『つまらないことでも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
XXXX年X月5日
濃霧のため探索を断念し、昨日に引き続き拠点の環境整備と情報整理に時間を費やす。つまらないことでも、こうして余った時間にこつこつやっておけば後の苦労が減るはずだ。
拠点にしているフロアの個室二つを整理し倉庫として使えるように整えたところ、備え付けの机の引き出しから施設内の地図を発見したため他の階にも足を伸ばす。
元は宿泊施設だっただけあり、まだ使えそうな家具類や備品がいくつも見つかったのは有難い。特に非常用の自家発電設備が使用可能な状態で残っていたのはここ一番の幸運だろう。持参した携帯式発電機では心許なかったところだったので、有難く使わせてもらうこととする。
つまらないことでも
なんでも率先してやる姿は優等生だなと思っていたが、
当たり前の事でも怒り喚く姿はバランス取れてないんだなと気の毒に思った。
ある日、優等生やめればいいだろう!と、言ってしまった。正直、どうでもいい事でいちいちめくじら立てていたら身体に悪そうだったし、こちららもイライラしていてストレスだった。
何故だ?キチンとしないといけないんだから注意して当然だろう。出来ない奴が悪い。
今、目の前で萎縮して怯えているのは少しだけ他の人より鈍く、どんなに遅くなっても諦めないガッツがあり、優しい奴だ。親しくないけど。
迷惑だろう?同じラインに立てないんだぞ。
お前、人の目のある所では廊下のゴミ拾ってるけど、街のゴミは拾わないよな?どういう意味だ?
ついムキになって言ってしまった。
は?街は給料もらっている掃除屋がいるじゃないか!
ぼ、僕はそうは思わない。君はつまらない事って言うけど仕事だからって誰かが散らかさないようにすれば、
残業したり、匂いがついて嫌われたりしないと思う。
ぼ、僕はそんな君にはつまらないことてもするよ。君みたいになんでもできるわけではないから。できる事する。ずっと後ろからでも追いかけるから、先に行っていいよ。ゆっくりだけどその分景色がきれいなんだ。
こんなにしゃべる奴?キョトンとしていたが、おお、と返事してしまった。
つまらないことでも
やらなくてはならない時がある。
どうしても、どうしても、やらなくてはならない
あぁ、何度水をすくっても 手から溢れていく。
嘲笑われても、どうしてもやらなくてはならない。
つまらないな、と思う時がある。
だけどやらなくてはならない時がある。
❧
怒りが頭を貫く勢いで腹から湧いてきた。
5分前行動などと学生の時はよく言われた。
私は時間にルーズでよく遅刻を繰り返し、
さまざまな人々の反応を見てきた。
しわくちゃの顔で怒鳴られたり、
飽きれた顔で笑われたり、
予定が無かったことになる事もあった。
そのため、人の時間のルーズさにもそこまで気にするような事はなかった。むしろ自分と同じような時間感覚の持ち主に共感し、喜びさえした。
大人と呼ばれるような年頃になれば、そんな時間感覚でいれないような機会も増えてきた。
人に怒られるような怠惰な遅刻などは徐々に減っていった。特に仕事に関する遅刻はまだしたことが無い。
そんなある日、あいつは遅れてやってきた。
私が机に広げた資料あたりに目線をやりながら、馬鹿でかい体を椅子にガチャガチャと音をたてながら収める。
「おつかれー」
仕事上でしかこいつには関わりがないが、今日は会議での作戦を練るべく集まる運びになった。
私は先に述べたように時間に関してあまり気にするタイプではない。もちろん今回の事は大して気に留めないつもりだった。
だが、私の感情は今あいつへの怒りがその大半を占めていた。
以前、同期数人で集まった飲み会での会話がよぎる。
「遅刻はしたくはないけど、しちゃうような時はあるんだよなぁ…」
と肩を落とす同期に言葉を投げかけると、あいつは
「社会人にもなってありえない。遅刻なんて普通にしないだろ。」
とピシャリと線を引いた。
時間に厳しい人間の言葉は正論であるが故、自分の感覚とは明らかにかけ離れていることを感じつつも言い返すことはなかった。
そんなあいつが時間に遅れてきたのだ。その事実もさることながらにその態度。まるで時間に遅れてきたのは無かったことのように振る舞っている。
やはり私はこいつが嫌いだ。
つまらないことでも…
寝るために聞く音声はつまらないものほど優秀
続けることに意義がある
たとえつまらないと思えることでも
つまらないことでもきっといつか意味があるものになるなんてのはよく耳にして。でもそれはきっとその人がどれだけ物事に注目してるかで今仮に後ろにダンゴムシがいるかもしれないけどほとんどの人が見向きもしないだろうしそんな可能性は頭に入っていないので居たとしても気付かない。そんな些細な出来事の繰り返しが色んな人たちにとって意味があって共通のゴールになったりして感情をぶつけながら頑張る。より深いつまらないことをつまらないじゃなく心から意味のあると思える人に簡単に出会えたらつまんないよな。どうせみんなつまんないんだからつまらないけど誰かにとっての「私は好きだよ」になれたらちょっとはつまらないことでも意味を見出して顔を赤くできるよ、
つまらないことでも
つまらないことでも
私にはどうしても許せない事だった。
だって、彼がつまらないと思っていた事は、私にとっては自分の中の『芯』みたいな部分でもあって、やっと積み上げてきたモノだったから。
彼の事は好きだった。
けれど、
私が大事だと思う事を、彼は大事だと思ってはくれなかった。
私の気持ちが、独りよがりにならない内に、私は彼とサヨナラをしようと思っている。
それほどまでに、私はもう彼の事を好きではなくなってしまった。
……今で言うな『蛙化現象』みたいに言うことなのかな…、?
ううん。違う。
ただ、『冷めて』『醒めた』。
それだけだと思う。
バイバイ👋
つまらないことでも
あなたの言葉を聞かせてよ
どんなつまらないことでも
あなたの言葉で聞かせてよ
つまらないことでも
いいのでしょうか
声を上げても
いいのでしょうか
些細なことでも
いいのでしょうか
くだらないことでも
いいのでしょうか
稚拙なことでも
そうして遠慮を重ねるうちに
どんどん自分が小さくなっていく
心は叫びたがっていて
体は暴れたがっているのに
悔しかった
悲しかった
傷ついた
後悔している
どうして
どうして
どうして
飲み込んだ針が私を過去に縛りつける
心だけが置き去りで
つまらないことを声に出すまで
33光年の時間がたりなかった
やるかやらないかの基準は
自分の心に喜びはあるのか
それで充分だと思うのです
『つまらないことでも』
昼はつまらない事なのに
夜はどうしてこんなにも
真夏の湿気を含んだ生ぬるい夜風が
暗がりを照らす電灯と自販機のノイズが
急に夜闇を割いて飛び込んでくる車の轟音が
自分しかいないと錯覚させるアスファルトの道が
電気の灯りきらない薄ら寒い田舎の町並みが
嗤う様に緑が揺れる並木達のざわめきが
綾取りの如く絡まり合う電柱の線が
どうして、こんなにも
心に波を打つのか。
全貌の視認が容易いと
いつしか黙認してしまう
そこにあってしかるべき物
見慣れる度に自然とつまらない
粗末な事と意識は自ずと切り離す
それらを夜の帳が覆い
切り取りを強制する事で
予測が不可能な事柄となる
予兆少なに露わになるモノは
途端に幾つもの想定へ変化する
陽を喰らう周囲の暗さは恐怖心を舐め
我々の想定にも光が灯る事は少ない
故に人は夜を恐れてきたのだろう
幾ら光を灯し夜を拭おうとしても
我らは夢へと潜り込む他ないのだ
“今夜”が、また明けるまでは。
ー つまらないことでも ー
つまらないことでも
このテーマで書かねばならないことは分かってる。
けれども私は、つまらないことはやらないし、そう感じることもあまりない。
しかし、これを機に
色んなことに挑戦して、つまらないことを見つけよう。そのつまらないことに、向き合ってみよう。
このアプリをそんなふうに使うのも、ありかもしれない。
そう思った。
【つまらないことでも】
最近では書く情熱すら薄れて同じお題でみんなが何を書いているのか、そっちのほうにばかり興味がいく。
自分の作品はさっさと終わらせて、みんなの投稿を読み耽るのが癖になってしまった。
私の感覚だとつまらないと感じたお題でも、推しの人たちは鮮やかな色に変えている。そこには確かな個性や感性が息づいているのだ。
いつか私もそのような技術を身に付けることが出来るのだろうか。
誰かが云った。
つまらないことでも書き続けることが大事だと。
そう信じて今日も言葉を織り続ける。
いつか誰かの心に響くモノが出来ると信じて。
つまらないことでも
お亡くなりになった俳優の樹木希林さんが、どんなことでも面白がることは大切よ。と生前言っていたらしい。
つまらないことでも…面白がるかぁ。
長女のあすみが、学校が楽しくない…といった時、的確なアドバイスはあげられなかったけれど、色々話す中で、自分が楽しくしてると自然と周りも楽しくなるものだよ、とだけ伝えた。
参考になったかは謎だ。
私は日本史も世界史も苦手意識が強いが、美術史は大好きなので、関連性を持って勉強したいと常日頃思っている。
孫の子守の合間に、ちょこっと勉強を試みる。
つまらないことでも、段々全容が見えてくると面白く変化していくものだ。
ペリー来航より、ずっと前に日本に上陸していたアメリカ人がいたことを最近知った。
新選組に興味が湧き、夢中になって深掘りしたら自分なりのミステリーが浮かび上がった。山南敬助についてだ。
新選組マニアの友人に話したら、面白い切り口だよと、褒めて貰えた。ちょっと嬉しい。
かつては、全く興味がなかった分野でも、つまらないと感じていたことも、面白がる精神は世界の扉を少し広くしてくれる。
私もあと3年で還暦だ。
いくつになっても、つまらないことでも面白がれる人でありたい。
あまたの先輩を見習いながら…。
つまらないことでも
正直学校の勉強は嫌いだった
大人になってからは
単体で役に立つというより
相手と会話が成り立つということを少しずつ理解していった
そんな勉強を自分でできるようになった
練習ってこういうことか
つまらないことでも
ボクは正直、勉強は苦手。
だって、つまらないんだもん。
Sin60°が幾つだって、
ローマ帝国を滅ぼしたのが誰だって、
カリウムの炎色反応が何色だって、
『いまそかり』が何活用だって、
ボクの人生、なんにも変わらないし。
知らなくても困らないし。
『一般教養』とか言って。
社会人にもなって、研修とかで、
色々勉強させられるの、マジでウザい。
なのに、隣に座るお前は。
受験生でも学生でもないのに。
どうして、そんなに真剣に勉強するんだろ?
どんなにつまらないことでも、
何時も真剣なお前。
ボクは、勉強するより、
いっそ、お前の横顔を見てるほうが、
楽しいかも知れない。
あれ?不思議だな…。
お前と一緒なら、
どんなにつまらないことでも、
ちょっとだけ、楽しい気がする。
つまらないことでもとりあえずやってみよう!からだやてをうごかそう!いまはつまらないとおもっていてもいつかやくにたつかもしれない!つまらないことからでもまなんでやるぞというせいしんでいきていこう!そもそもよのなかにはつまらないことなんてないんだよ!じぶんがつまらなくしているだけ!つまらないとおもったらまけだ!なんでもたのしむきもちをもたなきゃ!
つまらないことでも
つまらないことでも楽しめる人は楽しむ才能があると思う。逆に私は楽しむのはなんか苦手。人前ではしゃいだり、キャッキャッしてる人を見ると羨ましくなる。なんでそんなことできるんかな?って考える。
小さいときから大人っぽいね~とはよく言われたけど、嬉しくもないし分からなかった。今はむしろ精神年齢的に置いていかれてる気がする。幼稚に感じる。中学生の時から皆は先に進んで自分を置いてきぼりにした。つまらないことでも楽しめる人は自分とは全く異なる人生を過ごしてきたんじゃないか?
小さいときから大人っぽい奴はどっか途中からひねくれて、真っ直ぐな人生から居なくなるだろうから、たくさん甘えさせてあげてほしい。子供みたいな大人なんて見苦しいだろ。
つまらない話でもいいよ。貴女の口元を眺めているから
つまらないところでもいいよ。貴女の足取りを辿るから
あ、でも、
つまらない男だけは許さない。
話も、記憶も、その影も。
貴女には必要のないものだから。大丈夫。