震災があったあの日、私はその時一緒だった姉と弟とはぐれた。姉と弟は無事だろうか、一緒であろうか…流されていないだろうかと、不安が募っていた。もう一度「あいたい」その一心で変わり果てた街を辿って歩いた。木々も倒れ古い家屋はもう木の破片として転がっている。どれだけ歩いただろうか、避難地まであとどのぐらいだろうか。街並みが変わるだけで歩いている道に自信がなくなってしまった。その時である、誰か小さい子の泣き声がしたのは。その声はどんどん近くなって行き突然その声は目の前にあった。私の弟の声だ。この場所がどこかようやく理解した私。「真守ー!(弟の名前)」「おねぇーちゃん!」もう涙が溢れて、ぐしゃぐしゃになりながら弟を思いっきり抱きしめた。「真守、お姉ちゃんは?」そう聞くと、弟がこう言った。
「高台に登る途中で手が離れて、どこかへ行ってしまった。」
姉は元々そんなに体力が無く、疲れやすい体質だった。弟が姉を引っ張って行ったのだろう。
「とりあえずここから、離れよ?おぶってってあげるから、」
そう言って、おんぶしてあと数キロの高台を登った。
その瞬間である。また大きな地震があった。さっきより酷い揺れ。弟に覆いかぶさり自分の頭を守った。地震の揺れもおさまった。上から街を見てみると変わり果てたものだった。
「あの街にもう一度会いたい。」離れ離れとなった家族。母親も父親も見当たらなかった。もちろん姉も。
弟と避難所暮しをして、余震の続く中私達はあるべき場所に向かった。自宅だ。自宅は幸いにも高台から少し上がった所にあった。カロリーメイトを3箱貰って避難地を後にした。水もない。食料だって少ししかない。その中2キロ先の家にたどり着いたのは約1時間後の事だった。幸いにも窓ガラスが割れた程度で済んだ私の家。弟を下ろしドアを開けた。そこには、離れ離れになっていた母と父がいた。見えた瞬間なにかの糸が途切れるようにそこで腰が抜けてしまった。母も父も元気そうだったのと、出会えた喜びがとても大きかった。
だけど、「お姉ちゃん、はぐれてまだみかっていない。」
そう両親に伝えると、「きっとまた会える。だって僕らが会えたんだから。そう話していた。」
あれから5年。姉は今どこで何をしているのか、全くわからない状態だった。なのにある日一通私宛にメールが届いた。
「あいたい」そう。私のメールに綴られた言葉。
安否がわかった私達は、泣きに泣いて、姉を5年振りに迎え入れてやっと家族全員揃った。
だけど姉は、その後数年後亡くなった。
あの時会えた喜びとこの悲しみは天秤にかけても計り知れない重さであろう。
「離れ離れでも家族の絆は永遠であいたいと願えば会える距離にいる。」
#離れ離れ
11/16/2023, 2:48:46 PM