障がいをもった子どもの園に行かなきゃいけない
正直全く気乗りがしない
どんな子なのかまるでわからないし、障がいを持っている人に対して色々あったせいで良い印象がない
さらに、今のわたしのメンタルじゃあ多分子供とうまく遊べない。それで傷付けたら尚更だ。
好き嫌いとかの問題じゃなくて、自分のメンタルがイカれてるから行きたくない
誕生日とクリスマスが嫌いだ
物欲がないわたしは、毎年その日に備えて悩み続ける
じゃあもらわなければいいじゃないかって?
何もいらないと伝えると勝手に買ってこられるから困るんだ
センス皆無の父親から渡されたプレゼントの数々
身の丈に合わない高級時計
どこで使えばいいのかわからないカバン
サイズの合わないブレスレットとネックレス
わたしが本当に欲しいものは誰もくれない
家族3人で特別じゃない日に、家の食卓を囲むこと
家族ごっこがしたいだけ
小4のときにわたしの家族が立った大きな岐路
その先に待っていたのは、子供を苛ませる現実だった
わたしの中には小4のわたしがいる
その子は純粋で、世間を知らず、今も父の帰りを待っている
しかしその子は達観していてどうも今のわたしを憐れんでくれているようだ
小4のわたしが可哀想だと叫べば、彼女が耳元で囁く
「だいじょうぶだよ」
「もういいんだよ」と
苦しい辞めたいと叫べば、彼女が耳元で囁く
「だいじょうぶ?」
「どうしたの?」と
世界の終わりまでキミと共にいれば、心からの笑みを浮かべてくれますか?
正直でいることはいいことなのか
一概にそうとはいえない
なにか悪いことをした時に正直でいることは大切だけれど
だれかを傷付けないためには時に嘘をつかなければならない
人を守る嘘をつくなら泥棒にはならないんだろうか
閻魔様もゆるしてくれるだろうか
あなたはゆるしてくれるだろうか
今日は学校で幼稚園実習があった
わたしが昔通っていた場所でもあるそこには、わたしの思い出がたくさん埋もれていた
いつも先生が立ってチェックしていたトイレ
水槽と体のサイズが明らかにあっていない金魚
ぽつんといる亀と脱皮したてのザリガニ
走り回るのに最適だと思っていた遊戯室は片道大股十歩
背が高いと思っていたマリア様の像もいまでは背丈を越していた
そこには確かにあった思い出をいつしか通り越していたんだ
でも、わたしはここにいたという事実が心を動かす
年長の時にお世話になった先生が目に入ったけど、どうせ覚えてないだろうと思って、通り過ぎたら
「〇〇ちゃん!!」と呼び止めてくれた
その時に広がった安心感と心の暖かさはあの時の純白で無垢な感覚のままだった