『ブランコ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
幼きは漕ぐ
空へ空へ
それ今は
お尻が乗らず
揺れるふらここ
「ブランコ」
遊具の中で1番ブランコが好きだったなー笑
ブランコが人気で待ってる人が結構いた記憶が...笑
懐かしいな
キィキィ鳴らして乗ってさ、
学校に居た時、ブランコの音が1番響いてた
ブランコも人間みたいに年とって
どんどん錆びていく
ブランコに乗ってみた
相変わらずキィキィとブランコは言うね
音が響くね
あーぁ、もう少しで帰らなくちゃ、笑
あと少しだけブランコに揺られていよう
ブランコ
ブランコ
俳句
ふ
ら
こ
こ
や
こ
の
街
の
空
恣
季語 ふらここ ブランコのこと
春の季語
恣 は ほしいまま と読む
自分の加減次第で
大きく振れたり、小さく振れたり
自分の判断で止まれる
これほどまでに、楽しい遊びが
あるものか
《ブランコ》
ブランコを漕いだときに見える空は私をちっぽけな存在だといっているようだと思った。
ぐるんと回って無重力。先生に叱られてたあいつが今日宇宙に行くらしい。
ブランコ
猫ちゃんがブランコに
いっしょにのりたいって
言うの…
行ったり来たり…
ユラユラ…ユラユラ…
猫ちゃん…うれしそう
よかった
幼稚園生の頃、同い年なのに君の方が身長高くて、
いつも背中押してくれてたよね。
どんどん大きく揺れて高さを増していって
最初は怖かったけどだんだん楽しくなってきて
ブランコが大好きになったよ。
小学生の頃、放課後ランドセルを投げ飛ばして
君と二人でブランコを漕いだよね。
僕の背丈も増してたまに二人で立ち漕ぎなんかして。
6年生になるまでほぼ毎日一緒にブランコを漕いだよね。
中学生の頃、PTAの主張でブランコがどんどん無くなってったよね。いつも遊んでた公園からも、学校のブランコもほぼ全部が撤回されていったのを覚えてるよ。
1年生の頃はショックだったけど、時間が経つにつれ
僕達は別々の道で幸せになろうとして
放課後一緒にいることもなくなったよね。
ほんとはもっと遊びたかったな。
高校生の今、あの公園は取り壊されて今は住宅地になったよ。そのことを同級生と話したけど、あの公園のことは知らないって言っててびっくりしちゃった。同級生であの公園知ってる人は僕らくらいらしいよ。なんだか秘密の場所みたいでうきうきするな。
あの公園で遊んだ記憶は今は僕しか持ってないんだな。
なんだか少し寂しいや。
君ともっと話していればよかった。
中学を卒業した春休み。君は死んだ。
君のお母さんに聞いたけど自殺だったんだね。
ごめんね、気づけなくて。
今も時々君を思い出して、
あの公園があった場所に行くんだ。
住宅地だから長居はできないけれど、君との思い出はちゃんと僕が持ってるからね。絶対に忘れない。
もう今は話すことすらできないけれど、
いずれ僕がそっちに逝ったら思い出を語りたいな。
『ブランコ』
誰かに押される背中も
自ら漕ぎ出す勇気も
空に飛び立つ自由と
地から解き放たれる自由
「まあ、いいんじゃないか?
決めた道を自分の好きなように進みなさいよ」
ビール缶を片手に深夜のブランコ
隣合わせに座る父は
熱った顔で
オリオン座を観ながらキィキィと音を揺らした
#ブランコ
ブランコ
子供の遊具の代表格
このくらいでは
たまにアニメに出てくる
ブランコは難しいなっと思う
お題として
だから捨て置くとして
子供が遊んでる
その姿を見ることがない
帰宅中や通学中ならみるけど
遊具がなくても
何かで遊ぶと思う
遊ぶことは学ぶこと
学びを強要しなくても
興味で勝手に遊ぶと思うよ
真似をすることから
理解や解釈が生まれるし
他にも興味を持つことになる
わからないまま次にいく
わからなくて次にいく
わかっても次にいく
何処かに辿りつくはず
何処に行きたいかではない
そもそも目的はない
ただ何故か不思議には思う
小さい頃…
ブランコに乗ってて
頭が痛くなって…
それから
少しずつ…
あまりブランコに乗らなくなったなぁ。
それでもなつかしいものがあるかも…
#ブランコ
ブランコ
杏色の空の下、アスファルトを革靴で鳴らしながら歩く。それに合わせて引き出物の袋がゆらゆら揺れる。
地元の道、小さな公園。そこは少年時代の思い出が詰まった場所。君との思い出が濃すぎる場所。
誘われるようにふらりと入り、ブランコに腰かけた。あの頃とは違う色、違う目線。変わらないのは隣に座っている君。
喪服のネクタイを乱暴に緩める。古いブランコはキィと泣く。
『なあ、もう辞めてくれないか。お前はただの都合のいい亡霊だ。』
君はあの時の笑顔、あの時の澄んだ青いワンピース。何も言わなかった。
少年時代の甘酸っぱい記憶が走る。そして血の匂いのする記憶も。
『もう、辞めてくれ。』
黒のパンツにひとつ、ふたつと染みが出来ていくのを彼女はただ眺めるだけだった。
見渡す限りの草原に一台のブランコが立っていた。
風が吹けばブランコの錆びた金具がキィキィと鳴った。
古びたブランコに乗る人は誰も居なかった。
けれども、ブランコはちっとも寂しくなかった。
草原を渡る穏やかな風と、頭上に広がる美しい空があって。
ブランコを雨から守ってくれる優しい木と時折足をくすぐるイタズラ好きな花や草が居て。
ブランコはそれだけでとっても幸せなのだった。
今日も草原からはキィキィと幸せそうに笑うブランコの声が聞こえる。
テーマ『ブランコ』
ブランコ
(本稿を下書きとして保管)
2024.2.1 藍
【ブランコ】
幼い頃
ぶらぶらと揺れる、あの遊具が好きだった
自分に羽が生えたようで
体が軽くなるようで
今の私は心が重く
胸の奥の方でぶらぶらと気持ちが揺れている
悩み、迷い、苦しみ
それらを抱えて足踏みしている
辛いことがあると
ブランコに乗りながら俯いた、遠いあの日のように
上を向く気になれず
不安定なままに揺られ続ける
ブランコこいで遊ぼうよ!
何して遊ぶ?
くつ飛ばしする?
それとも立ち漕ぎする?
幼馴染とよくしたね。
大人になった今はすることがなくなったけれど。
でも、童心に帰ってブランコ漕ぎたいな。
ブランコ乗りたい、
高校はいいけど、中学校には、公園あったほうがいいよね。小学校の頃公園で遊ぶの楽しかったな。
高校入ったら、休み時間始まるとみんなスマホ触りだすから怖かったな。私は窓際で風浴びてたけど笑、
多分そのうち、「公園などで遊ぶ機会が減った子供の発達の影響」とか言われるかな、と思うけど、時代の変化につれて体を動かすことは、ずーっと減っていく一方だよね。
なんか私は、今の世界でもどちらかと言えばマイノリティの方だし、とっても自由な人間だから、昭和とかに生まれなくてよかった、って思うけど、
運動会だけは、厳しく取り組んだほうがいいんじゃないかと思うときがあります。戦時中の訓練のように。もちろん先生たちも子供達も、当時の人とは心持ちが違うから、本当の意味で厳しくはできないと思うけど、
歴史を体験するという意味でも、競走をやめようという教育が急に進みすぎた弊害を抑えるためにも、いいことなんじゃないかなと考えてみました。
無理やりがダメなのはもちろんだけど、それを今の時代の若い人がが、自ら希望してやってみようって思うのは、いいことだと思います。
まあ私がそれを体験してみたいだけなんですけど
というか、私も含めて、特に戦争などに関わるなど、歴史を学べてないと思います。
平和ボケです。
「ブランコ」
小さな頃、ブランコが大好きだった。
はじめて買ってもらったぬいぐるみの名前も
「ブランコ」にちなんで付けた。
何がそんなに好きだったのか、
大人になってから乗って考えてみた。
自分の好きな速さで好きな高さまで漕いで、
ひとりで風を感じる。
ああ、幼かった私にとっての
ちょっとしたひとり時間だったのかな。
好きだった本当の理由は覚えてないけど、
大人の私も、ブランコ好きだよ。
ふらここをぬらりくらりとゆらす風
/お題「ブランコ」より
『ブランコ』
幼少の頃の記憶はほとんど覚えていないと言うのに、ブランコに乗った時のことは何故かよく覚えている。
楽しそうに漕ぐ友達。
背中を押して、押されて。
びゅんびゅん風を切ってさ。
あれ180度行ってるよなぁ、って。
私は、それをじっと見ているのが好きだった。
「乗りたいの?」って勧められて座ってみるけど、
漕ぎ出す勇気はなかった。
「背中押したげる」って背中を押されるけど、
どうしても足を地面につきたくなる。
なんか、怖い。
2本の鎖が子供の体重なんかに負けて千切れるわけなんてないだろうけど。それでも地面から離れたくない。
原理なんてさっぱりわからないブランコも、うっかり手を離して転げ落ちそうな自分も。信用ならない。
ブランコはすぐに友達に譲って、私にしてくれたお礼に、そっと背中を押した。
大きく大きくブランコを漕ぐ友達は、
やっぱり遠くどこかへ飛んで行ってしまうような気がした。