『プレゼント』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
俗物的な本などではよく見掛けるあの台詞。
普段であれば絶対に言うわけがない内容のそれを、まさか愛しの恋人の口から直接聞ける日が来るなんて思いもよらなかった。
言い慣れていないせいで声は上擦り、頬は林檎のように染まり、視線はソワソワと宙を彷徨っている。
「……プレゼントは、俺だ」
どこで覚えてきたのだそんな殺し文句。
聖夜に久しぶりの逢瀬。街は色めき立ち、煌びやかな灯りが夜を美しく染めている。
この日のために毎日必死にアルバイトして、年上の恋人と過ごすホテルのスイートを予約した。
恋人は社会人で、未だ学生である自分よりも遥かに金もある。それでも彼氏として今の自分にできる精一杯のプレゼントを贈りたかったのだ。
キラキラと彩られた街を一望できるこの部屋で、とびっきりの甘い夜を過ごすと決めていた。
普段は仕事に忙殺されている恋人の時間を、この日だけは自分のためだけに割いてもらえるだけで十分に幸せだと思っていたのに、先に風呂から出てきた恋人から会心の一撃を喰らうだなんて、こんな嬉しいサプライズがどこにあろうというのか。
「……いらねえのか」
いけない、つい心が違う所へと彷徨ってしまっていた。こちらの服の裾をぎゅっと可愛らしく握る、世界一大好きな恋人から世界一嬉しいプレゼント。据え膳食わぬは男の恥、である。
「喜んで、いただきます」
二人のクリスマスはまだ、始まったばかりである。
いつの日にかあなたに貰ったゆずの香りが、
未だに僕を捕らえて忘れさせてくれない。
─プレゼント─ #148
(残酷なプレゼントってこのことかな)
サンタが両親って知ったときは
すごくがっかりしたな…
でもそれは一瞬で、
私のためにプレゼント探し回ってくれた
その事実がすごーく嬉しかった!
それからのクリスマスは
サンタと一緒にお買い物、笑
_プレゼント_
プレゼント。生まれて初めてもらうプレゼント、それは名前。名前ってかなり影響があると思う。キラキラネームを見て改めて実感した。
私はとても良い名前を付けてもらったと思う。
優希って言うんだ。
優しい希望とかいてゆき。
ゆうき、って呼ばれることもよくあって悲しく思うことがあったけど、「ゆきです」って言うたびにこの名前で良かったな、と自信を持って言える。
優しい希望って、明るい名前だよね。しかも何が良いって1月生まれだからつけてくれたの。あと、お母さんの最初の名前のひとつ目の「ゆ」とお姉ちゃんの1番最後の「き」を合わせて「ゆき」になる。とっても良い名前だよね。
でもピカチュウとかアリエルって名前はすごく悲しくなるな。私だったらすぐに改名したくなっちゃうwピカチュウおばあちゃん/おじいちゃんとかキツイじゃん。しかも今あだ名禁止なんだって?ピカチュウって呼ぶしかないじゃん。しかもさん付けだとピカチュウさんになるよね。かわいそうだな。親のエゴでつけられちゃった子。
とにかく、私は最初のプレゼントが「優希」でとても良かったと思う☺️
僕という名の箱の中
躊躇っている言葉は
きっと君へのプレゼント
クリスマスは幸せの日なはずだったの
どうして私のクリスマスはこんなにも残酷なの
クリスマスには親族が
入院したり、虹の橋を渡ったり
予期しない予定が積もっていくの
楽しみは全部悲しみに
よく分からなくて実感がないまま
過ぎていく
今年もそう
サンタクロースは居ない
キリストも居ない
全部奪っていく悪魔だけ
成功
成功って何だろうか。
自分にとっての成功って何?を考えたときストレスフリーだなって思った。
ストレスフリーって勿論、金銭的にも精神的にも不自由がないことを指すけど、根端は自分が楽しい面白いと思うことが続けられる状態やその思いを共有できる仲間がいること。
成功=理想、完璧なら、そんな完璧な状態になることを望んでいるんじゃなくて、そうなり続けることを望む
理想は常に追い求めていたい。その瞬間が一番楽しいし。もし自分を完璧だとみなすときがきたら生きてる価値なんかない。
『プレゼント』
贈り物が届いた
箱の中には一枚の地図
そして 同封された手紙にこう書かれていた
「立ち上がってくれてありがとう
僕を信じてくれてありがとう」
未来の僕より
この時期のプレゼントといえば
クリスマスプレゼント
あれっていつから日本で定着したんだろう
ちょっと調べたら明治時代からあったらしい
そういう他国の文化がしれっと定着するのは
案外昔からあるのね
君が私にくれたプレゼントは
憎悪と妬みに溢れる程悲しく苦しい
私が得られなかった君と誰かとの幸せで
私が好きだったブランド
私が好きだった場所
私が好きだった景色
買ってくれも、連れて行ってくれもしなかったのに
いとも簡単にその誰かのSNSには上げられるもので
簡単に捨てられ簡単に奪われて
なにも無くなった私は
きっと、いつかの誰かがくれるだろう愛だって
素直に受け取れないほど歪んでしまったというのに
随分皮肉なものを貰ったのね
最後のプレゼントにしては。
プレゼント
「別れましょ」
外の世界は煌びやかな電飾に彩られていて、あるはずのない暖かみすら感じる。
かえって今この空間は、暖炉の音は聞こえるのに急激に熱が逃げている。
背中に隠した白い包み紙にデコレーションされた小さな箱が、たったの一言で決して出してはいけない2人の重石になってしまった。いや、もう1人きりか。
なんで、なんて言葉も出てこない。
冗談だと思いたいのは、攻めてタイミングくらいだ。
消えないように、必死に薪をくべていた僕らの焔は、そうしていた時点でもう結末は見えていたのだ。
「何で何も言わないの」
隣で聞き慣れたはずの声は、聞いた事のない色で僕の前を通り過ぎる。
声までもが泣き乱れた彼女の言葉が、僕の世界から色を奪っていく。
貫いた沈黙の末尾、崩れる薪の音に負けそうな声で名前を呼ばれた。
じゃあね、といって扉を開けて出ていく時にようやく、いや久々に、ちゃんと彼女の顔を見ることが出来た。
最近彼女を見ることが出来ていなかったことに、あまりにも遅く気づいた。
このダイヤは、1人で持つには重すぎるよ。
僕は背中に引っかかっていた重石をぐっとポケットに押し込んで、彼女との大量の思い出というプレゼントボックスが溢れかえった部屋を飛び出した。
根本的に「人との心の繋がり」というものが分からないんだと思う。そしてまた、私が理解されることも少ないのだろうと思った。
友達の誕生日プレゼントを選ぶというのが苦行に感じた。頭を抱えストレスを感じながら一生懸命プレゼントを探す。友達は何が好きとか、どんなものに興味があるとか、分からないから、何を選べばいいのかさっぱり。知ろうともしてなかったというより、別に知る気もなかった。
友達のフルネームも覚えてない、誕生日はカレンダーにメモしてるけど覚えてない、どこに住んでるかも曖昧だし、その子が何色が好きでどんなものが好みだとか別にそもそも興味ないし、深堀しないし聞かないし知らないし……知る気もない。から、わからない。どうでもいいと思ってるわけでもない、でも、何か気持ちがあるのかと問われると、答えられない。本当に無、といえばいいんだろうか。何も。「はあ」とか「別に……」とか、そんなスカスカなものしか出てこない。これがスカスカという感覚もない。ある人からすれば、私のこの感覚はスカスカらしいから、そう形容している。
誰かから何かを貰っても、嬉しい嬉しくないとかどうとか、あまり思った記憶がない。どう思うかと聞かれても「どう」とかない。貰って嬉しい気持ちと、物自体への感想や興味は湧いてこない気持ちと別々にあるような感覚。何を貰って嬉しいとかも特にないし、何を貰っても使うけど、別にいらない。物自体はどうでもいい。気持ちは嬉しいと思ってる。その「何かあげよう」と私に思ってくれた気持ちは嬉しい。から、別にいらない。何を貰っても、物自体に、強いて言えば「ああ、そう」という感想は湧いてくるが、それ以外は分からない。あるのかないのかすら不明。
ジレンマというやつだろうか。だからきっと、なにかあげたい!って言ってもらって、一緒にアイスクリームでも食べに行って、奢ってもらうくらいが丁度いいのかもしれない。いや……それもいらない……誕生日という概念がなくなればいいのに。
多くの人は物を渡すことで気持ちが伝わるらしい。だから、気持ちが伴ってなくても取り敢えず物さえ渡せば「あなたに関心がありますよ。あなたの事を考えてますよ。忘れていませんよ」という証明になると思って、プレゼントを渡した。それ以外、自分の気持ちを伝える方法が分からないから。それに本当に、相手のことを、他の人らよりは好感を抱いているのは事実だし、それを伝えたほうがいいということも分かっている。けど、私なりの伝え方じゃ相手には伝わりにくいし理解を得られたこともないから、わかりやすい方法を試すしかない。
プレゼントを渡して喜んでくれることは嬉しい、覚えててくれたんだと喜んでくれることは嬉しい、使ってくれたらなお嬉しい、けど、根本的にそこじゃない気もしている。私は、もっと根っこの部分で、他人と繋がることはできないんだろうなと思った。
他人に「優しい」と思われた方が良いと感じるのは、私が思う「正解」に近しいからかもしれない。
私が相手の話に耳を傾け相槌をしできる限り寄り添っている姿勢を見せるのは、相手のことを助けたいという善意ではなく「このパターンではこんな反応をしてこういう受け答えをしつつ適度に笑ってからトーンを落として真面目風にして」の様なことを考え、結果相手の態度や表情から良い感触が得られたと思えたら「ゲームクリア!」=正解という感じで一安心できるからだ。どうでもいい人に対しては自分が安心するだけ。相手の話は興味ないし相手の心理状態に干渉したいとも思わない。勝手にしてりゃいい、なぜなら私には関係ないのだから。
他人の心理状態や感情に深く干渉したくない、無理に共感することで自分が消耗するのを避けたい。そんな心理が働いているのかもしれない。
仲良くしたい友達とも、相手の反応を見て自分の感じと相手の隙間を埋めていくイメージで少しずつ自分を変形させていく。声のトーン、喋り方、口調、テンポ、笑い方、その他諸々。相手に嫌な印象さえ与えなければクリア。相手にさっさと帰りたいと思わせたり、もう今後貴方と関わりたくない喋りたくないと思われなければクリア。一安心。ああ、これでまた友達を続けられる、セーブデータがとれた、そんな気持ち。それと少なくとも少しは友達を元気づけることに貢献できたかな、という気持ちと。友達が落ち込んでたら、少しは励ましたいと思う。元気出してくれたり何か悩みが少しでも軽くなったら嬉しいなとは思うよ。少しは助けになれたんだって私自身も一安心する。他の人みたいにどうでもいいとは……いやどうでもいいなぁ……友達の話も私に関係ないことだったどうでもいいし、何を思えばいいのか分からないし、どうでもいいし、知らないし……だって私に関係ないじゃないか、とかしか。
慰めてと言われたら慰めるし、共感してと言われたら共感できる。そう振る舞えと言われたらその場限りではできるよ。指示をくれればその通りにする。けど、何も言われなかったらなんにも分からない。何をしたらいいのか分からない。相談なのかただ話を聞いてほしいのか共感してほしいだけなのかアドバイスがほしいのか、事前に言ってくれないと分からない。
だからいつもソワソワイライラしながら話を聞いて相槌打って相手の反応を伺ってる。いい感じの反応が返ってきたら「正解だったんだ」とホッとする。
「ただ話聞いてほしいだけなんだけど」とか「これは自慢なんだけどさ!聞いて!」とか「貴方だったらどう考える?」とか、前置きしてくれると助かる。じゃなきゃ、何を感じ取ればいいのか分からない。
人と話すということが分からない。イライラする。友達と話してても実は常にストレスが溜まっていた。相槌と共感としなければならないのか、今は不要なのか、見極めが難しい。ほんとはぜんぶ「ふ〜ん、そうなんだ」で終わらせたい。でもそうすると人は私を冷たい人だと感じるらしい、そういうつもりじゃないし、落ち込んでほしいわけでもないからニコニコして話を聞いていますよアピールをするのに必死だ。LINEの文章もなんかいい感じにしてる。語尾をかえたり、絵文字を使ったり。
そうしたらやっぱり人は混乱する。時々素で反応して「え、別になんとも思ってないけど」とか「どうって言われても、どう、とかない」というとびっくりされる。そらそうだよなと思う。「優しい人」だと思っていたのに、そんな回答だったら困るよな、と。人に優しくしてるのも、別に嘘ではないつもりだ。危害を加えられることがなければ基本的に人を攻撃したいとも思わないし、親切にしたいとも思うし、傷つけたいとも思わないし、穏やかに友好的にいこうね、と思っているから、私の優しさだって嘘ではない、と、思う。けど、きっと他人からしたらこれは「嘘」に分類されるだろうし。
友達に言ったことがある。「貴方にも私以外との交友関係くらいあって当たり前じゃないか。逆になかったら怖いよ。だから貴方が誰と仲良くしてようと誰と遊ぼうと誰からプレゼントを貰おうと、私には関係ないことだよ」って言った。私はたしかに、友達が私以外の人ととても親しそうだったら、少し寂しいと思ったりは、多分、普通にする。いや、どうかな……私以外にも交友関係くらいあるのだからそこにとやかく思っても無駄だと思うし、たとえ寂しくて落ち込んだりしたとしてもそれとこれとは別だと思っているから、そんな風に言った。そしたら、友達は私のことをドライな人間だと認識したみたいだ。表面上は、そりゃ、ドライ、だと思う。思考と感情は別。私以外と親しくしてて寂しいなと思ったとしてもそれは私の感情で私の勝手である。それに、私は普通の子みたいに頻繁にLINEもしないし遊びにも誘わないから、それができる子と私以上に仲良くなるのは当然だと思う。と思うから、思考を話した。だけ、だけど、こういうところから、きっといろんな人に勘違いされてるんだろうな、とか。
ドライ、冷たい、冷酷。そんなふうに思われてるんだろう。人と普通に話したいだけだし、できれば美味しいものを一緒に食べたりもしたいと思う。けど、それも、どんなふうに思われてるかも、別に、なんでもいい。
「コミュ障はこれをすれば治る」「コミュ力とは」みたいなやつを色々見て思った。今の自分は人と喋りたいわけじゃないなと。コミュ力つけたいわけでもないし、人と言葉のキャッチボールしたいとも思ってない。会話しなければならないからコミュ力をつけなければならないと思ってたけど、つけたいわけではない。今まで「私は人と喋りたいはずなんだ!」とか思ってきたけど、別にそういうわけでもない。テンポのいい会話とか、意思疎通とか、別にそういうのを望んでるわけじゃない。
人に何か褒められても「だから……?」という疑問が湧いてくる。服装がお洒落だとか、髪型が似合ってるだとか、鞄が素敵だとか、それがなんだというのだろう。もちろん貶されているわけではないから嫌な気持ちにはならないが、だからといってどう感じればいいのかもわからない。
社交辞令で言われようと本音で言われようと誰から言われようと、だからなんなのだろう、としかない。けれど「だからなんですか?」と言ったところでお互い困惑しかしないのだし、そんなんじゃ駄目だから「ありがとう、嬉しい」と言ってきたが、ずっと自分を欺いてきたように思う。相手を騙していたという認識ではなく。自分を騙してきた。
どんな反応すればいいのか分からずなんの感情も湧いてこないが「ありがとう」とにこやかに言ってる、そんな自分は正しい反応ができているはずだ、立派なはずだ、それに私は人から褒められて嬉しいと感じているはずだ、と思ってきた。正直ずっとしんどかった。いい子ちゃんな反応をするのがストレスだった。
人から褒められて「素直に受け取れない」ではなく「何をどう思えばいいのか分からない」というのは、人間として生きていく上で向いていない感覚なのだろうなと思う。人と繋がれないというのはこういうところから生まれているのかもしれない。
「今何してたの?」という質問がものすごくストレスだった。「YouTube見てたよ」と答えると「どんな動画見てるの?」と聞かれる。そしてここで「は?なんで聞いてくんの?」と言ったところでお互いしんどいだけだと思い、仕方なく「ゲーム実況とか見てたよ」と言ったら、次に「誰?」と聞かれるのだ。言いたくないから答えてねぇんだよボケが!!!!と思う気持ちをグッとこらえて、回避の方法も分からないから結局名前を教えてしまう。そしてもうその人のこと自体嫌になってその人から離れる。
「YouTube見てた」と言ったら「そうなんだ」でいいじゃないか。逸らせば逸らすだけ「なんで教えてくれないの?」だの言われる。というより教えたかったら最初から言っているはずだろう。言ってないってことは言いたくない教える気がないということだと分からないのか。そうか分からないか。きちんと説明すると次は「え、聞かれたくないってことは心開いてくれてないってこと?」とか言い出されるのだ。意味が分からないが、おそらく相手もこちらに対して意味がわからないと思っているだろう。
どれだけ仲が良くても教える気がないことがたくさんある。というこの感覚は珍しいのだろうか。珍しかろうと珍しくなかろうとどちらでもいい。踏み込んでこられることが私は嫌なんだ。
人と心理的な繋がりを築けない人間なんだと思う。誰のどんな話であっても私の中に出てくる感想は「ふ〜ん、そうなんだ」しかない。対人モードにスイッチを押して一生懸命相手に寄り添い私は相手に関心があるんだ!と思い込むことでなんとか「普通の人だったからこう思うだろう」と予想し「それは辛いね」だとか口にしているだけで、実際は何もない。虚無といえば虚無なんだろうか。それすら分からない。唯一出てくるのは怒りだ。怒り以外の感覚が少ないのだろうか。だからきっと、人からしたら私は変なやつに見えるんだと思う。そらそうだ。嫌なことを嫌とはいうが、じゃあ何が好きだとか何が嬉しいだとかは言わないような人間……いや、だから、好きなこととか嬉しいことをわざわざ言う必要性が分からない。不快なことは身を守るために伝える必要があるが、それ以外人に伝えて何になる?共感してもらえる?だから?別にいらない。
という気持ちを共感されたいなとは思う。踏み越えてこず、深く関わってこず、話を広げることもせず、ただただ「ふ〜んそうなんだね」と言われたいと思う。きっとこの気持ちを共感されたい、と形容するんだと思う、けど、多くの人がいう「共感」とニュアンスが違うのかもしれない。
そうはいっても他者が期待している行動や反応をしようと努めているんだと思う。そうしないと文句を言われるから、文句を言われたくないから人の期待通りに動きたいのだ。相手のためじゃない、自分が傷つきたくないだけだ。ありのままで生きていると「お前はなんて酷いやつだ」と言われるのだ。それは嫌だ。私は酷い人間になりたくはない。できれば人と手を取り合って笑いあって仲良く生きていきたい。人を攻撃したくはない、傷つけたくはない。できる限り寄り添いたい。だというのにそれができない。考え方の問題か?感性が悪いのか?歪んでいるのか?なぜ?
寄り添いたい??それはいらないな、別に寄り添いたくはないし寄り添われたくもない。違う、ニュアンスが違う。お互い「ふ〜んそうなんだ」程度の寄り添い。過度な干渉はせず、かといって否定はせず、かといって肯定もしない「ふ〜んそうなんだ」が一番理想的だ。そういうのがいい。私は、あくまでも、あくまで、私は。
考えたところできっと今の所私が心から人と繋がれることはないんだろうなと思う。耳障りのいい言葉を取り敢えず言ってみて、取り敢えず笑ってみることしかできず、挙句己の気持ちや感情をグイグイ押しつぶし、だから「なんでもいい」「どうでもいい」と切り捨てることしかできないのだろう。
相手との心の繋がりが掴めないために表面上の反応に頼るしかない。優しく振る舞うこと自体は「嘘」ではないが、相手がその表面だけを見てしまうことで「本心がない」と誤解されるジレンマにいる。そして人は表面上しか見れない生き物で、それが悪いわけではなく、普通なのだ。だからきっと「ドライな人」「無関心な人」とラベリングされてしまう。この繰り返しが他者との距離感をさらに難しくして、私自身も他者との距離感がどんどん分からなくなっていった。
「関係ない」「どうでもいい」と、関心を持つことで起こる混乱や消耗を避けたいという無意識の心理がきっとこの言葉の節々に隠れているのだ。そしてどれだけ努力しても他人を理解できないという諦めとコンプレックスが積み重なって「他人を知ろうとしない」に繋がり、余計他者との間に大きな溝ができていく。
どうでもいいわけではないのだ。どうでもいいとしか思えない。それを感じ取る方法がわからない。
私だって、貴方と心を通わせてみたい。
それすら面倒くさいから手っ取り早くさっさと突き放すのだ。きっと心を通わせられたら気持ち悪くて体調不良になるだろう。気持ち悪いのだ。人と心を通わすという言葉が、行為が、心底。コンプレックスからくる認知的不協和だ。
そのはずだ。私は人と心を通わせたいと思っているはずだ。人と心を通わせたいと思うべきだ。きっと、おそらく。などと思っている時点で「心を通わせたい」と思っているのは表面的なものかもしれないし、そもそも思ってすらいないかもしれない。
人と心を通わせたいと思っている方が、きっと人間的で、正解なんだと思う。
面倒くさいな。そのループだ。
プレゼントは
少し豪華な食事のはずだった
だけど前夜
少しの言い合いのあと
お互い口を利かなくなった
それでも
私の誕生日だから
声をかけてくれると思ってた
食事に行ったら
楽しい話をしようと思った
だけど
お互い口を利かないまま
次の日も、その次の日も
ただ過ぎていった
もともと
私の誕生日なんて
特別な日でもなんでもなかったんだ
期待してはいけなかったのに
学んだはずなのに
バカな自分のことを
また嫌いになる
プレゼント
有名なものではなく、顔が浮かんだものがいい
高級品よりその辺の駄菓子をニコニコ分けてくれる方が誠実だ
刃物よりは手料理に毒がいい
隣にいられるかどうかで落ち込むのは私の勝手とワガママでいいから
楽しみにすることだけは最低保証もつけて欲しい
贈り物
貰うのは勿論
あげる側でも 嬉しくなるもの
最近気づいた
わたしのなまえ いおりという名
漢字にすると 一祈 と書く
名前は 親から貰う最初の贈り物 とよく言うが
この歳になって あて字のこの名が わりと好きだと
やっと気づいた 思え始めた
プレゼントというものは
形より時間で 時間より言葉で 言葉より気持ちが
何よりも大事なんじゃないかと思う
金で買えないものもあるって
きっとたぶんこういうこと。
_ ₂₀₂
プレゼントと言えば一般に固形物を想像するけども、私にとってのプレゼントは「私という存在」です。人間という生物に「私」という個性が生まれた結果、今の自分が誕生したと思います。自分の長所も短所も、神様の贈り物であると思えば、少しは自分を受け入れることができるのではないでしょうか。
自分用のクリスマスプレゼントを買うと決めていたけど、何にするか悩んだまま、気づけば25日。しかも、今日は運悪く緊急の仕事が回ってきたせいで時刻は19時を過ぎていた。
スマホで近くの駅ビルの営業時間を調べてみる。飲食店以外は20時で閉まってしまうらしい。買うものが決まっているなら十分だが、色々なお店を見て悩むには微妙な時間だ。店員さんだって、閉店間際に優柔不断な客の相手などしたくないだろう⋯⋯と、諦める理由を考え、その日はそのまま帰宅することにした。
それでもやっぱり何もないのは寂しく、家の近くのコンビニへふらりと足が吸い込まれてしまう。
スイーツコーナーには、いつもより明らかに豊富な数のケーキが並んでいる。普段なら買わない価格帯のそれを手に持ってレジへと並んだ。
ぐだぐだだったなと振り返ってみる。そもそも教徒ではなく、行事の楽しい部分だけを味わっている身だが、特別感のあるこの日が好きだ。
きっと後日、悩んでいたプレゼントも買ってしまうと思う。
プレゼント
今年は辛く悲しい出来事が多かった。
でもソウルメイトととの出会いがあり、
宇宙からのプレゼントだと思っている。
ありがとう!
プレゼント
う し プ
れ て レ
し も ゼ
い さ ン
ね れ ト
て
も
プレゼント
私の母はキリストとは反対の宗教なのでクリスマスに
プレゼントが貰えず友達との会話が弾まなくていつも
辛くて3人組の後ろにいる人になった