『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
友情
私は、みんなと少し違って友達ができると抱き着いたり近くを歩いたりしてしまう。でもそれが嫌だと感じる人もいることを知ってなるべく気を付けてきた。そんな時、部活で仲良しの人ができた。今まで誰にも言えなかった悩みとかすぐに依存しちゃうとことかも話せるほどになった。私の依存しちゃうとこを受け止め支えてくれた。今思えばこの時が1番幸せだったのかもしれない、、
中学生にとって階段は悪口のたまり場だ。いつもなら、あんまり立ち入らないがその日はどうしても通らなければいけない用事があった。気にしないようにして通るつもりだっ
た。そこにその子がいることに気づくまでは
とっさに隠れて、息を殺しその声に耳をすませる、
「アイツウザくね」
時が止まった気がした、すべてが崩れ落ちた今まで私に見せてきた笑顔が偽物だと知ってあの子を信じることが出来なくなった。
あの日私は、友情の脆さを知った。
「友情」
女の子の友情は薄い。仲良く見えてても心の中では何を思ってるのか区別できないもの。
でも全てを知ろうとしなくてもいいも思う。
人には、皆個性があっていいところ、悪いところが存在する。時にぶつかって、時に泣いて 笑いあってそれが友情というものだ。
無理にぶつかろうとしなくてもいい。割り切ってこういうところもあるけど一緒に居てたのしいならそれでいいじゃないか。
人生で必要なものは何だろう
金があれば幸せだろうか
必要なものであるが
貧乏でも幸せな人はいる
人間関係が重要なファクターである
金や結婚があっても不幸な人はいる
一人一人幸せの形は違うのである
自分の幸せを見つけ磨かなければならない
そこには必ず人間関係がある
努力する価値があるのである
「友情」
友情とはいつの間にか出来ていていつの間にか大切なものになっているもののことを言うと思う。
貴方が私を必要としてくれれば私も必要とする。
誰かに必要として貰えるそれだけでいい。
それだけで私は幸せなの。
友情
育むもの
時間をかけて
と、思ってる
好きな友達はいるけど
そうそう友情を育んで来たと言える人は少ないんじゃないかな。
女は特に、そのときその場所にいる人と過ごすようになるから。
死ぬまでにそう言える友達を得る出会いを大切にしたい
#47 友情
友だちって
たとえば空のような
そういう類のひとつ同じ屋根の下で
実は一緒に暮らしていたりする
そんな関係性の人を言うのだと思う
知りたい気持ち
知ってこそより好きになる気持ち
そういう感情の存在も解っているけど
わたしは
相手を知りすぎない状態も
同じくらい好きだし
大切にしている
たまに共有する時間に垣間見える
そこはかとない味方感に
心がすっかり
頼りにしてしまうことがある
そういうのがうれしくて
たまらなく好きだ
そしてわたしも
限りなく同等な近しいものを
与えられているのだと自惚れられる
それもまた、うれしい
すこしだけ遠くにいる
わたしの幾人もの友だち
また近々、もしくはちょくちょく
小さな屋根の下でおしゃべりするのだ
それにわくわくする日々こそ
友情を育む日々
何も無いから何もできない、動けないだけなんです。
あなたが僕を刺してくれたら僕は痛みに泣き叫んで生きていることを実感できるんです。あなたが僕を好きと言ってくれたら僕は気持ち悪さで吐き気をもよおして、心を実感できるんです。
天使が見えたなら涙を流せるし、神が見えたなら血を流せるんです。何も見えない。だから何も起こらない。
僕だって変わりたいんです。邪魔されないから苦しいんです。
『友情』
見えないもの。
お互いがどう思っているか確かではないもの。
その時に
気が合う、
分かり合える、
一緒にいて楽しい、
一生の関係でいれそう、
いくら連絡を密にとっていていつも会っていても
一生続くとは限らない。
かと思えば
連絡を取り合っていなくても、
なかなか会えていなくても、
お互い想い合っているなと思える人もいる。
不確かで見えないけれど、
それがあると1人じゃない、
わたしのことを気にかけてくれる人がいる
って心が温かくなる。
自分を友達と思ってくれる人は大切にしたい。
2人は覚えてるかなぁ
俺は全部思い出せるよ
それが俺の全部だから
何年も会ってなくても、
たまにしか連絡とらなくても。
不思議と、
確かな友人だと思える。
#友情
-友情
桜にはまだ早く、体育館の窓から白梅が覗いたあの日を忘れることはないでしょう。
桜は一足早く咲いた白梅に嫉妬するかのように蕾を膨らませました。
もう学舎には戻れないけれど、なんでもないことで永遠に笑い合えたあの気持ちは忘れないで
〖友情〗
友情って難しい。
私は友達と思ってた人から何度も裏切られた。
利用もされた。
楽しい時だってあるけど、、、
だから難しい。
信じても信じても裏切られる。
お題「友情」
幼稚園、保育園に始まり
高校、大学と出会っては別れ
その都度友と呼べる相手がいて
確かに友情と呼べる関係もあった
けれど社会人になって
それぞれの環境や立場に忙殺され
それは随分薄くなってしまった
確かに友情と呼べるものはあったのに
私にはそれを残せなかった
おんなじ日の朝と夜に、僕と君は生まれた。
僕のほうが少しだけお兄さん、ちっちゃくて可愛い弟分の君の寝顔を、眺めているうちにウトウト。生まれたばかりだもん、まだ眠いの。
君はちっちゃいのにもうお喋りさんだ、僕ビックリして飛び起きちゃった。
ミルクをたくさん飲む君を見ていたら、僕もお腹が減ったよ、ママ、ミルクちょーだい。
緑と白、広いお外は、何だかへんな臭いがする。
君はまだお家の中に居なきゃ駄目なんだって、だから君の分も僕が楽しむよ。
はやく君と駆けっこがしたいな。
だから、はやく大きくなってね。
君のホワホワの尻尾を食んだら、君のママに鼻先を引っ掻かれちゃった。
テーマ「友情」
#友情
最近SNSでたくさんの人と繋がった。
繋タグって言うのかな。同じ好きな物の中でのお友達探しをするタグで繋がれた。
好きな絵師さんや文字書きさん。
ありがたいことに繋がってくださる方が沢山いた。
だけど、少しだけ気になることはなんで僕みたいなやつと繋がってくれたんだろう。
最終的にあんまりお話出来てない方も沢山いる。
いや、僕が発信しないことが多いからかもしれないけどさ。
僕から絡みに行くのは良いんだ。楽しいから。
だけどたまには絡んできてくれてもいいじゃないか。
なんて、SNS上での友情なんか成立するわけないか。少なくとも僕は成立させられないんだ。
だって、現実でさえ友達が少ないんだもん。
顔が見えない人との関わり方なんて尚更分からないよ。
『国境線上』
国境線の上 寝転がって ブリーチで白くなった月を見上げる ここから先は目の敵 もしくは心の友人か
世界の掟は虚しいものです 人間様もそれと同様 屈託の無い子どもたちが 国境線上でゴム跳びしている
僕らより ずっとずっと仲良くしながら
過大評価は苦手だ。
いや、喜ばしくは有るけど。
「リオちゃんは凄いから出来るよね?」
と、圧をかけられているように
感じるのである。
私の勘違いであろうけど。
だからこそ私は、
「こんなの出来無ぇだろ(笑)」
と罵られる方が好きだ。
───興奮しているのも、あるけれど。
「ありがとう!」
そう笑顔を向けてくる。
「友達で本当に良かった!」
おまえがそう言うたび、俺がどんな気持ちになっているか知らないだろう?
困ったら当然手を差し伸べてやる。でもそれは、本当は――。
わかっている。この想いが報われないことくらい。
おまえは俺に向かって友情を感じてくれているけど、それが一方的なものだって俺だけが知っている。
「友達って難しいな」
俺はそう呟いて溜め息を吐く。
その溜め息の理由を、おまえが知ることはきっとこの先もないのだろう。
それでも、これからもおまえの望み通りに友達を続けていく。俺に友情を感じてくれている限り、俺達は友達だから。
『友情』
友情、、友達が便利な用に使われるのは気に食わん
友情とは何なのかも分からなくなる、
人はみんな友情を裏切る
手をふりほどきたくなるのは追いかけてほしかったから、でも友だちは友だちで、そこに過剰も不足もなくて、きみとわたしとの間に花を植えてはいけないから、みじめな恋はここで殺しておく