『カーテン』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ある日の休日の昼下がり。君が無邪気な笑顔で僕に話しかける。「ね!今から隠れんぼしよ!」僕が鬼だということはすでに決まっていたらしく、君は目をつぶって数えてね、なんていう。君のいう通りに数える。10秒経って、もういいよという君の声が聞こえる。僕の辺りを見回すとカーテンから透けて見える彼女の姿が見える。思わず笑みがこぼれる。
彼女がいるカーテンを優しく空けて「みーつけた」って僕がいうと君は少し悔しそうな顔をした後に「さすがだね〜」という。ふふっと優しい笑顔になって僕のことを見てくれる。久々の2人揃っての休日で珍しく甘えモードの彼女が愛おしい。そんな彼女は言う。
「なんか、私がどこに行っても、隠れても見つけてくれそうだから、私がもしどこかに行っても隠れても見つけてね?」
冗談っぽく言う君の笑顔と声に僕は「もちろん、どこに行っても見つけるから」と答える。その答えに嬉しそうに頰を赤らめる君の頰。僕はそんな君を見るのが大好きだった。
でも、君はすごく難しいところに行ってしまった。僕が行くにはまだ数十年もかかるかもしれない、もしかしたら明日にも行くかも知れない場所。その場所にいつになったら行くことができるのか神様しか知らない。
ある休日の昼下がり。カーテンが揺れて君がいる気がしてカーテンの方に視線を向ける。だけどそんなことは起きなくて、また時間を巻き戻したい。どうしようもできない現実が憎い。そんな現実ではシトシトと雨が降り始める。
~カーテン~
『カーテン』
カーテンが風を含んでふくらんだり、
風に引かれて窓の外へいくことを
『窓が呼吸している』と表現した君に
私は一生追いつけない。
カーテンがひらひらゆれる
かすかに見える青空
なびく風
涼しく透き通る今この瞬間が
夢のようだ
カーテンは白がいい
白でもいいけどベビーブルーとかもいいよね
海の底みたいに真っ青なカーテンでもいいし
どっちに行けばいいかわかんないくらい広い森の中みたいな深緑のカーテンもいい
逆に街の中の公園の木みたいな明るい黄緑でもいいよね
迷うよね
カーテンは自分の世界の一部だもんね
慎重に選ばなきゃね。
朝起きてカーテンを開けると、とっても綺麗な青が空いっぱいに広がっている。
夕方カーテンを開けると、赤とオレンジ色のグラデーションが空いっぱい広がっている。
夜カーテンを開けると、黒のようなコーン色のような色が空いっぱいに広がっている。
綺麗だな。
でも、時々思うことがある。
「空って自由でいいな。」なんて。
自分の好きなこともしたいことも全部している。
でも何故だか思ってしまうのだ。
何処か、縛られているように感じてしまう。
自由になりたい。
あれ?
「自由ってなんなんだろうか?」
ずっと窓に吊るされて日に当たってるのって
どんな気分なのか
カーテン「アタシは女の子の部屋のカーテンなの」
カーテン「僕中学校の体育館、皆元気だよね」
カーテン「マジで?じゃウィーンて動けんの
あウチホテル、色んな客見れて楽しいわー」
カーテン「俺小窓用だからちっちゃいんよ」
カーテン「私は昨日お店に並んだばかりぃ
社会出たての新カー、早く売れたいなぁ」
カーテンリモート会議 まだまだ始まったばかり
大抵ココロオドルってことは、衝動的に体が動いてるってこと、それはリズムに乗っていたり、此からのことにワクワクしたり、涙の理由なんて押し退けるほどの期待だったり、カーテンコールが鳴り止まないほどの激動、アナタはどんなことに、ココロオドル?
『カーテン』
心を仕分けしてしまってたら
さし込む光で翳りができてた
なんて間の抜けた光。
しめ切る前に何か見たかった
みたかったんだっけ
みせたかったんだっけ
ああ、私
おはよう おはよう おはよう
おやすみ。また明日ね。
朝になると開けるもの
夜になると閉じるもの
閉められていると中が見えない
プライバシー守るもの
朝カーテルを開けた時の日光で1日頑張ろう、とその時は思う
日差しを遮るレースの白
視線を遮る濃色の幕
世界を遮る髪の光沢
何も遮らず見つめ合えたら
良かったのにねと闇が遮る
‹カーテン›
お題:「カーテン」
見上げた空に、鼻にくるような陽射しが突き刺さる。
ハックション!
天の道はまだ遠く。
眼前にどデカい蜘蛛の巣が、フィルターをかけている。
ハックション!
清々しいほど澄み渡る青に架かったイトは、魔を差して美を誘う。
見惚れる事はないが、忘れる事もできない。
カシャッ
カーテン
今日も閉まった私の部屋のカーテン
誰も開けないから閉まりっぱなし
今日も暗い部屋で1人
自分でも気づいてる
そのカーテンを開けるのは自分って事
さあさ、お立ち会い。紳士淑女の皆々様、今宵は我がショーにおいでいただき、誠に有り難く。皆様方を日常では味わえない世界にご招待いたします。さて、皆様は獣人というものをご存知かな?そう、昔の映画や舞台、小説でお馴染みの狼男。普段は人間で、満月の夜になると獣に変化してしまう。今宵ご覧いただくのは、その獣人でございます。とは言っても、フィクションの獣人とは違い、満月の夜でなくとも変身いたします。どういうことかって?それはこの獣人の身の上話を聞いていただければわかります。聞くも涙、語るも涙。とある獣人少女の哀れな身の上にございます。
この少女、名前はジェシーと申しまして、当年取って17歳。いままさに花開かんとする可憐な乙女にございます。生まれはアルファ・ケンタウリ、そう地球からわずか4.2光年、プロキシマ・ケンタウリの惑星でございます。そんな星からどうやってこの小屋へ?まあまあ、それはこれからお話いたします。
皆様既にご存知のように、プロキシマ・ケンタウリの惑星は、我々と同じくらい、ヘタしたらそれより上の科学技術を持っております。地球から移民のための調査船がアルファ・ケンタウリまで到達したというニュースはまだお耳に新しいかと存じます。そこで地球人を待ち構えていたのは、高度な文明を既に築いていた獣人たちだったのであります。このニュースも大分世間を騒がしていたので皆様のご記憶にも新しいでしょう。
さてその高文明、我らが地球の遥か上。にも関わらず、これまで彼らが地球にやってくることはなかった。それは何故か。
それは彼らの素晴らしく平和的な性格にあります。彼らの中にも多少の諍いはありますが、相手を殺害するには至っていませんでした。
コンラート・ローレンツをご存知ですかな?そう、前時代に動物行動学を立ち上げた、偉大なる生物学者でございます。彼の著書『攻撃〜悪の自然史』で、相手を一思いに殺せる武器をその身に持った生物は同じ種族の間で殺しを回避するサインがあるが、ハトのような武器を持たない種族を閉じ込めると相手を殺すまで攻撃し続けるという、有名な指摘があります。
ご存知ない?ご存知なければ是非ご一読を。いかに生き物が同じ種族同士の殺し合いを避けているか、ということがよくわかります。
さてアルファ・ケンタウリの先住種族である彼らですが、その身は我々の知る狼のような姿をしております。毛深い身体に大きな尻尾、ギョロリと睨む瞳に尖った耳。その手には鋭い鉤爪をもち、口の中には大きな犬歯が覗きます。
我々地球の人類が遥か昔に猿の仲間から進化したように、アルファ・ケンタウリの獣人たちは犬に似た生き物から進化したのかもしれません。
そんな彼らはその身体に相手を殺せる十分な武器を携えています。それ故か、彼らは決して同種族を殺そうとはいたしません。首元や胸など自分の急所を見せることで、相手の戦意を喪失させるのです。
ところが我々地球人類は、丸腰で相手を殺せるだけの武器はありません。ハトを思い出してください。彼には武器がありませんが、速く遠く飛べる翼があるため殺されそうになれば飛んで逃げればよいのです。ですから彼らは殺しを止めるサインが必要ない。閉じ込められた空間で殺し合ってしまうのはそのためです。我々地球人類も同じ。元々は目の前の人間を殺すことには大きなストレスを感じ、それが殺しを抑制させていたのですが、人類はそのストレスを軽減させる発明を行ってきた。それが弓であり銃であり大砲であり爆撃機であり、ついには遠隔で爆弾を落とすまでになった。殺すことに恐怖も罪悪感も起こさないように発展してきたのです。
そんな両者が出会ったらどうなるか。
我々人類は同種同士でも兵器で大量虐殺を行った。南北アメリカの先住民族、オーストラリアの先住民族、アフリカ各地の先住民族、太平洋諸国の先住民族、彼らがどのような目に遭ったことか。
同種族でも残酷な虐殺ができる我らと、いかに同種族同士の争いを避けるかを考えてきた彼ら。
そう、星間防衛軍司令官の皆様方ならあの星で起こったことをよくご存知かと存じます。そう、あのイーオンの虐殺です。
おっと、話はまだ終わっていませんよ。扉は全て閉まっています。通信もできませんよ。お座りください、お座りください。
よろしいですか。よろしいですか。そう、あの少女、獣人の少女です。少女だけではない。少年もいます。青年もいます。あの虐殺を生き抜いた者たちです。お座りください、お座りください。もう手遅れです。間に合いません。皆様、皆様、さあごろうじろ!
カーテンが開いた。舞台には獣人の少年少女、青年たち。
皆機関銃を構えている。
四方の扉からも銃を構えた獣人の若者たちが飛び込んできた。
目に涙をためて。
そして、引き金は引かれた。
寝不足で倦怠が蔓延る脳と体を無理に起動させ、寝床から何とか起き出す。
窓際のカーテンを開けると、朝の日差しと空気が部屋に差し込み、室内が明るくなる。
眼下には動き出した日常があり、通勤や通学中の大人や学生が歩道を歩いている。
朝の挨拶や他愛ない会話、車や自転車の走行音が聞こえる。
彼らにとって普通の一日が、これから始まるのだろう。
「……っ!」
涙が溢れてきて、カーテンを雑に占める。
太陽の光が遮られ、暗闇が部屋に戻る。
その事にホッとして、だけど安堵した自分がまた情けなくて、どんどん涙が溢れる。
涙の訳は、どうして自分は普通でいられないのだろうか、と。
どうして、自分には当たり前が当たり前でないんだろう。
ポトポトと涙が止まらず、そんな自分を隠してしまいたくて、カーテンに包まって嗚咽を溢した。
「カーテン」
小さい頃にお姫様ごっこをしたお気に入りのカーテン。
眠る前に流れる、穏やかな旋律のカーテン。
森の中に現れるカーテンのような木漏れ日。
静かな水底から見る水の反映。
寄せては返す細波。
いつか夢見たオーロラ。
そして、あなたの顔を隠してしまうその綺麗な髪。
私にとって、その全てが美しいカーテンとして、今日もどこかで風にそよいでいます。
゚*。*⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒*゚*。
そういえば、少し前に石川県で低緯度オーロラが見えたそうですね。日本でも見られるのはなかなか夢があるというか、いつか私も見られる気がして嬉しいです。
夢があるっていいことですね。
カーテンと言えば、
カーテンに身を潜めるカメムシ。
「見えてんだよ!」
いかに刺激しないように駆除するか…
ピンセットでそっとつまんで、ガムテープでくるむ。手間かけさせやがって…
あなたの白い肌を
柔らかいまくが包む
薄く透けたその先に
桃色の柔らかさがふわりとただよう
桜の花のような
花嫁のベールのような
このカーテン越しに
あなたに触れたい
カーテンを新しくした
毎日見るものだから、お気に入りの柄にしただけで気分が変わる
明るい自然の色。買うのは大変だったけど
明日の朝が、たのしみだ
様々に鳴き連ねる蝉の声が聞けえなくなり、厳しい暑さも和らいで風吹けば秋を感じるようになった。焼き付ける日差しは優しさを帯びているが未だ付き纏う暑さは衰えず、影に体を隠したならば僅かばかりの心地よい季節を肌に感じる。朝晩はやや冷えを感じるようになり、一日一日とゆっくりだけれど確実に次の季節へ歩みを続ける。
不意に、心に空いたままの穴を埋める手立てもないままに惰性と野心に揺られ、ぶらりぶらりと生きる私に吹き付ける冷たい風が寂しさを運んでくる。大人にはまだ幼く子供にはもう幼さを見せない思春期の頃、父のように強く逞しく優しい姉が嫁いで実家を出た。いやいや、既に実家を出て彼氏のアバートで同棲をして一年ほどだから、姉の存在を身近に感じなくなって寂しさを覚えたのはこの時か。
姉の彼氏はとても穏やかで朗らかで優しく、姉と共に実家に訪れたときには暖かく接してくれた。兄が二人いる私には、兄という存在は嫌という程強く感じていたが彼は大人の振る舞いでもって安心感を与えてくれた。姉とのデートなど行きたいだろうに、休みの日には私たち兄弟を釣りに連れ出してくれたりカラオケへ誘ってくれた。いつしか本当の兄のように信頼し懐いていた。
姉の結婚式の日、朝早くスーツを着て準備をする私たち家族はどこか興奮気味で、まるで祭りの縁日にでも出かけるかのようだった。母子家庭で我慢し忍ことの多い姉は、どれだけのことを犠牲にしてきただろう。苦労と難儀の果てにやっと手にした幸せに私も強い喜びを感じて、だけれど緊張でふわふわしていた。
挙式、披露宴と慣れない環境に萎縮していた私達に少しおちゃらけながら声をかけに来た姉はとても綺麗だった。その表情は幸せそのもので、これからの生活への希望や期待を見て取れた。けれど、やはり少しの不安があったのだと思うのは、普段はおちゃらけることの無い姉の姿に無理に私たちの気持ちを解そうとしているようにも、自分自身を落ち着かせようとしているようにも見えた。
味めて顔を合わせた義兄の家族や親類もまた、2人を祝福し幸せそうだった。2人を眺めながら思い思いに話を弾ませ食事を楽しんでいる姿を見ながら私たち家族も特別なひとときを楽しんだ。
姉の結婚式から一週間ほど、義兄と共に姉は地元を離れ遠く離れたところへと引越して行った。一人でいるとき、涙が零れ口が震えた。もう今までのように会えない、甘えることもできないのだという現実に押しつぶされて心に大きな穴が空いた。父のいない我が家にとって姉の存在はとても大きく、とても強いものだった。
半年ほどの時が過ぎた頃、大きくなったお腹を優しく撫でながら姉が玄関に立っていた。出産、そしてせめて首が座るまでは実家で世話になるからと帰省してきたのだった。姉が戻ってきたことがとても嬉しかったが、姉は私たちの兄弟だけれど、それ以上に一人の母親になるんだと複雑な気持ちを抱いていた。独占できないことの寂しさやもどかしさ、それでいて幸せそうな姉の姿を見てはつられて笑顔になるほどの嬉しさ。けじめをつけられない自分な幼さに恥ずかしくなって踏ん切りをつけることを決めたが、やはりすこし甘えたい気持ちは無くならなかった。
母子家庭で兄弟も多くいつも寂しさを感じながら過ごしてきた。そこに友を亡くしたことや姉の結婚にと心の穴を塞げないまま大人になっていた。だから恋人との交際はいつだって結婚前提の真剣なものだった。交際から二週間で必ずご家族に挨拶をしては、真面目すぎず気楽に付き合ってみなさいなどとご両親に指摘されたこともあった。きっと、恋人が私の傍から居なくなるのが怖かったのかもしれない。それでいて、過去の失恋の経験から自分に自信が無かったことが必死さに拍車をかけていたのかもしれない。
結局、縁に恵まれないまま気がつけばこんな歳になっている。違う、縁には恵まれていた。別れてもふた月後も経てば新しい出会いに恵まれていたのだから。私はそれを大切にしなかった、恋人を大切にしなかった。言い訳や屁理屈で自己を正当化して逃げ回っていたのだと思う。いま後悔したって時を遡ることはできないのだから滑稽な様を見るだけだ。
僅かに開けた窓から吹き込む優しい風に、私のふわふわした心と同調するように揺れるカーテンが優しく頭を撫でている。
朝にカーテンを開けるのは好きじゃない。
晴れている日は眩しくて、鬱陶しく感じる。
雨の降る日は暗くて、外に出るのが更に嫌になる。