『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
"友情"に苦しめられた事を数えればキリがない。
仲間意識なんてあればあるだけ自分を縛る。
そのくせ脆すぎる、対価に見合ってない。
誰かと一緒にいる温度に慣れてしまったらもう遅い。
氷水のような孤独が辛いから渋々ぬるま湯に浸かりに行く。
でもその中にひと握りだけ、ほんとに少しだけ、縛られても良い、温泉のような快適さを持つ関係がある。
そんな稀少な関係を求めて、私は明日も"友情"というものを喜んで受け入れるのだろう。
10.友情
「友情」。これを見ると私は少し胸が苦しくなる。
多くの人がこの単語を見て連想する言葉があるだろう。
私の頭の中には、青春という言葉が浮かんだ。とても単純じゃないかと馬鹿にする人もいるかもしれない。だがこの言葉は私の人生にとって大事なものだと強く感じる。
「友情」
友情ってなんだろう。
学生の頃は、クラスメイトとか部活とかで友情が、芽生えていたと思う。
大人になってから、職場とか趣味の場とかで、友情って感じない。
何が違うんだろう。
「まさか、お前が死ぬなんてな。」
彼の墓石に向かって言った言葉は、虚しく宙を舞った。
俺と彼は幼馴染で、幼稚園からずっと一緒だった。そのせいか、俺の横に彼が居るのが当たり前になっていた。
「ずっと親友だよ。」
そう笑顔で言う彼は、もう俺の記憶の中にしかいない。
「俺さ、お前が嫌いだよ。」
今更何を言っても、無意味なのに。それでも、何となく言いたくなった。
「天才なお前に付いていこうと、必死に頑張った。でも、お前はどんどん先に行ってさ。」
勉強・運動・人間関係、どれに置いても俺は彼には勝てなかった。それが腹立たしくって、うざったくて、大嫌いだった。それなのに、いつも俺に差し伸べてくれる手が温かくて、嫌いになれかった。どうせ俺は中途半端な野郎だよ。でも、それはお前もだろ。俺を惨めにするだけで、見捨てなかった。いっその事、見捨ててくれたら楽だったのかな。
「俺はまだ、お前に勝ってないのに。逃げやがって。」
涙が溢れた。悔しい、寂しい、色んな感情が頭で回った。
「ずっと親友なら、ずっと傍に居てくれよ。」
あれから一時間ほど、彼の墓石の前で泣き続けた。そのせいで、目が痛い。俺は持っていた、ライラックの花を乱暴に彼の前に置いた。
「いつか絶対、お前に勝ってやるからな。」
俺はそう吐き捨て、その場を去った。
俺達の間あるものは、友情か劣情か。今の俺には分からない。しかし、きっとこの得体のしれないものを、人は絆と呼ぶのだろう。
嬉しいときに一緒に喜べること
悲しいときに一緒に泣けること
笑顔を見れるのが嬉しいこと
離れていてもいつも思っていること
連絡や会いたいに理由がいらないこと
助けて、と言えること
いつでも飛んでいけること
いつでも頼ってほしいと言えること
幸せを願うこと
ただただ健やかであってほしいと祈ること
そんなふうに、お互いを想えること
それが嬉しくてたまらないこと
いろんな長さの糸が垂れている
何本も、何百本も、一億本も。
そんだけひしめき合ってるもんだから、
あっちこっち絡まっている。
縺れて、拗れて、
それでも寄せ合っている。
綺麗に梳かさないでね。
【友情】
お題『友情』
俺達の間に友情なんてない。ましてや仲間意識があるかどうかもあやしい。そう思っていた。
俺は今、アイドルという立場に甘んじているけど、本当はもっと有名になるために利用しているだけだ。このグループもオーディションで選ばれた五人が寄り集まっているだけ。お互いに示し合わせてYoutubeチャンネルとか、Twitterで仲いい風を装うが、楽屋ではあまり喋らない。皆、俺と同じ気持ちだからだ。要するに皆が皆、他のメンバーを出し抜いて自分が有名になりたいと思っている。
そんな俺達をマネージャーや事務所の社長は見抜いていたのだろう。
プロのダンサーやボイストレーナーによるレッスンを半年間みっちりやって、プロや事務所の関係者、それからファンによる審査に合格すればメジャーデビューさせるとのことだ。
メジャーデビューすれば、テレビにたくさん出してもらえる。
俺は最初、かくれてマネージャーに反発した。俺が目指しているのは俳優であって、歌手でもダンサーでもない。小さくても良いから舞台の仕事を増やせないかと言ったが却下された。
「アイドルの仕事を頑張れば舞台に呼ばれるし、ゆくゆくはドラマ出演も夢じゃない。だけど、やらなければお前はその程度の人材ってこと」
と言われて、いらだちとともにしぶしぶ参加した。正直、歌もダンスもそこまで得意ではない俺は皆の足を引っ張っていた。
ここでグループは崩壊するだろうと思った。だが、メンバーの中にダンスと歌がそれぞれ得意なやつがいて、先生がいなくなった後も俺の練習に付き合ってくれた。
お互いがお互いのこと、どうでも良かったんじゃないのか。
そんな言葉が口から出そうになる。
だけど、誰一人嫌な顔をせずに付き合ってくれた。それがなんだかいつも申し訳なくて、迷惑かけないように一人でもあいた時間はずっと練習を続けた。
審査ライブの前日、皆で集まって居酒屋で酒を飲んでいると俺の隣に座っているメンバーの一人が泣きながら言った。こいつは一番俺のダンスに付き合ってくれた奴だ。
「俺ぁ、お前等のこと大好きだからよぉー! ぜったい、ぜったいに成功させようなぁー!」
そう言って、そいつはジョッキのビールを一気飲みした。わりとふざけたムードなのに誰もそいつをいじれない。俺もそうだ。なんだかその言葉にどうしてかぐっときてしまった。今となっては俺も、多分メンバー全員そうだと思っているけどちゃんと仲間だと思ってるし、もう友達だと思ってる。
俺は隣のそいつにくっついた。酔っているからということにしてほしい。
「あぁ、絶対成功させよう。俺、一番皆の足引っ張ってきたから本番失敗しないように頑張る」
「足引っ張ってるとか思ったことねぇよぉぉぉぉぉ!」
すごい力で体を抱きしめられ、頭をわしゃわしゃやられて、髪がぐちゃぐちゃになる。他のメンバーが皆笑ってる。そんななかで俺はなんだかエモい気分になってすこし泣いた。
「あーあ友情ってなんなの」そんな事ばっか考えてしまう
理由なんて無いし心のどこかでいつも思っていた。
学校行っても、友達と遊んでいても。でもね
時々、友達がいて良かったって思うときもある。「私」にうまれてきて良かったって、生きてて良かったって。
縦読み(漢字も始めだけ)
時々会って、遊んで、笑って、酒飲んで別れる
友達との付き合いなんてそれでいいじゃないか
先が長いか短いか、なんぞ俺達が知るわけもなし
そんなら今、とことんバカをやろうじゃないか
誰がポックリ逝ったとしても
惜しいヤツを亡くしたと泣いて
それでもやっぱり笑って送ろうじゃないか
これを見るかもしれぬ我が友よ
これからも、どうぞよろしく頼む
お題:友情
友情
相手のことに深入りし過ぎず、干渉されすぎない曖昧だけれど、簡単には消えないもの。
気楽で良いと思う。けれど、私は少数でいいから、友情以上恋情未満の関係が欲しい。
・2『友情』
オオヤマツミが山菜とかキノコとかすごくくれるから
乾燥させておいたんだよね。
燻して使うとカレーに深みが出るんじゃない??って。
オオヤマツミ天才かよー。
揚げた蓮とか生姜もいいんじゃない
とか色々言いながら楽しくカレー作りは進んでった。
酒も用意してくれて。
持つべきものは友だなー。
ニニギが途中見に来て不味そうって言ってきたからしめといた。
何様だよ。
【続く】
「友情」2022/07/25 07:53
私がこのアプリを始めて使ったタイトル
2年ぶりに帰ってきた。
前回は1週間も続かなかった
消してはなかったけど
本当に買い切り型の広告消しコース欲しい
さてさて
友情。
この人の為になら一肌脱ぐっていう情
そういう付き合いできてるかなあ
#友情…
父の言葉が蘇る…
『自分が困っているときに、気遣ってくれる友達を大切にしなさい』と。
良いときばかり集まって上辺だけ仲良くして
何かあるとササッと居なくなる
そんな知人をたくさん見てきた
外見が硬そうだからと
壁を作られ
困ったときだけ扉が開いて招かれる
なんて勝手な人達
寂しくて
友達がほしいと思ったこともあったけれど
もう上辺だけの友情はいらなの…
友情
不思議な友情だと思っている。
その子はある日突然現れたblueのマントを纏ってけれどそのblueのマント以外なにも知らなかったけれど遠い昔から知っていたようなそんな気になるblueのマントに隠れた顔も声も知らない子だった。
わたしたちはこの仮想空間の中で出会い互いの趣味を知り語り合う、またここでと約束もせず
それでももうかれこれ6、7年はそうして続いている勝手に友情を感じるblueのマントの名も知らぬ顔も知らぬ本当のところは何も知らない、けれどここで語る君も本当の君だと信じるワタシをワタシは信じる。
何時までもそこに行けば会えると思っている
blueのマントを纏った君に。
きっと、友情は友に抱く情なので見返りなんて求めないから友情なのでしょう、共に抱く情みたいに見返り求めるのではなく友に抱く情それが「友情」ってものなのでしょう。
令和6年7月24日
心幸
友情
久しぶりに友達に会った。
服を買ったりカフェに行ったりした。
友達は帰って行った。
一人旅は慣れているつもりだった。
古着屋は気に入った。
また行こうと思った。
それなのに1人で行くのは寂しくて
もう会いたくて
今まで深い友情を築いてきた友達っていなかったけど
高3の今ようやく
今後も仲良くしたいと思う人に出会えた
世の中には、色んな種類の情があるけど、その中で友情は少し苦手だ。
愛情や同情なんかは、1%から100%まで、自分の思った通りの分量を素直に表現する事に抵抗はない。
でも友情は違う。
相手がどの程度、自分に友情を感じてくれているかを推し量ってしまう。
同じだけの分量で返そうと、ついバランスを取ろうとしてしまう。
傷つくのも傷つけるのも怖いのだろう。
相手を信頼して、ストレートに友情を表現出来たらいいのに。
「友情」定義がなく、学校の道徳でも出てくることはきっと多いだろう。
そんな道徳の授業ではその定義について書くことも少なからずあるはずだ。そんな時、これを見ている人はどのように書いているんだろう。
年齢によって異なるだろうが、例として挙げられやすいものは「信頼し合える」「助け合える」「一緒に居ると笑える」「安心する」など、夢のような関係性だ。
もちろん、そういう関係性の人達が存在していないわけじゃないと思うが、滅多に居ないと私は思う。
だが、それでは夢がない。
ならば私はお互いが友達と思えるなら、利用していても騙していても友達なんじゃないかと思う。
でも、その考えはあっさりとしすぎている。冷たい、関係が浅いなどの印象を受けることがある。
友情は定義が無い。だからこそ、難しく色んな意見が出る。みんなはどう思うんだろうか___
友情
何があっても信じて待ってくれる人たち。
急に連絡が来たり、
急に連絡したくなる人たち。
いざとなったら助けてくれる人達。
そんな人達との交流。
友情。
友情なんて言葉、暑苦しいなと思って遠ざけてしまっていた。そばにいてくれる友達も、どこか当たり前のように感じていた。
しかし、みんな大人になれば離れていく。あんなに仲良かった友達も、いつしか会わなくなってくる。
あそこには確かに友情はあったのに。
後から後悔しても遅いのだが、先に後悔することはできない。無くした後に気づくものだ。
あの時、確かにそこにあった友情に気づけていたら。
当たり前だなんて思わず、ありがたみを噛み締めれたのかな。