『もしも未来を見れるなら』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『もしも未来が見れるなら』
わたしは子供達が
どんな風に成長しているのか
その喜びを
1日ずつ味わいたいから
未来を見ることはないだろう
ただ、1つだけ確認したい
未来に わたしがいなかったら…
その時は──
その時は
子供達の未来を見させて欲しい
そして死ぬ時に
それを思い出して
この世を去るのであれば怖くない
幸せに暮らしている
子供達を
vol.23
もし、未来が見えていたなら。
君と出会った時から、もっと上手く立ち回れていたなら。
君の蛮行を必死で止めて、彼を殺させたりなんかしなかった。
僕は君を許さないし、君は僕を憎むだろう。
そして僕は君を許すことはない。彼女を一人ぼっちにして、悲しませることもない。
ああ、でもきっと、僕はやり直せたとしても君を選んでしまう。彼女を選ぶことなく、君と二人で死んでしまう。
そんなことを考えながら、
暗く深い海の底で、
瞳を閉じた君を眺めて、
その時感じた気持ちが何だかとても気持ち悪くって、
眠った。
お題『もしも未来を見れるなら』
もしも未来が見れるなら、あなたの顔を見てみたい。
どんな声なのか、何が好きなのか、悩みはあるのかどんな一瞬も見逃さずに見たい。
そして私が必要なときにあなたに届くように手紙を書きたい。
お誕生日におめでとうと伝えられるように私の姿も残しておこう。
あなたに会えない未来がこんなにも悲しいなんて、こんなにも苦しいなんて思いもしなかった。
会いたい、あいたい、アイタイ。
あなたを抱き締められない私を許さないで。
憎しみで良いから思っていて。
全ての愛を込めて、愛しい我が子よ。
もしも未来が見れる力が手に入ったとしても、
きっとその力を使わないだろう
だって、先が見えないからこそ人生は楽しいから
#5「もしも未来をみれるなら」
もし未来が見れるなら
未来の自分にあって
未来の自分から
これからの事は 何も聞かなくていい
そう言われたい
ただ それだけ
お題『もしも未来を見れるなら』
もしも未来が見られるのなら
きっとこんな気持ちも
感情も
思いも
出会いさえも
全てが何も意味を持たないものになっただろう。
そうわかっていても
この世界で起こること全てが
偶然ではなく必然だと言うのなら、
私は過去に戻ったうえで、未来が見えるようになりたい
そうすれば悲しい別れも
すれ違いの末に離れてしまうときも
誰かの死や
事故、
全てを無に期すことができるから…
ぽっかり、青空が見えている。
清潔なだけの公共会議室。
真四角の青空が、僕を見下ろしている。
デスクの上に、人数分置かれた書類。
上席に合わせて引きずってきた、キャスター付きのホワイトボード。
スライドを映し出す、ピンと張られた、暗幕を彷彿とさせる、スクリーンと、それに添えつけられた、ノートパソコン。
ひとつひとつ、確認する。
手の中に握り込んだポインターのスイッチを、ぎゅっと押しながら、これらのモノに向かって、俺は呟く。
「たのむぞ…!」
無事に、一点の赤い光を照射したポインターの先を確認し、僕はジャケットのポケットに、ポインターを滑り込ませる。
そして、今回の会議の主役__カバーの暖色は日焼けし、読み古されている__“問題”図書を手に取る。
誹謗中傷、ハラスメントなどが問題視されている現状、世の中には積極的に使われない、所謂“自主規制語”が増えている。
そして、そんな言葉が目につき、文句や難癖や苦言を呈する人も増えている。
故意に言葉で人を傷つけることは、卑怯で残酷で、あってはならないことだ。
でも、こんな神経質にならなくても…、と個人的にはいつも、怒りと呆れと諦めの混じった感情で、思う。
この図書もその中の一つだ。
先日にクレームがあり、会議が開かれることとなった。
僕がしていたのは、その準備だ。
ずいぶん古い本だ。差別語とか、自主規制とか、そんな概念のない時代から生き残ってきた、読み継がれてきた本だ。今の時代にはそぐわない。確かにそう思う。
それでも、この図書、この本は、僕の世界を、人生を、世界を変えてくれたモノだ。
そして、あの時の僕みたいな状況の人には、きっと希望を与えてくれる、そんな本だ。
だからこの本はいつでも、永遠に読める本であってほしい…
もしも未来が見れたなら。
この“自主規制”がどこまで行くのか、僕はそれが知りたい。
僕の好きな本、僕の好きな映画、僕の好きな言葉は、未来でいくつ残っているのだろうか。
未来が見れたら、見られたら…。
僕は天井を仰ぎ見る。
四角い囲われた窓の向こう、どこまでも広がる青空は、悠々と顔を覗かせている。
雲が、窓枠の外へ、ゆっくりと自由に流れていった。
【もしも未来を見れるなら】
私は将来何になっているだろう
何をしていて
誰と一緒にいるのだろうか
今仲の良い友達とはまだ仲良くしているだろうか
もし未来が見れるのであれば
私は未来の自分を見てみたい
もしかしたら
医者になっているかもしれない
学校の先生になっているかも
いや何者にもなれていないのかもしれない
実際に見ることは出来ない
未来のことなんて今は見れない
それでもこうして
見えない未来のために精一杯生きている
今が1番大切なんだと思う
もしも未来が見れてしまったら
どうせこうなるからって
きっと諦めてしまうことも多くなる
だから知らない方がいい
見えない方が自分らしく生きれる
今を無駄にせずに
1日1日を大切に
希望をもっていける
未来なんて見えなくていい
私にそんな力は必要ない
もしも未来を見れることができる機械があったら、みんな使いたくだろう。でも、僕は使いたくない。だって、先のことがわからないから、人生って楽しいんじゃない?
「おれはオマエの言う"世界"が見てみたいな。彼奴らと対等な、世界を!」
先輩はそう言った。
過去の人間なのだから、未来が気になるのは分かる。ウン年後の自分、周りにいてくれた人たちがどうなっているのかなんて、誰しも一度は考えたと思いたい。それに、未来が分かる奴が隣にいるのでなおさらだ。
「………私は見たくないです。」
私はなぜか無意識に呟いていた。
先輩はそんな私に目を見開いた。
見たくないという理由は分かった。
どのくらい先の未来なのか、それを先輩のいう「私がもといた世界」だと仮定するなら。
未来を見てしまったら、私はきっと…。
「未来」には、お父さんもお母さんも、友達も、彼等もいる。
だから目を瞑った。この世界に飛ばされるのは少しの間だけ、だから頑張って耐えるんだ、と。そう願いながらも、帰れなくなってしまった。もう帰る手段が無くなった。
でももう帰らなくてもいいかとも思った。
ここにいる人たちは未来で見たことのある人がたくさんいた。安心していたのかもしれない。その人たちは私に良くしてくれた。
だから"それ"を口に出すのはやめた。
はずだったけど。
"それ"を言ってしまったら、過去も未来も、どちらかが、いや両方とも、否定してしまうような気がした。
もしも未来が見えるなら。
そこは自分が死んだ後の世界くらいが。
ちょうどいいのかな。
#2024.4.19.「もしも未来が見えるなら」
pkmn 照コンビ。
未来を知ってる人間が過去の世界に飛ばされて、そこでお世話になっている先輩に「未来見てみたいよなー」と言われた主人公。
pkmn要素ほぼないのでぜひ読んで下さい。
もしも未来を見れるなら
10年後くらいがいいな
去年と同じだ
今は未来も何も見えていなくて
空っぽだけれど
未来はきっとあるのでしょう?
であらば私は10年後くらいが1番気になる
10年後の私は何をしているのか
誰と共にいるのか
何が幸せであり
何が悩ましいのか
私は想像もつかない
今日も過ぎてゆくわけだが
明日があるのは当たり前とも言えず
私の未来が見えないのは未来があるとも
まあどん底を這うような暮らしなら見なくていいけどね
もしも未来を見えるなら
僕は、、、
君が無事かたしかめたい。
もしも、君との未来が見えなかったら
君を助けるために僕は生きるよ
2024/4/19 もしも未来を見えるなら
もしも未来を見られるなら…
「未来」は、明るい希望というイメージに結びつけられ安い。さて、「未来」が問答無用で確定的に“明るい希望”の塊で、ただボーっと待って居ればそれを享受できるものであるなら、誰も苦労しない。敢えて水を差してみよう…
みんな「今」生きてる。
未来に生きると地に足がつかない。
未来の速さはなかなかのものだ。こればかりに気を取られると、「今」の着々としたペースに飽いてしまいがちになる。でも、勝負どころは「今」にしか無い。着々と「今」に足を置いて進む人を「地味だ」とか「ぱっとしない」とか指さしながら、へろへろと漂うばかりの者が、自分自身をしっかりと育て上げたのを見たことは無い。誰も皆、自分のパワーを直接に作用させることのできるポイントとして「今」しか持ち合わせていない。この点では、まったく平等と言えるだろう。死なない者がいないのと同じくらい、皆同じだ。
ここで「残り時間ッ…!」と考えずにはいられない面々もおありだろう。私もそうだ。
「未来」を如何したいか、方向を定めるのも「今」することのひとつだ。目指す「未来」にするために、何をするのが必要かを見つけるのも「今」することだ。そして、「望む未来」のための“実行”も、「今」することだ。“「今」を通らなければ「未来」を創れない”、なんて、余りにも理屈が当たり前すぎてサラッと聞き流しがちになるが、過ぎた「過去」は触れないし、まだ来ない「未来」も触れない。私達ががっつり「触れる(作用できる)」のは、「今」だけだ。
「未来」は狙う的。矢を放つのは「今」。
自分自身の人生を、「お客さん根性」で“取りこぼす”なんて、あまりにももったいない。
的を射ろ、「今ここ」から。
もし未来が見えたならギャンブル依存症にならないように気をつけなければいけないかも
もしも未来が見れるなら宝くじと株で一当てしたいなんてあまりにも夢のない夢を想像する。子供の頃ならもう少し夢のある想像ができただろうかと思っていたら、子供の頃の落書きで大人になった自分として札束を持った姿を描いている絵が出てきた。子供の頃からそんなんだったかと可愛くない子供だったなと思いながらそんな絵まで残しておいてくれたあたり可愛がられてたのだろうなともういない祖父母を思う。未来が見えたらもう少し話をしていただろなとさみしい片付けを続ける。
オレンジの 片割れ映す 水鏡 くわえたカミソリ 水面におちる
お題「もしも未来を見れるなら」
もしも未来を見れるなら
私はあなたとの未来を見に行きたい
だけどちょっと怖いから
どうせ私は見ないんだろうな
もしも未来を見れるならあなたはどうする?
私は自分の未来が見るチャンスがあったとしても見ないだろう。
なぜなら、未来は変わるものだから。
人生には色んな分岐点がある。
だから、いくつもの未来が私達にはあって選択肢は1つでは無いことを私は知っている。
私達には誰しも可能性を秘めている。
今は自分を無力だと。
無価値な人間だと。
消えてしまえばいいと。
思ってる人が沢山いると思う。
実は、私も同じだ。
今だって少し気持ちが沈んでいる。
だけど、これも生きているって証拠なんじゃないかな。
喜怒哀楽。
人間には必ずついてまわる感情だ。
それが無ければ人生なんて無いのと同じだ。
私達は感情がある。
笑って怒って泣いて楽しむ。
どんなに今どん底にいたとしても生きるのをやめる決断はして欲しくない。
私は、あなた達に生きて欲しい。
生きててよかったって思う日が絶対来る。
私がそうだったようにみんなにも感じて欲しい。
生きる喜びを。
楽しさを。
自分の可能性を。
いつかわかる日が来るから。
今、気分が沈んでる人はきっと暗闇をさまよっているよね。
私もこんなこと書いといてあれだけどまだ半分浸かったままいるよ。
行ったり来たりしてたまに感情に飲み込まれてどっぷりと暗闇に浸かる時もある。
感情に振り回されて疲れるよね。
辛いし苦しいしもう何もかも投げ出したい。
そんな気持ちは痛いほどわかる。
1人で抱え込めなかったら頼って欲しい。
あなたはひとりじゃないって知って欲しい。
今のあなたも。
過去のあなたも。
未来のあなたも。
どんな時もあなたは素晴らしい人だから。
私はこの拙い文でしか気持ちを表現出来ないけれど。
少しでも伝わるといいな。
いつか、いつか、いつか、きっと、あなたは自分を受けいれながら人生を歩む時がくる。
あなたはひとりじゃないんだよ。
どんな人にも未来があるんだ。
生きてちゃいけない人は一人もいない。
名も知らない、顔も知らない、私は赤の他人だけど。
ありがとうと伝えたい。
頑張ったねと伝えたい。
大丈夫だと伝えたい。
だから、今日も綴るよ。
名も無きあなたへ。
【⠀もしも未来を見れるなら 】
未来など、見える必要はありません。
もし仮に見られることがあったとしても、俺たちは見ませんし、貴女に見てほしくもありません。
いのちは生まれ、死に、また生まれ、また死にます。
あの大きな廻り続けるものに還るまでずっと、その繰り返しです。
いのちは、その出来得る限りの力を尽くし、今日を生き延びようとします。その日を無事に生きて、終える。それで、いのちのやるべきことは終わりです。それを繰り返して死に、また生まれ、それを繰り返して死にます。
その営みの中にあって、なぜ未来など見える必要がありましょうか。不幸な未来が見えたら、絶望するかもしれません。幸福な未来が見えたら、安心して怠けてしまうかもしれません。
何が見えたとしても、貴女ができることは、今を生きるということだけなのに。
俺たちは貴女の魂のゆくところ、どこまでもお供して、貴女を見守り続けます。だから安心して、貴女の今を生き続けてください。
未来のことなど思い悩まず、過去のことに心を囚われず。
どうか今この時を、貴女の生きたいように、幸福に生きてください。
「もしも未来が分かるならどんなことをみたい?」街中で小さな男の子2人がそんな話をしていた。私はそれを勝手に聞いていた。髪を結んでいる男の子は「俺はね、凄くなった機械とか見てみたいな〜!車とかどうなってるんだろう?」確かに、私はそれも気になるなぁ。そして、茶髪の男の子は「死ぬ原因を見てみたいな〜、もしかしたら回避できるかも!」と言った。実際に話しているわけではないが、どうせ死んでしまうのにそんなことを見るなんて正直無駄だと思うなぁ。まぁ、私は未来を見て回避したかったなぁ。
私はもう事故で死んでいるから。
#もしも未来を見れるなら