あの子は可愛い
あの子は美人
あの子は運動が出来る
あの子は勉強が出来る
あの子が羨ましい
そう思って周りが見えなくなった
「あの子」しか見えなくなった
あの子を鏡にして
あの子はこのトリートメント使ってるから
あの子はこの日焼け止め塗ってるから
あの子はこの靴履いてるから
あの子はこの辞書使ってるから
中身は真似しないで鏡で見える範囲だけ真似した
どうやってもあの子に慣れないのに真似真似真似
何時しか自分が何が好きだったかも分からなくなって
家族も見えなくなって
もう私はあの子しか分からない
なのにいつまでたっても不安が残る
鏡は悪くない
映った私が悪いのだから
もう見るのはやめよう
目じゃなくて耳を使いたい
昔は頭が良かった
昔は痩せてた
昔は強かった
昔は綺麗だった
昔はモテてた
今じゃなくて昔の記憶を辿れば山のように誇れる思い出が出てきて
それを武勇伝のようにみんなに語って
じゃあもし誇れる思い出を全部捨てられてしまったら?
私には何が残るのだろう
今この瞬間も数年後には誇れるのだろうか
少し怖くなる
昔を語って生きている今を誇れるだろうか
当たり前のように想像したその「数年後」は訪れるのだろうか
今を大切に
今この瞬間を誇れる
そんな人生にしたい
だから捨てなくてはいいから、昔を誇る気持ちを少し薄めたい
それを一生懸命と言うのだと私は思う
自動車
バイク
バス
新幹線
飛行機
船
色んな乗り物があってそれぞれで行ける範囲が変わるけど
私は自転車がいい
こいでこいで
汗かいて
風を感じて
髪も崩れて
それでも顔を合わせられるのだから
出会いが待っていると思うと
私の人生は自転車がいい
怪我をしたから整形外科に行って
風邪をひいたら耳鼻科に行って
お腹が痛くなったら内科に行って
それを周りの人に伝えたら
「大丈夫?」
って心配してくれるけど
心が黒くなってきて精神科に行ったら
「えー?!精神科行ったの!」
珍しいものを見るかのような目で見てくる。
それが堪らなく嫌だった。
体の健康
心の健康
分けずに
私の健康
と一つにまとめたら違和感は無くなるのでしょうか