Love you 久しく味わえていない感情だ。最後にlove youだったのはいつだったか、思い出せない。ドキドキするような人も久しく会っていない。まあ最近は自律神経の乱れでドキドキすることがある、情けない。
Love youは私にとって活力の源のようなもの。その状態の時は何事にもやる気がみなぎり、なんでもできるような気になる。
仕事で嫌なことがあれば、普段なら沸々とマグマのように怒りで煮えたぎるのに、サラッと流せるぐらい心が広くなる。
1人でいることの方が好きなのに、一緒にいることがいいと思えるほど、心変わりもする。
ただ、人見知りなのでゴールに到達するまで時間がかかる。少しでも壁を感じると心を閉ざしてしまいがちになりやすい。
相手が社交的だと案外とスムーズに、自分も心を開くことができる。たまに心を開きすぎる時もある。
一度はツインレイに会って、自分がどうなるか見てみたい気もする。自分の知らない、新しい自分に会えるかもしれない。
太陽のような明るく、暖かな人間になりたいと思うことがある。最近、見学に行ったデイサービスの職員の人たちがそうだった。優しい言葉遣い、そっと差し伸べる手。できそうでなかなかできない。
介護の仕事に興味はあるが、家で父親の介護をすることで、介護士の人たちの大変さがわかった。体や気分の調子がいい時は、手はかかるが大変と言うほどでもない。
だが、調子が悪い時は、異常な行動や言動があり、いつも以上に世話がかかる。目が離せない。
でも父親の笑顔を見ると報われる。父親の笑顔をこれからもたくさん見れるよう、世話をしていこうと思う。
0からのゴールを人生で何回も経験する。こども園に入って卒園、小学校に入って卒業、中学、高校とリスタートの繰り返しを経験する。
社会人になっても配置換えや転勤、転職など、幾度となくやってくる。その度に失敗や成功を繰り返し、成長していく。
リスタートがあることで、人生の節目が何度となくやってくる。メリハリのある時間を経験できる。
輪廻転生を信じる人は、幾つもの0からのスタートを経験していると想うのだろう。人によって同じ人生を繰り返している人もいれば、違う人生をいくつも経験している人もいるかもしれない。
前世の記憶がないので、推しはかることはできない。将来、仮想現実の世界で生きることになれば、生きている間に何回も人生を、経験することができるかもしれない。
もしかすると、もう仮想現実の世界で、自分は生きている可能性だってありうる。
仮想現実のシステムがもっと高度になって、同時に複数の人生を歩める機能ができれば、多様な考え方ができると思う。
自分としては、ゆっくりを人生を送りたいと思っている。
同情は厄介なものだ。同情されるとより一層惨めになるし、劣等感に苛まれ、気が滅入る。自分ならそっとして置いて欲しい。
同情をするとありがとうと言う人もいれば、あんたに何がわかるのよ、と言われることもある。
状況や人によって、対応を変えなければいけないから厄介だ。
今やっているオリンピックを見ていると、今の若い選手は素直に相手を称えたり、慰めてあげたりと、負のイメージがない。とても清々しい気持ちになる。スノーボードやスケートボードで特に見かける。
こういう互いにリスペクトをする習慣が広がれば、戦争や罵り合いが無くなっていくと思う。
同情も素直に受け止めれば、いいものになるのかもしれない。
枯葉、桜とはまた違う儚さがある。桜は淡いピンクの花びらが舞い散る儚さの後に、青々とした葉っぱが生い茂り、生命の息吹を感じる。
方や色鮮やかな紅葉に色取られた後、枯れ葉となって舞い散る枯葉、儚さの後に訪れる殺伐とした景色。冬を耐えるために、切り捨てられる定めの葉っぱ。
ノスタルジックな感情が染み渡る。静かなジャズピアノを聴くには、ぴったりな時期かもしれない。
枯葉の擦れる音がするたびに、風か冷たくなってゆく。枯葉は冬支度に合図。
将来、温暖化で夏と冬だけになったら、景色はどうなるのだろう。四季が無くなれば楽しみがどんどん無くなってしまうかもしれない。
今のうちにしっかりと味わっておこう。