いをした。
心の空白を埋めるためには愛されることではなく、愛することだとわかったから。
「おやすみ」
空を見上げると満月が真上に煌めいていた。
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お題:友達
初めての出逢いは最悪で
衝突ばかりしていたね。
喧嘩して
傷つけあって
今は友...
そんな、ありきたりな展開に
クスッと笑うオレたちは
背中を預ける親友に。
『友達』 RISU
友達
リアルじゃないけど
眩しくてくすぐったいなとは
感じる言葉
空が白む。
夜露をたっぷりつけた草花が生き生きと朝を喜ぶ。
鳥たちの囀り、身が引き締まるような凛とした空気。
そのどれもが私を嬉しくさせる。
友よ、今日も私は生きているぞ。
きっとこの空の下で君も同じ朝を迎えていることだろう。
それだけが私を癒し、救ってくれる唯一の事実なのだ。
「友達なんですよ」
2人の関係を訪ねられたら
あっさりと言葉に出来る
けれど、「親友なんですよ」とは
なかなか口に出して言えかなったりする
私が、親友だと思っていても
さてさて…相手も同じ気持ちだろうか?
なんて、ちょっとした不安が頭をよぎる
後は、何だか「親友」と言う表現を
当の本人が、すぐ隣にいたりすると
気恥ずかしくて素直に言えなかったり…
よくよく考えてみると、ホントの意味で
親友だとしたら、わざわざ「親友です」
なんて、確認事項もいらないわけだ
言わずともわかる、以心伝心みたいな
関係…けれど、最初の一歩はやはり
「友達」なんだよね…
やっぱりこれも見えない赤い糸なのかな…
フリをしてると終わってしまうものって、なーんだ。
それは英語の授業中だった。関係代名詞を選別する単調な問題をこなしていると、隣から一枚の付箋紙が視界に侵入してきた。ちらと視線を送ると、逢坂さんは真剣に問題に取り組むポーズを取っていた。あまりこういうことをするタイプだとは思っていなかったので、少し驚いた。
付箋紙を教師の目から届かないところに貼り直して、問題を考えてみる。
フリをするでまず連想したのは、出題者の彼女だった。今まさに問題を解くフリをしている。それで何かが終わるわけではないだろうから、関係はないだろうけれど。次に出てきたのは、ラブコメによくある恋人のフリをする展開だった。これについては、ここから恋がむしろ始まるのだし、そもそも関連性は低いだろう。
気がつくと関係代名詞のプリントは半分くらい終了している。
あまり良いひらめきを得られずにいると、見かねたのか隣から追加の付箋紙が来た。答えは出た? と可愛らしいうさぎ付きで書かれている。余白部分に、もう少し待って。とシャーペンで書いてから隣へ返す。自分の字と比べると、逢坂さんのそれは丸くて柔らかい印象を受けた。
プリントと同時進行ではどっちつかずでむず痒かったので、先にプリントを終わらせることにした。先行詞が人以外のときはほとんどの場合whichを使用するので有難い。問題は先行詞が人の場合だ。whoかthatを使うわけだけれど、どちらを使えばいいのかいまいちはっきりしない。
そこまで考えたところで、先行詞を見てひらめいた。一度意識を切るとやってくるのが、ひらめきの何ともツンデレなところだ。
プリントの下に隠していた付箋紙の余白に、友達。と書き足してから隣へとそれとなく渡した。キャップ付きのペン特有の間抜けな音が隣から鳴って、耳に引っかかる摩擦音が続けてした。返却(あるいは贈与)された付箋紙には、goodとエクスクラメーション三つが書かれていて、大きな丸がつけられていた。
一仕事終わった気分で一つ息をつくと、机の方にまた付箋紙が貼られた。
次はそっちの番ね。楽しみにしてる。
新たに追加された付箋紙には、丸くて柔らかい字でそう書かれていた。実はもう考えついていた。ひらめきはツンデレなのだ。
息を吹くと膨らむ英単語って、なーんだ。
問題を書いてから、彼女の机に貼り直す。思っていたより早かったのだろう、この授業中で初めて目が合った。考えてみれば彼女が何者なのかよく知らないんだなと、その瞳を見たとき、ふと思った。
本当の友達って
居ないと思っている
どうしても自分から
距離をとってしまう
馴染めない
そんな私に
めげないで
くっついて居てくれる
友達が
出来た
猫さんだった
独りぼっち同士で
くっついて
ご飯を分け合い
遊び合った
そんな猫さんが
先日から
姿を見せてくれなくなった
哀しかった
でも
どこかで
元気で居てくれる
そう信じている
#11 友達
小さな恋を安易に打ち明けてしまえば、多分、崩れてしまうから、今はなまだ恋を下敷きにして、あなたに会う。恋人になれないのなら、せめて友達として一番近くにいたいから。
きっと、そうしているうちに、この恋はなくなってしまうから、もう少し友達のまま片思いをさせて。
私とあなたはただの友達。
それ以上でもそれ以下でもなく。
友達
友達なんていらない…。と思った事があるだろうか。
私は…ある。
人付き合いは得意な方だと思って生きてきた。そんな私が、人間関係リセット症候群かと悩むほど、人と関わりたく無くなった。
ただ、ただ疲れてしまった。
理由は沢山あるが、秘めておきたい。
だから、今は付き合いがある人が片手に満たない程だ。
でも居心地は良くなった。
自分を分かって貰いたいなんて、傲慢なのかもしれない。
だから、もう分かって貰わなくていい。
丁度良い距離で、付き合っていける友達が1番楽だ。
小学生の頃から知っていて、中学高校まで一緒だった女友達を大切に思っている。
もう少し歳を重ねたら、又友達が増えるだろうか。
未来に期待もしつつ、今の友達で充分だと思える私がいる。
究極、一人でも生きていけるように準備を整えている。
これも一つの終活なのかも…。
少し気が早いかな…?と晩秋に想う。
友の知る僕は僕ではない友は
承知で友でいてくれるのか
同級生らのグループLINEは未読のまま
懐旧トークにいだく違和感
#友達
久しぶりに思い出して戻ってきちゃった
このアプリを知って2年が経ってた
たった2年だけどいっぱい色んなことがあったよ
友達が出来たり、学校に少しづつだけど通えるようになったり、病気が良くなってきたり、いっぱいいい事あった
2年前は家にひきこもって死ぬ事ばかり考えて、これからどう生きるかなんて考えてなかった。どうせ中学卒業までには死ぬんだから考える必要なんて無いと思ってた
でも今は色んな人が支えてくれてる。もう独りじゃない。
まだまだ生きるのやだし不安なことはクソほどあるけど励まし合ったり、慰め合ったりしてなんとか今日を生き抜いていこうって思いました
幸せにはなれなくとも
前見て生きれるぐらいにはなってやりますよ!!!
大好きな親友。
お互い誕生日でもないのにプレゼント。
特に親友から私宛のプレゼントが多いけど
それは親友の感謝の気持ちだったり、愛情、気遣い。
いつも私が1人抱え込んでピリピリしてて我慢、頑張りすぎてるからの少しは手を抜くなり甘えるなりしなよ。
その言葉が何よりも嬉しくて:;(∩´﹏`∩);:
でも少し心が疲れてたんだ。親友がいなかったら
私もっと心疲れてお父さんと同じことしてたよ。
ありがとう。
私も親友が大好きだから笑顔が見たいからプレゼントを贈る(*´꒳`*)゚*.・♡
けどなんで私の男は私がいつもプレゼントするばかりで
私いつもプレゼントがないだろうか私はATMか?
もう男なんて……
特に君はクリスマス、来年誕生日プレゼントなしでもいいか?と考える。
愛の言葉よりも大事なもの。愛情表現の贈りも
君はいつ気づくかな?
友達
大学に入って私は初めて友達ができた。
高校まではそれなりに連む同級生はいたが、友達かと言われると微妙だった。
友達の基準はなんだかわからないし、
明文化しているわけではない。
だが、大学に入ってから確実に私は友達ができたという感覚があった。
こう言うのは個人の感覚に任されるものだが、
安心感が違う、というのが一番大きい。
それはその友人自身の器量の大きさもあるが、
それとはまた別に、忙しくて特に連絡しないときであってもひとつの連絡で直ぐに元の関係に戻り、私がおかしなことを言ってもそれを話せる。また、私も、友人がしばらく連絡がなくともいつでもそのタイミングを待てるし、どんな話でも受け入れられる確信がある。
この謎の確信と自信はほぼフィーリングのようなものではないかと思う。実際私と友人は、マンモス大学で苗字が隣で意気投合、その後も健康診断で後ろに並び偶然出会ったと思えば同じ語学クラスという奇跡の連続だった。なんとなく放課後浅草行く?と声をかけてみたら、あまりにも生い立ちが似ていて生き別れの姉妹?と疑うほどだった。
話が戻るが、この安心感は、誰でも出せるものではない。友人に限らず、人間関係を築く一つの要素としてかなり重要だと認識させられた。
昨今では、幼馴染効果が凄まじく、
生まれた地域や共に育った人間との関わりが最重要かのように語られる節があるが、私は真っ向から否定派である。
正直、地元なるものは親が決めた地域でしかない。それよりも、自我を持ち、自分が考えて決めた場所で、出会い、価値観を共有した相手の方がよっぽど深い関係になる。友達の価値基準を年月に置くのは、もっと人生の後半でもよいのではと予測している。
まぁ、たまたま私の人生はそう感じただけで、
幼馴染に奇跡的な出会いをした人もいるかもしれないけど。
この「友達」ひとつとってもさまざまな価値観と論争があり、中でもステレオタイプのようなものは影響力が強く頭を抱える。何事においても、自分はどうであるかが大切なのだと気付かされる。
友達
痛み止めだけど持つべきものは!
って言われないくらい自立していて
私が知らない私のことを知っていて
待ち合わせは遅れない
返信は怖いほど遅いけど
何回も数をこなす人
天才というよりもできない痛みまで理解した秀才みたいなもの
何もないところでコケてはいたけど
酷いことされても取り乱す価値もないというように冷めた目でみてた
正しいことをする間は私もヒーローを敵に回す自信がある
友達とは
長い間築き上げてきても秒で崩れるとても脆いものである。
知り合い・クラスメイトと友達の違いってなんなんだろう?って友達かクラスメイトの中間くらいの人と最近話してたんだけど、
その基準ってなんなんでしょうね?
テーマ・友達
またもや長期間書けてなかった…
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このアプリにとっては「友達」という単語は
たまたま今日だけテーマになったに過ぎないけど、
私にとって友達という物は一生のテーマである。
そのため、今回はいつもより内容が
辛気臭くなってしまうのをお許し願いたい。
これはあくまで主観で、恐らくは私自身にも色々問題があるのだろうとは思うのだが、ぶっちゃけ最近の人達が口にする「友達」という人間関係は、私から見ると薄氷のように流動的で壊れやすくなった様に思う。
SNSやネットなどで人と関われるツールが増えたのとは裏腹に、友人という物が使い潰しては消えていく消耗品みたいになってしまった様に感じるのだ。
自分と合わない事があればろくな擦り合わせもせずにすぐ離れ、代わりになる関係がどこでも幾らでも見つかるようなこの現代で、唯一無二でずっとお互いを信頼して一生関われると確信出来る友人を作れた人が、現在どれだけいるのだろうかと思ってしまう。
もちろんそんな中でも無二の友人を見つけられる人はいるのだろうとは思うが、私のようにそこまで人間関係を器用にやれない人間にとっては、常に今友人だと思ってる相手に他のもっといい友人が出来て、いつか切り捨てられる危険と隣り合わせになってしまった様に感じる時がある。
だがこれは単に私が陰キャであるが故のただの主観なので、きっと他の大多数の人間は普通に良い友人関係を築けていると思いたい。
カラオケ行きたい
受験終わったら行こ
_友達
友達
貴方にとって、私は
今も…友達でしょうか?
私は、ずっと貴方のことを
友達だと思っていました。
幼い頃は、一緒に遊び、学び、
大人になっても、
悩みを分かち合い、
共に過ごしてきました。
そんな中で。
私は貴方を、只の友達だと
思えなくなっていました。
ですが、この気持ちを、
貴方に隠しているのです。
もし、この恋心を
貴方に伝えてしまったら、
きっともう、
貴方とは、友達では、
居られないでしょうから。
だから、私は。
この想いを、心の奥に隠して、
幼い頃と変わらず、
貴方の友達として、
微笑みかけるのです。
貴方にとって、私は
今も…友達でしょうか?
貴女と友達になりたいと思ったことなど、ありません。
そんな関係では浅すぎる。もっともっと深く、離れがたく、分かちがたく、俺は貴女と繋がっていたいのです。