『何もいらない』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「消えたい」と
「何もいらない」は
どこか似ていて
空っぽの底に残った
干からびた夢や
絞りきった絶望が
自分や誰かに届くように
必死に
声を上げているのだと思う。
『何もいらない』
ただ、心が欲しい
青空のように広く、澄んだ心が
太陽に向かって、まっすぐと伸びる
向日葵のような心が
自分の知らないことに
子どものように、ドキドキワクワクできる心が
それ以外、今は、何もいらない
【何もいらない】
私は、とても傲慢なので、たくさん欲しいものがある。
読みたい本、観たい動画、習いたい学問。
食べたい料理、撮りたい景色、書きたい言葉。
知りたい情報、歌いたい音楽、聴きたい声。
行きたい場所、乗りたいアトラクション。
着やすい服。忘れたくない思い出。大切な宝物。
気の合う友達、ちょうどいい孤独、必要最低限の金。
尽きない想像力、ダルくない優しさ、それなりの愛。
欲しいものが多すぎて、困ってしまう。
だから、「何もいらない」なんて、いらない。
「何もいらない」
2人で居た時は、あなた以外はと、そう思っていた。
「何もいらない」
去り際にあなたは私のことをそう呼んだ。
「何もいらない」
あの頃の私は、あなたにそう言ってやることが出来なかった。
何もいらなかったのに
私はあなたを欲しがりすぎた。
今、それは愛とは呼べなかった
#何もいらない
有限とも無限とも取れるこの時間および空間に、囚われている自分。数多の座席や机が存在するこのだだっ広い空間において、自分はなぜ後方、そして真ん中の逃げ場のないポジションに吸い寄せられてしまったのか。果たしてこれは神の因果なのだろうか。
夏日。そう、今日は夏なのだ。4月も中ごろ。桜の花びらが舞い落ち、新緑の衣へと装飾を変える。そんな季節になぜ、夏が来るんだ。日本人への冒涜だ、許さない、地球温暖化。
そういうわけで、後方という満員電車状態になる座席の真ん中に座ってしまった自分は、終わった。
「何もいらない」
空腹で飢え喉の渇きに苦しもうとも
何も欲しない
ただの安息すら
私は苦しむべき存在である
#78 至福
ビールと餃子と
推しのアニメで
労う週末
もう何もいらない🍻💕
お題「何もいらない」
何もいらない…
何もいらない…
テストなんて…
何もいらない…
『何もいらない』
⚠閲覧注意⚠
( 鬱、病み etc )
「あの方、心を病んでしまったそうよ」
「お仕事にも行けずに引きこもっているそうね……」
「あの2人、とても仲の良い夫婦でしたものね」
「えぇ。 可哀想に……」
みんなは僕を可哀想だと言う。
ご近所さんや友人、家族。様々な人が、そう口にする。
僕にはその意味が理解出来ない。
だって、僕には優しくて可愛い妻がいるから。
妻がいるから、毎日毎日笑顔でいられる。
妻がいるから、毎日が幸せで溢れている。
妻がいるから、どんなに苦しくても頑張れる。
こんなに幸せなのだから、可哀想なわけがない。
妻がいれば他に何もいらない。美しい光を放つダイアモンドも、高級な布を使った洋服も、何もいらない。
僕は妻がいるならそれでいい。
妻だけが僕の生き甲斐だから。
#生き地獄か天国か_④
──── END ────
皆が安心して生きられる世界を下さい。
皆が安心して笑顔になれる世界を下さい。
どうか、この願いが神様へ届きます樣に。
自分で放った言葉が身に響いて
苦しくて息が出来ない。
何をしてもかき消せない。
振りまく笑顔はまるでジョーカー。
ブンブンうるさい蜂から逃げている。
いつか針で刺されてしまうのではないかと。
だから足も腕も切り捨てた。
私には何もない。
逃げられない。
突き刺さるような熱い太陽光に曝されて、湿ったハンカチを扇子代わりにしながら、陽炎揺らめく交差点に歩を進める。
車道との境界に植えられたツツジの白い花に元気を貰いながら、あと少しあと少しと、人通りの少ない歩道を歩く。
舗装が簡素なものに変わり、少ししたところ、木々の合間に石の鳥居が見えてきた。
手前の自販機でメロンソーダを買って、プシっとキャップを開けて呷る。いきかえる。
鳥居の前で一礼、石畳の端を歩く。
ひんやりと涼しい空気に、まるで別世界のようだとググーっと背を伸ばす、ついでに欠伸も一つ。
誰もいない、静かな神社の境内をのんびりと回る。
本坪鈴をカランカランと鳴らして、一礼二拍手一礼。
お願いごとは、特にない。
テーマ「何もいらない」
何もいらない
もう何もいらない
親友も恋人も、素敵な家族でさえ
もういらない
どんなに大勢で写真を撮ろうと、
いつだってレンズにうつるのはただ1人
人生は孤独
気づかずに生きていられたら
どうしてこんなに早く気づいてしまったのか
もう少し幻想の中を歌いながら駆け回りたかった
神様、どうして私に目を与えたの?
どうして耳を与えたの?
どうして口を与えたの?
私にはどれひとつ必要なかった
何もいらなかった
見たくなかったあの景色
聞きたくなかったあの叫び
言いたくなかったあの言葉たち
全てを無くしてしまえば
きっと傷つかない
きっと、それには遅すぎた
もうこれ以上、
何もいらない
欲にまみれている。
欲しいものは次々と浮かび、
欲しい体験を心が渇望する。
クレジットカードは真っ赤に塗り重なっていく。
何をすれば空虚が埋まるのか
誰がいればほしいものはなにもないと言い切れるのか
何かを全て無くした時にそれはやってくるのか
それとも満たされて溢れかえった時にくるのか
好奇心が枯れ切るのを今はただ待つしかないのか
今、後味は苦しみだけ。
もう何もいらないわ。
そう言った彼女の周りには絢爛豪華な品々の数々が所狭しと並べられていた。
高級な調度品。
きらびやかなドレスにアクセサリー。
美味しいお菓子やジュースに、愛玩用の子犬や子猫まで。
あらゆる物が彼女のために用意された。
あらゆる物が彼女の望みのままにあった。
それなのに。
だって、何を並べてもつまらないんだもの。
何もいらなくなるほど満たされても。
彼女の欲は満足しない。
【何もいらない】
『何もいらない』
「愛も友達もいらない。」
「何もかも離れていくから。」
そう呟いた君は寂しそうな顔をした。
何もいらない
「君さえ居れば何も要らない」
幼い頃はそんな台詞に憧れた。
そんな台詞を言われてみたいと思ってた。
でも、そんなのは体のいい子供騙しで
いつかに観たドラマの純愛とはほど遠かった。
王子様、おうじさま、
いつか白馬に乗って迎えに来てくれるんだと
信じてやまなかった頃に戻りたい。
初めて好きになったあの子のこと
あれはまさに純情だった。
あの頃に戻れたら
好きな気持ちを伝えられてたら
なにか変わったのかもな。
「君さえ居れば何も要らない」
そんな気持ちが自分の中にもあったこと
それは紛れもない事実だった。
【何もいらない】
万年筆さえあれば、他の筆記具はいらない。
手書きの原稿を書く機会が多かった私は、割と本気でそう思っていた。鉛筆やシャープペンシル、ボールペンなどなど、一般的によく使われている筆記用具を用いておっそろしく筆圧が弱々な私が書いたものは、かすれていたり薄かったりしていることが多く、見返した時に非常に読みづらくて嫌だった。
そんな私にとって、万年筆は 「(筆圧的)弱者の味方」だった。どんなに少ない力でも一定量のインクが出るので、書くことそのものがとても楽しくなった。
私が万年筆にハマったきっかけは、あるCDのジャケット写真に写っていたアーティスト直筆の手書き歌詞だった。リリース後のラジオ番組で、アーティスト自身がその写真に関するエピソードを披露してたと知人が教えてくれた。机の引き出しに眠っていた万年筆を取り出し、一文字に5分くらい時間をかけて丁寧に書いたものだったそうだ。
憧れの人で同じものを使ってみたいという、とても単純かつ純粋な乙女心(自分で言うのもアレですけど)から私は万年筆と巡り会うこととなる。最初に手にしたのは定価1,000円と安価なものだったが、とても書きやすく相性がよかった。たまたま近くに万年筆を多く扱う店があったこともあり、詳しい使い方やより深い楽しみ方を知ってしまってからは驚くほどのハイペースでペンとインクが増えていった。
で、冒頭のような思いに達したのであったが最近になって少しだけ変わり始めている。というのも、この春から新しい仕事で4Bの書写鉛筆なるものを使ったところ、これが大変使い心地がよくて。以前使っていた鉛筆はHBやBあたりで、初めて使った4Bは力を入れなくても濃い黒色の文字が浮かび上がってきてとても新鮮だった。しかも、間違えたら消しゴムが使えるというのも重要なポイントだった。万年筆で書き間違えると修正テープを貼るので「あ、ここ間違えたのね」というのが明白になってしまう。どんなに濃くても、鉛筆ならコソコソっと消しゴムで証拠隠滅できてしまうのはある意味魅力的だった。
というわけで、あらためてお伝えしたい。
万年筆と4Bより濃い鉛筆があれば何もいらない。
いつか、10Bの鉛筆使ってみたいなぁ〜
皆さまは神仏を信じますでしょうか?
言い換えますと、神社を訪れたり、一回でもお祈りを捧げたことがあるでしょうか?
ええ、まあまあ、そういう定義であれば、だ
いたいの人は当てはまるものです。
日本には古くから多神教ー自然であれ物であれ神様が宿るーという考えがございます。
言霊に付喪神、お天道様にお米の神様、神仏習合と、仏すらも祈りの対象としてしまうのはなんとも面白い。
つまり、今日の我々には、モノに神が宿るという考えが深く染みついているわけです。
さて、前置きはこのくらいにしておきましょう。
今回私が話すのは、一つの付喪神。ある仏像についてございます。
その仏像は、チベットの密教が、瞑想か何かで使っていたというもので、平安時代に日本に伝わりました。
この仏像、いわゆる修行僧を模した観音菩薩なのですが、変わったところがありまして、
何もつけていないのです。
普通、仏像というのは、芸術品の一種ですから、多くの装飾が施され、法冠や蓮華、光輪などをつけているものです。
しかし、この仏像は、腰布をつけた仏が坐禅を組んでいるだけの造形で、その上、
身体は骨が浮きでるほどに痩せ細っていて、遠目で見れば死骸と見間違えかねないほどのものでした。
ですが、表情は笑顔なのです。
そんなものでも、当時は随分と大事にされたようで、戦後になるまでは、修行僧の見習うべきさまと、本尊として祀られていたそうです。
ですが、時代も移り変わり、寺の老朽化や後継者問題もあって、住職は寺を引き払い、法具等も、ほとんど博物館へ寄贈してしまいました。
一応、あの仏像だけはどうしてもということで、住職の死後、古物商に売られるまでは、家においてあったそうです。
(男は咳き込む、痰混じりの苦しげな声)
おっと、これは失礼しました。
どうも最近、体調がすぐれなくて、
続けましょう。
さて、この仏像ですが、ある資産家が購入することになりました。
彼は筋金入りのけちん坊で、
それで財を成したような男でして。
冠婚葬祭も安く済ませ、飛行機はエコノミークラス。タクシーは絶対使わず、電車か車で取引に向かう。
教育費は最低限、子供たちには奨学金をとらせ、国公立に通わせても、留学は許さない。
格好も質素でした。
ですが、そんな彼にも趣味がありました。
それは、骨董品を集めることです。
なぜそんなことをしていたのかは、今になってはわかりません。
骨董品が何億で売れたとかの儲け話を聞いて、いつしか趣味になっていったのか。
それとも、数少ない人情だったのか。
ともかく、彼はあの仏像を購入しました。
鑑定士に価値を観てもらい、歴史のあるものだとわかると、和室にずっと置いていたそうです。
それからというもの、彼の様子は変わっていきました。
最初は、小さなことでした。
電車に乗るのを頑なに拒否し、車で移動するようになりました。
他にも瞑想をはじめたり、ランニングしたりと、前の彼ならば無駄と嫌っていた物事に前向きに取り組むようになったのです。
一番の驚きは子供の留学を認めたことでした。
世界は広いのだから、いろんな考えを知るために行ったほうがいいと言って、資産の約一割を譲渡したそうです。
他にも、慈善団体への寄付、アフリカ寄金への参加もして、かつてのケチだった彼は何処にいったのか。
ですが、おかげで交友関係も増えて家に人を呼んだり、家族での外出も多くなったので、
この変化に妻や友人の多くは喜んでおりました。
無論、あまりの変わりように不気味に思う人もいたことは確かです。
話しかけると、いつも顔をしかめた彼が、
食事に誘うと頷いて、”世話になっているのだから、奢らせてくれ”と、笑顔で言ってくるのです。しかも、自分は食事を少ししか取らず、友人にたっぷり食べさせるなんて、てんでおかしいですから。
それから数ヶ月経った頃のことです。
彼の旧友ーここでは仮にAとしておきますーが久しく、彼の家を訪ねました。
庭にあった家財は消えていて、雑草がボーボーと茂り、なくなった窓から、線香のような匂いが漂っていました。
Aがベルを鳴らすと、すぐに扉は開きました。
現れたのは、
腰の曲がった痩せぎすの老人で、服の代わりにボロ切れを腰に纏い、肌は焼けたように黒く染まっていました。口角が高く吊り上がった、張りついたような笑顔をAにむけていました。
二度三度と咳き込んだ後、それは言いました。
久しぶり
その声で、老人が変わり果てた友人であるとAは気づきました。
少し話した後、和室まで案内すると言われ、
Aは迷いつつも、従うことにしました。
中には、家具は一つとして、置いておらず、廊下に残る泥臭い足跡を除けば、まるで新築のようででした。電球は全て取り外され、音といえば廊下の軋む音くらいでした。
和室に入って、ようやくAは家具を発見しました。張りついたような笑顔をした、骨張った真鍮製の仏の像。それが和室の中心から、Aを見つめるように鎮座していました。
Aは身体の震えが止まらなくなり、酷く動揺しました。
それは、案内してくれた友人と、
何ひとつ違いないものだったからです。
Aあまりの恐ろしさにそこから逃げ出し、もうその家には行きませんでした。
その後、資産家は失踪し、山奥で座禅を組んで、飢え死にしているところを発見されました。笑顔だったそうです。
家財整理の話となり、仏像もその中にありましたが、あまりに不気味だということで博物館に寄付されました。
ですが、数日後に倉庫から姿を消していたそうです。
これにて、この話は終わりでございます。
長きに渡り、ご清聴ありがとうございました。
どうぞ気をつけてお帰りください。
ああ、もしよければ交通費くらいなら差し上げます。悪銭身につかずともいいますので、遠慮なく
『何もいらない』
どうしても欲しいモノが1つだけある
それが手に入るなら何もいらない
どうあがいても手に入らない
そんな事は百も承知
埋まらない穴を代わりのモノで
埋めようとする
代わりのモノは代わりであって
決して埋まらない事も知ってるのに
お題: 何もいらない