『友達』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あなたから不意に出る言葉でどれだけ傷ついたかわかる?
あなたからの何気ない言葉で救われたのかわかる?
傷つく事があってもやっぱりあなたたちと生きることをやめられない
#友達
数じゃなくて深度
時間じゃなくて密度
何だってありのままに語り合えることもあれば
あえて言いたくないこともある
私にとっての友達の定義
友達に向けるようなものではない目を、友達から向けられている。
そして、友達自身は無自覚であろうその視線を、満更でもない気持ちで受け止めている自分がいる。
僕たちはもう、友達のままではいられないかもしれない。
【友達】
友達に会う。その時間はかけがえのないものになっていく。
どんな関係だって、結婚していても、未婚であっても、同性でも、異性でも、仲良くなれば、皆友達になる。
友達になるのに年齢は関係ない。どんな出会いをしたかなんて些細なもの。
些細な切っ掛けで会話が始まり、気が合い始めて、仲を深めていく。一方的に話すのではなく互いの話を聞き合うために。
時には沈黙することもあるだろう。でも、沈黙したからといって友達じゃない訳ではない。
再び話し合う時を待つのも、また友情なのだからーー。
友達か〜
いるっちゃいる
でも、今周りにいる人たちは
気使うしかないかな
私は友達がいない。
本当にひとりも。
子どもの頃はたまに遊んだりする子もいたけど、今思うとそもそもその子も友達だったのかわからない。
小さい頃から場面緘黙症でまともに話せないのに仲良くしてくれて、恵まれた環境に居られたんだと思う。
でも長い間まともに人と会話出来なかった事の影響が大きすぎて、大人になっても人との会話が苦手過ぎる。
声の大きさも話す時のテンションもたまに間違えてる気がするし、会話も続かない。
たぶん私は、「話す」ことに人よりも努力とエネルギーが必要なんだと思う。
あなたが
笑ったらつられて笑う
泣いていたら悲しくなる
怒ったら負けずに怒る
あなたの声が私の重力を軽くする
寂しい時には寄り添って
ただ相槌を打つだけで軽くなる
あなたがわたしを救うから
わたしもあなたを救いたい
そういうことだ
つまりは友達
あなたの名を呼ぶほど離れがたくなる関係に名前を付けて。
一緒に過ごすだけで心が軽くなる、たとえ人間ではなくてもそれは友達だと呼んでいます。私だけがそう思っていたとしてもずっとあなたに救われ続けている証として、その関係に一方的に友達と名付けるのです。
友達
一生の付き合いかもしれないから
出会った友達は大切に
そして自分も大切に
「友達」
ともだちってなんだろう?
学生の頃は毎日一緒にいる人
社会人になってからは
久しぶりに会っても
昨日も会っていたかの様に話せる人
子どもが生まれてママ友できて
ともだちってなんだろうって思うときがある
友達
何年も会えなくも
会うと昨日会ったみたいに
話が弾む
重くなりすぎたくないし
気を使わせたかもない
返事がない時は
忙しいからだなぁ
と思う事にしてる
相手が自分をどう思っても
大好きな存在それが親友
さよなら大好きな人、ずっと大好きな人…
あの有名な歌をたまたま聴いた時、私は真っ先に喧嘩別れした友人を思い出した。
酔ってんじゃねぇよ。それが感想だった。吹っ切れた瞬間でもあった。
…決してこの曲のネガキャンではない。
10年来の友人だった。何をするにも一緒だった。
共通の友人達からは「熟年夫婦みたいだ」とさえ言われた。
だがある日「そういうのやめてや」という何気ない私の非難に、過敏に反応して逆ギレに逆ギレをかましてくれた。
「私も悪かったです。でも—」からの言い訳があまりにも保身に走った内容過ぎて、謝りたいのか私を非難したいのか全くわからなかった。
親友が話の通じない宇宙人に変わり果てた絶望感たるや。
挙げ句の果てに「縁を切ってくれて構いません」という何様だ?という迷言さえ吐き捨てられた。切りたいならオメェが切れよ。そうやって責任をこっちに押し付ける所が卑怯なんだよ。それが本音だった。でも言えなかった。
本音を言い合えるのが親友だと思っていた。
でも現実は言いたいことの三分の一も伝わらない。…懐メロばかりを例に出して申し訳ない。
大体うまく行ってる友人との会話は、8割私が聞き役で本音の殆どを飲み込んで口滑りのいい事を言っている事が多い。
多分それは相手もそう思っていて、持ちつ持たれつなんだとも思う。
そういう関係性に不満があるわけじゃない。時間を共有出来る上部だけの存在って大事だと思う。
それが大人な交友関係なんだと思う。
ただその根底が崩れると、上記のように拗れてコケる。コケると結構疲れる。私は人間として生きるのに向いてないのかなとさえ思う。
私が本音さえ言わなければ、拗れることはない。簡単だけど、結構しんどい。
そうした瞬間に思う。友達ってなんだろう。
少なくとも私には”疲れる”要因なのかもしれない。
……なんてね。まぁ冗談なんですけど。
≪友達≫
【友達】
年齢も性別も
性格も趣味も
出身も環境も
バラバラだけど
みんな友達
俺ラッキー
この想いを伝えたら
友達ではなくなるかもしれない
究極の2択
あの人に想いを伝えて
良好な友人関係から恋人の関係になるのか
良好な友人関係から気まづい関係になるのか
どちらに転ぶか分からない
どちらにせよ伝えたら今までの関係性には戻れない
想いを伝えたいけど伝えられない葛藤
迷っていたらあの人の方から想いを告げられた
とても嬉しかった
晴れて友人関係から恋人関係へ
勇気をだして想いを伝えてくれてありがとう
「疑問」
ふと、考えるんです。
友達ってなんだろう、って。
頻繁に連絡する人なんていないし、誰かと遊びに行くこともない。
誘われれば行くけれど、自分からは誘わない。
誰かと何処かに行くよりも、家でゆっくり自分の時間を過ごすことの方が好きだから。
あと、自分が友達だと思っていたとしても、相手が自分のことを友達だと思っていなかったら嫌だから。
『私たち友達だよね』と言ったとしよう。
仮にそれに対する返事が『え?私友達だなんて思ってないよ』だったとする。
こんなこと言われたら、100%傷ついてしまう。
だから、最初から傷つかないように防衛線を張っておく。
でも、防衛線を張っておくことで逆に悩んでしまうこともある。
『友達だと思ってなかったの?』って言われた時。
こっちは友達だと思いたいけど、相手が思ってなかったら怖くて友達だと思えない。
でも、友達だと思ってなかったら、相手が傷つくのはそれはそれでこっちも辛い。
悩めば悩むほど分からなくなって、気づいたら数時間経っていたり涙が出ていることがよくあったりする。
友達ってなんだろう。
ほんと、分からない。
テーマ:友達
※語り
いつか忘れてしまうなんて
思ってもみなかったんだ
すごく大切な友達だったはずなのに
名前も顔も思い出せなんて
思ってもみなかったんだ
(友達。)🦜
あのね
僕は・・・ね。
静かに物思いに
耽るのが
好きなんだよ。🦜
(でもね)
「友達なら
沢山居るんだよ。」
・雲雀しゃん。
・田雲雀しゃん。
・四十雀しゃん。
・山雀しゃん。
✣一番綺麗な
友達なら、
孔雀しゃん、かな。🦜
✣珍しい
友達なら
金糸雀しゃん、かな。🦜
《カナリヤ》しゃん、
の方が解りやすいね。🦜
【でも、一番の仲好しは
・娘すずめ、しゃん、
なんだよ。
女の子の、せいも
有るけどね。】
❝怒ると、一番怖いけど
其れは、内緒にしてね。❞
友達」
勝鬨を上げる薔薇「一緒にトイレに行く人のことではないわね。」
薔薇の兄「耳を澄ませてくれる人が良い」
薔薇「後始末をさせられる為の保険にされるのは御免」
兄「一緒にスープを飲む間柄が良い」
薔薇「もしあなたが何処か遠い異国の果ての涯に旅をして、遠い空の雲をカメラに収める。そこには電波が通ってなくて、生憎出国はまだ出来そうにない。ホテルのラウンジであなたはこのポラロイドを誰に見せようか?
或いは自分の為だけの空にするか?
暫しの間、珈琲を飲みつつ考える。
あなたの手帳には一つの住所が書き留められている。
それは何故か?
あなたは漸くそのモノクロームのポラロイドをどう処理するかに気がついて珈琲を飲み干し、付箋を取りに立ち上がる。」
Aftur að þessu sinni
身を落とし 初めて気付く 恵まれし 友に縋りて 良心知りぬる
友達とは、都合のいい関係である。互いに利用し合い、時には騙す。ある意味、助け合いと言えなくもない。どこまで、行っても他人で、一方的に大事な友達だと、思っても向こうしたら違ったことなんて、多々あるのだ。仮に、真に友達だったとしても、時間が過ぎれば、思いは薄れ、友達からただの知り合いになりざがるだろう。もし、一生互いが友達だと思い合い続ける関係があるのなら、ある意味、奇跡の関係なのかもしれない。
友達になりたい
嫌だったことを一番に打ち明けて
おかしかったことを笑いながら耳打ちしてほしい
友達になりたい
友達になりたい
友達になりたい
本当の事なんてどうだっていい
思い出すたびに胸がえぐれてしまうよ
一番そばで
友達で