『はなればなれ』
「ヒロちゃん、久しぶり!」
中学からの友人、宏美の姿を見つけた私は小走りに駆け寄って声をかける。
「久美ちゃん!久しぶり!元気にしてた?」
私達は手を取り合って再会を喜ぶ。
宏美と会うのは実に5年ぶりだ。
「またこんな日が来るなんてね。」
「本当、なんか不思議な気分。」
そんな事を話しながら、少し早めの昼食へと向う。
宏美と私は中学の時に友達になった。
部活で良い成績を収めていた宏美は、市外の高校へ進学し、そのまま今度は県外の大学へ。
一方私は市内の高校に進学し、県内の大学へ進んだ。
中学の3年間。
一緒に日々を過ごしたのはたった3年だったけれど宏美と過ごした時間は私の宝物だ。
私は中2の時、学校へ行けなくなり保健室登校をしていた。
クラスも違ったのに、宏美はほぼ毎日昼休みに保健室へ会いに来てくれた。
その事を私は今でも感謝している。
市外の高校へ宏美が進学することが決まって、『はなればなれになっても、ずっと友達でいようね。』と涙ながらにお別れしたのが昨日のことの様だ。
高校生になって、会うことは殆ど出来なかったけれど、宏美とは高校の3年間手紙を出し合った。
大学になって携帯電話を持つと、手紙よりもっと簡単にメールのやり取りが出来るようになった。
約束もタイムラグがないから簡単に出来、お互いの住む場所から中間地点で会うことも可能になった。
しかし26で宏美が結婚し、育児も始まると私達の連絡頻度は落ちた。
私も32で結婚し、その後出産、そして離婚。
日々のマルチタスクでメールを送る時間もなかなか取れなかったが、それでも誕生日にお互いに『おめでとう』メールを続けていてた。
あれは、そう、私の40歳の誕生日。
その数日前に私は乳がんの疑いと診断されていた。
まさか自分がガンになるとは思っておらず、検査から診断確定までの間は生きている心地がしなかった。
当時小1の息子を抱え、シングルマザー。
もし、このまま進行して死んでしまったら…と考えもした。
そんな折、宏美から『おめでとう』のメールが届いた。
ガンかもしれない事を自分の心の中だけに抱えていられなかった私は、実は…と彼女に話したのだ。
すると彼女は
「大丈夫。一緒にばあちゃんになるまで生きて、ランチ行こう。その頃には子育ても終わって自由に動けるはずだから。二人で美味しいもの食べて、いっぱい話そう!」
と言ってくれた。
それから私は乳がんの告知をされ、手術をした。
手術入院中も宏美は遠方からはるばる会いに来てくれ、感謝してもしきれない。
私のガンは比較的予後のいいタイプの乳がんで早期であったことも幸いし、10年のホルモン療法を受け、2年前に治療を終えたばかりだ。
私の40歳の誕生日から12年。
宏美も私もほぼほぼ子育てが一段落。
遂にこの日が来た。
まだまだ『ばあちゃん』という歳ではないけれど、あの日約束したランチだ。
『はなればなれになっても、ずっと友達でいようね。』
「本当にその通りなったわね。」
中学の時の約束を思い出し、呟くように私が言うと、
「何?何の話?」
と宏美がニコニコと聞いてきた。
中学生だった頃の私達に戻って、さあ、何からおしゃべりしようかしら。
11/16/2023, 2:22:03 PM