『モンシロチョウ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
#14 モンシロチョウ
「あ、モンシロチョウ」
「うん?あぁ…あれは多分モンキチョウだよ」
「え、なんで。白いけど」
「モンキチョウのメスは白いやつもいるの。よく見るとてんてんが違う」
「ふぅん…なんで知ってるの、好きなの」
「前に気になって調べただけ。見た目は似てるけど、食べ物も違って、全く別の種類だった。ちなみに好きではない。あいつらフラっと寄ってきて怖い」
「人間は色々いても同じ種類なのに、蝶はそうじゃないのか」
「らしいよ」
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実際気になってたけどスルーしてた疑問を、
いい機会だと思って調べました。
モンシロチョウはキャベツ畑にいて、
モンキチョウはシロツメクサのところにいます。
もっと色気のある話にしたかったのに、
この後、沼が深くて出てこれなくなりました。
地球上には、もの凄くたくさんの種類の生き物がいます。特に虫は種類が多いみたいですね。
その中で、
生き物を種類ごとに分類しているのは人間だけ。
そして人間はホモ・サピエンスしか種類がない。
そう思うと、面白みを感じられる気がします。
私もモンシロチョウのように、
甘い蜜を求めてふわふわ舞うような生活がしたい。
現実は苦いことがたくさん。
苦い汁を吸いながら、甘い蜜を追い求めて今日も生きる。
明日に希望を持って。甘い夢を見ながら。
風に乗り 空と踊る
ふらりふらり 旅をする
いつの日か見た 花畑を目指して
ふらり 旅をする
暖かな太陽が 微笑んだ
風が叫び 空が泣く
ふらりふらり 旅をする
あの花畑を 目指して
灰を被った 雲の下
隠れた太陽は 見つめる
風が笑い 空も笑う
ふらりふらり 旅をする
遠い何処かの 花畑を目指して
木の葉と虫の 重奏合唱
朗らかに笑う太陽が 少し眩しくなる
そよ風に吹かれ 空を游ぐ
ふらりふらり 旅をする
あの虹の先 いつか夢見た花畑
暁に染まる空
春の訪れを 待つ楽園
夢に想い馳せる太陽が 目を覚ます
紋白蝶や 約束の地に
どれだけ時が 流れても
どれだけ季節が 移ろおうとも
必ずや お前に会いに来るとしよう
お題【モンシロチョウ】
タイトル【また来世で】
『キャベツ畑の幽霊』
キャベツ畑 広がる翠緑の中 幽霊を見た気がした
飴色のタクシーは農道で停まったままだ 何処へ向かう?何処へ帰る? 感受性のさもしさは大問題で私のノートが埋まらない せめて呼吸よ止まるな 意識はいい呼吸よ止まるな
─モンシロチョウ─
ふわふわり、とモンシロチョウが飛んできた。
私が寝っ転がっている花畑へと。
あなたとの思い出が詰まっているこの花畑。
ねぇ、あなたはどこに行ってしまったの?
遠いどこかで私のことを考えてるの?
それとも、先にお空へ行ってしまったの?
またこの花畑で、思い出を作ろうよ。
花の冠をお互いに被って、また一緒に笑おうよ。
私はいつまでも待ってるから。
あなたがチョウのように、
ふわふわり、って戻ってくるのを期待してるから。
だから私を、一人にしないで。
もう、置いていかれたくないの。
ちゃんとあなたを待ってるから。
だから、私の元に帰って来て。
【モンシロチョウ】
学校帰りにいたんだ。その日は暑い日だったから、モンシロチョウの羽の1枚とれた死骸が。
「うわ、気持ち悪い。」
順当な反応だと思う。だって、いきなり落ちてたらそりゃそうだ。僕だってそう。その落ちた羽を見て最初に出た言葉が
「仲間が死んじゃった。」
モンシロチョウ
陽射しに誘われて、家を出た。何となく歩いて着いたのは、田んぼに囲まれた小さな公園だった。蒲公英や白詰草なんかが、風に揺られていた。普段から出不精な私は、一寸草臥れた。片隅にある半分ペンキの剥げたベンチに腰掛け、少し休む事にした。周りを見渡すと、田植えをしている様子や、青空を横切る飛行機雲、何処からか聴こえてくる野鳥の啼声…そして視界の端に、何か白いものが…視線を移すと、白い蝶が2匹、戯れ合うように飛び回って…
今日のテーマ
《モンシロチョウ》
「あ、モンシロチョウだ」
公園の花壇にヒラヒラ舞う白い蝶を見つけ、ぼくは思わず声を上げる。
田舎暮らしだった子供の頃はあちこちで見かけたものだけど、都会に住むようになった今はあまり見かけることもない。
昔は虫取り網を手に追いかけ回したものだと懐かしく思い出す。
「白い色の蝶は神様の遣いだって、小さい頃にお祖母ちゃんから聞いたことがあります」
「へえ、そうなんだ」
「迷ってたら正しい道を照らしてくれるとか、災いから護ってくれるとか」
懐かしそうに話す彼女の口調からは、それを信じているのか否かは分からない。
蝶を追って細められた眼差しには、ほんの少しの寂しさが入り混じっている。
小さい頃はお祖母ちゃん子だったのだと、以前そんな話を聞いたことをあった。
身内に不幸があったとかで数日休んでいたのは先月の頭――それから彼女はどことなく元気がない。
自分と彼女はただ同じサークルに属してるというだけの先輩と後輩だ。
どんなに心配でも、個人的な事情に踏み込めるような関係ではない。
話を聞くくらいならできるのに、彼女がその気になってくれなければ、そんなことさえ叶わない。
いつしか足を止めて見つめていたぼく達の元へ、件のモンシロチョウが飛んできた。
そして、白い羽をひらめかせながら、彼女の回りをヒラヒラと飛び回る。
まるで「元気を出して」とでも言うように。
「そういえば、ぼくの田舎では、蝶は死者の化身だなんて話があったな」
「死者の……」
「命日や法事になると故人が蝶となって還ってくるんだって」
蝶を目で追う彼女の横顔が今にも泣き出しそうに歪む。
馬鹿なことを言ってしまったと猛省するが、一度口に出してしまった言葉は戻らない。
自分のデリカシーのなさに歯噛みしていると、彼女は泣き笑いのような顔でぼくを見上げてきた。
「今日、お祖母ちゃんの四十九日だったんです」
「……」
「いつまでもめそめそしてるなって、お祖母ちゃん、心配して来てくれたのかな」
ぽろりと涙の粒が零れたのと同時、白い蝶が彼女の肩にふわりと止まる。
ぼくは何も言えないまま、黙ってハンカチを差し出した。
ただの先輩後輩じゃ、肩を抱いて慰めることも、抱き締めてぼくの胸で思う存分泣かせてやるここともできない。
無力な自分を口惜しく思っていると、モンシロチョウは今度はぼくを鼓舞するかのように目の前をヒラヒラ飛び回り始めた。
これじゃあ、まるで本当に彼女のお祖母ちゃんが蝶になって現れて、発破をかけているかのようだ。
我ながら都合のいい解釈をしてると苦笑いが浮かぶけど、何となく勇気をもらえたのは事実で。
ぼくはハンカチに顔を埋めて静かに泣く彼女の背中を、慰めるように優しく撫でる。
彼女は一瞬小さく息を飲み、しかしぼくの手を拒否することはなく、そのまま一歩近づくとぼくの肩に額を預けて再び泣き続けた。
あのモンシロチョウが、彼女のお祖母さんの化身だったのか、はたまた神様の遣いだったのか、それを知る術はない。
けれど、その日以降、ぼく達の距離はうんと縮まって、ただの先輩後輩の関係は終わりを告げたのだった。
どこを見ても
美しくて
素直で優しい
僕の目を
虜にするきみ
きみが...
傷つかないよう
壊れないよう
ずっとずっと
大事にしてきた
きみの心..
でもね、もう
僕の役目は
終わったんだ
小さな羽で
飛び立とうと
強くなったきみ
誰よりも
わかってる
だから..
今の幸せを
離さないよう
未来へ繋いで
どこにいても
応援してるから
モンシロチョウ
たまに見かけるかも?
それがモンシロチョウなのか正直不明
蝶は見かけてはいる
ただわざわざ
どの種類の蝶々なのか
区別することは出来ない
そんな知識もない
ぼんやりとでも判ればいい方
ググれば判るかもしれないけど
興味はない
そこそこ関係ある人の名前ですら曖昧
話せば区別出来たり出来なかったり
まぁ言い訳はさておきまして
蝶かって思うくらいでしかない
蝶と言えば胡蝶の夢くらいが妥当?
蝶になってる夢なのか
蝶が見てる夢なのか的なやつ
そんなのはその時には関係はなく
蝶にしろ人間にしろ
それなりに生きたらいいと思う
どちら側にしたって大差はない
蝶には蝶の
人間には人間の生き方があるから
夢か現実
それがどちら側でも
自分の意識があるのなら
それに従って生きてくだけだから
問題になるとしたら
その意識とやらは
本当に自分のものか?
それに尽きると思う
自我超自我イドどれによるものにしろ
自分とは何でもなく移り行く夢のよう
それでいて確かと思える自分
夢の現実 現実の夢
どちらにしても同じ脳が見てる夢
自分が見てる夢なら
自分は夢なのかもしれない
他者が居なければ
自分がなんであれ
何処にも辿り着けない気もする
自分とは他者と区分けする領域
聖域とでも言えば判り易いかな?
誰も正確に自己を認識は出来ない
他者や世界を通して
認識した何かでしかない
それでも自分として生きてく
ただなんとく
理由を明確に出来たとしても
そんなのは説明してもキリがない
価値がないとも思える
そんな説明よりは
自分に恥じることなく
自分を生きていきたいね
誰の為でもなくただ自分の為に
テーマ《モンシロチョウ》
丁度あの日から2年経った。
今年も変わらずチューリップやシロツメクサ、たんぽぽが咲いて、木には緑が彩られていた。
今日も私は自転車に鞄を乗せて、学校へ向かう。
すると、目の前に白い何かが横通りした。
「、、、モンシロチョウだ」
懐かしい。あの人が好きだった虫だ。
幼稚園の頃なんか『将来はモンシロチョウになりたい!』なんて言っていたっけ。
「あー、だめだめ。」
学校行く途中なんだから、思い出したらダメ。
私は涙を拭い少し下を向く。
「いつか会えたりしないかなぁ、」
青い空を見上げて、涙の引いてきた私はまた前を向いて学校へ向かった。
例えば、この世界がそうだとして。
行き着く先が、そうだとして。
けれど、きっと気づかないんだろうな。
暖かな春に飛び回る彼らは。
一体どんな風に生き延びたんだろう?
”モンシロチョウ”
彼らは春の使者。いく末を導いてはくれない。
モンシロチョウ
「お姉ちゃん、さっきね、白い折り紙で紙ヒコーキを飛ばしたの。そうしたらね、ヒューンて飛んで、パッて白いちょうちょさんになっちゃった。ちょうちょさんて、不思議だね」
「あんたバカね、そんなことあるわけないじゃない。蝶になるのは、白か黄色の折り鶴でしょう?」
(モンシロチョウ)
白くて小さくて可愛い蝶
春と一緒に舞っている
私もモンシロチョウみたいに
可愛くて暖かそうな女の子だったら
君の理想になれたのかしら
#モンシロチョウ
モンシロチョウ
モンシロチョウが飛んでいると「あ、春だなぁ」と思う春はどっちかって言うと苦手だ虫が出てくるし花粉はすごいし
…それから、好きな人ともお別れしなきゃいけなくなる、、悲しいもちろん他の友達とも別れるは悲しい、、みんな自分の好きな事に真剣に取り組めることが出来るのが羨ましい、、ちゃんと自分の将来の夢を持っていていいなぁ、、親に「将来はどうするの?」とか「ちゃんと考えや?」とか言われるけど将来の事なんてイメージが付かなくて親からのプレッシャーにも耐えるのが辛い、、これだから春は苦手
モンシロチョウさん出来れば私のところには飛んでこないで、、春が来たって言うお知らせは、私にはとっても辛いお知らせです。
モンシロチョウ
木々が生い茂る森の中を少女は一人さ迷い歩いていた。
舗装された道もあれば、獣道が続いていることもあり、歩きにくい森の中を少女はただひたすらに進んでいた。
ふと、目の前を何かが横切ったのが見えて、少女はそちらに目を向ける。そこにはひらひらと羽を羽ばたかせながら飛ぶ蝶々がいた。白くて小さいそれはモンシロチョウで、少女の目の前をゆらゆらと通りすぎ、そのまま飛んでいってしまう。
まるでモンシロチョウがついてきて、と呼んでいるように感じて、少女はその後を慌てて追いかけた。
さっきまで鬱蒼としていたように感じていた森の中も、何だか生き生きと楽しげで。太陽のあたたかい光が木々の隙間から降り注ぎ、周りが一段と明るくなった。
モンシロチョウを追いかける少女の目は輝いていて、希望に満ちあふれていた。白いうさぎを追いかけたアリスのように、行き着く先は不思議の国か、はたまたお花畑か。
そんなことは今の少女には知りえないし、当のモンシロチョウも知っているのか、それすら誰にもわからないのだが。
それでも、こうやって今日も新しい物語が始まるのだ。
紋白蝶
ひらりひらりと舞っている
掴みどころのない貴方のように
たまに惑わすように近付いて来ないで
そんなところに靡いてしまいそうになるから。
モンシロチョウ。
可愛らしい虫。
虫嫌いの人も大半が
可愛いって言う貴重な虫。
どうしてだろうね。
蟷螂や飛蝗と同じ、虫なのに。
やっぱり見た目が一番って事かな。
そこまで捻くれる必要もないか。
とりあえず可愛いよね。蝶々。
素手で捕まえたことがあるとかいう
謎報告もしておくね。
まだ幼かった頃、菜の花に止まっていたモンシロチョウを捕まえたことがありました。
可愛らしい蝶々を近くで見たくて。
ただ、力加減の分からなかった僕は、その一羽の蝶々を握り潰してしまった。
僕の手にはあの時の感覚が今もずっと残っています。
ひとつの命を奪った感覚が今もずっと残っています。
それから僕が生きてきた何十年もの間に
一体どの位の命を奪って来たでしょうか。
気持ち悪いという理由で殺した芋虫がいました。
怖いという理由で殺した蜂がいました。
鬱陶しいという理由で殺した蝿がいました。
邪魔だという理由で殺した蜘蛛がいました。
ある時ふと思ったのです。
僕にこの命を奪う権利はあるのか、と。
自分が疎ましく思う存在を
それを理由に消す権利はあるのか、と。
命を奪わずに生きて行くことは不可能です。
僕たちは生きる為に食べなくてはいけないから。
ただ、目の前の生物に自分と同じ命があることを
目の前の生物が自分と同じように生きていることを
忘れないように生きて行こうと決めました。
僕のきらいなきれいごとの話ではなく
命を奪ったときに罪悪感を感じられる人間でいたいのです。
その罪悪感を常に持ち合わせている人間でいたいのです。
モンシロチョウ
わが家の庭にもモンシロチョウがくるようになった。夏が近づいできた。実に清楚で美しい。弱々しいところがまたよいのであろう。思わず息を押しこらえて見とれてしまう。世の中は残酷なものなのでモンシロチョウはさぞ苦労していると推測するのはたやすい。根性、根性で流行ったスポ根ドラマ。スポーツは根性とばかりに頑張ったのは私だけではないと思う。しかし思えば、私のようなきゃしゃな身体の持ち主は、身体を壊したものだ。やはりスポーツも科学なんだとへんに納得したものだった。今は、経済環境も悪く、努力だけではうまく行かないのは周知のこと。この残酷な世の中を生きるためには何が必要なのかと考える。やはり人に好かれるにはどうしたらよいかと言うことに尽きるような気がする。