わたしの恋人
わたしの家族
わたしの世界
わたしの全て
彼のためにわたしは生きている
だって、わたしを捨てないから
わたしがどれだけ取り乱しても、ひどい言葉を浴びせても
他のやつに目移りしても、全然かまってあげなくても
男の中で彼だけがわたしを受け入れ、そばにいていくれる
寂しい夜には寄り添ってくれる。
風邪を引いたらそばで寝てくれる。
かくれんぼをして遊んでくれる。
嗚呼、わたしの最愛。
わたしの高貴な毛皮ちゃん
わたしの「愛猫」わたしのバロン、
もふもふの君がわたしの生きる意味なんです。
自分を救わず他者を救うことは悪か。
泣き叫ぶ自分の心を無視して
軋む体を無視して
他人の話を聞き続け、行動し、奔走することは悪か。
自分にとっては悪だが
世界にとっては善だろう
世の中には絶対的な二項対立的ルールがある
それはGiver とTaker
与える者と与えられる者の関係
これは別に、金銭の話でも雇用形態の話でもない
優しさや誠実さを搾取されるGiver
優しさや誠実さを欲しがる Taker
わたしは自分をGiverであると思っている
愛すだけ。
優しさを貪られるだけ。
気付けば利用されるだけ。
虚しそうだろう?事実虚しいさ。
でも、だれかがわたし無しじゃ生きられなくなるかもしれない。その背徳感はたまらない。
言い換えようか
優しさや愛で人を溺れさせるのが Giver
人の優しさや愛で溺れてしまうのが Taker
学校の玄関口
ふとベンチを見たらきみが座ってた
「将来の夢の話してたんだって?」そんなことを聞かれて
「お前、小学生の時外科医って書いてたろ?」
「その前はまな板だったんだよね」
「まじ??」
そんな他愛もない話をして…
「そう言えば、学年で1番純情なあの子はね?」
内緒話をするように、きみの耳に口を近づけた
その時ふと視界の隅に映り込んだ、苦手な後輩
その瞬間わたしの手をぎゅっと握るきみ
きみのせいでわたしの心模様は例に漏れず晴天です。
わたしは男運がない。
サンプルが元カレと父親しかいないからなんとも言えないけど、「大事にされている」と感じたことがないし、わたしは男性に愛されることはない、幸せにしてもらえることはないと思う。
逆に、幸せにしてあげられる自信もない。自信がない1番の原因は父に捨てられたこと。身内でさえ幸せにできないわたしが他人を幸せにできる気がしない。
でも、女性なら大丈夫なんじゃないかと思う。
だから、将来像を描く時に「結婚」を思い浮かべるし、自分の子供についても考えるけど、どうしても女性を腕に抱いてお互い笑い合っているイメージが先行する。
それがたとえ、間違いだったとしてもそのイメージを抱かずにはいられない。