『この世界は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
今日終えて 明日は嘆くか? 夢見るか?
どうせ生くなら 前を見ようか
『この世界は』 2024.01.16
長いこと人間をやっていて、この世界は理不尽だの不条理だのという出来事や突発的に起こる災害に遭ったりするのを今まで相当数見てきた。
それでも世界をよりよいものにしたいと戦っている人や進めてる人がいる。今この時間にも。
たった1mmでもいい方向に進めたい。不安もあるけど自分にできることはないかといつも考えている。
偽善者とか綺麗事とか言う奴らもいるけど、やらないよりやった方がいいし、動かないよりは動いた方がいい。
みんな自分が思ってるほど無力じゃない。小さいことでもやれることがあるはず。
テーマ:この世界は
明日は阪神淡路大震災の日なんですよね…29年経ってもいろんな災害があって…当日は思いを馳せて黙祷します。
この世界は美しく醜悪だ。
一見この言葉を見ると矛盾している様にも思えるだろう。
けれど矛盾などしていない。
この世界は美しさ醜悪さを兼ね備えている。
それでこそこの世界なのだ。
なので、例えば美しさか醜悪さ何方かが欠けたとすれば
それはもう、この世界とは違う別の世界なのだ。
私達はこの美しさと醜悪さが交差する
この世界で今日も息をする
題名∶この世界は
この世界はどうやら、私中心で回っているわけではないらしい。
私がもっと小さい頃は、世界は自分が中心に回っているのだと思い込んでいた。
家族、先生、友達、街行く人々、近所の野良猫。生きているもの全ては、私という物語の中に出てくる一要素でしかなくて、全ての出来事は私の為に作用しているのだと、信じてやまなかった。
私は言わばこの世界の王だ。何をしてもこの世界で咎められる事など一切ない。と、何度自分勝手な行動で他人を傷つけてきたのだろう。
ある日、私の信じていた世界が崩れ落ちたとき、漸くこの世界の豊かさに気がついた。誰が中心でもない、生きるもの皆がそれぞれが主人公で、毎日を一生懸命生きているのだと。
一人ひとりが輝くこの世界はなんて美しいのだろう。
これは私の実体験である。
数年ほど前に北海道でブラックアウトという大規模停電が起こった。もちろん電気は使えない。私の家はオール電化だったが、家庭用コンロがあったのでなんとかなった。ご飯は乾麺やカップラーメンがあったのでなんとかなった。でもスマホも充電出来ないので暇つぶしに使うことができない。緊急の時のために充電を残しておかなければいけないからだ。そうなると時間が余ってしまう。昼はラジオを流しながら本を読むことができた。でも夕暮れが近づいてくると暗くなってくる。私は本を読むのをやめ、気分転換に外に出ることにした。外に出て空を見上げてみると、今までに見たことがないほど綺麗な星々、天の川がこんなにはっきり見えるなんて今までなかった。どこの家庭も電気が使えないため星と月以外の灯りは一切なく空が透きとおっていた。この時私は初めてこの世界に生まれて来てよかったと思った。
「この世界は」
この世界において、生きるということは、最も高尚な行為である。そうだろう?
息を吸って、吐いて、栄養を採って、排泄して、休息を取って、また息を吸う。こんなにも面倒で仕方の無いプロセスを人々ひいては全生物がしているのだ。生きているのだ。そうして毎日、記憶の1ページを綴っている。
しかしながら、全員が毎日当たり前にしている行為は、果たして高尚と言えるのだろうか?現代における日本語は、やや面倒くさい。京言葉のように、本来の言葉の用途とは逆に、皮肉を効かせて使うこともままある。
「とても高尚な趣味をお持ちですね」なんて言葉、果たして素直に受け止められるだろうか。私は性格がねじ曲がっているので、言葉の裏を探ってしまう。つまり素直に受け取ることはないだろう。受け取ることはないし、それはきっと、発することに関しても同じだ。
ここでもう一度言っておこう。
この世界において、生きるということは、最も高尚な行為である。そうだろう?
「この世界は」
この世界は広い
日本だけじゃなく
196カ国もある
色んな人がいて
色んな人と繋がり
結ばれていく
私は素晴らしいと思う
言語も違う人と繋がれるって事
恐ろしい。
何もかもを許容したかと思えば何もかもを否定する。
ただ漠然と我が身に起こった事を理解する。
順調に進めていた計画はいよいよ最終局面を迎えていた。
多少のイレギュラーやミスはあれど概ね順調でもはや失敗はありえないと計算が叩き出されていたにも関わらず。
ありえないと否定しながらやはりかと納得する。
この世界は我々を容認しつつ否定したのだ。
この世界は
No.8『この世界は』
生きることに疲れてしまう時がある。
もう止まってしまいたいって。
でも動画で綺麗な景色とか見ると
この世界にはこんなに綺麗なとこがあるんだ。
この景色を見ないで生きることをやめてしまうのはもったいない。
そう思って今日も生きる。
〝この世界は〟残酷だけど、美しい。
2024.1.15.˹月˼
もしあの時花を買おうなんて思わなかったら
きっと貴方には出会えていなかった
この世界は奇跡が重なって
貴方と出会えたけれど
別の世界でも貴方と出会えただろうか
運命はきっと思うよりずっとてきとうで
何千の出会いを用意してくださるのでしょうね
こんなてきとうな出会い方でいいのかと
笑ってしまいそうなものもあれば
ずっともっと過酷な出会いだってあるかも
なんてね
この世界は
『この世界は』
だれなんだ、まったく。学校の本に落書きをするなんて。
ぼくは筆箱からちっちゃくなった消しゴムを出して、図書室で借りていた本の落書きを消した。
でも鉛筆の落書きはまだいい方なんだ。なかには、ボールペンで書かれていて消せないものもある。そういう時はぼくにはどうすることもできないから、図書室の先生に気づいてもらえるようにメモを挟んで返却することにしている。
ぼくは背の順だと前から2番目で、残念ながら小さい方だ。
だけど毎日トレーニングを欠かさないから、力はともかく体力は同級生に負けてない。それに毎朝牛乳をたくさん飲んでるから、これから誰よりも身長が伸びていくはずだ。
ぼくはスポーツはそんなに得意じゃないけど、これだけはだれにも負けないということがある。
実はぼく、みんなの知らないところでいろんな良い事をしてるんだ。
朝、誰よりも早く学校に行って教室の机を並べて黒板消しをきれいにするし、校庭に乗り捨てられた一輪車をいつも置き場に戻しているのもぼくだし、だれもやりたがらない係も進んで引き受けている。
学校の中だけじゃなくて、街でお年寄りの荷物を持つのを手伝ったり、バスで席を譲ったり、道にゴミが落ちてたらぼくのゴミじゃなくても拾うことにしている。
でもそれを自慢したり、見せびらかしたりするのはなんかカッコ悪いって気がするんだ。ぼくは、あくまでも"さり気なく"を大事にしている。だれにも気づかれなくたっていい。むしろその方がカッコイイ。たぶん、だけどね。
でもたまに。本当にたまになんだけど、ぼくはだれかに言いたくなっちゃうんだ。
「この世界は、ぼくのこの手に守られてるんだ」ってね。
私が今いるこの世界は
色が無い空白の世界。
いや、『まだ』色が無いだけ。
まだ色が染まっていないだけ。
どんな色に染まるのかは
自分自身にしか分からない。
さぁ、真っ白なキャンバスに
描こう。
自分自身の人生を
必ず良いことがある
助けてくれる人がいる
幸せにかこまれている。
毎日が楽しい。
辛いことがあっても必ず良いことがある。
見えていたものに蓋をして
気付いていたことに目を背け
罪悪を憶えるばかりで
千の良心は一の恐怖には勝てず
自分の弱さと他人の隠す弱さから逃げて
向き合おうとしなかったから
こんなにも汚くて醜い
今まで多くの人々が生まれては死に
これから多くの人々が生まれてくるのでしょう
そうやって多くの種が誕生しては絶滅し
いつかのどこかまでずっと
それを繰り返し続けるのでしょう
はあ、どうせ100万年後には絶滅する生き物
そのいつかのどこかの私
莫迦みたいに小さくて短くて軽い人生だけど
とんでもなく苦しくて痛くて永いの
過去未来全ての苦痛を抱えて廻り続ける意味を
——、知っているのでしょうか
『この世界は』2024/01/1612
この世界は、今までにどんな歴史を歩んできたのだろう。
過去、現在、未来
私たちが何気なく、当たり前に過ごしている世界が、何事もなくこのまま続いてほしいと願ってしまう。
だけど、当たり前に時間は過ぎていくなかで周りも自分自身も少しずつ変わり終わりに近づいていく。
だから、絶え間なく変化するこの世界、そしてなにより今の自分自身を受け入れ、変化を恐れずに、未来を真っ直ぐに信じ、幸せを願うことが出来るように強くありたいと思う。
こんな世界なんて嫌い。
だって私なんかがいるから。
逃げようとして後退り その内ぐるりと周り
辿り着いたのは同じ場所
ただいま、どうやら戻って来たみたい
たまにちょっと乱れて 気が付いたら元通り
命の音色 重ねて繋がった世界
幾つか失くなったとしても星は廻る
それが普通で とても当たり前の事
暗くて良かった だって 気付けたから
普段は使わない 「ありがとう」
少しだけ素直になれた気がするよ
この世界は
この世界はどんな世界なんだろうか。
夢かもしれない。
現実と夢の境目でおそらく生きているだろう。
平和に生きていたい私たち。
恍惚と 我を忘れる 時空間
邪魔をしないで 潮の満ち引き
#この世界は