『はなればなれ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
またやってしまった
同じような色のものが多いのがいけないのか
かといって組み合わせたまま洗うのはおかしいし
毎日洗濯機を回すのはもったいないし
大学生になって
一人暮らしをはじめて
何度も靴下をはなればなれにしてしまって
そして
今日もやってしまった
干すときはまあ、なんとかなる
履こうとしたときに困るのだ
靴下を
正しい組み合わせで
迷子にしないで用意できるようになったら
一人暮らしも一人前だろうか
───────────────────────────
►はなればなれ
ちょっと情けない話です
ある芸能人さんが、「綺麗な靴下を自分で準備できるようになったら大人」と言っていたのを思い出します
はなればなれになったとしても
心のなかでいつも繋がってるの。
テーマ“はなればなれ”
戦場で男は言った
『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』
『そうか、それならなんとしてでも帰らないとな』
別の男がそう言う。
だが、結婚するといった男は、浮かない顔をしている。
『…結婚するんだ…』
『ん?望まない結婚なのか?』
『まあ、そういう事だな…他に好きな奴が居るわけでも、この戦いで、死にたい訳でもないけれど…』
『親が勝手に決めた婚約とか?』
『まあ……そんな様なものだ。』
『この戦いで自由を奪われているのに、戦いから戻っても自由が無い事に対して、落ち込んでいるのか?』
『…そもそも、俺は生まれた頃から自由なんか無かったから、それはどうでもいいんだ。』
『どうしても好きになれない相手との結婚だったりするのか?』
『……どうなんだろうな。好きになろうと思えば好きになれるのかもしれない。』
今更、結婚を嫌だと言っても、許されない事を男は知っている。
『逃げたらいいんじゃないか?もし、この戦いが終わって無事に帰れたとしても、知らない土地に行けばいいじゃないか。』
『逃げる……?』
『自由を知らないのなら、自由を知ればいい。無事に帰れたからって、実家に戻らなければならないなんて決まりは無いんだ。』
『だが…もし、同郷の者にバレたら』
『その時はその時で、知人に会いに行くとでも言えばいい。何、難しく考える事は無いんだから』
『………』
結婚を嫌がっている男は、顔を上げた。
そうして、この戦いが終わり、自分が生きていたとしたら、家族と決別しようと、決めた。
※戦い=戦争ではない。
※戦場は、戦をしている場所ではない。
とりあえず、簡単に死ぬことはない。
震災があったあの日、私はその時一緒だった姉と弟とはぐれた。姉と弟は無事だろうか、一緒であろうか…流されていないだろうかと、不安が募っていた。もう一度「あいたい」その一心で変わり果てた街を辿って歩いた。木々も倒れ古い家屋はもう木の破片として転がっている。どれだけ歩いただろうか、避難地まであとどのぐらいだろうか。街並みが変わるだけで歩いている道に自信がなくなってしまった。その時である、誰か小さい子の泣き声がしたのは。その声はどんどん近くなって行き突然その声は目の前にあった。私の弟の声だ。この場所がどこかようやく理解した私。「真守ー!(弟の名前)」「おねぇーちゃん!」もう涙が溢れて、ぐしゃぐしゃになりながら弟を思いっきり抱きしめた。「真守、お姉ちゃんは?」そう聞くと、弟がこう言った。
「高台に登る途中で手が離れて、どこかへ行ってしまった。」
姉は元々そんなに体力が無く、疲れやすい体質だった。弟が姉を引っ張って行ったのだろう。
「とりあえずここから、離れよ?おぶってってあげるから、」
そう言って、おんぶしてあと数キロの高台を登った。
その瞬間である。また大きな地震があった。さっきより酷い揺れ。弟に覆いかぶさり自分の頭を守った。地震の揺れもおさまった。上から街を見てみると変わり果てたものだった。
「あの街にもう一度会いたい。」離れ離れとなった家族。母親も父親も見当たらなかった。もちろん姉も。
弟と避難所暮しをして、余震の続く中私達はあるべき場所に向かった。自宅だ。自宅は幸いにも高台から少し上がった所にあった。カロリーメイトを3箱貰って避難地を後にした。水もない。食料だって少ししかない。その中2キロ先の家にたどり着いたのは約1時間後の事だった。幸いにも窓ガラスが割れた程度で済んだ私の家。弟を下ろしドアを開けた。そこには、離れ離れになっていた母と父がいた。見えた瞬間なにかの糸が途切れるようにそこで腰が抜けてしまった。母も父も元気そうだったのと、出会えた喜びがとても大きかった。
だけど、「お姉ちゃん、はぐれてまだみかっていない。」
そう両親に伝えると、「きっとまた会える。だって僕らが会えたんだから。そう話していた。」
あれから5年。姉は今どこで何をしているのか、全くわからない状態だった。なのにある日一通私宛にメールが届いた。
「あいたい」そう。私のメールに綴られた言葉。
安否がわかった私達は、泣きに泣いて、姉を5年振りに迎え入れてやっと家族全員揃った。
だけど姉は、その後数年後亡くなった。
あの時会えた喜びとこの悲しみは天秤にかけても計り知れない重さであろう。
「離れ離れでも家族の絆は永遠であいたいと願えば会える距離にいる。」
#離れ離れ
道端であった猫に声をかける。
ねぇ、私にもはなればなれになった兄弟がいるの
彼女はただ、にゃあ、と鳴いた。
秋始め貴方と離れることになり、離れた。
辛い毎日の始まりだ。
貴方と離れてから1ヶ月の10月末
心に迷いがある中貴方は私に会いに来てくれた。
でも私の心もグラグラ:;(∩´﹏`∩);:に揺れていた
だってこれが最後になるかもしれないと
怖かった…。どうしても怖かった。
ベッドで貴方に抱かれるこの時間が止まればいいに…と貴方の手が声が私は忘れない
とはなれはなれの今を思い過ごす時間。
固く結んだ手と手を放して
何か一つ約束をしよう
実現するのも怪しいくらい
底抜けに明るいやつを
そうして手と手を大きく振って
全身全霊のさよならだ
君が何かを叫んでいたけど
とっくに遠くて聞こえなくて
それでも全く問題は無い
次会った時に聞くからさ
次が いつか あるからさ
君を無くした風景は
底抜けに青くて 青い 青空
名(な)など要らない
晴れ晴れ
ただ
晴れ晴れ
(はなればなれ)
出会いがあれば別れがある
長い時間一緒にいればいるほど
離れがたくなるし
想い入れも強くなる
人であっても
物であっても
場所であっても
僕はそう思う
えーっと、どれだ?
これか?いや、違うな
こっちか?
ああこれだ。
夕飯前に同じ色の持ち手の箸を探す時間。
一緒に住むようになってから少し増えた気がする。
はなればなれ
子供の頃、使ってたな
席替えで仲の良かった子
少し離れただけなのに
『あーあ、はなればなれになっちゃった』
中学、高校
進路先が変わる
『はなればなれになるね』
大学
地元に帰ったり就職で別の土地に
『みんなバラバラだな』
大人になるにつれて
現実が見えてくるから
もしくは、言葉にしたくないから
直接言わなくなったのかもしれない
はなればなれって
なんとなく、もう会えない
っていう感じがしてしまうから
排水溝の下
覗く青い露草
指で撫でる
カサつく唇
捕らわれた気持ち
知りながら
排水溝の下
気まぐれのフリをする
過ぎ去る季節ばかり思い出す。
だから歳ばかりとるのか。
枯れた落ち葉さえも見当たらない。
無くしたものばかり覚えてる。
だから後悔ばかり増えるのか。
手にしたものは何だったか。
さよならばかり思い出す。
だから冬ばかり思い出す。
幸せばかりが見つからず。
せめて雪で隠してくれ。
#はなればなれ
お題 はなればなれ
せっかく出逢えたと言うのに、あなたとわたしはまた、はなればなれになった。
はなればなれとは、実際の距離ではない。心理的な距離だ。
全世界に疫病が流行り、会いに行きたくても会いに行けない。そんな辛い日々が続いた。
これこそ本来のはなればなれだ。辛くて切ない。
もううんざりだ。二度と会えない辛さを味わいたくない。
会いに行きたい。離れたくない。このままだと心までもはなればなれになる。
はなればなれだなんて大嫌いだ。いつまでも一緒にいたい。
ずっと一緒にいたかったな。
大人の言ういつか、また今度は
小さな体には長すぎる
行ってほしくない、
なんて言えるわけがない。
泣いたらいけない気がしたから
必死に我慢して頷いた
はなればなれになっちゃうね。
うん
ちょっとだけかなしいね。
うん
また遊ぼうね
うん
ばいばい
……うん
必死に
『はなればなれ』
大学を卒業してはなればなれになった同級生たち。それぞれが新天地で悪戦苦闘の日々を送っているのだろう。あれから4年も経つと、彼らの顔はまだ思い出せても、名前が出てこないことがある。
はなればなれ乾杯
俺の席の周りはダチ達
くだらねえ話にリアクション
でも横目であの子を見てしまう
あいつと楽しげに話してる
そりゃそうか あたりまえか
少し親しくなっても取れん敬称
数年経ってこれならもう無理じゃね
ほんとにたまにダチ達が邪魔に思う
だって二人きりなら話しかけれ…
いや無理か
こいつらを臆病の言い訳にしてきた
独りよがりの感謝として
とびっきり笑わしてやるよ
見えないものを見ようとしたら
見たくないものまで見えてきた
何かを得たら何かを失うらしいけど
きっと何も得られないことの方が多い
幼なじみの友達。
喧嘩をしてしまった。
そしてそのまま友達は引越した。
引っ越す前に一言言いたかったよ…
「ごめんね…」
『はなればなれ』
「ヒロちゃん、久しぶり!」
中学からの友人、宏美の姿を見つけた私は小走りに駆け寄って声をかける。
「久美ちゃん!久しぶり!元気にしてた?」
私達は手を取り合って再会を喜ぶ。
宏美と会うのは実に5年ぶりだ。
「またこんな日が来るなんてね。」
「本当、なんか不思議な気分。」
そんな事を話しながら、少し早めの昼食へと向う。
宏美と私は中学の時に友達になった。
部活で良い成績を収めていた宏美は、市外の高校へ進学し、そのまま今度は県外の大学へ。
一方私は市内の高校に進学し、県内の大学へ進んだ。
中学の3年間。
一緒に日々を過ごしたのはたった3年だったけれど宏美と過ごした時間は私の宝物だ。
私は中2の時、学校へ行けなくなり保健室登校をしていた。
クラスも違ったのに、宏美はほぼ毎日昼休みに保健室へ会いに来てくれた。
その事を私は今でも感謝している。
市外の高校へ宏美が進学することが決まって、『はなればなれになっても、ずっと友達でいようね。』と涙ながらにお別れしたのが昨日のことの様だ。
高校生になって、会うことは殆ど出来なかったけれど、宏美とは高校の3年間手紙を出し合った。
大学になって携帯電話を持つと、手紙よりもっと簡単にメールのやり取りが出来るようになった。
約束もタイムラグがないから簡単に出来、お互いの住む場所から中間地点で会うことも可能になった。
しかし26で宏美が結婚し、育児も始まると私達の連絡頻度は落ちた。
私も32で結婚し、その後出産、そして離婚。
日々のマルチタスクでメールを送る時間もなかなか取れなかったが、それでも誕生日にお互いに『おめでとう』メールを続けていてた。
あれは、そう、私の40歳の誕生日。
その数日前に私は乳がんの疑いと診断されていた。
まさか自分がガンになるとは思っておらず、検査から診断確定までの間は生きている心地がしなかった。
当時小1の息子を抱え、シングルマザー。
もし、このまま進行して死んでしまったら…と考えもした。
そんな折、宏美から『おめでとう』のメールが届いた。
ガンかもしれない事を自分の心の中だけに抱えていられなかった私は、実は…と彼女に話したのだ。
すると彼女は
「大丈夫。一緒にばあちゃんになるまで生きて、ランチ行こう。その頃には子育ても終わって自由に動けるはずだから。二人で美味しいもの食べて、いっぱい話そう!」
と言ってくれた。
それから私は乳がんの告知をされ、手術をした。
手術入院中も宏美は遠方からはるばる会いに来てくれ、感謝してもしきれない。
私のガンは比較的予後のいいタイプの乳がんで早期であったことも幸いし、10年のホルモン療法を受け、2年前に治療を終えたばかりだ。
私の40歳の誕生日から12年。
宏美も私もほぼほぼ子育てが一段落。
遂にこの日が来た。
まだまだ『ばあちゃん』という歳ではないけれど、あの日約束したランチだ。
『はなればなれになっても、ずっと友達でいようね。』
「本当にその通りなったわね。」
中学の時の約束を思い出し、呟くように私が言うと、
「何?何の話?」
と宏美がニコニコと聞いてきた。
中学生だった頃の私達に戻って、さあ、何からおしゃべりしようかしら。
あの人が消えてもう1年
恩人であり大切だったあの人
ある日机に1枚の手紙を置いて出ていった
「世界を見てくる」
手紙にはそれだけが書かれていた
あの人は突然飛んでもないことをするから
私はいつも振り回される
突然陶芸家をめざしたかと思ったら
ライブハウスで知らない人達とライブをしている
そんな気まぐれで10年前も1人きりだった私を拾ってくれた
そんなあの人を私は愛している
今頃世界の辺境にオーロラでも見に行っているんだろう
なんて思いながら気ままにあの人の帰りを待つのだ
さて、明日の食材でも買いに行こうか
あの人が明日帰ってきてもいいように少し多めに
ガチャ
扉を開けた瞬間私は腰を抜かした
私の知っているあの人が目の前にいる
私のよく知っているあの人が
「あなた、翼なんて生えてたかしら?」
あの人ははなればなれの間に天使にでもなったらしい
「いやー、世界には神様ってやつがいるもんなんだなぁ」
あの人のいった世界はどうやら私の知っている世界と違うらしい
はなればなれ
もう おわかれだね
つないでたはずのては
はずれてしまったから
だれがどうして
どうしてこうなったのかなんて
かんがえたって
てははなれていくばかりだから
もう じぶんからはなした
これいじょうあなたがくるしむなら
わたしからてをはなすの
さいごにきこえたことばは
これいじょうあなたがくるしむなら
ぼくからてをはなしたよ
さようなら