『世界に一つだけ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
世界に一つだけ
貴方の魂は
世界にたった一つだけ
輝く時も
ヒビ割れそうになる時も
あらゆる時を越えて
世界に一つだけを
更新していく
日々、進化していく
自信をもって
前に進みなさい
誰とも同じでない
貴方だけの
世界に一つだけを信じて
#28「世界に一つだけのもの」
私にとっての「世界に一つだけのもの」って考えた時に、やっぱり私にとっては自分の子供達かなって。ついこの間も、事故や病気で亡くなる子供達のニュースを見て、もしもそれが自分の子供達がなったらって考えただけで、胸が痛くて涙がでて想像するだけで身体が震えてしまう。
そして、その中でも一番は子供の自殺。
なんで命を絶とうと思ってしまうのかな?
自ら命を絶とうと思ってしまうぐらいなら逃げて欲しい。
世界は本当に広いのだから、その場から逃げてと。
一番大切なことは子供の心…
逃げていい!頑張らなくていい!一切我慢なんてせず。
子供が自ら命を絶つと考える理由になることなんて。
そんなものはに、立ち向かう必要なんて私はないと思う。
私が自分の子供達に言ってることは…
「大好きだよ」「貴方達には生きている価値
がある」「とても大切な存在」「生きてていいんだよ」「逃げていいんだよ」「何かあったら一緒に考えよう」「いつでもママは側に居るよ」「貴方達はそのままでいいんだよ」という気持ちをとにかく伝えてる!
子供達には「しつこいよ!」って言われるぐらいwww
けどそれで、子供達が「私は私でいいんだ」って気持ちになってくれて「ママのところに帰ろう」「ママにパパに姉妹に話してみよう!」って思ってくれて、何にかあったときにとどまるきっかけになるのならそれでいいと思う!
実際うちの子供達は…
「ママの子供で生まれてきてよかった。ママは私達が大好きだもんね。たとえ何をしても、ママは私達から離れないもんね」って言って、本当にウザいって思うぐらい側から離れずにずっと擦り寄ってくるからねwww
けど、それが本当は嬉しくもあるんだけどね。
世界に一つだけ
結局、全てが世界に一つだけ。
じゃあ何故、同じように見えたりするのか。
似ている、とか
共通点がある、とか
そういうのが多いからかもしれない。
例えばこの前食べたお弁当についていた割り箸。
間違いなく大量生産されているものだ。
いつ使っても、
子供用のお箸みたいに短かったり、
大きな菜箸みたいに長かったりせず、
一定の長さだ。
材質も、金属になったり、
プラスチックになったりしない。
どう見ても木だ。
けれども全く同じ木の全く同じ部分で作られた、
全く同じ割れ方をする割り箸は存在しない。
人も同じだ。
仮に自分と全く同じ名前の
全く同じ容姿の人間がいたとする。
できるできない、得意苦手、好き嫌い……
全てにおいて同じだったとする。
でも、似た人生をどうにか送ることはできたとしても、
全く同じ人生を歩むことは不可能だ。
同じ時間に同じ地面を踏むことはできないから。
だから、そんな全く同じに見える人間でも不可能なのに
そうでもないただの他人が誰かを、その人自身を、
世界に一つだけじゃなくするのは無理だ。
同じ、は似ているだけであり
一つの大きな枠組みの中の共通点でしかない。
どれだけ共通点が多くても、
共通点を増やそうとしても、
結局世界に一つだけには変わらないのである。
というか、自分が世界に一つだけではなくなったら
自分の必要性が消えてしまう。
私はこのままでいい。
共通点をわざわざ増やす必要なんてない。
世界に一つだけである必要があるから。
世界に一つだけがいいから。
世界に一つだけ
わたしの存在はこの世に一つだけ、一人だけだから、
誰よりも愛おしいあなたに大切にしてほしいんです。
『世界に一つだけ』
____ごめんなさい……
心の中でいつも謝る。
深刻な雰囲気じゃなくて、もっとこう、軽い感じで。でも「びっくりマーク」はつかないような、消え入るような感じで、私は謝る。
例えばドラマを見ているとき。漫画を読んでいるとき。曲を聞いているとき。
____あぁ……好き……
そう思った直後、必ず謝る。
私が「これ好きだ」って思った瞬間。心……というか癖(へき)に刺さった瞬間。
半ば条件反射のように、謝る。
私が好きだと思うのは、流血、吐血、包帯、骨折。義手に義眼に、怪我して苦しげな様子。
あっさりまとめてしまうなら、「痛々しいもの」。
もちろんそれだけじゃない。「普通」の好きもたくさん持ってる。
でも、「普通」じゃないものも好きなんだ。
だから謝ってしまう。
今この人は傷ついているのに。このキャラは痛がっているのに。ここのメロディはとても苦しんでいるのに。
私はそれを好きだと言って、自分だけ満たされてしまう。
____好きなものを好きと言っているだけなのに、なぜ私は謝っているんだろう。
ときどき立ち止まって、そう考える。
好きなものは好きなんだ。仕方ないだろう。そう思えるのに、結局、その「好き」を感じると謝ってしまう。
好きなものは好きと言っていいんだ。
個性なんだから。
同じ人間はいないんだ。
違いは受け入れるものだよ。
否定しちゃいけない。
____みんながみんな、世界で一つだけの存在なんだから。
こんなことを言っていたのは、誰だっただろうか。
お母さん?友達?先生?テレビのタレント?新聞のコラムや……いつか読んだ誰かのエッセイにもあったかもしれない。
とにかくいろんなところで言われていることだ。
でも、ごめんなさい。
私はまだ、世界に一つだけの私を、完全に受け入れてあげられないみたい。
私、自身が。
世界に一つだけの場所。
猫と私のこの家。
ちょっと狭いけれど毎日がやすらぎに満ちている。
ありがとう。
ずっといつまでも一緒だよ。
隣でごろごろと喉を鳴らす、君。
世界に一つだけ
私のもの
世界に一つだけ
それは私自身。
コレを生かすのも殺すのも私だけの特権
私のモノ
他者に壊されるのは虫唾が走る
タイトル 世界に一つだけ
私の醜くて、歪んで、真っ黒な心も、
あの人の綺麗で、真っ直ぐで、真っ白な心も、
わたしのあなたを想う気持ちも、
あなたのあの子を想う気持ちも、
すべて世界に一つだけ、
みんな世界に一人だけ、
みんな違う、ひとりぼっち、
みんな一つ、ハイタッチ
リセット不可能で傷みやすいゼリィ
君も私もまだ持っている
大切にしまったままの
私には少し大きいガラスのリング
♯世界に一つだけ
【世界に一つだけ】
星の王子さまを思い出すような…。
どれだって同じような星だけど、あのどれかひとつにぼくの花がいる、だからその星は特別なんだ
台詞までは覚えていないけど、王子さまはそのようなことを言う。
あの地平線、輝くのはどこかに君を隠しているからなのもそうだろうね。
ただの石ころ、ただの綿の布、ただの風、ただのペットボトル、ただの落ち葉。
君が触れたもの、君が愛したもの、君がきらいなもの、
とくべつな君に関わるものはすべて、
世界に一つだけのとくべつなもの。
世界に一つだけ
知らないということは、恐ろしいことだ、そしてまた幸せなことだ。
言葉も時代と共に変化して行くものだが「唯我独尊」というお釈迦様の有り難い言葉を取り違え独り歩きさせ平気で「自分が世界で最も優れているの意」なんて書いているものを目にして哀しくなる。
「天上天下唯我独尊」釈迦が生まれて7日目だかに歩き出し言ったとされる言葉は、自惚れの身勝手な意ではなく、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」だ、歪んでものを捉えない人であれば、これは、世界に唯ひとつだけの我という存在(命)は尊いと言っているのだと分かるだろう。「我も人なり、彼も人なり」であれば、我の命も彼の命も天上天下に唯ひとつきりの尊いものであると言っているのだと分かるだろう。
それをイキった漢字好きのヤンキーが「俺が天下とったる!」「この世で一番俺が強いんじゃあ~」と威勢よく旗印に掲げて走ったものだから「俺最強」「無敵」なんて使われ独り歩きし始め、それを真似した一部の屁理屈王たちが否定して使う時に使う様にしてしまいましたが、本来はお釈迦様の言葉であり、普通に学問を修めた一般人歳上の家族や上司様々な人の中で揉まれた人なら、独り善がりの自惚れの言葉ではないことは、字をじっくり読めば理解できます。
「天上天下唯我独尊」さらに勉強すれば、
「一人ひとりかけがいのない命であり、そのままで尊い」と唯一無二の存在であると言っていると分かります。そして、お釈迦様は、それと同時に「三界皆苦」と続けます。これは「人生は苦なり」という意味です。「三界の獄」とも言われ「人生は四苦八苦」となります。四苦八苦とは、生、老、病、死のことで命が平等に与えられたという意味を表します。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが生きているままで尊い、苦しみながら、老いて、病にかかり、そして死ぬ、、そのままでいいんだという、世界に一つだけの平等に与えられた我唯ひとつきりの尊い命と言っています。
少しお釈迦様の言葉の本を紐解くと見つかる話ですので、日本人なら覚えておきたいですね。
令和6年9月9日
心幸
私の恋心
とか言ってみるけれど、時も形も変わって、色々あるものなんだよね
#世界に一つだけ
世界に一つだけ
世界にはあなたは一人しかいないのです
もっと大事にして下さい
もっと優しくして下さい
もっと休んで笑って下さい
その為にあなたは生きています
あなたが倒れたら誰があなたの大事な人達を守れますか?
あなたがいるからあなたの世界は回るのです
あなたはとても大事な人で
世界に一つだけの
特別な人なのだから
あなたはあなたをもっと幸せにして下さい
世界に一つだけ
存在している
僕という命の軌道
レールは夕暮れ
光が射し込んで
また過去を振り返る
あの子と交差して離れていった
海のある町
国道沿いの学校へ
登っていく風景
見下ろす港に古びた屋根と
遠くに白い船が進む
はしゃぐクラスメイト
一人背中を追いかけた
今も時に戻っていく
この心あの場所へと
もう遥か彼方
帰らぬ夢の跡
世界に一つの命。
80億分の1。
10万分の1の才能より。
1000万分の1の奇跡より。
1億分の1の美少女より。
世界に1人しかいない君の方が愛しい。
世界にひとつだけ
あなたの愛を下さいな
それだけで私の世界は輝くの
世界にひとつだけ
この世に1つしかないものって
結構あると思うんだけど
例えば自分だってこの世に1人だよね
だけど別になんてことないと思う
私1人がいなくなったって
世の中は平気で同じように回るし
景色だってなんにも変わらないし
少しの人達が少しの間だけ悲しんでくれて
段々おぼろになっていくだけ
世界に一つだけ。って別にそんなに重要じゃない
✼•┈┈世界に一つだけ┈┈•✼
大好きな人からもらったものはどんなものであっても私にとっては宝物。世界に一つだけの、私の宝物。
「世界に一つだけ」
世界に一つだけの君特性の愛をくれませんか
大抵みんなSMAP思い浮かぶだろうなーと思えるお題ですね。もちろん私も。ナカーマ
数字は一般化である。そもそもなぜ数字という概念が生まれたのだろうか。便利だったから?私にはわからん(´・ω・`)ちょっとだけ考えてみよう。
例えば、「ゼロ」という概念が考えられたのも、人類史から見ると最近のようだ。たしかに、数学をどんどん考えていかないと、「無いことがある」っていうのは見つけづらいと思う。
その中で、自然数が早く考えられたのは理解できる。わかりやすいし。でも、最初はそうじゃなかったはずだ。同じものを二つとってほしいときでも、「あれとあれとって」と指させば事足りた。今でも名称が別のものを呼ぶときは「〇〇と✕✕」と表すだろう。一緒。
ところが、例えばその〇〇と✕✕が一つの名前にまとめられていたらどうか。「△△を二つとって」みたいに言うと思う。このように、数字で表されることは一括りにされている、ということであるし、難しく言えば一般化されている。
その中で、「世界に一つだけ」を見てみると、「一般の中で「だけ」という表現を使うことで他との差別化を図っている」と見ることができる。そろそろ書いててわからなくなっちゃった。やーめった。