『ないものねだり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
空を飛べるのっていいよね。
人に生まれてきたから、空を飛ぶことはできない。
風を切って、大きく広げた翼にその風を受けて、身体全身で浮遊感を味わうって、どんな気持ちだろう。なれるものなら空を飛びたい。
そんな気持ちがあったから、人は飛行機や宇宙船を作ったのだろうか。
水の中を自由に泳げるのっていいよね。
人に生まれてきたから、永遠に水の中にいることはできない。
ずっと奥底の海底をみてみたいけど、いったいどうなっているのだろう。見たことのない生き物がきっと暮らしているんだ。
そんな気持ちがあったから、人は潜水艦を作ったのだろうか。
自分からは光を放てない。だから光を作り出す装置を作った。
自分からは超音波を放てない。だから超音波を受信する装置を作った。
ないものねだりだけでなく、ないなら作り出そうとする。それが人間の本質なのだ。
【ないものねだり】
ないものねだり 分かってる
今まで手の中にあったものだから
無意識に、あると思ってしまうだけだ
あって普通と考えてしまったら人間は
感触さえも思い出せなくなる
痛いほど感じたはずだ
それでも私は、本当は
信じたくなかったのかもしれない
今日もまた
ないものねだり
テーマ:ないものねだり #134
「あの子はできて私はできない」
「いいよね、貴方はできて」
よくそう言われる。
そういうないものねだりをするのはやめてほしい。
人にはできるものとできないものがある。
僕にはできて、あなたにはできないこと。
逆に僕にはできなくて、
あなたにはできることだってある。
自分ができないからと、
他と比べることは誰にだってできる。
自分にしかできないことを見つけるのは、
自分にしかできない。
自分のことを見つめ直したら、
自分に自信をつけることができる。
周りと合わせるあなたじゃなくて、
あなたにしかないあなたがいる。
誰にでも染まることができるかもしれない。
流されてしまうかもしれない。
それでも最後に信用するのは自分でしかないのだから。
自分にしかないものを一生懸命探して
他人にないものねだりなんかしないで
自分にしか出せない色を出したほうが絶対かっこいい。
「ないものねだり」
今までもこれからも
ずっとそうです
ワガママなんです
お互いに
全部をまるっと埋めてしまったら
生きてる意味が、ない
「あのおもちゃが欲しい!!」
お母さんにおもちゃをねだる子供。
お母さんは困った顔をしながら、子供をあしらっている。手を繋いで連れて帰ろうとしているけれど、嫌だと言ってその場から動こうとしない。
ああ、同じだな。
おもちゃを欲しがっているあの子も、
無償の愛を欲しがっている俺も、
同じ、ないものねだりをしている。
まず、なんだかなあと思い出す。
何を持ってたっけ、わたしって。
何を持ってるっけ。あの人。
あの人?あの人でいいのかな。この人にしようかな。
みんないろんなもの持ってるな。
そういえばあの人のあれが欲しい。父親。
それならこの人のこれも欲しい。スタイル。
でもそれはわたしじゃないよなあ。
もらうのはいくらだって嬉しいけど
わたしのこれらはだれにもやらない。
ないものねだりってなんだったっけなあ。
ないものねだり
私には息子が1人います。産まれた時は元気でさえあればいいと願っていたのに、育っていく中で、優しくあって欲しい、素直であって欲しいと思いが募り、運動が出来たら、勉強が出来たらと少しづつ欲張りになっていきました。
自分が子供の時、あんなに嫌だった親の期待だったのにね。
親になって思うことはやっぱり沢山あって。 でもね根底は「幸せになって欲しい」なんですよね。幸せになって欲しいためのオプシ ョンが勉強だったり運動だったりなのかな?
本人は望む望まないは別なんですよね。
ただ母ちゃんはね、あなたが幸せならきっといいんです。生きてるだけで丸儲け。
色々悩むことも辛いこともたくさんあると思うけれど、どうかあなたの毎日が幸せの積み重ねでありますように。
隣の芝は青い、という言葉がある。
隣にあるものがひどく美しく見えて、欲しくなって。
ついつい僕らはないものねだりをしてしまうのだ。
自分の庭にあるものに気付かずに。
お金が欲しい
車が欲しい
大きい家が欲しい
名声が欲しい
手に入れられないものほど、なぜ欲しいんだろ?
でもあの人は手に入れてるのに、なぜまだ欲しいんだろ?
只々 あなたの言の葉に
包まれていたいのです
✎𓂃ないものねだり
ないものねだり
もし痩せ体質だったなら
いくら食べても
太らないんだよねーと
是非言ってみたい
でも現実は
食べたら食べた分だけ
しっかりと大きくなる
やっぱり食べ過ぎ注意
なかなか減らないお年頃
この世界にいない人達
自分の近くにいてほしい
テレビの中にいる人
自分の近くにいてほしい
自分の知らない人かも
知ってる人かも
そんなのどっちでも
いいことだよね。
佐助
ないものねだり
ないものねだりって
情けない
そんなことを言われた
でも
そんな時は
自分にしかない
自分にしかできないことを探す
あなたは
この世にたったひとりの
大切な人
生まれてきてくれて
本当にありがとう
#ないものねだり
一匹狼だけれども、たまには群れたいという欲望が出てくる。
話し相手が欲しい。
ひとりぼっちには飽き飽きなの。
ないものねだりします…
神様…
あいつは雨に冷えた桜の花を…
どんな思いで見たのか…
桜の開花にあわせて毎年ここに来てる事は
あえて言わなくても知ってました
陽が暮れて…
哀しげにアスファルトを打つ雨
雨音は複雑に残響し…
記憶が胸を叩き打つ…
あの夜の泣き顔…
誰かの婚礼の夜と…同じ…
哀しげに響く花冷えの雨音…
どんなに時を重ても記憶を重ても…
俺の胸を揺さぶり抉る傷跡…
少しだけでもいいから…
時を逆上る機会を下さい
あいつ笑顔を望む人の
優しく笑う笑顔を見せてあげて下さい
神様お願いします…
あなたに片思いしていた頃は
あなたの心が欲しかった。
あなたと付き合っていた頃は
あなたに見合う人間になりたかった。
ずっとずっと
求めてばっかり。
『ないものねだり』
窓の外から聞こえる
子供たちの元気な声
無邪気に走り回る姿
生まれつき病室しか知らない僕には
体験することは許されない
友達は点滴に同じ病室の入院患者
将来の夢は
野球選手にサッカー選手
なんて言ってみたかったな
車イスでしか移動できないんじゃ
無理だけど…
子供らしく
外で元気に走り回る
みんなと一緒に学校に行く
そんなみんなが当たり前みたいに
やってることがうらやましくて
やってみたいと思うのは
ないものねだりって言うのかな?
しゃぶしゃぶ食べて美味しいな
あっさりポン酢で素材が活きる
野菜もたっぷり ああヘルシー
大満足なその瞬間
鼻から胸へと流れ込む 甘辛旨みのこの香り
向こうの席から すき焼きの…
自分で選んだことなのに
満腹感がうらめしい
(強欲)
「ないものねだり」
#57
ひとは生まれながらにして、自分にしかないものを得ている。それは身体的なものであったり、自信を取り巻く環境的要素であったりと様々だ。しかし、多くのひとはその事実を自覚しないまま過ごしている。そして、私もまたそのひとりだった。例えば、生まれながらにして学習能力が驚く程に高いなどの特殊な能力が備わっているひと。例えば、とても愛くるしく誰からも愛される顔立ちのひと。例えば頭の回転が早く、想像力や観察力に長けているひと。もちろん、多くの人がこれといった特技や能力などなく平凡に育っていく。否、自分にしかないものを自覚しないままに自ら平々凡々と暮らしているのだ。
私は母子家庭に生まれた。正確に言えば、極道の父と昔はレディースをしていた血の気の多い母の元に生まれた。母は子供の頃はやんちゃをしていたが、社会に出てから変わったという。父のことはよく分からない。なぜ母が極道の父と出会い、結婚をしたのかは分からない。母が父について多くを語らないからだ。そんな父は私が三歳の時に不摂生が祟り、急逝した。以前の記事でも触れたが、私の父は長男である兄だけを特に可愛がっていた。私たち他の兄弟というのは、長男と同じように可愛がられた記憶がほぼないのだ。そんな中にあって、父が居なくなっても私たち幼い子供にとって悲しみもなく現実に変化を感じることは無かった。母は父がいてもいなくても苦労していた。私たちを保育所に預けると、仕事に出かけていた。夜の九時ころに迎えに来ては、先生や所長にお礼と挨拶をした家に帰り、夕飯を支度して私たちの面倒に追われる。今思えば、あのころの母には自分の時間などなく休む暇さえ無かったのだ。朝早くに起床して、私たち五人の子供に朝食を作る。起こして身支度をさせて、食事を与え、片付けをして私たちを保育所に届ける。小学生の長女や長男は歩いて登校。子供たちを見送ると、その足で母は仕事へ。と言っても、私が まだ幼稚園で言うところの年中のころは母は車を持っていなかったので自転車で活動していた。さぞ大変だったであろう。仕事を終えると、疲れきった身体に鞭打って私たちを迎えに来る。年長の頃、いつものように迎えに来た母が大きな車に乗って現れた時は兄弟みな大はしゃぎだった。そう、車種は確かに日産のバネットワゴンだ。あと時のことは今でも鮮明に覚えている。
私は生まれた時から視力が低く、分厚い眼鏡をかけていなければものをハッキリと見ることが出来なかった。昔の校長先生のような四角いメガネだ。レンズは牛乳瓶の底のように分厚いため、とても重く見栄えも悪かった。だが、これをかけていなければ周りの子達と同じように過ごすことができなかった。当時の目医者には、一生をかけてメガネが手放せないだろうと言われていたという。左目は調節性内斜視といって、ものを見る際にピントを合わせようとすると左目だけ極度の寄り目になる。右目が頼りとなる為に左目の視力は極端に低く、メガネはこうした症状の矯正の目的もあった。周囲にバカにされることは無かったが、度々嫌になっては大泣きをしていた。小学生の頃には、なぜこんな目を持って生まれてきたのかと塞ぎ込んだこともあった。身長は低く、体も弱い。幼く中性的な見た目から、女の子に間違われたり、幼稚園児と勘違いをされることもあった。地元の祭りでわんぱく相撲に出場した際は、女の子として紹介されて恥をかいたこともあった。
同級生や周囲の子は、新作のゲームが発売されればすぐに持ち寄って遊んでいた。遊ぶ時は、皆お菓子やジュースを親に持たされていた。私たち兄弟にはそんなものはなかった。角砂糖をポッケに入れて遊びに行ったり、野草をとっておやつ代わりに食べたりしていた。クリスマスには貰ったものを自慢している友達を羨んだりもした。みんなにあって、私に、私たち兄弟家族にはないものを意識し始めてからは他人と比較をすることが癖になっていた。そんなことをしては憂鬱になったり、全てにやるせなさを感じたりして涙を流すこともあった。しかし、友達や周囲のひとたちはあたたかく、そして優しかった。持ち寄ったお菓子やジュースを分けてくれて、角砂糖を美味しいと言って食べてくれた。ゲームやおもちゃも貸してくれたし、どんなときも仲間外れにしないで一緒にいてくれた。そんな温もりが私の心を救ってくれていた。そして、感謝というものを子供ながらに身につけることが出来ていた。
可愛らしい泣きぼくろも笑窪もないけれど、私には他人を思いやる素直な心と敬う心がある。父はいないし裕福ではなかったけど、母や姉、兄弟がいつもいた。喧嘩ばかりするけれど仲良く遊び回った兄弟がいた。いつも笑顔で話しかけてくれて、お菓子を分けてくれる近所のおばちゃん達がいた。どんなときも和に引き入れてくれる友達がいた。幼い見た目から、たくさんの「かわいい」を貰った。年齢制限のブレゼントををいつも手にしていた。父の存在を望んだところで叶うことは無いが、父がいない環境で家族の絆を固くすることが出来た。裕福でないためにプレゼントなどは余りもらえなかったが、たくさんの愛に恵まれた。
ないものをねだればキリがなく、憂鬱と気分も下がる。しかし、今あるものや既に得てきたものなどに目を向けてみれば考え方や物事の見え方は大きく変わる。本当に必要なこと、不必要なものが目に見えてわかるようになる。感謝や敬いの心に気付くことが出来るようになる。物事を強請るというのは、実に簡単で誰にでもできる。しかし、いま目の前にあるものの価値を見いだし生かすも殺すも自分次第だ。そして、それは強請る以上に難しいのだ。なぜならそこに気づくことが出来ないからだ。灯台下暗しというが、身近なところでもそうなのだ。ひとは今ある環境に目を向けることをしないし、なかなか簡単にできないのだ。隣の畑は青々と見えるが、そこばかりが気になってしまってしまう。だが、悶々としたり気が落ち込んでしまったときこそ自分自身のことに目を向けてみるといい。ただ俯瞰するのではなく、成り立ちや結果といったものや在り方というものを深堀してみることで気がつけなかった物事が、鮮明に見えて来るようになる。
ひとは今あるものの価値を見出せないでいる時ほど、他人に影響されやすく、必要でないものさえも欲しくなるのだ。
何かを 強請る時、なにかがよく見える時こそ思い出して欲しい、自分や身の回りにある価値を。私はそこに気づくことが出来たとき、自分を好きになった。愛することが出来た。そして受け入れて、ありのままの自分を磨くことが出来ている。
わたしにあって
あなたにないもの
あなたにあって
わたしにないもの
わたしの心の奥にいる
あなたを探している私
『ないものねだり』