『また会いましょう』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
#また会いましょう
「また会いましょう」と言われたら。
これは「もう二度と会いたくないけれど、便宜上言っておく」なのか、「本当に会いたい」なのか。関係性によっても違ってくるけれど、悩むところだ。
私は自他ともに認める、「人見知りしない人間」である。
基本的に人間のことは嫌いだし、人間関係が広がるのを快く思わない生粋の引きこもり隠キャでありながら、どんな人とでも雑談ができる。あがったり、恥ずかしがったり、全然しない。
講習会などで質問がある人は挙手してください、などと声がけされれば(むろん質問がある時だけだが)、大人数の前で立ち上がってマイクを握ることなど造作もない。
自分の不手際などで失敗するのが嫌だから、いろんな人が集まって説明を受ける時などは必ず一番前にいるし、椅子が選べるなら真ん前の真ん中にする。
そして、差し障りなく笑顔でおしゃべりし、にこやかで友好的な関係を築くことができる。
しかし。みなさん、そこからですよ。
続かないの。関係が。
いや、私も前述の通り人間嫌いなもんで人と関わり合うのはめんどくせえと思っちゃうから別にいいんだけど、「また会いましょうね」と言われて連絡がきたためしがない!!
ほんと、いい人の演技が上手いだけで見抜かれてるのかしらん。
大人になると友達ができない。できにくい。
けれども、私の友達は全て大人になってからできた友達だ。幼馴染も1人いるけど、年賀状でのやり取りのみ。高校の同級生とも2人ばかり年賀状だけで繋がっている人がいる。
あとは、前の職場の同僚と、ネットで縁が繋がった人が2人、同人誌活動してた時の友達、そんな感じか。
古くはmixiとかパソコン通信とか、合宿免許とか、習い事とか。そう言うのでふんわり知り合った人とは「また会いましょう」の言葉と共に縁が切れた。
まあ、私が本気で「この人好きだわ!」と思った相手とはつながり続けてるから構わないんだけどさ。
あ。そうそう。この人は離しちゃなんねえ!って人、いるよね。私は過去、4人ほど出会ってて。
みんな人生の大事なところで私の心身を助けてくれたんだ。
1人は、文字通り命の恩人。この人がいなかったら絶対死んでた。会えなかったルートを想像すると怖い。
1人は、自分の魂に似ていると感じて支えたいと思った。15年くらいの付き合いになるからお互いに変わったはずだけど、似ているなって感じは同じだ。
1人は、とにかくいい人。他人の悪口言わない。魂が綺麗だなって思う。喋ってると浄化される。
1人は、旦那さん。この人がいないと死ぬ。
みんな10年以上の付き合いだ。そして、私の方から「また会いましょう」と言った気がする。
言われるよりも、言いたくなる人に会える方がいいな。
そういえば、先日母親とパック旅行に行った時のこと。一人旅の人で、席が隣だったから仲良くなった人同士をチラ見していたら、別れ際に1人がラインを交換しようと申し出、もう1人が、「いつか会うって言ったってどうせ会わないんだから!いいのいいの、そういうの!またどっかのツアーで会ったらよろしくね!」と颯爽と別れてて、なんかちょっとかっこいいなと思った。
出会うも出会わんも運次第。「次」と思う相手には躊躇なくグイグイいった方がいいですな。
2023・11・14 猫田こぎん
また会いましょうというこの社交辞令満載の言葉に、君が何を思うかは知らないけれど、それしか言葉が浮かんでこなくて、結局みんな、八方美人。
また会いましょうというこの想いの詰まった言葉に、君が何を思うかは知らないけれど、それしか言葉が浮かんでこなくて、結局みんな、会えないまんま。
また会いましょうというこの応用が利きまくる言葉に、君が何を思うかは知らないけれど、それしか言葉が浮かんでこなくて、結局みんな、空っぽの意味。
また会いましょうというこの言葉が、君に何を思わせたのかは知らないけれど、これだけは言える。結局みんな、今を何とかしたくて、今を生きてる。ただ、それだけ。
♯また会いましょう
また会いましょう
そう言って会わなくなった友達を
もっとちゃんと大事にすれば良かった
【また会いましょう】
拝啓
木枯らしが吹き、日一日と秋が深まっていく
ようです。未来の私はいかがお過ごしですか。
さて、今の私はとある行事の前でウキウキし
ている気持ちとこれからどうすればいいのかと
いう不安な気持ち、両方を抱えています。
しかし、それもなんとかなるのではないかと
思うほどの支えてくれる友達がいます。未来で
も、まだ交流があったら嬉しいです。
それでは、身体にはお気をつけてください。
過去を思い出し、懐かしんでいるであろうあな
たと、想像の中でまた会いましょう。
敬具
久々に本屋に立ち寄った。
視界の端にセルフレジが映り、どこも機械化しているのだと驚かされる。
料理、教育、とジャンルごとに分けられた背の高い棚に納まる本を眺めながら、懐かしさに静かに呼吸が早くなるのを感じる。昔から読書が好きで、学生の頃は無意味に本屋に入り浸ったものだ。
社会人になってからは毎日なんだか疲れていて、休日も寝てばかりで、本なんてずっと読んでいないが。
お目当ての作家の小説が並ぶコーナーを眺め、数冊を手に取り、レジに向かう。
が、すぐ足を止め、棚に置かれた本を無意味に手に取り、立ち読み客を装ってしまう。
自然と息が詰まる。悪いことをしていないのに、なんだが悪いことをしているようで、居心地が悪い。
髪の長い女性がレジで会計をしていた。なんてことない光景だが、その後ろ姿はまだ忘れられない気持ちを揺さぶるには十分すぎた。
その女性がレジを終え、出口に向かう。ちらりと見えた横顔は、記憶にあるものとは別人で、一気に肩から力が抜ける。
なんだ、人違いか。
安堵する気持ちと、少し似た後ろ姿に反応してしまうくらい未練たらたらなのを思い知り、泣きたくなる。
1年も経ったのに、引きずっている。
別れた理由は就職で彼女が他県に行くから遠距離になるからで、嫌い合ったわけではない。
だから、別れるとき「また会いましょう」と彼女は言った。言ったくせに、一度も連絡を寄越してこなくて、俺からも連絡する勇気はなくて。
社交辞令だと気付くの時間はかからなかった。
そんな言葉に俺は果たして「会いたい」と伝えても良いものか、ずっと悩まされている。
結局、本は買わなかった。読む気をなくした。
というか、彼女の存在を失ってから、ずっとそうだ。
ずっと俺は彼女の「また会いましょう」という言葉を思い出し、縋り付いてしまうのだ。
『また会いましょう』2023/11/14
ゆきが降ってきたよ
空が悲しい色をして
誰のことも
思い浮かぶことなく
ただ悲しい色をして
『また会いましょう』
また会いましょう、に頬への口づけを添えて
うつむきながら微笑んだ人
去っていこうと髪を揺らした
空振りのこの手はどうすることもできず
僕の心を宿わせたまま
もう一度
君のうなじに触れている時は
僕の鼓動を聞いて欲しい
ありがとう
またいつか
生まれ変わるまで
また会えるまで
「また会いましょう」
また会いましょう
二十三歳の頃、私は乳癌だと診断された。五年の生存率は五分五分。手術が必要と言われ、手術をすると右の乳は全て無くなる。それでも転移があれば絶望的だ。二十三歳で結婚もしていない。生きていられたとしても、いつも再発に怯え、乳がないという劣等感を抱えることとなる。
そんな負のオーラの中、海で一人泣いていると、見知らぬ男性から声をかけられた。
「海を見ていると泣きたくなる時がありますよね。大丈夫ですか?何があったか僕にはわかりませんが、あなたの涙はきっと海が受け止めてくれますよ。そして、あなたを支えてくれるのは海だけじゃない。きっと、たくさんの人が力になってくれます。
はい、コーヒー。
突然、声をかけてすみませんでした。普段はこんな事しないんです。あなたには何故か声をかけたくなってしまいました。
今度また、あなたに会える事があったら笑顔のあなたに会いたいですね。また、会いましょう。」
と言って、彼は去って行った。
あれから五年。右の乳は無くなったが、私は生きている。そしてこれからも生きて行けるような気がする。
あの時の彼が私の横にいてくれるから、、、。私達は結婚した。
生きる素晴らしさと、愛を教えてくれた彼を永遠に愛している。
【また会いましょう】
ありがとうなんて
言ってくれなくてよかったのに
段々
思い出せないことの方が増えていって
いつかはなんにもなくなっちゃうのかな
薄情でごめん
時間の進み方が前と違ってて
もう追いつけないんだ
でもずっとそこで笑ってて
#100 また会いましょう
-潮時ってやつなんだろうな。
色んな要因はあった。
税金が上がり、法律が変わり、環境が変わり。
ただでさえ狭いのに隣の煙か自分の煙か分からないほど混み合っていた場所が今は。自然にソーシャルディスタンスができてしまうほどに人が少ない。
いずれ、この場所も淘汰される日が来るだろう。
ここでしか吸わない自分が中毒かどうかなんて考えたことはない。
休憩時間に、2本だけ。それが己に許したルール。
今日は、あの人は来るだろうか。
柔らかな、鮮やかな、繊細な、だけど強い。
自分を惹きつけてやまない、あの人。
色々なことが嫌になって、いい年の大人のクセにヤケクソで手を出した。
荒んだ顔つきなのに吸い慣れていない。明らかに訳ありだと分かる自分を、当然だが周囲は遠巻きにした。
当然じゃなかったのが、あの人だった。
吸い方を教わり、お互い素性は隠していたが、長い時間を掛けてポツポツと事情を語り合い。
落ち着いた頃合いに仲間を紹介され、楽しい時間を過ごした。
嫉妬に身を焦がしたこともあった。
他のやつに笑いかけるあの人が見たくなくて、別の場所に行ってみたこともあったが、思いが募るだけで意味がなかった。
あの人の煙と自分の煙の溶け合うのが好きだった。
時が流れ、仲間は減り、あの人も生活が変わったとかで殆ど来なくなった。
そうなってから。
ここに来るのが習慣になった。
キリがないから2本だけと決めて。
周りと必要以上に親しくならないようにすれば存外に静かで、そして1人でも平気だと知った。
たまに顔を見に来てくれるあの人は、
締めくくりのご褒美で、
また話そうと淡い約束をくれる。
日にちは決めない。
縁と気持ちがあれば会えると知っているから。
ブンブン振る尻尾が見えてるかもな。
今の自分は、お利口に座って待っているだろう?
口にするのは焼き鳥ではなく煙だが。
また会いましょう。
この場所がなくなるまでは。
---
関係構築に疲れてしまった犬。
社交辞令以上で種別不詳の好きと縁の、
吹けば消える煙のような、
余生のようなものを。
また会いましょう。秋よさよならまた会いましょう。そして冬よお久しぶりです。
そんな感じの寒さだな今日は。はく息は白く布団から出たくなくなるこの感じ。冬がきたな。さっさと春になってほしい。
とはいえそう願って春がくるでもないから冬支度を始めるのだった。
とりあえず今年は寒さ対策としてスマホブランケットと電気あんかを買ってみた。
電気あんかは似たようなもので湯たんぽを既に持っているんだけど毎回お湯をわかすのが面倒になったし時間がたつと冷めるのが嫌になって買った。
通販で買ったからまだ使ってないけど使い道としてはブランケットの中に入れて簡易こたつみたいに使う予定。届くのが楽しみ。
スマホブランケットは近くのしまむらで買って早速使ってみたけどこれは買って失敗だったかな。
腕を通すための穴が空いてるんだけどそこに腕を通すとパジャマがめくれるし、めくれたパジャマを直して使ってもメリットを感じない。
今や誰もがスマホを持っているこの時代になぜ普通のブランケットよりも狭いスペースでスマホブランケットが売られているのか。
それは使い勝手が悪い微妙な便利グッズでしかないからだということを身をもって知ることになった。
これなら同じ値段でもうちょい品質のいいブランケットか電気毛布を買ってそれをブランケットにすればよかったな。
まぁ人によってはこのスマホブランケットがすごい便利で世紀の発明だ!なんて思っている人もいるかもだけど俺は思えなかった。
「また会いましょう」
人は、人であるというだけで、必ずひとつは嘘をつくように定められている。
この嘘のつけない真の正直者は、数多の嘘つきたちから社会不適合者の烙印を押される。
私?私は嘘つきで結構w
たとえ腐った世界でも、私は生きたい。
(また会いましょう)
色恋において、
「また会いましょう」って言われるよりも、
「会えなくなります」って言われたほうが、
何としてでも逢いたくなる。
〜また会いましょう〜
また会いましょう
普通に言えないのは
まさか また会いましょうと
明日がまだ あなたと
当たり前あると思っていたのに
まだ まだ
はやい あなたが 唖然と
亡くなったから…
私命が 他者に脅かされ
危険に
あった過去のせいか
命は今日だけのなか
普通に また会いましょう
まだ まだ 言えないまま
確かなのは あなたに
二度と会えない亡くなられたら
あなたとの日々が 幸せだった
手作りコロッケ は 自信が
あるからね 二度と食べれない
私に 来客さんが持参
クッキーは 私に 置いてくれた
人生に悩んでた日々
あなたが 一緒に 悩んでくれた
今だに あなたが残した
言葉を 手繰る
醜い弱い 私 ありまま
受け入れ 幼さも あなたは
見抜いていたね
また 会いましょう
それは 叶わない
沢山 話したい 伝えたい
言葉が 涙に …
私は 生きてく
あなたとは いつまでもが
続くがなかった 世界に
ときに 偏見さに 私は弱いから
他者が誰かを 責めていたり
正しさを 多岐にある正しいを
受け入れなさ
とか
矛盾ばかりに 喧騒さが
苦手な 世界に
まだ 生きてく
今日だけか 明日にもか
他者に また 会いましょう
まだまだ 苦手 使うは嘘をついて
かも
だか あなたとは みれない
この 世界に 取り残され生きてく
時代 時間をに
また 会いましょう は
言ってよう 儚さばかりが
際立ていても 矛盾さが 目立つ
としても
この世界に 優しさや 日溜まり
みたいな あなたと 同じ
確かな 愛があるから
私は 未来へ
また 会いましょう と
話すは していける
また会いましょう
もう二度と会うかよ
ばーか
ばあちゃんと
最期に
お別れする時に
心から思ったこと
“また、会おうね”
(2023.11.13/また会いましょう)
「また明日ね。バイバイ。」
「本日はありがとうございました。また次回よろしくお願いします。」
「また連絡するよ。じゃあね。」
どれも、未来に繋がっている。
「また会いましょう」
「また会いましょう」
チクタク、チクタク
背が高い、きみは背が高い
素敵なきみに会いたいな
チクタク、チクタク
私たちが会えるのは
12時だけ
チクタク、チクタク
待ち遠しいな
あと5分
チクタク、チクタク、ぼーん、ぼーん
やっと会えた、長かった
1分後にはまたさようなら
チクタク、チクタク…
今度また会いましょう。
また会えたら会いましょう。
そうやって嘘を重ねて、親戚づきあいは続いていく。
もうそろそろ、本当に会おうか?
いや、まだ会えない。
また会いましょう。
正月の朝、貴方は突然いなくなりました。
「大丈夫」それだけ言って。
その日以来、会えていませんね。
三年が経った今でも、貴方のことが忘れられない。
貴方の麗しい容姿を、もう一度目にしたいです。
私は世界で貴方が一番好きでした。
いつでも貴方は私の一番でした。
いつも、会いたいと思っています。
でも偶に、今の私が貴方に会う資格なんて、あるのかなと
考えてしまいます。
でも、貴方に会う頃には立派になって見せます。
もう貴方のことは信用出来ません。
貴方は私に沢山嘘を吐き、私との約束を破った。
でも、まだ貴方のことを愛しています。
だって貴方も私を愛してくれた筈だから。
また一緒に桜見ようね。
また会おうね。