『ジャングルジム』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ジャングルジムから見渡していた世界は
あれからどんどん高くなっていって
新しさと機能性を競い合うビル群に
僕はいつの間にか取り囲まれた
今は見上げてばかりの
コンクリートの隙間の空に
月や星やなんかを見つけると
歓喜するんだ
先日の満月の時の
君のリアクションが正にそれで
僕はなんだかうれしかった
僕らには何の共通点もないと
ずっと思っていたから
家の隣には小さな公園があって、帰り道にはいつもその横を通ることになる。
錆びたブランコ、薄汚れたベンチ、湿った砂場。
その真ん中に設置された、3色のジャングルジム。
上が赤、真ん中が黄色、下が靑。
昔、一番上に上がって、誰が最初に飛び降りれるか勝負したな。
くだらない競争。リーダー格のヤツが一番最初で、俺はいつも二番手で、気の弱いあの子は最後まで降りれなかった。
あれから大分時間がたった今、もう一度上り、下を眺めた。あんなにも大きいと思っていたジャングルジムは、記憶よりもずっと小さくて狭く、昔の自分達が何を恐れていたのかもう分からない。
体がデカくなったのか。
それとも心が小さくなっちまったのか。
どちらなのか分からず、ただ空を見ていた。
灰色の曇り空に、一匹のカラスが飛んでいた。
2022/9/24:ジャングルジム
一人頂点の一室に立ち、城下には笑顔の小さな君
『ジャングルジム』
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ジャングルジム
遊び方は無限大
上に上がるのも楽しい
内側から上がったり
‥‥
子供にはジャングルジムどうやって遊んでる?って聞いてみてもいいかもね
たくさんの遊び方があるかもという気づきになると思う
ジャングルジムって、小さい頃はお城みたいに立派なものだと感じてた。今は監獄のように感じてしまって何処と無くやるせなさを感じる。
(雨が窓を叩く音が、なんともヒトの飯事のようで)
いじらしさの中に見つけたおざなりな模倣は
意図せず疎外感を得るのにひと役買った
明日は人になれるだろうか
陽の色灯るデスクライトに、睡魔をあやす深夜2時
ジャングルジム…。
……全身が「穴が空いた蓮根さん」な遊具。
私が通っていた小学校にも、
5〜6段のジャングルジムがありました。
他の遊具から少し離れ、海がかすかに見える木々の隙間で、遠慮がちに佇む…
…さながら、電車の窓から外の景色を眺めて
いるようだと、幼心に感じていたものです。
小学校の頃の私は高い所が苦手で腕力もなく、
鉄棒や登り棒、果てはブランコにまで苦手意識を持っていました。
そんな私も、足を滑らせても掴めるものがあるジャングルジムは大好き。
低学年の頃は特に気に入っていました。
先程ジャングルジムのことを、全身が
「穴が空いた蓮根さん」な遊具と言いました。
ちくわ然り、望遠鏡然り、
先が見通せそうなものと言うのは、
大人も子供も惹かれるものがあるのでは
ないでしょうか。
ジャングルジムは全身が筒状。
色んな角度で、色んな物が見えます。
私の母校のものの場合、
下から見上げれば、目指すべき天井を。
上から見下ろせば、網目に沿って生えた小さな植物たちを。
校舎の方を見れば、沢山の生徒やそれを見守る先生たちを。
そして木々の隙間を見れば、ジャングルジムが見ていた美しい海を、見ることができました。
今はもう身体は成長しきって、ジャングルジムで遊ぶどころか、小学校に入ることもできません。(職員ではないので、当たり前ですが…)
それでも、空や植物、人波や海を眺める習慣は今でも根付いています。
お題として出されて、改めて考えると、
私にとってジャングルジムは大切な存在だったのですね。
ジャングルジム
小学校の頃、
友達と一緒に一番上まで登って、腰掛けて、
話しながら
校庭でみんなが遊んでいるのを眺めてた。
そんなに昔の事じゃないのに、
懐かしくて、
いい思い出だなぁー。
なんて思う。
『ジャングルジム』
登り下りて
おまえのもとへ
恋とジャングル
似た感じ
転落したとか 大怪我したとか 亡くなったとか
それで全部無くしたら
子供の運動神経は衰弱する一方だよ
悲しい想いをした方には申し訳ないけど
ある一定数 そういう子供は昔からいたんだよ
危険な思いを遊びの中で経験して
子供たちはバランスや 程度 ってもんを
学んでくんだよ
全ての危険から
子供を遠ざけちゃいけない
教訓として 学ぶ場所すら無くさないで
例えば今なら
車のクラクションの鳴らし方とか
イタズラする子もいるだろうけど
そん時は親がいくらでも周りに謝ればいいじゃん
その姿を見てたら
子供もイタズラでしちゃダメって事くらい
感じるって
子供 信じろ
《 ジャングルジム 》 +ちょっと
ジャングルジム、大好きだったなぁ
ただ登って1番上で座るのが
とても良い気持ちだった
子供じゃなくなって
やらなくなるのは
環境が、社会の中での普通が、
影響してるんだろうな
結局人は他人が決める
『普通』の中で
生きてるのかもしれない
友だちが引っ越した日、男の子はジャングルジムに登って、空を見上げた。
たぶん、もう会えない。
となりの町がどれくらいの距離なのか、男の子はまだ知らない。
【お題】ジャングルジム
ジャングルジムといえば小学生の頃に誰もがてっぺんを目指してのぼったことがあるだろう。
ジャングルジムのてっぺんに座り見た景色は登りきった達成感と共になんとも言えない高揚感を感じるのだと思う。
だけど僕は昔から高いところが苦手だったのでその感覚を味わった過去は無い。
同級生の真似をしてジャングルジムを登ろうとしたことはある。それでも……どうしても高いところが怖いので途中で諦める。そのくりかえし。
今でも高いところは怖い。
他人から「なんで?」と聞かれるとなんでなのかそれは自分にもわからない。
ただ、高いところに行くというだけで心臓が早鐘を打ちはじめ冷や汗が流れ手足が震えだす。
そんな僕もいつの間にかしがないつまらない大人になってしまった。楽しくもない仕事と上司のご機嫌とりに嫌気がさす。
昼休み。
鬱々とした会社の外に出たくて昼食を食べるために入った小さな公園にジャングルジムがあった。他にもブランコと滑り台、パンダを模した遊具がある。
その中でもなぜかジャングルジムに心を惹かれた。
そして同級生の真似をして登ろうとしたけれど高いところが怖くて登れなかったあのジャングルジムを思い出した。
確かに僕はジャングルジムのてっぺんからの景色も達成感も知らない。
それでも、あの時間がかけがえのない時間だったと今ならわかる。
楽しかった。
そう、とても楽しかったのだ。あの頃がどうしようもなく。
昼食を食べ終えて見上げたジャングルジムと青い空は仕事で沈んだ僕の気持ちを少しだけ明るく上向きにしてくれていた。
ジャングルジム
どうやって遊ぶのか
分からなかった遊具
友達より少し小さい体で
恐る恐るよじ登ったのは
途中まで
手が痛くて
いじめっ子が嫌いで
好きな子がいて
何十年も昔の
おかっぱ頭で緊張した女の子が
ボヤけた写真の中で生きてる
「ジャングルジム」
「ジャングルジム」
この枠組みから
連れ出して
みんなと同じく
型にはまれない私を
自由で区切りのない世界に
解放して
お題《ジャングルジム》
水底に沈む 懐かしき世界
あの頃は永遠に続いてゆくものだと
信じて疑わなかった
でも――いつか大人になる、夢から覚める時がやってくる
その時になっても失わずにいられるのなら
大人になるのもさみしくない
そして涙するんだろう
あの頃の面影に
あの日
星が降った日
それはまるで
夢の景色のように
ただひたすらに
美しい眺めだった。
最近、ジャングルジムを見なくなった
最近ではブランコでさえ減ってきた
子供たちはただひたすらに広い公園で笑顔で走り回っている
目を閉じると
カラフルな遊具で遊んでケンカして
そんな私たちの姿が自然とまぶたの裏に浮かぶ
くるくる回るその遊具、
このごろ見なくなったね。
噂では危険だから撤去しているらしい。
10何年しか生きていないのに、その間に思い出のある遊具が跡形もなく消えてしまっている。
小さい時、遊具で遊んでいて凄く楽しかった。あの感動は大人の手によって感じる事が出来なくなってしまうのか?
これからどうなっていくのだろう?
とか思いつつ、私は今日も寂しくなった公園のベンチに腰掛けながら自分より下の子が走り回っているのを眺めていた。