「友情」定義がなく、学校の道徳でも出てくることはきっと多いだろう。
そんな道徳の授業ではその定義について書くことも少なからずあるはずだ。そんな時、これを見ている人はどのように書いているんだろう。
年齢によって異なるだろうが、例として挙げられやすいものは「信頼し合える」「助け合える」「一緒に居ると笑える」「安心する」など、夢のような関係性だ。
もちろん、そういう関係性の人達が存在していないわけじゃないと思うが、滅多に居ないと私は思う。
だが、それでは夢がない。
ならば私はお互いが友達と思えるなら、利用していても騙していても友達なんじゃないかと思う。
でも、その考えはあっさりとしすぎている。冷たい、関係が浅いなどの印象を受けることがある。
友情は定義が無い。だからこそ、難しく色んな意見が出る。みんなはどう思うんだろうか___
7/24/2024, 2:55:38 PM