-ゆずぽんず-

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ひとは生まれながらにして、自分にしかないものを得ている。それは身体的なものであったり、自信を取り巻く環境的要素であったりと様々だ。しかし、多くのひとはその事実を自覚しないまま過ごしている。そして、私もまたそのひとりだった。例えば、生まれながらにして学習能力が驚く程に高いなどの特殊な能力が備わっているひと。例えば、とても愛くるしく誰からも愛される顔立ちのひと。例えば頭の回転が早く、想像力や観察力に長けているひと。もちろん、多くの人がこれといった特技や能力などなく平凡に育っていく。否、自分にしかないものを自覚しないままに自ら平々凡々と暮らしているのだ。
私は母子家庭に生まれた。正確に言えば、極道の父と昔はレディースをしていた血の気の多い母の元に生まれた。母は子供の頃はやんちゃをしていたが、社会に出てから変わったという。父のことはよく分からない。なぜ母が極道の父と出会い、結婚をしたのかは分からない。母が父について多くを語らないからだ。そんな父は私が三歳の時に不摂生が祟り、急逝した。以前の記事でも触れたが、私の父は長男である兄だけを特に可愛がっていた。私たち他の兄弟というのは、長男と同じように可愛がられた記憶がほぼないのだ。そんな中にあって、父が居なくなっても私たち幼い子供にとって悲しみもなく現実に変化を感じることは無かった。母は父がいてもいなくても苦労していた。私たちを保育所に預けると、仕事に出かけていた。夜の九時ころに迎えに来ては、先生や所長にお礼と挨拶をした家に帰り、夕飯を支度して私たちの面倒に追われる。今思えば、あのころの母には自分の時間などなく休む暇さえ無かったのだ。朝早くに起床して、私たち五人の子供に朝食を作る。起こして身支度をさせて、食事を与え、片付けをして私たちを保育所に届ける。小学生の長女や長男は歩いて登校。子供たちを見送ると、その足で母は仕事へ。と言っても、私が まだ幼稚園で言うところの年中のころは母は車を持っていなかったので自転車で活動していた。さぞ大変だったであろう。仕事を終えると、疲れきった身体に鞭打って私たちを迎えに来る。年長の頃、いつものように迎えに来た母が大きな車に乗って現れた時は兄弟みな大はしゃぎだった。そう、車種は確かに日産のバネットワゴンだ。あと時のことは今でも鮮明に覚えている。

私は生まれた時から視力が低く、分厚い眼鏡をかけていなければものをハッキリと見ることが出来なかった。昔の校長先生のような四角いメガネだ。レンズは牛乳瓶の底のように分厚いため、とても重く見栄えも悪かった。だが、これをかけていなければ周りの子達と同じように過ごすことができなかった。当時の目医者には、一生をかけてメガネが手放せないだろうと言われていたという。左目は調節性内斜視といって、ものを見る際にピントを合わせようとすると左目だけ極度の寄り目になる。右目が頼りとなる為に左目の視力は極端に低く、メガネはこうした症状の矯正の目的もあった。周囲にバカにされることは無かったが、度々嫌になっては大泣きをしていた。小学生の頃には、なぜこんな目を持って生まれてきたのかと塞ぎ込んだこともあった。身長は低く、体も弱い。幼く中性的な見た目から、女の子に間違われたり、幼稚園児と勘違いをされることもあった。地元の祭りでわんぱく相撲に出場した際は、女の子として紹介されて恥をかいたこともあった。
同級生や周囲の子は、新作のゲームが発売されればすぐに持ち寄って遊んでいた。遊ぶ時は、皆お菓子やジュースを親に持たされていた。私たち兄弟にはそんなものはなかった。角砂糖をポッケに入れて遊びに行ったり、野草をとっておやつ代わりに食べたりしていた。クリスマスには貰ったものを自慢している友達を羨んだりもした。みんなにあって、私に、私たち兄弟家族にはないものを意識し始めてからは他人と比較をすることが癖になっていた。そんなことをしては憂鬱になったり、全てにやるせなさを感じたりして涙を流すこともあった。しかし、友達や周囲のひとたちはあたたかく、そして優しかった。持ち寄ったお菓子やジュースを分けてくれて、角砂糖を美味しいと言って食べてくれた。ゲームやおもちゃも貸してくれたし、どんなときも仲間外れにしないで一緒にいてくれた。そんな温もりが私の心を救ってくれていた。そして、感謝というものを子供ながらに身につけることが出来ていた。

可愛らしい泣きぼくろも笑窪もないけれど、私には他人を思いやる素直な心と敬う心がある。父はいないし裕福ではなかったけど、母や姉、兄弟がいつもいた。喧嘩ばかりするけれど仲良く遊び回った兄弟がいた。いつも笑顔で話しかけてくれて、お菓子を分けてくれる近所のおばちゃん達がいた。どんなときも和に引き入れてくれる友達がいた。幼い見た目から、たくさんの「かわいい」を貰った。年齢制限のブレゼントををいつも手にしていた。父の存在を望んだところで叶うことは無いが、父がいない環境で家族の絆を固くすることが出来た。裕福でないためにプレゼントなどは余りもらえなかったが、たくさんの愛に恵まれた。


ないものをねだればキリがなく、憂鬱と気分も下がる。しかし、今あるものや既に得てきたものなどに目を向けてみれば考え方や物事の見え方は大きく変わる。本当に必要なこと、不必要なものが目に見えてわかるようになる。感謝や敬いの心に気付くことが出来るようになる。物事を強請るというのは、実に簡単で誰にでもできる。しかし、いま目の前にあるものの価値を見いだし生かすも殺すも自分次第だ。そして、それは強請る以上に難しいのだ。なぜならそこに気づくことが出来ないからだ。灯台下暗しというが、身近なところでもそうなのだ。ひとは今ある環境に目を向けることをしないし、なかなか簡単にできないのだ。隣の畑は青々と見えるが、そこばかりが気になってしまってしまう。だが、悶々としたり気が落ち込んでしまったときこそ自分自身のことに目を向けてみるといい。ただ俯瞰するのではなく、成り立ちや結果といったものや在り方というものを深堀してみることで気がつけなかった物事が、鮮明に見えて来るようになる。

ひとは今あるものの価値を見出せないでいる時ほど、他人に影響されやすく、必要でないものさえも欲しくなるのだ。

何かを 強請る時、なにかがよく見える時こそ思い出して欲しい、自分や身の回りにある価値を。私はそこに気づくことが出来たとき、自分を好きになった。愛することが出来た。そして受け入れて、ありのままの自分を磨くことが出来ている。

3/26/2023, 11:02:16 AM