『ハッピーエンド』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『ハッピーエンド』
「ハッピーエンドなら、エンドマークがついた瞬間に隕石を降らせたい」と、私の好きな作家は作中で書いた。
ハッピーエンドのその先が幸せなんて、誰もわからない。だから、ハッピーが確約されているその瞬間に、すべてを終わらせたい、と。
私も今、この瞬間に隕石を降らせたい。
ライスシャワーの中、幸福に満ち溢れた笑顔で歩く二人を前に、そう思う。
けれどそれは「幸せなまま終わって欲しい」なんて願いではなく。
かといって、「幸せの絶頂から転落してほしい」なんて呪いでもなく。
ただただ、二人の……私の大切な大切な親友のルミを奪った男のに脂下がった顔を見たくないから、今この瞬間に隕石でも降ってきて私の頭に当たってくれはしないかと願っている。
この想いは、恋ではない。
彼女に向けるこの想いは、恋ではない。それは、自分でもよく考えて、結論を出した。
恋ではない。でも、愛ではある。
生まれたときから、それこそ産院で母親同士が隣の分娩台で産んだくらいに生まれたときから一緒にいた彼女は、私の友であり姉であり妹であり、そしてもうひとりの私でもあった。
彼女のことは、私が一番良くわかっている。
だから、本当に本当に不本意だけれど、あの男が彼女を幸せにするだろう事もわかる。だって、あの子は彼と一緒ならば幸せなのだ。それが、わかってしまったから。
私は、泣いた。そりゃぁもう、子供のように泣いた。
彼女は、ずっとずっと、私の背中を撫でてくれた。
彼女のことを一番わかっているのが私なら、私のことを一番わかっているのも彼女なのだ。私がどうして泣いているのか、彼女はわかっていた。
「クミちゃんが結婚するときは、私も大泣きするんだろうなぁ」
そんなふうにつぶやきながら、私の背を撫で続けた。
彼女のウェディングドレスは私が選んだ。そうしてほしいと彼女が言ったから。
今日、教会の十字架の前に立った彼女はとてもとてもきれいで、私が選んだドレスがよく似合っていた。私はまた泣いた。今も泣いている。
「クミちゃん、私、今隕石が落ちてきそうなくらい幸せ」
幸せな泣き顔をしたルミは、ブーケの影でこっそりと私に囁いた。
隣の男は不思議そうな顔をしているけれど、同じことを考えていた私にはわかる。
「まだまだ、エンドマークなんてつけさせないよ」
ここはまだ、ハッピーエンドじゃない。今はまだ途中の途中で、ルミはもっともっと幸せになるんだから。
だからやっぱり、隕石にはちょっとまっててほしい。
幸せなルミの隣には、この男だけじゃなく、私だって必要なんだから。
2023.03.29
ちょっととっ散らかりました。
ハッピーエンド
わたしは、職を探しているが見つからない。働くことは義務だと親から聞いた。義務だから、みんな一生懸命に働くのだと思う。わたしも周りの社会人のように、当たり前の生活をしたいと思う。結婚もしたいし、子供もほしい。美味しいものも食べたいし、いい家に住みたい。法律は何のためにあるのか、わたしには分からない。法文は主観的に解釈されているのかもしれない。わたしにはとても理解が出来ない。
小さなしあわせ 見つけましょ
ひとつ
ひとつ
幸せは
悲しみの影に
隠れていることもある
悲しみが癒えた後に
やってくることもあるらしい
痛みも祝福だとしたら??
もう
全ての出来事が…
『ハッピーエンド』
………やっぱり痛いのは苦手です
大抵の人間は、お約束やハッピーエンドが好きらしい。
私も例外なくその1人だ。
映画や小説で予想通りの展開に安心した覚えもあるし、
話を書こうとすれば、登場人物たちをどうにか幸せにしてあげたくなる。
でもちょっとだけ、意地悪な終わり方を期待していることもある。
幸せや希望を期待しながら、どこかで人生はそんなに甘くない、と殴っても欲しいらしい。
幸せかどうかは本人が決めること、とはよく言ったものである。
どうか悔いのない毎日を。
美味しいフルーツタルトを食べて幸せな私の、
これから書くお話はどう終わるかしら。
『ハッピーエンド』
「ハッピーエンド」
桜は咲いたのに僕は土の中だ。
死んだわけじゃない。埋まってるだけだ。
少しパーツが壊れただけで、あと数日もすれば機能が停止する。
人間がいるなら、問いたい。
僕は機能が停止したら、あなた方に会えるでしょうか。
いつかこの恋がハッピーエンドで終わるといいな。
好きな人とまた付き合って、電話して、会ったり
遊んだり、同棲したり、幸せな家庭を築いて結婚して
いつまでも好きな人と一緒にいたいな。幸せになりたいな
神様へ この恋がハッピーエンドで終わりますように.....
この恋が実りますように.....
ハッピーエンドを迎えたならば、きっと他の誰かはバットエンドを迎えているのだろう。みんながハッピーな世界は、なんというか宗教的な禍々しさを感じてしまう。
「そんな訳ないじゃない。禍々しくなんてないわ、みんなが笑顔で最後を迎えるなら、それが一番幸せでしょう?」
世界に突如として現れた笑顔をこよなく愛する宗教。
「幸福正義協会」皆がハッピーエンドを迎え、常に笑顔でいることを正義とするその考え方に、僕は反対した。
「…確かに、人は楽しかったりすると笑顔になります。でも、それを正義という概念で縛っていいってもんじゃない。それに、人が人として成長するには、楽しい以外の感情を、ハッピーエンド以外の結末を知ることも必要なんです」
「分からないわ。楽しい事、好きな事を永遠にしていたい。笑顔の絶えない未来を築きたい。そう願ったのは、紛れもない私たちでしょう?」
「そう…ですね。楽しい時は一瞬で過ぎ去ってしまうことに苦言を呈したこともあります。でも、その時に留まっていては、一向に前に進めませんよ。家族と、恋人と、友達と、ライバルと、苦楽を共にして、成長するのが人生ってものの醍醐味じゃないんですか」
「…矛盾してるわ。」
その言葉を待っていた。思わず、僕の口角が上がる。
「分かっているじゃありませんか、あなたも。そうです、矛盾だらけなのです。人なんてそんなものです」
背中に隠したナイフを構える。
「僕は言いました。人は楽しいと笑うと」
「…ねぇ、あなた今、何が楽しくて 笑ってるの? 」
「知っていますか。人は、悲しくても、笑うんですよ」
構えたナイフで、死角から女の腹を突き刺す。こんな宗教、広まってたまるか。人が笑顔になるのが正義だと?
違う、間違っている。人は悲しい時だって、例えば心配かけまいと、例えば誰かの為に、笑顔を尽くす。
「悪役として、バットエンドを迎えるのは、僕だけでいい」
誰かの、ハッピーエンドを守るために。
#ハッピーエンド
私とアナタは、10年間付き合っていた。
初めての出会いは、駅前で。
初めての外食は、ハンバーグ。
初めての旅行は、難波
いろんな初めて、いろんなアナタを知ってきた。
でも、10年目、将来性の問題でアナタから別れを告げられ
た。 3日、4日経つ度に終わったのか。何とも言えない苦心
、 ハッピーエンドが好きな私。 告げられたのは、バットエ
ンド。 アナタに会いたい。ハッピーエンドじゃないの?
#ハッピーエンド
夢が
恋が
人生が
あなたにとってかけがえのないものが
ハッピーエンドを迎えれますように
創作はいい。現実と違ってハッピーエンドに出来るから。
ご都合主義?
幸せならいいじゃない。
ハッピーエンドって日本語で直訳したら
幸せな終わりって訳される。
幸せな終わり。
物語で例えたら
ヒロインが苦難の道を乗り越えて幸せになれば
ハッピーエンドだ。
けど、僕たち人は現実を生きてる。
物語は結婚や目標を達成すれば終わるけど、
僕たちは、この現実に生きていて
怪我をすれば痛いし、美味しいものを食べれば
美味しいと感じられる現実に生きている。
じゃぁ、現実で生きている
僕たちの終わり
エンドはいつだろう…って考えた時
思いつくのはみんな一緒
たぶん、命尽きる時
その時に幸せな終わり方ができたら
きっとそれが現実でのハッピーエンドだ。
たがら、命尽きる時
幸せだっただと感じれる人生を
僕は歩んでいきたい。
綺麗事だとは思うがこういう場でしか
綺麗事なんて言えない。
現実で言えば、
きっと、コイツお花畑、草、とかなんとか
マイナスな言葉が返ってくるから
だから、ここでは綺麗事や矛盾なことばかり
のことばを並べていきたい
大きい声で幸せな人生が送れた嬉しかったと
叫びながら僕はしんでいきたい。
ハッピーエンド
オタマジャクシだった私は
田んぼにいたの。
目が見えなかったから
雨がずっと降らなかったことにも
気付けなかった。
苦しい
体が熱い
もうだめだってなったとき
誰かわからないけれど
私に水をくれたのよ。
私が生きてるのは
必然ばかりではないわ
きっと奇跡の繰り返しね。
【ハッピーエンド】
ハッピーエンド。終わりよければすべてよし。
泣き笑いの表情のまま、
私は地面にコーラを少し注いで、
地球とちょっと乾杯したよ
この土地にも、もうバイバイ
生きるのがつらくてたまらない夜に、
河原を泣きながら散歩してたら
黒塗りの川面にキラキラと散った町の光が、
私をそっとなぐさめてくれたよね
大雪の夜に川辺へ様子を見に行ったら、
あまりの静けさに私の耳が
おかしくなったのかと思ったよ
私がこの場所を選んだわけじゃなかったから、
最初はすごく戸惑ったし、
なんて寂しい町なんだと思ってた
多分二度と戻ってくることのない町だし、
楽しい記憶より辛い記憶のが多いけど、
荷物を引き払って、
もう塵ひとつない部屋を背にして、
今私がこうして夜空にひとり川辺を歩いて、
寂しいって思えてるこれが、
ハッピーエンド
どんなに終わりが綺麗でも過程の苦しさが全部消えるわけじゃないだろ
ハッピーエンドを迎えたかった
最後に世界は平和になって
世界の誰もが笑っている
でも、何故だろう
君が見当たらない
どうしても君が僕の前に居ない
世界は平和になった
それは正しく、ハッピーエンドだ
でも、それでも
僕はそう思えない
そんな世界の、ハッピーエンド
私の元を去る先輩。
私に気がなくなったような幼馴染くん。
私のそばにいたお兄ちゃん。
先輩も幼馴染くんもお兄ちゃんも…みんな私を置いて行くんだ。サヨナラも言わずに…
先輩。県内の高校に留まるんですね!でも、遠いんですね、高校。出来れば隣町のあの偏差値の高い高校にして欲しかったです。先輩なら入れたのに…そ、そうですよね、陸上、続けるんですよね。そっか、行ってしまうんですね。私、先輩のこと、まだ諦めてもいないのに。
君!…君。あ、君。ねぇ。…き…。私が呼んでも答えてくれない。そんなに私の事嫌いになったんだね。いつもいつも私の元に来るくせに。今度は私が近寄るのも嫌だって言いたいの?なんでずっと私たちの距離が縮まらないの?君、私の事、諦めたんだね。私も君にそんな気は一切なかったよ。君が言えば私の気持ちは動いたのかもしれないのに。ずっと待ってたよ、君のこと。私に会うことさえも引け目を感じているんだね。そう…なんだね。
おにぃ…お兄ちゃん!行かないで、お願い。ここに居て。そんなことは聞きもせずにお兄ちゃんの大学は県外に決まった。生まれてからずっと私のそばにいたお兄ちゃん。引越しの準備をたんたんと進めている。
県内に留まれば良かったのに。
将来の就職が確実になるかもしれないんだ。
いつ帰ってくるの?ゴールデンウィーク?
んー。ゴールデンウィークは難しいな。
いつ帰ってくるの?
わかんないな。帰ってこないかも笑
時には大好きで、時には大嫌いで。それでも、私たちは毎日毎日一緒にいて。他の兄弟とは比べ物にならないくらいの仲良しで。私はお兄ちゃんが大好きだ。ブラコンなんだ!そんなお兄ちゃんも4月にはこの家を旅立つ。私も見送りについて行くけれど。お兄ちゃんも私のことを置いて行くんだ。ずっとここにいればいいのに。それじゃあダメなんだよと笑うお兄ちゃんに私は泣きたくなった。いつもワガママ言っては怒られた。でも、今回だけは聞いてほしい。それもまた、ダメだった。お兄ちゃんは私の一番の宝物なのに。自慢の兄なのに。
先輩も幼馴染くんもお兄ちゃんも。みんな私の元から去っていく。それでもなお、私はハッピーエンドを追い続ける。私の本当のハッピーエンドはもう…存在しないのかもしれない。
…サヨナラくらい言ってくれてもいいじゃない
『ハッピーエンド』
オレ 猫
名前は…
オレを拾った小さな人間が
「ニャーさん」と呼んでいる
以前は…
母ちゃんと兄弟と一緒にいた
ある日
母ちゃんが兄弟たちを
くわえてどこかに行った
「すぐに迎えに来るからね」
母ちゃんはそう言っていたけど…
二度と戻って来なかった
代わりに来たのは
小さな人間
オレが腹をすかせて
あまりにも大きな声で
ニャーニャーと
鳴き叫ぶ声を聞いて
かわいそうに思ったのか
汚れて寒さに震えているオレを
自分の家に連れて帰った
温かいベッドは独り占め
美味しいご飯は横取りされない
こういうのを快適と言うのか
小さな人間は女の子と言うらしい
オレはここで人生いや猫生を
送ることにした
幸せな結末と言えるかどうかわからないが
とりあえず今は
人間たちに可愛がられ
幸せに暮らしている
これまでの猫生を語れば
まぁ ハッピーエンドと言えるかもな
王子様と結婚したらハッピーエンド
そう擦り込まれて大人になった。
あれ?おかしい。
聞いてた話とちがーう!
なにが自分にとってのハッピーエンド?
毎日ぐるぐる考えているけれど、
生きているうちに答えは出ないのかもしれない。
自分の過去の選択を認めて受け入れて、
その上でハッピーエンドになるように、
都度選択して生きていく。
いまがハッピーエンドとはとても言えないけれど、
いつか胸を張ってそう思える日を迎えたい。
私は子供の頃か四十五歳前後でこの世を去る、そうした漠然としたものが胸の中にある。それは私が子供ながらにして、人生を悲観したからでも生きることを放棄したからでもない。何故か分からないが、そのようなものを感じていた。
私は十八歳の頃に親元を離れ、遠く仙台に移り住んだ。親元を離れたいとか、地元から逃げ出したいとか、そういった理由ではなく自立するためだ。しかし、私を待ち受けていたのは過酷な環境だった。もともと極道に関わっていた人間が営む会社で、仕事でミスをすれざ帰社後に皆の前で落とし前を付けさせられた。毎日のように私や同僚の誰かが殴られ蹴られ激しく責め立てられた。給料など貰えず、全てが現物支給で、本業の仕事がない時は派遣の仕事に行かされた。引越しや家具配送組み立て、家電配送設置に交通量調査も経験した。引越しや家具配送組み立ての企業には入社しないかとお声も頂くほど勤務していた。同世代の人間が仙台の街で楽しく遊んでいるのを見ては、羨ましさと恨めしさを募らせた。
そんな環境の中で、順応していくには自分を捨てることが必要だった。今までの自分を捨てて、無理やり新しい自分になる必要があった為、もがき続けた。結果として、驚くほど自分を変えることが出来た。だが、大切な何かも同時に失ってしまったように思うのだ。その後は退職できる環境では無いため、知人を頼って高飛びをした。ところが、こうした因果というのは付きまとうもので、この知人も極道絡みだったのだ。シャブ漬けで危険極まりない人間だった。普段は優しく、シャブが効いている間は仏のようだった。しかし、切れ目は人間性が豹変した。いつ何があるか分からない状況の中で、また知人を頼ることになった。その知人もまた極道絡みの人間だった。結局、他力本願で自分で何もしようとしないでことに臨めば因果は巡って来るものなのだと痛感した。
結局のところ、自分の時間を過ごすことが出来ないうちに若い時間は流れていってしまったのだ。いまは地元にいるが、当時の暮らしとはギャップが大きい為に未だに順応できているのか分からない時があると感じる。そして、何をしたいのかもハッキリ見えてこない。ただ、将来のことを考えたり昔から挑戦したかったことなどを思い浮かべてみて何となく求めていることがわかった気がした。私は転職を機に四月から新たな一歩を踏み出すが、これは模索してきた中で見つけた答えに近いものなのかもしれない。だからこそ、動いてみようと思ったのだ。不安が大きく、それでいて期待や希望も膨らんでいる。どうしようもなく途方に暮れてしまいそうな時を過ごしてきたが、それが無駄ではなかったと自分のために証明することも今度の転職の目的のひとつだ。人生というのは、タイミング(機会や時期)というのがとても大切だ。逃してしまえば二度と訪れないかもしれない。いやはや、後々になってもう一度訪れるやもしれない。これが分からないからこそ、何時でも自分を動かしてやれる状態を作っていなければならない。どんな厳しい状況にあろうとも、何とかしようと思えばどうとでもなるものだ。為せば成るのだ。その思いを強く持って、いつでも自分を活かせるように、高められるように準備しておかなければならない。否、その方が断然いい。これは実践してみれば強く実感するだろう。私はそうであったが、ひとによるところは大きい。しかし、何も意識をしないだむざむざと一日一日を惰性で過ごしていては無駄の極みであろう。ほんの少しの意識が、自分自身の財産に繋がる、財産とは人間性そのものだ。
私は、何となく感じている四十五歳前後での人生の幕引きをいつも考えている。残りわずかとも思えるし、まだ十分とも思える。しかし、いずれにしたってひとは最期を迎える。その時に何を成し遂げてきたかが、重要であると考えている。最期の時がどんな状況なのかは分からない、ベッドや布団の上で人生を回想するのかもしれない。もしかしたら事故や急病などで、そんな暇なくこの肉体に別れを告げるかもしれない。だが、きっとその後で人生というタイトルの長いようで短いドキュメンタリー映画を観ながら公開するかもしれないし、よく頑張ったと自分で自分を褒めるかもしれない。この世を去る時には、この世の全てと決別をすることになる。あの世に金は持っていけやしないし、趣味の釣りで愛用している釣竿も置いていかなければならない。だが、過ごしてきた人生の記憶は持っていくことが出来る。むしろ、それくらいしか持っていけないのだ。だから重要なのだ。尊いのだ。
つまるところ、この世を去る時になって自分の人生を悲観することなく「大したもんだ」と自画自賛することが出来れば人生のハッピーエンドと言えるだろう。
ハッピーエンドとは何だろう
大切な人達に看取られながら命を落とす
好きなことをしながら命を落とす
人を救って命を落とす
形は様々だ
私にとってのハッピーエンドとは何だろう?
それはきっとその時でしか分からない