ラッコにとっての貝がらのように、私にとって推しの存在はなくてはならないものだ。実際には存在していないけれど、その存在があるというだけで勉強も苦手なことも人付き合いも頑張れる。
大切なもの🍀
憧れの人と話せた時、何気ないふりをしていたけど
心のなかでは鼓動が速く、耳の中でずっと轟いていた。
どんどん顔が熱くなっていくのがわかる。
顔、赤くなってないかな?
表情に出てないよね?大丈夫だよね?
こんな心配したって、相手に伝わってないから大丈夫に決まってる。でも、どれだけ表面上で何気ないふりしても自分自身に何気ないふりなんてできないんだよな、、。
物語の世界に身をあずける時はいつも悲しかったり疲れていたりする。
現実世界でのイライラや傷ついたこと、つまらない日常を忘れてどんどん読み進めていく感じが心地よくてやめられない。文字を目で追いながら一喜一憂できるのがたまらなく好き。
そんな私はバッドエンドが苦手だ。
驚きのラストが!とか、このダークさがいい!とかをよく聞く。確かに物語にはハッピーエンドに向かなかったり、バッドエンドにすることでより盛り上がるものもあるだろう。
でもやっぱりハッピーエンドを求めてしまうのは主人公を自分の重ねてしまっているのか?それともただの同情?
いろんな考えが渦巻くが、バッドエンドにはバッドエンドの、ハッピーエンドにはハッピーエンドの、読者を物語につれてゆき、夢中にさせる美しい力があるのだろう。だからこそ、私は本なしでは生きていけなくなったんだ。
私は見つめられると萎縮してしまう
イケメンな美容師さんがこちらに話しかけてくる時
教科の担任の先生と挨拶する時
とても優しそうでおおらかな可愛い同級生としゃべる時
どんな時でも
その2つの目がこちらを捉える時
私は心のなかで叫んでしまう
逃げようともがいてしまう
体は逃げようとしないから褒めてあげたい
でも、いつか心だけじゃなくて体も逃げ出す気がする
見つめられると萎縮してしまう
恥ずかしい、嬉しいの感情より
恐れが勝つようになったのはいつからだったんだろ