もしも未来を見られるなら…
「未来」は、明るい希望というイメージに結びつけられ安い。さて、「未来」が問答無用で確定的に“明るい希望”の塊で、ただボーっと待って居ればそれを享受できるものであるなら、誰も苦労しない。敢えて水を差してみよう…
みんな「今」生きてる。
未来に生きると地に足がつかない。
未来の速さはなかなかのものだ。こればかりに気を取られると、「今」の着々としたペースに飽いてしまいがちになる。でも、勝負どころは「今」にしか無い。着々と「今」に足を置いて進む人を「地味だ」とか「ぱっとしない」とか指さしながら、へろへろと漂うばかりの者が、自分自身をしっかりと育て上げたのを見たことは無い。誰も皆、自分のパワーを直接に作用させることのできるポイントとして「今」しか持ち合わせていない。この点では、まったく平等と言えるだろう。死なない者がいないのと同じくらい、皆同じだ。
ここで「残り時間ッ…!」と考えずにはいられない面々もおありだろう。私もそうだ。
「未来」を如何したいか、方向を定めるのも「今」することのひとつだ。目指す「未来」にするために、何をするのが必要かを見つけるのも「今」することだ。そして、「望む未来」のための“実行”も、「今」することだ。“「今」を通らなければ「未来」を創れない”、なんて、余りにも理屈が当たり前すぎてサラッと聞き流しがちになるが、過ぎた「過去」は触れないし、まだ来ない「未来」も触れない。私達ががっつり「触れる(作用できる)」のは、「今」だけだ。
「未来」は狙う的。矢を放つのは「今」。
自分自身の人生を、「お客さん根性」で“取りこぼす”なんて、あまりにももったいない。
的を射ろ、「今ここ」から。
4/19/2024, 12:54:03 PM