『ないものねだり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
思いつかないので一言。
みなさんいつもお疲れさまです!
平凡で普通すぎる毎日だと思っている方もいると思いますが、それがどれだけ幸せか…
考えてみてくださいよ。
毎日新鮮な水が飲める🚰c(* ॑꒳ ॑* )
ご飯が食べれる🍙( ˙༥˙ )🍙ŧ‹"ŧ‹"
治安がいい( ` -´ )bイイネッ✨
これ、メッッチャ良いですよね!?!?(^^(圧))
ないものねだり
「二重なのいいな」
「一重なのいいな」
「奥二重なのいいな」
「ないものねだり」
それは、形にはならないのかもしれない
羨ましくなったり嫉妬してしまったり…
でも時には、叶わなくても望むことだって生きていくには必要な一つなのだと私は思う
他の人ができていることが自分自身が全部が全部できるとは限らなくて心に傷を追ってしまうこともなくはなくて
そんなときに、’ないものをねだる’ことで変わるかもしれない
そしたらきっと私も君もできることが増えていくのだということを
それは 一歩前進!
友達が羨ましい。
友達の旦那はよく稼いできてくれるみたい。
うちの旦那の稼ぎは低いから、私も働かなきゃいけない。
友達は専業主婦。
私も専業主婦がしたくて結婚したのに。
旦那はよく家事もしてくれて、仕事が終わったらまっすぐ帰ってきたり、私が行きたいと言った場所も覚えてくれてて連れて行ってくれるし、誕生日や結婚記念日も忘れずに一途に愛してくれている。
でも、友達が羨ましい。
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友人が羨ましい。
私は結婚しても仕事したかったのに、旦那に頼まれて仕方なく主婦をしている。
稼ぎはいい夫だから、生活には困らない。
夫は主婦なんだからって家事育児は全て私任せ。
そして何より、私の稼ぎがなくて簡単に出ていけないのを良いことに不倫をしているようだ。もう何年も一緒に夕食を食べていない。結婚記念日はおろか、誕生日もずっとお祝いしてくれていない。
だから、友人が羨ましい。
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私たちって、ないものねだりね。
なんて、会話をしながらカフェでコーヒーを飲んだ休日の午後。
「ないものねだり」
ないものねだり
ついついしてしまうけど
ないものばかり追いかけると
もってるもの分からなくなってしまう
もってるものを探して
その中から無いものを生み出せたら
いいのにな
子供の頃のお話です。
私は三人兄弟の一番上。
長女という役目もあり甘え下手でした。
しっかりしなくてはいけないという使命感もありましたが、
やはり時には甘えられる存在が欲しくて
いつも優しいお兄ちゃんが欲しいなあと思っていました。
4歳下の弟は一緒に遊べる弟が欲しいと言い、
7歳下の妹は可愛い妹が欲しいと言いました。
どんなに欲しいと願っても叶わないおねだりです。
ないものねだりとはこのことだなぁと
三人で笑い合った事を思い出しました。
【ないものねだり】
仕方ない。というのがまず結論となる。ないものねだり。
ないものねだりをしても仕方がない。この一文に二つの意味が込められて、その両方が適切だ。
簡潔明瞭に言葉を正すのなら、「ないものねだりをすることは人生において妥当なことである」及び「ないものねだりなんて行為は無駄であり、それをしても状況が改善することは無い」の両者の意味が込められて、そのどちらもが議題に対する結論として適当である。
ただ、単に仕方のないものであると結論だけで終わらせるには思考の出力量が少ないので、Whyに議題を移そうと思う。
何故ないものねだりが妥当でありかつ無駄であるのか。或いは、無駄であるのに妥当であるのか。
無駄とされる理由は単純して明快だ、「無い」「物を」「強請る」行為だからだ。この「無い」について具体性を求めると際限が無くなるので自重するが、少なくともその時間・場面において存在可能性が無い、可能性においても小数点以下を切り捨てればほぼ「無い」と断言できる物を欲しがり求めようと、存在しない以上願いは叶わないからだ。ないものねだりが「無い」ものねだりと表現される時点でその場に求めるものは無い、故に願い求める行為にそれが叶わないという結果が裏打ちされる。願いは精神充足的な評価軸においてプラスの要素を持つものだ。それが満たされないということは、算出される事象としてはマイナスになる。その概念の時点で自身にとって望ましくない結果となることが確定している行為は、それを実行する労力がそのまま徒労となる。故に、ないものねだりという行為は無駄である。
次に、ないものねだりが妥当とされる所以。上述した内容に対する矛盾を孕むこととなるが、というのも既に充分な量所持しているものを「強請る」ことはできないからだ。とうに手元にあり、所有権を有しているものを心の底から求めることはできない。なぜなら、認識として既に自身のものとして所持しているのだから。
対象が物質的なものでなかったとしても同じことだ。例えば救援。例えば愛情。例えば関係性としての他人。例えば才能。人はその瞬間己が主観において「必要としたから」願い求めるのだ。現状態では満たされないから必要とするのだ。主観的な不足を補うために、その時自身に足りていない対象を求める。これは感情的な、本能に近い衝動である。対してそれが手に入らないと判断するのは思考であり、思索であり、理性である。ないものねだりという単語において「ないもの」を判断するのは理性で、「ねだる」を出力するのは感情である。故に無いものを強請るというのは「無いものであるのにどうしてか欲しがってしまう」のではなく、「足りないものを欲しがる感情を存在しないという理屈で納得させようとする」至極順当な精神防衛、ストレスが解消されない状況に対する緩衝材としての機構である。故にこの行為は妥当であり、順当であり、人間として自然な反応である。
これらを基に最初の表現を正そうと思う。
ないものねだりは無駄である。得られないと理解しているものを求めるというのは無駄にコストを払っているに等しいからだ。
ないものねだりは妥当である。必要なものを得られない状況に欲を出力する感情も、手に入らない理由にそれが無いからであると理屈を述べる理性も、精神のバランスを保つために必要な要素であるからだ。
故に、ないものねだりは行為として判断するなら無駄なものだが、現象として認めるのなら全く意味のあるものである。
手に入らないとわかっているにも関わらず望んでしまうことは何ら異常なことではない。得られないという事実は望むことを無為にする必要を意味しない。
その観念と付随する感情は総て仕方のないものであり、否定されるべき理由は無い。
それだけだ。
「ないものねだり」
結婚してると独身の人が羨ましかったり
独身だと結婚したかったり
変な父親持つと、普通の父親がよかったなぁとか
人のお洒落な収納見ると、それいいねって欲しくなったり
ソファー置いたら、ソファーの下に座りたくなったり
ん?これはあるものねだりか?
まぁ、世の中持ってないものを欲しいって誰もが思う
それってないものねだりだよねって話。
「ないものねだり」
青年は考える
あの人は努力できる人
あの人は天才な人
あの人は狡猾な人
あの人は愛嬌のある人
あの人は怠惰な人
じゃあ、自分はどんな人?
ないものねだり
あの子みたいに運動できたら、
あの子みたいに可愛かったら、
あの子みたいに才能があったら、
あの子みたいに...
でも、それが実現したら、
今の私が崩れてしまいそうで。
結局、今がいちばん生きやすいのかもだなんて、
考えたってどうにもならないのに。
ないものねだり
この世のなかに存在しないものがほしい
人が想像できるものは
いつしか現実となりえるという
ならば想像すらできないもの
それがほしいな
まったくもって
想像がつかないけれど
「ストレート羨ましい」
「くせっ毛可愛い」
「背高いのかっこいいなあ」
「ちっちゃいの可愛い」
「家お金持ちじゃん、完璧かよ」
「家族仲いいの羨ましいな」
「頭いいなぁ」
「友達多いなぁ」
所詮皆ないものねだり
‐ないものねだり‐
♯19
『ないものねだり』
あの子みたいになりたいだとか、
あの子の才能が羨ましいだとか、
どれもこれも全部
努力ができない私の
ないものねだり。
お題 : ないものねだり
意味 :実現出来ないことを無理に望む事
私はB君が好きだ 。
コレはずーっと隠してきた、だって私の親友もB君の
事が好きだからだ。しかも親友は顔が良いスタイルも小動物みたいで他の子こらは評判も良い。
それに比べて私は…不細工だから 、、
親友との関係も崩したくない私はいつも思う 。
関係を崩さずにB君と付き合いたいな …
なんて、ないものねだりしても意味ないのにね 。
な い も の ね だ り
高 身 長 で
腕 や 足 が ご ぼ う の よ う に 細 く て
体 調 が 悪 そ う な ぐ ら い 痩 せ て て
可 愛 い 顔 で
サ ラ サ ラ な 髪 の 毛 で
絵 も 上 手 く て
歌 も 上 手 く て
皆 か ら 愛 さ れ る 子 に な り た か っ た
こ れ は 全 て
な い も の ね だ り
21 作 目
ないものねだり
わたしには足りないものが多すぎて
求めるには多すぎて…
ないからこそ
身につけたことも多いはず
ないものばかり探していても
すべてが手に入ることはない
それなら手に入れる方法を見つけようか
それとも今あるものを磨きあげようか
その人が持っているのは
イミテーションかもしれない
わたしが持っているのは
原石かもしれない
羨み憧れることはいけないことではない
それをただ妬んでいてはいけない
わたしが輝くために
わたしが出来ることをしよう
嗚呼今日も土砂降りか。この世とは誠につまらぬものである。どこまで行ったって全て生まれ持ったもので人生がおおよそ決まってしまう。私などが具体例だ。私は生まれた頃から足が両方なかった。両親はそんな私をみるたびに胸が締め付けられているような表情をしていた。でも当時の私は幼く外を見ていなかったので自分が悪い方で特別な人間だと夢にも思っていなかった。そして不便だとは感じるが別に腕で引きずって動けば家の中を徘徊できる。だから私は歩くや走るといった行動にあまり羨ましがっていなかった。けれど年月が経ち初めて外へ出なければならない時に痛感した。なるほど確かに外へ出るには私の体だと無理だった。這いずろうとすれば服は破けどろんこになるし変質者のような目を向けられることだろう。だから親に抱かれて幼稚園に登校する時も周りから哀れみの目線や奇異の視線を感じてまるで自分がサーカスのピエロになったかのようであった。小学校に上がると祖父が入学祝いとして一台の車椅子を買ってもらった。その車椅子はとても使いやすく持ち手はよく手に馴染んだ。小学校では予想した通り変わった物を見る視線を向けられた。さらにいじめまで受けた。教師も無視する始末。結局教育委員会まで事件として届くまでの大ごととなってしまった。いじめグループ全員が粛清されると他の人は私を恐れたのか誰も近寄ってこなくなった。そんな状況が中高大と続きもう嫌だ。と思った。成人式を終えて私は小学校から使っている車椅子に乗ってそのまま成人式の帰りの電車に轢かれようとした。でもダメだった。黄色いブロックのタイルの凸凹のせいで死に直面した時の特有の脱力感のせいで進むことはできなかった。結局家に帰ってきてしまった。少しの喪失感に襲われながら食べた飯の味は今でも忘れられない。性懲りも無くまた自殺しよう。そう思いながらテレビをつけるとそこには義手や義足についての特集があった。我ながらハッとした。そうだ。ないなら自分で創ればいいじゃないかと思った。私は人より頭一つ飛び抜けて勉強ができたのでその脳を使ってもう一度大学を入り直し開発者になった。こうして私の戦いは続いている。あの時のないものねだりを可能にする。そう思うと胸が熱くなった。
この物語はフィクションです。
お題ないものねだり
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
何度も何度も、夢に見て
幸せな日常を、想像して
けれどどうしても、手に届かないと理解している。
それなのに、何度も何度も
君との未来を、想像してしまうの
---二作目---
欲しくても、手が届かなくて。
何時もそれは。空振りに終わる。
それが悔しくて悔しくて、何度も何度も、また挑戦する。
「もう諦めたら?どうせ叶わないんだからさ」
「そんな事言うなよ!絶対手に入れてやる...だって...」
そうしないと...お前が死んでしまうから。
不治の病に掛かったお前を救う唯一方法。
存在するかも分からない幻の木の実...絶対に手に入れるんだ!
#ないものねだり
252作目
【ないものねだり】
coming soon !
ないものねだり
あの子が言う通り
あたしは
あなたが欲しいと
ずっと思ってるけど
好きとちゃんと
言えないまま
もう片想い
何年もしてる
ないものねだり
そんなはずはない
ちゃんと伝えれば
あなたに
想いが届くかも
しれないのに
なな🐶
2024年3月26日837