0からのゴールを人生で何回も経験する。こども園に入って卒園、小学校に入って卒業、中学、高校とリスタートの繰り返しを経験する。
社会人になっても配置換えや転勤、転職など、幾度となくやってくる。その度に失敗や成功を繰り返し、成長していく。
リスタートがあることで、人生の節目が何度となくやってくる。メリハリのある時間を経験できる。
輪廻転生を信じる人は、幾つもの0からのスタートを経験していると想うのだろう。人によって同じ人生を繰り返している人もいれば、違う人生をいくつも経験している人もいるかもしれない。
前世の記憶がないので、推しはかることはできない。将来、仮想現実の世界で生きることになれば、生きている間に何回も人生を、経験することができるかもしれない。
もしかすると、もう仮想現実の世界で、自分は生きている可能性だってありうる。
仮想現実のシステムがもっと高度になって、同時に複数の人生を歩める機能ができれば、多様な考え方ができると思う。
自分としては、ゆっくりを人生を送りたいと思っている。
同情は厄介なものだ。同情されるとより一層惨めになるし、劣等感に苛まれ、気が滅入る。自分ならそっとして置いて欲しい。
同情をするとありがとうと言う人もいれば、あんたに何がわかるのよ、と言われることもある。
状況や人によって、対応を変えなければいけないから厄介だ。
今やっているオリンピックを見ていると、今の若い選手は素直に相手を称えたり、慰めてあげたりと、負のイメージがない。とても清々しい気持ちになる。スノーボードやスケートボードで特に見かける。
こういう互いにリスペクトをする習慣が広がれば、戦争や罵り合いが無くなっていくと思う。
同情も素直に受け止めれば、いいものになるのかもしれない。
枯葉、桜とはまた違う儚さがある。桜は淡いピンクの花びらが舞い散る儚さの後に、青々とした葉っぱが生い茂り、生命の息吹を感じる。
方や色鮮やかな紅葉に色取られた後、枯れ葉となって舞い散る枯葉、儚さの後に訪れる殺伐とした景色。冬を耐えるために、切り捨てられる定めの葉っぱ。
ノスタルジックな感情が染み渡る。静かなジャズピアノを聴くには、ぴったりな時期かもしれない。
枯葉の擦れる音がするたびに、風か冷たくなってゆく。枯葉は冬支度に合図。
将来、温暖化で夏と冬だけになったら、景色はどうなるのだろう。四季が無くなれば楽しみがどんどん無くなってしまうかもしれない。
今のうちにしっかりと味わっておこう。
いつもと変わらず今日にさようならをしている。煩悩まみれの思考と、不確かな未来への不安に苛まれ生きている。たまに確信のない自信を掲げて前進する。これの繰り返しで、日々が過ぎてゆく。
他人を羨んでみても自分が惨めになるだけだから、考えないようにしている。今持っている自分の価値を推測ってみても、評価をするのは他人なんだから悩んでも仕方がない。
今日の自分にさよならをして、明日の自分にバトンを渡す。煩悩や不安を手放し、いずれ良い事もあるさと気軽に思えるよう、心を軽くする。それだけで未来に希望が持てる。
私のお気に入りは、おばあちゃんが作ってくれた餅の素揚げ。鏡開きの餅を細かく砕き乾燥させたら、あとは油で揚げるだけ、外はカリっとして中はもっちり、香ばしくてシンプルだけど美味しい。
今は鏡餅も飾らないし、お餅も少しだけしか買わなくなった。
子供の頃は、左義長でアルミホイルで包んだ餅と芋を火の中に入れて、焼けるの待った思い出がある。中学生までは大きな氷柱を見かけたが、今は見かけない。
お気に入りだった地元の温泉街も、賑わいもなく閑散としている。浴衣を着て祭りに行っても、昔みたいに人混みもなく、こぢんまりとしたものになってしまった。あの時の賑わいが恋しい。