『ハッピーエンド』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
街が見下ろせてしまう程の高さの丘の上、
君達と並んで星を眺めている。
失ったものが多かった。でも、得たものも確かにあった。辛くも楽しい人生だった。
目を閉じると巡るは満たされた日々。
君達と過ごした楽しい日々。君達と壁を乗り越えた日々。
僕は大きく息を吸って歌う。
僕の中にある感情全てを歌にして。
辺りに響くのは僕の声、そして彼等の呼吸音。時折しゃくりあげてるのは気のせいかな。
-全部終わった。逃げたいと思う程に厳しい戦いが。僕達はもう自由…の筈だった。
戦いは終わった、終わった途端に街の人間の怒りの矛先はもう居なくなった敵から僕らに変わった。逃げて逃げて逃げて、やっと辿り着いた。皆で辿り着けたのは奇跡だと思う。
-だから、絶好のチャンスだと思うんだ。全てを終わらせる為の、この地獄から抜け出す為の。
僕らは笑顔でこの地獄から静かに消えていく。
落ちて墜ちて堕ちていく。
僕らは輪廻転生を繰り返す。
これはその内の1つでしかない。
『「来世は今世よりも幸せでありますように」』
星が輝くある日の夜。5人の少年が宙を舞った。彼等は幸せそうな表情で、この"地獄"から旅立った。
--これが彼等にとっての
本当のハッピーエンド--
#ハッピーエンド
私の友達は、私の幼なじみに恋を抱いているため、
私はその友達の恋を応援している…が、
ここだけの話、実は私も幼なじみの彼の事が好きだ。
私はこの気持ちを抑えて、笑顔で応援している。
だって、応援すると友達に言ったから。
たまにちゃんと笑顔で応援できているだろうか…??
そう思う理由は、
……2人が仲良くしている所を見ると少し妬いてしまう事があるからだ…。
こんな自分が嫌だ……。
でも、友達が彼といる事で嬉しそうに笑っている姿を見ると頑張って欲しい…と思う。
そんなあやふやな気持ちだ。
そんな友達はある日、彼に告白をすると緊張げに私に伝えてくる。
私は、笑顔で頑張ってね!!と告げる。
私は、本当に2人がそういう関係になったら、
心の底から幸せを祈れるだろうか…。
でも、彼が幸せになってくれれば私はそれでいい。
私は、涙目になりながらも思う。
これで、ハッピーエンドで終わるんだ。
そう考えているうちに、友達は彼に告白をしに行く。
私は何とも言えない感情で友達の帰りを待っている。
すると___。
友達は、泣きながら私の元へ来た。
友達によると、彼には好きな子がいると言われたらしい。
私は、何とも言えない気持ちになった。
友達がフラれてしまったという悲しさと、
また彼と話せるかもというほんの嬉しさでいっぱいいっぱいだった。
こんな最低な私が嫌で仕方なかった。
そんな今の私には、
友達が泣き止むまで隣にいてあげる事しか出来なかった。
友達は、
応援してくれてありがとう、今はなるべく1人にさせて欲しい、ごめんね。と伝えて来た。
友達が行った数分後、幼なじみが私の方へ向かってきた。
彼は私に話があると、
緊張げに伝えて来た。
私はこれからどうなるの___。
「ハッピーエンド」
ハッピーエンドはとある立場の人から
見たものじゃない?
別の立場からしたらバットエンドじゃない?
と思う時がある。
例えば
昔話の桃太郎
村の人からしたら村に悪いことをする鬼がいなくなった。村に平和が訪れる。村にとってはハッピーエンドだけど、もし、鬼ヶ島に生き残りがいたら?
その鬼からしたら急に自分たちが住んでる所に
知らない人や動物がやってきて、
家族や友達が無残に殺される。
鬼にとってはバットエンドになる。
物語に登場するキャラ全員がハッピーエンドを迎えることは出来ない。
誰か1人はバットエンドを迎える。
ハッピーエンドがあることは必ず
バットエンドがある。
ハッピーエンドとバットエンドは表裏一体。
それだけは覚えておこう。自分はそう思った。
私のハッピーエンド。
死ぬ前がハッピーエンド。
違う。
ハッピーエンドってのは最高にハッピーなので、ベリーベリーバットを乗り越えた後にしか見れないものが自分の求めたハッピーエンド。
「ハッピーエンド」
それは、
甘酸っぱい小説の中にあって
緊張ひしめくあの試合にあって
仲違いしながらも縁を再構築していくあの学生達にもあって
今読んでる漫画の中にあって
私にはないもの
#3 ハッピーエンド
ハッピーエンドというワードが、いつの頃からかずっと好きではない。好きではない、というよりは。引っかかっているような、違和感に似た感覚だ。
「ハッピーエンド」を「終わりよければすべて良し」のように捉えてしまうからだろうか。それは裏を返せば「報われなければ無意味」であり、「どんな過程を踏んでも結果を示さなければ虚無に終わる」のように捉えてしまうからだろうか。
そうしたら、転機転機で何の結果も残していない私は、バッドエンドの積み重ねの人生を歩んでいることになる。
恐らく私は、その延長線上に立ったまま動こうともせず、ハッピーエンドを迎えないだろう。でも、そんな最期を受け入れるつもりだ。
ハッピーエンドなどという――そしてバッドエンドなんてものも――そんな平凡で派手なものは、私には似合わないし、要らない。
ハッピーエンド
人生最後の時を
ハッピーエンドで迎えられるのなら、
「私は幸せだった。」
と言えるのだろう。
ハッピーエンド
人生の最後にありがとうが言えれば
ハッピーエンド
『ハッピーエンド』
「ハッピーエンドなら、エンドマークがついた瞬間に隕石を降らせたい」と、私の好きな作家は作中で書いた。
ハッピーエンドのその先が幸せなんて、誰もわからない。だから、ハッピーが確約されているその瞬間に、すべてを終わらせたい、と。
私も今、この瞬間に隕石を降らせたい。
ライスシャワーの中、幸福に満ち溢れた笑顔で歩く二人を前に、そう思う。
けれどそれは「幸せなまま終わって欲しい」なんて願いではなく。
かといって、「幸せの絶頂から転落してほしい」なんて呪いでもなく。
ただただ、二人の……私の大切な大切な親友のルミを奪った男のに脂下がった顔を見たくないから、今この瞬間に隕石でも降ってきて私の頭に当たってくれはしないかと願っている。
この想いは、恋ではない。
彼女に向けるこの想いは、恋ではない。それは、自分でもよく考えて、結論を出した。
恋ではない。でも、愛ではある。
生まれたときから、それこそ産院で母親同士が隣の分娩台で産んだくらいに生まれたときから一緒にいた彼女は、私の友であり姉であり妹であり、そしてもうひとりの私でもあった。
彼女のことは、私が一番良くわかっている。
だから、本当に本当に不本意だけれど、あの男が彼女を幸せにするだろう事もわかる。だって、あの子は彼と一緒ならば幸せなのだ。それが、わかってしまったから。
私は、泣いた。そりゃぁもう、子供のように泣いた。
彼女は、ずっとずっと、私の背中を撫でてくれた。
彼女のことを一番わかっているのが私なら、私のことを一番わかっているのも彼女なのだ。私がどうして泣いているのか、彼女はわかっていた。
「クミちゃんが結婚するときは、私も大泣きするんだろうなぁ」
そんなふうにつぶやきながら、私の背を撫で続けた。
彼女のウェディングドレスは私が選んだ。そうしてほしいと彼女が言ったから。
今日、教会の十字架の前に立った彼女はとてもとてもきれいで、私が選んだドレスがよく似合っていた。私はまた泣いた。今も泣いている。
「クミちゃん、私、今隕石が落ちてきそうなくらい幸せ」
幸せな泣き顔をしたルミは、ブーケの影でこっそりと私に囁いた。
隣の男は不思議そうな顔をしているけれど、同じことを考えていた私にはわかる。
「まだまだ、エンドマークなんてつけさせないよ」
ここはまだ、ハッピーエンドじゃない。今はまだ途中の途中で、ルミはもっともっと幸せになるんだから。
だからやっぱり、隕石にはちょっとまっててほしい。
幸せなルミの隣には、この男だけじゃなく、私だって必要なんだから。
2023.03.29
ちょっととっ散らかりました。
ハッピーエンド
わたしは、職を探しているが見つからない。働くことは義務だと親から聞いた。義務だから、みんな一生懸命に働くのだと思う。わたしも周りの社会人のように、当たり前の生活をしたいと思う。結婚もしたいし、子供もほしい。美味しいものも食べたいし、いい家に住みたい。法律は何のためにあるのか、わたしには分からない。法文は主観的に解釈されているのかもしれない。わたしにはとても理解が出来ない。
小さなしあわせ 見つけましょ
ひとつ
ひとつ
幸せは
悲しみの影に
隠れていることもある
悲しみが癒えた後に
やってくることもあるらしい
痛みも祝福だとしたら??
もう
全ての出来事が…
『ハッピーエンド』
………やっぱり痛いのは苦手です
大抵の人間は、お約束やハッピーエンドが好きらしい。
私も例外なくその1人だ。
映画や小説で予想通りの展開に安心した覚えもあるし、
話を書こうとすれば、登場人物たちをどうにか幸せにしてあげたくなる。
でもちょっとだけ、意地悪な終わり方を期待していることもある。
幸せや希望を期待しながら、どこかで人生はそんなに甘くない、と殴っても欲しいらしい。
幸せかどうかは本人が決めること、とはよく言ったものである。
どうか悔いのない毎日を。
美味しいフルーツタルトを食べて幸せな私の、
これから書くお話はどう終わるかしら。
『ハッピーエンド』
「ハッピーエンド」
桜は咲いたのに僕は土の中だ。
死んだわけじゃない。埋まってるだけだ。
少しパーツが壊れただけで、あと数日もすれば機能が停止する。
人間がいるなら、問いたい。
僕は機能が停止したら、あなた方に会えるでしょうか。
いつかこの恋がハッピーエンドで終わるといいな。
好きな人とまた付き合って、電話して、会ったり
遊んだり、同棲したり、幸せな家庭を築いて結婚して
いつまでも好きな人と一緒にいたいな。幸せになりたいな
神様へ この恋がハッピーエンドで終わりますように.....
この恋が実りますように.....
ハッピーエンドを迎えたならば、きっと他の誰かはバットエンドを迎えているのだろう。みんながハッピーな世界は、なんというか宗教的な禍々しさを感じてしまう。
「そんな訳ないじゃない。禍々しくなんてないわ、みんなが笑顔で最後を迎えるなら、それが一番幸せでしょう?」
世界に突如として現れた笑顔をこよなく愛する宗教。
「幸福正義協会」皆がハッピーエンドを迎え、常に笑顔でいることを正義とするその考え方に、僕は反対した。
「…確かに、人は楽しかったりすると笑顔になります。でも、それを正義という概念で縛っていいってもんじゃない。それに、人が人として成長するには、楽しい以外の感情を、ハッピーエンド以外の結末を知ることも必要なんです」
「分からないわ。楽しい事、好きな事を永遠にしていたい。笑顔の絶えない未来を築きたい。そう願ったのは、紛れもない私たちでしょう?」
「そう…ですね。楽しい時は一瞬で過ぎ去ってしまうことに苦言を呈したこともあります。でも、その時に留まっていては、一向に前に進めませんよ。家族と、恋人と、友達と、ライバルと、苦楽を共にして、成長するのが人生ってものの醍醐味じゃないんですか」
「…矛盾してるわ。」
その言葉を待っていた。思わず、僕の口角が上がる。
「分かっているじゃありませんか、あなたも。そうです、矛盾だらけなのです。人なんてそんなものです」
背中に隠したナイフを構える。
「僕は言いました。人は楽しいと笑うと」
「…ねぇ、あなた今、何が楽しくて 笑ってるの? 」
「知っていますか。人は、悲しくても、笑うんですよ」
構えたナイフで、死角から女の腹を突き刺す。こんな宗教、広まってたまるか。人が笑顔になるのが正義だと?
違う、間違っている。人は悲しい時だって、例えば心配かけまいと、例えば誰かの為に、笑顔を尽くす。
「悪役として、バットエンドを迎えるのは、僕だけでいい」
誰かの、ハッピーエンドを守るために。
#ハッピーエンド
私とアナタは、10年間付き合っていた。
初めての出会いは、駅前で。
初めての外食は、ハンバーグ。
初めての旅行は、難波
いろんな初めて、いろんなアナタを知ってきた。
でも、10年目、将来性の問題でアナタから別れを告げられ
た。 3日、4日経つ度に終わったのか。何とも言えない苦心
、 ハッピーエンドが好きな私。 告げられたのは、バットエ
ンド。 アナタに会いたい。ハッピーエンドじゃないの?
#ハッピーエンド
夢が
恋が
人生が
あなたにとってかけがえのないものが
ハッピーエンドを迎えれますように
創作はいい。現実と違ってハッピーエンドに出来るから。
ご都合主義?
幸せならいいじゃない。
ハッピーエンドって日本語で直訳したら
幸せな終わりって訳される。
幸せな終わり。
物語で例えたら
ヒロインが苦難の道を乗り越えて幸せになれば
ハッピーエンドだ。
けど、僕たち人は現実を生きてる。
物語は結婚や目標を達成すれば終わるけど、
僕たちは、この現実に生きていて
怪我をすれば痛いし、美味しいものを食べれば
美味しいと感じられる現実に生きている。
じゃぁ、現実で生きている
僕たちの終わり
エンドはいつだろう…って考えた時
思いつくのはみんな一緒
たぶん、命尽きる時
その時に幸せな終わり方ができたら
きっとそれが現実でのハッピーエンドだ。
たがら、命尽きる時
幸せだっただと感じれる人生を
僕は歩んでいきたい。
綺麗事だとは思うがこういう場でしか
綺麗事なんて言えない。
現実で言えば、
きっと、コイツお花畑、草、とかなんとか
マイナスな言葉が返ってくるから
だから、ここでは綺麗事や矛盾なことばかり
のことばを並べていきたい
大きい声で幸せな人生が送れた嬉しかったと
叫びながら僕はしんでいきたい。
ハッピーエンド
オタマジャクシだった私は
田んぼにいたの。
目が見えなかったから
雨がずっと降らなかったことにも
気付けなかった。
苦しい
体が熱い
もうだめだってなったとき
誰かわからないけれど
私に水をくれたのよ。
私が生きてるのは
必然ばかりではないわ
きっと奇跡の繰り返しね。
【ハッピーエンド】