『ありがとう、ごめんね』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
*ありがとう、ごめんね
「ありがとう」に「ごめんね」はいらないよ。
お互い様でいこうよ、私たち。
「可愛くて羨ましい。」
「頭いいね。」
「センス良くていいなぁ。」
友達はこう言って私を褒めてくれる。
「そんなことないよ。」
「ありがとう。」
「そう言ってくれて嬉しい。」
私はこう言って返す。
私を可愛いって言ってくれてありがとう。
私を頭いいと思ってくれてありがとう。
私がセンスいいと思ってくれてありがとう。
でもごめんね。
友達の言う私は外見とか点数でしか
見られてないんだなって思ってしまうの。
それでも私を褒めてくれる友達がいて幸せだよ
ありがとう。
素直に受け取れなくてごめんね。
少しは自分で自分を愛さなきゃね。
─────『ありがとう、ごめんね』
急がなきゃ
扉を閉められる
その前に
早く
って
ありがとう
と
ごめんね
それだけはって
急いで打って
送信した
不実な幕引き
けど
君の気持ちも
こうなる事も
分かっていたから
言いたかった事は
全部飲み込んだ
消化不良感
ハンパ無いけど
綺麗な思い出
望んだ訳でも無いけど
今も少し
苦しいけど
いつか全て
許せる日が来る
あの日々が
嘘じゃなかった事は
分かってるから
信じてるから
それだけを
溢れる気持ちの防波堤に
また一人
歩いてくよ
「ありがとう、ごめんね」
「疲れてるのに運転させてごめんね」
「迎え来てくれて申し訳ない」
いつも私は「ごめんね」と「申し訳ない」
と言ってしまう。
そんな私を彼は「大丈夫だよ。なんでごめんねなの?」
と悲しそうな顔で問いかけてくる。
いつだか、SNSで『「ごめんね」を「ありがとう」に言い換えよう。』という投稿を見て、ハッとさせられた。
一緒に出かけて楽しい気分を、「ごめんね」のひと言で台無しにしてたのかもしれないと。
それから私は、「ありがとう」と言うようにしている。
「今日も遠出してくれてありがとう!」
「忙しいのに時間作ってくれてありがとう!」
「迎えに来てくれてありがとう!」と。
彼は、笑顔で答えてくれる。
「俺も楽しかったから、ありがとう!」
「顔みたら疲れが取れた!ありがとう!」
「会いたかったから良いんだよ、ありがとう!」と。
「ありがとう」は魔法の言葉なのかもしれない。
#ありがとう、ごめんね
好きだった
大好きだった
今も好きって、言いたかった
きみとのあの時なにもかも好きでした、ありがとう、ごめんね
変われなかった私を置いていなくなったとしてもはみ出した想い出たちは鮮やかに過去を演出してくれてるのが酷く美しくも乏しいね
でも自分で好きなこと、もうあの頃では使わない言葉、嗜好、思想ひとつひとつ確立されてわたしはもうきみの中の遠くの他人になっている
きみもわたしの遠くの他人になっているでしょう
それでも亡くならないで浪費し続ける想い出を泳ぎながらわたしは息をしています
「ありがとう」「ごめんね』
どちらも言うのが恥ずかしくて、つい可愛くない態度をとってしまっていた。
けど、気付いたんだ。
ありがとう、ごめんねを言えない自分が一番恥ずかしいんだって。
だから本当にありがとう、書く習慣さん。
そしてごめんね、書く習慣さん。
ありがとう、ごめんね
別れの言葉だろうか。
ごめんね、により感謝の気持ちを感じた。
僕は、勝手なネガティブ妄想で
君に裏切られたかと思ってたよ
君も会いたいと思ってくれてたんだね
ありがとう、ごめんね
#ありがとう、ごめんね
「ありがとう、ごめんね」
貴方に会えたことにありがとう
貴方を傷つけたことにごめんなさい(ごめんね)
そのまま悲劇のヒロインぶってもしょうがないから
英語バージョンはどんなものかと考えてみた
thanks、sorry これが直訳な訳だがなんか違和感
せめてthanks、see ya ぐらいな気もするがこれだと
ありがとう、またね でそもそも意味が違う
そう思うとこれが言語間の特徴な気がする
断ち切ろうとすると胸に付きまとう蟠りを感じる
それは十分分かりつつもそれでも別れを言う
そんな時彼らはなんて言うんだろう
I love you な気がしてきた
ありがとう、ごめんね、さようなら。そんな悲しいこあとある?笑
いつだって、
「ありがとう」は言えるのに
「ごめんね」は言えない
「ありがとう」に含んだ
「ごめんね」の気持ち
『ありがとう、ごめんね』
ありがとう、ごめんね
当たり前だけど
当たり前じゃない
毎日毎食、食事が用意されている
しかも美味しい
毎日、掃除して片付いている
脱ぎ散らかした服も洗濯して
畳まれて返ってくる
ゴミ箱のゴミがなくなる
タイマーで起きれなくても
起こしてくれる
当たり前だったけれど
当たり前じゃなかったことに気付く
お母さん、ありがとう
自分が親になって気付いたよ
遅くなって、ごめんね
ありがとう、ごめんね
お風呂でたまに思い出す、ひいばあちゃんのこと。私が小学5年生の時に転倒して足の骨を折り、寝たきりになってしまったひいばあちゃん。
転倒してしまったのは、風呂焚き場がある土間と台所と段差。本来ならば私がするべき風呂焚きをひいばあちゃんが代わりにしたのだ。
学校の宿泊学習でその夜は私が不在だった。ひいばあちゃんは誰に頼まれもせずに土間に降りた。
じいちゃんが亡くなってから1人で風呂焚きを担っていたひいばあちゃんにやってみたいから教えてほしいと頼んだのが小学3年生。それから1年間の修行期間を経て身に付けた自宅の風呂焚き。できる同級生は当時1人もいなかったので、私は鼻が高かった。
完全に私の仕事となっていたそれを、宿泊学習に行く前にひいばあちゃんに頼んだのか、違う誰かに頼んだのか、いや、すっかり忘れていたのだと思う。ひいばあちゃんが亡くなって15年近くになるが、まだ胸が締め付けられる。
そして、写真には残っていないけれど、ずっと心に残っている景色と経験。一緒に山に入って枯れた杉の葉っぱを拾ったこと、太い薪に絡み付いた火を見つめお互いの話をしたこと。ひいばあちゃんとでも、私1人きりでも、火と向き合う時間が大好きな時間であったこと。
ごめんね、だけど、ありがとう。
#ありがとう、ごめんね
私に関わってくれてる全ての皆さんに捧げる言葉。
ありがとう、ごめんね。
『ありがとう、ごめんね』
いつもほんとにありがとう
辛い時話を聞いてくれて
ありがとう
優しい言葉をかけてくれて
ありがとう
精神病で弱ったところばっかり
見せてごめんね
でも
ずっとそばにいてくれて
ありがとう
心からあなたが
大切で
そして大好きだよ
父が他界したとき
涙と「ありがとう」「ごめんね」の言葉
しか出てこなかった
ありがとうは育ててくれた
感謝の言葉
ごめんねは、
十分な親孝行ができなかった
謝罪の言葉
これらの言葉が父に届いていたか
どうかも今となっては分からない
題「ありがとう、ごめんね」
隣の席の鈴木さん。とっても可愛くて、女の私でも見惚れてしまう。
「鈴木さん、さっき先生が呼んでたよ」
私が彼女にそう声をかけると、くりくりの丸くて大きな瞳に私が映る。
「ほんと!? ごめんね!」
こういう時は、ごめんね、ではないと思う。いや、しかし、手間をかけさせてごめんね、の意味があるのだろうか。
そんな事を考えていると、鈴木さんは先生に会いに行こうと立ち上がった。
立ち上がったと同時に、机の角においていた筆箱が机から滑り落ち、盛大に床へと散らばる。
「わー!? ごめんねー!」
こういう時の、ごめんね、は理解できる。
だがやはり、私も一緒にペンや消しゴムなどを拾って渡してあげると、
「ほんとごめんね~!」
この、ごめんね、も最初の、手間をかけさせてごめんね、なのか。だとしても……私は意を決して口を開く。
「鈴木さんってさ、ごめんね、が口癖なの?」
いきなりの私の問いに、え?、と真顔でこちらを見つめる鈴木さん。
「こういう時は、感謝なんだから、ごめんね、じゃなくて、ありがとう、だよ」
理解したかのように、鈴木さんも、あぁ!、と続ける。
「そうだよね! ありがとう、ごめんね」
しばしの間があった。
だが、ほぼ同時に次の瞬間、二人で吹き出す。
これが、初めて可愛いと高嶺の花の存在だった鈴木さんとのまともな会話。
教室では、始業を知らせるチャイムが鳴った。
【ありがとう、ごめんね】
ありがとう、ごめんね
俺はお前に出会ってからたくさんのごめんを聞いてきた。
一緒にいたいって思ってごめん、君の子どもを産んであげられなくてごめん、両親に堂々と紹介できないようなこんな俺でごめん、辛い思いさせてごめん、
好きになって、ごめん。
たくさんたくさん、俺に謝ってきた。ごめん、ってお前が謝ってくる度辛かった。俺はお前に幸せだって、笑っていて欲しかった。そのごめんの裏にはお前の苦しさや辛さ、涙があったんだろう。だから俺はお前にごめんと言われる度、ありがとうを返すんだ。
一緒にいたいと思ってくれてありがとう、お前の人生を俺にくれてありがとう、俺と出会ってくれてありがとう、
好きになってくれて、ありがとう。
いつかお前が、辛さや苦しさじゃなくて幸せを存分に感じられるようになるまでお前のごめんを俺がありがとうに変えてやるからさ。いつか、ごめんじゃなくてありがとうを聞かせてくれよ。